猫だと思ったら狼でした(後編)
いきなりのキスに亜子は、ギョッとなって目を大きく見開く。
すぐに慎吾を押しのけようともがくものの、細いくせにびくともしないうえ、かえって拘束する腕に力がこもりってしまった。そのため亜子の必死の抵抗は、それほど長くは続かなかった。
しかも困った事に、慎吾とのキスは不快ではない。
亜子は静かに睫毛を伏せると、彼の腰へ両手を添えるように置いた。それに気を良くしたのか、キスは深いものへと変わっていった。
こいつ、慣れてる――そう感じながら、亜子は慎吾の舌が侵入するのを許し受け入れると、互いの息があがるほど互いを味わう。キスなど、前のカレと別れてから一度もしていない。久しぶりな行為だ。しかも今までシタ中で、一番気持ち良いのだから堪ったものではない。
きっと欲求不満なんだわ私。だから初めて会った相手なのに、こうも易々とキスを受け入れてしまったのよ――と、亜子は酸素不足になりそうになりつつ、そう結論付けて自分自身に言い聞かせる。そしてできることなら恋人は、三ヶ月以上切らしてはイケナイものであったのだと悟った。
よやく唇が離れ、亜子の濡れた唇をぺろりと舐めると、慎吾は満足げな笑みを浮かべる。しかも頬を赤らめながらも恨めしげに自分を見上げる亜子に、彼はとんでもない爆弾を落としたのだ。
「俺の初恋って、亜子さんなんだよ。まさか父さんの隣室が貴女だったなんて……今でも信じられない」
「は?」
信じられないことに、会うのは今回が初めてではないらしい。しかも初恋の相手が自分だなんて、こちらも信じられない内容である。一体、いつ、どこで、どういう状況下で、慎吾と自分は会ったのか……それを亜子が知っているはずも、覚えているはずも無く、慎吾だけがそれを分かっていて覚えている状況だ。面白くないし、胡散臭さ満載で、自然と亜子の顔が険しくなる。だが、そんな彼女を気にすることなく、慎吾は柔らかな笑みを浮かべてご機嫌だ。
「亜子さん、大学受かったら俺、母さんを説得して父さんと住もうと思ってる。父さんがオーケーしてくれるか分からないけど、だめでも絶対に近所に住むよ。だからそれまで待っていてくれるでしょう?」
1LDKの彼女の部屋と違い、川野の部屋は洋間が二つある2LDKだ。二人で住むのに不都合は無い。
「俺以外の男、部屋に入れちゃダメだよ。約束だよ? 絶対だからね?」
キスの余韻に浸りながら、甘い声で約束を強請る慎吾に、亜子はおもいっきり顔を歪めた。
「あのさ、慎吾君。やっぱり私、どう考えてもきみとは昨日初めて会ったと思うんだけど……」
「……何それ。やっぱり覚えてないんだ。酷いよ亜子さん。俺の初恋の人なのに、ちょっと薄情なんじゃない?」
「薄情って言われても……」
「俺、恭平と同じ小学校だったんだよ」
「はあ?」
何度か家にも遊びに行ったよ――と、慎吾はあんぐりと口を開けて自分を見上げる亜子の額に、ちゅっと可愛らしいキスをした。
「きょう、へいって……恭平? うちのバカ弟の?」
確かに下の弟は高校三年生だ。慎吾と同じ学年である。
「……バカなのかどうかは、俺には分からないけど、その恭平だよ亜子さん。貴女の下の弟の、サッカーが得意な坂城恭平。確か、サッカーの強い高校に行ったんだよね?」
「あ、うん。補欠止まりだったけどね。高校自体は去年と今年、全国大会に出たわよ」
「そうなの? 凄いね」
にこにこと、目の前で笑う慎吾の顔を見ながら、亜子は記憶を探り恭平の小学校時代の友達を思い出す。そしてやけに可愛らしい、女の子みたいな顔をした男の子が一人いたのを思い出した。学区が違うのでその子とは中学が別々になってしまったが、あの頃、よく家に遊びに来ていた一人だ。でも、まさか、そんな………。
