女房と若君
2010.04.05に自サイトに掲載。
大納言家の女房と若君の攻防?
「むっ……」
涼しげな衣擦れの音がこちらに近づいてくるのが聞こえ、わたくしの眉間に深い皺が幾筋も刻まれました。どうやら本日も、大納言家の若君――清原 鷹冬様はわたくしの局に来ようとしているようです。わたくしが局に下がっている時を見計らい、この方はいつもこうしてやってくるのです。お勤めはどうしたのですか、お勤めは!! 近衛府とは閑職だったのですか!?
「入るよ」
「……」
大納言家に雇っていただいている身のわたくしには、鷹冬様が局に入るのを拒む権利などございません。その証拠に、わたくしの返事を待つことなく鷹冬様は御簾を押し上げると、流れるような動作で中へと入ってまいりました。
ぱちりと音をたて手にされていた扇子を閉じると、鷹冬様はその先を顎に付けて首をちょっと傾け、わたくしに向かってやんわりと微笑みました。
父君の大納言様はのっぺりとしたお顔立ちでありますが、鷹冬様は凹凸のはっきりされている母君様に似ておいでになられ、それはもう胸焼けしそうな……ではなく、輝くばかりの美しさ――なのでございます。
初心な小娘がこの笑みを見たら、一発で失神すること間違いなしでしょう。それくらい凶悪な……ではなく、目が眩んでしまうほど鷹冬様は美しい方なのです。
どれくらい鷹冬様が美しいかと申しますと、毎日毎日都中の女性(どうやら男性も混じっているようです)から恋文が届けられ、鷹冬様の文机の上に小山ができるほどでして……文机に乗りきらなかった分は床の上に置かれ、同じように小山を作っております。届けられた恋文一つ一つにお目を通すものの、お返事を書かれたことは一度もございません。不実だからではなく、あまりにも数が多過ぎて、全員にお返事を書くのが無理だからでございます。
「松雪、何をしているの?」
松雪――とは、わたくしの女房名でございます。本当の名は「雪子」といい、伯母の女房名が“松岑”だった為、わたくしは“松雪”と呼ばれる事になったのです。
ぶっちゃけますと、これ、かなり迷惑な話です。
松岑の姪だから松雪だなんて……これではまるでわたくしが、伯母の“おまけ”のような扱いじゃありませんか?
そう思いませんか?
わたくし、あの恩着せがましい伯母が大っっっ嫌いなのです。ええ、ええ、心の底から嫌いなんです。
ですがこの名を決めたのは、大納言家の北の方様でして……さすがにわたくしも、それは嫌だと言えませんでした。
権力には逆らうな、長い物には巻かれろ――なのでございます。
「見て解りませんか? 日記を書いております」
「見せて」
「嫌です」
「いいじゃないか」
「絶対に嫌です」
「松雪のけち」
「……」
実はここ数日、今と同じ会話の繰り返しでして……いい加減にしやがれってんですよ、まったくもう。
鷹冬様はわたくしの背後にある円座に座ると、傍らに無造作に置いてあった琵琶を手許に引き寄せ、びぃぃんと弦を爪弾きました。物語に出てくる公達のように、できないことはないというくらい、鷹冬様はなんでもできるお方なのでございます。
特に舞などは優美という言葉以外の何者でもなく……こちらに仲の良い方々を招いて酒宴をなさることがあるのですが、その際、鷹冬様が座興にと舞われることが多々ございます。
なにせ御酒を召されての事ですから、優美なだけでなく厄介な事に色香がそれに加わるのです。
御簾内より食い入るように舞を見ている女房達の中には、鷹冬様の醸し出すその色香にやられ気を失う者が少なくありません。本当に罪作りな方でございます。
「ねぇ松雪」
「はい。なんでございましょう」
「松雪は……結婚する気、あるの?」
「……」
「結婚……しないの?」
い、いきなり痛い所を突いてきやがりましたね…………今日も今日とて嫌な方です。
わたくし今年で二十三でございまして……おもいっきり“嫁き遅れ”なのです。それを恥じてはおりませんが、今のように訊かれてしまうと、やはりなんだか恥ずかしく……ちょっぴりですが、胸がしゅうんとなってしまいます。
「……いたしません」
「それは何故?」
びぃぃんと、もう一度鷹冬様は弦を爪弾きました。痛いほど背中に視線を感じ、わたくしは溜息をひとつついてから筆を置くと、鷹冬様の方へと体ごと向き直りました。
「わたしのような“こぶ”付き女を、妻に迎えたい殿方などおりませんので」
「こぶ? こぶ……ああ、それは“小雪”と“雪丸”のことだね」
頷いたわたくしに鷹冬様はにっこりと微笑まれ、あれは可愛いこぶだとおっしゃいました。
そうなのです。
わたくしには“可愛いこぶ”が二つあるのです。
流行り病で亡くなった両親に代わって、わたくしは幼い弟妹(九歳と十一歳)を養い、そして一人前にしなくてはいけません。それが長子として生まれた者の責任であり義務なのでございます。結婚などしようものなら、夫や自分の子の世話を優先しなくてはいけなくなり、長子としての役目を途中放棄することになります。
わたくしはそれが嫌なのです。
我慢できないのです。
命の灯火が消える直前、義母(わたくしの生母は、わたくしが八歳の時に他界しております)は涙を流し言ったのです……「ごめんなさい雪子さん。どうか二人をお願いします」――と。だからわたくしは「もちろんです」と、義母の手を強く強く握りそれを約束いたしました。
わたくし以外の誰が、あの子達の面倒を見れるというのです。
誰もいやしません。
とはいうものの……いくらお願いされても、生きていく為にはその……お金が必要なのでございます。その為わたくし、大っっっ嫌いな伯母を頼りに住み慣れた若狭から、弟妹二人を連れて京の都に出て参りました。それが四年前のことでして……運良く―――と申しましょうか……大納言家では女房が続けて辞めてしまい、ちょうど新しい女房を探しておりました。
伯母は大納言様付きの女房であり、また、年若い女房達を教育する立場にありました。根性がかなりひん曲がった方ですが、こちらでは随分と皆から信頼されているのです。おかげさまで、わたくしはすんなりと雇ってもらえました。しかも北の方様のお計らいで、今では弟妹もこちらにて女童と男童として、二の姫様と鷹冬様にそれぞれ仕えさせていただいております。
わたくしはと言いますと、一の姫様付きの女房でして……近々入内される姫様と共に、暫くの間宮中へあがることになっていたりします。ですがそれは、一の姫様が慣れるまでのほんの二~三ヶ月だけの事です。弟妹を残していくわけにはいきませんもの。そして大納言家に戻りましたら、今度は二の姫様付きの女房となることが決まっております。
「わたくしの結婚は、二人の行く末を見定めてからでないと……」
「それでは花の盛りが過ぎてしまうじゃないか」
「……盛りなど……わたくしはとうに過ぎておりますわ」
ぴくぴくと頬を引きつらせながら笑ったわたくしに、鷹冬様はうざい……ではなく、秀麗なお顔を悲しそうに歪ませました。
「松雪は自分の事を、ちっとも解っちゃいないね」
その切なげな声音に、ぞわりとうなじが粟立ちます。
この方、顔だけでなく、声すらも艶めいておりまして……万が一、慣れていない者が鷹冬様に耳元で囁かれようものなら、鼻血を噴き出しぶっ倒れること間違いないでしょう。
しゅっと音がしたかと思えば体がぐらりと傾き、鷹冬様の焚き染めた香がわたくしを包みました。見上げればそこには、鷹冬様の暑苦しい……ではなく、嫌味なくらい整った顔が………………。
ああもう、本当に心の臓に悪いんですよこの顔って。
「ねぇ松雪……私の所においでよ」
おいでよと言われても……犬猫じゃあるまいし………。
「私の妻におなりよ」
はぁ? 何言っちゃってるんですかこの人。
そもそもわたくしはただの女房であって、これといって財産もなければ、鷹冬様を引っぱり上げることができそうな親戚も後ろ盾もないのです。それにこぶも付いております。
「確か世の中では、初めの妻は財産のある年上が良い――と申しますね。ですがわたくし、財産などありませんわ。当てはまるのは年上という事だけ。女遊びをしたいのならば、他を当たってくださいませ」
「酷いね松雪は。遊びでお前を口説こうものなら、私は母上と聡子に殺されるよ。それに年上と言っても、たかが三つじゃないか」