「苗字が……川野じゃなかったわ」
「うん。俺、あの時、母方の苗字だったから」
「じゃあ、田丸っていうのは……」
「母さんの再婚相手の苗字。俺が高校に入る前に、母さん再婚したの。だから亜子さんの記憶にあるのは、川野でも田丸でもない。太田――でしょう?」
こくんと頷いた亜子に破顔する。彼女が太田慎吾を覚えていてくれたからだ。
「亜子さーんっ!」
「わわ、ちょっと待ってぇぇぇ!!」
勢いよく抱きつかれ、よろけたのをこれ幸いとばかりに、慎吾は亜子を床へ押し倒した。本格的に圧し掛かってきた彼に焦るものの、どんなに足掻いても慎吾の下から抜け出すことができない。
「ああもう、やっぱり昨日コンビ二で買ってくれば良かった」
ぼそりと呟かれた物騒な言葉に、亜子の背筋が冷やりとする。アレだ。絶対にアレだ――と、頭の中で警告音が鳴り響く。この部屋にアレがあろうものなら、きっとこの流れならば、確実にそうなっていただろう。捨てておいて良かった。危なかった――と、亜子はバレにように安堵の息をついた。
確かに昨夜は、どこかで期待している自分がいた。
けれど末弟の同級生と知ってしまった今は、そんな気など、どこかへふっ飛んでしまった。
拙い。さすがに拙い。未成年者の……しかも高校生との性交は、合意の上でも拙いような気がする。
「ま、いいか。時間はまだあるし、父さんも帰ってこないし、後で買いに行けばいいものね」
「ちょ、慎吾君。私は――」
「ねぇ亜子さん。俺のこと嫌い? 嫌いじゃないよね?」
にっこり笑った顔は、破壊的な可愛いさなのだが、どこか脅迫めいている。否やは許さない――といった感じだ。
「ね、どっち?」
面食いだという自覚はある。しかも、しかもだ。亜子は年下が好きなのだ。前のカレも、その前のカレも、ぶっちゃければ初カレ以外全員、亜子よりも年下だった。といっても、一つか二つなのだが……目の前で微笑む慎吾とは、七歳も年の差がある。いくらなんでもこれは拙い。ありえない。だが………。
「……嫌い、じゃないかも」
念のためもう一度言うが、亜子は面食いなうえ年下が好きだ。
でもって慎吾は綺麗な顔をしているだけでなく、亜子より七歳も年下である。
「良かった。じゃあ、俺のこと……好きだよね?」
「……それは」
「好きでしょ?」
「た、多分……」
「多分って……。んもう、亜子さんは素直じゃないな。でもまぁそれでもいいか。俺のこと、好きになるのは時間の問題だもの」
くすりと笑って亜子の頬にキスをすると、慎吾は彼女を抱き起こした。乱れた髪を手櫛で直し、もう一度頬にキスをして、にんまりと口端を上げる。それを見て、亜子は深々と息を吐き出した。
「私、慎吾君のこと“猫みたい”って思ったけど……本当は猫じゃなくてきみ、狼だったのね」
「そうだよ亜子さん。俺に限らず男はみんな狼なんだよ」
知らなかったの?――と、悪戯っぽい笑みを浮かべ、慎吾は亜子の両手を両側から包むように握った。
「そういえば昔のアイドルグループの歌で、そんな歌詞があったわ」
子供の頃、お母さんが良く歌っていたのと、亜子は引き攣った笑みを浮かべた。
「男は狼なのよ、気をつけなさい――ってね」
アレって本当だったのね――と、己が目の前で微笑む猫の皮を被った美麗な狼の額を、亜子は指先でピンと強く弾いてやった。
うぅ~ん・・・やっぱりルイのようにはいかないですねぇ。
「年下の男の子」と「春一番」は、今でも覚えていたりします(笑)
1番くらいは、なんとな~く歌える・・・かな?