聡子とは……わたくしのお仕えする一の姫様のお名前でして、御年十六歳――こちらも兄君に負けず劣らずの、たいそう可憐な美少女っぷりでございます。それはもう……同じ女のわたくしでも、うっとりするほどの美少女なのです。
「聡子と一緒に後宮に入る前に、お前を私の妻にしなければどうなるか……解っているのかい?」
「さあ? どうなるのでしょう……」
解りませんと首を傾げたわたくしに、鷹冬様は呆れたように肩をすくめ、わざとらしく大きな溜息をつかれました。
「毎日顔も判らぬ男どもから山のように文が届き、一日中恋のかけ引きを仕掛けられ、挙句の果ては夜中に男が忍び込み、手篭めにされてしまうよ」
「て、てご、てご、てごぉ―――っ!!」
宮中とはそういう恐ろしい場所なのだ――と、口をぱくぱくさせるだけのわたくしに、鷹冬様は至極真面目な顔でおっしゃいました。
「だからね、私にしておきなよ」
「で、ですからわたくし、た、蓄えは……」
「大丈夫、その分私がたあ~んと持っているから」
「た、鷹冬様ぁ……」
「松雪はそんな事、気にしなくていいんだよ」
しゅるしゅると袴の腰紐が解かれ、あれよあれよという間に胸元が肌蹴ていきます。あぁ……なんて手際が良いのでしょう。鷹冬様あなた、実はかなり遊んでいますね? けれどわたくし、このまま流されるのは嫌です。でもどうしたらいいのか……主家の若君を蹴り飛ばすわけにはいかないし、琵琶で頭を殴るのも許されない。どうしたら……どうしたら………。
「そこまでですわ、兄上っ!!」
鋭い声と同時に、ばさっと大きな音を立て、下ろされていた御簾が勢い良く跳ね上がりました。鷹冬様に組み敷かれ、胸元の合わせ目が大きく開かれた状態のわたくしを救ってくれたのは、憤怒の形相の一の姫様でして……どかどかと足を踏み鳴らしながら中へ入ってくると、物凄い速さで手にしていた檜扇を高々と振り上げ、そして「あっ!」と叫ぶ間もないほどの速さで、それをおもいきり振り下ろしました。もちろん鷹冬様の頭に――で、ございます。それはもう、凄まじい音がいたしました。
「さ~と~こ~!!」
脳天を両手で押さえ、鷹冬様は目に涙を浮かべながら、妹姫を射殺すような勢いで睨みつけます。けれど一の姫様がそれに動じる事はなく……ふふんと鼻を鳴らし、両手を腰に当て斜に構えると、真冬の月のごとき冷たく光る瞳で鷹冬様を見下ろしました。その口許はといえば、心なしか……いえ、確実に笑っておいででした。
内緒ですがこのご兄妹……非常に仲が悪いのです。
この一の姫様が入内し、この邸からいなくなることを、誰よりも喜んでいるのは鷹冬様でして……猪のような凶暴なこの妹を妃にしなくてはいけない東宮様は可哀想だ――と、心から同情なさっておいでなのです。
鷹冬様……姫様が凶暴なのは、貴方様に対してだけでございます。いい加減それに気が付いてくださいませ。
「兄上が松雪の局に入っていったと、北の対にいたわたくしに女童が報告しに来てくれなければ、今頃どうなっていたことか……。ああ松雪、わたくしがもっと早く駆けつけていれば……貴女に不快な思いはさせなかったのに」
ごめんなさいねと、姫様はわたくしの乱れた胸元を直し、袴の腰紐をぎゅっと結わいてくださいました。
「松雪は年のわりに、すこうし……ううん……かなり隙があってよ」
「はあ……」
「いいこと松雪。いくら美しい顔をしていても、いくら優しい言葉をかけられても、男は男……煩悩だらけの薄汚い獣なのよ。隙を見せたらだめなんだから! 解った?」
「は、はい。申し訳ございません」
七つも年下の姫様に叱られ、項垂れるわたくしの頭を優しく撫でると、姫様はすくっと立ち上がって兄君様へと視線を移されました。
「兄上」
「……何?」
「太宰府辺りなどいかがでしょうねぇ」
「大宰府? なんのことだ?」
「楽しみですこと」
おほほと上品に笑われて、姫様はわたくしの手を取り立たせると、二の姫――淳子様の所へ遊びに行きましょうと、鷹冬様を残して局を出ていかれました。もちろんわたくしは手を握られているので、姫様と一緒です。
これは非常に拙い。拙いのです。わたくし文机の上に、日記帳を広げたままなのでございます。あれを鷹冬様に見られては……あぁどうしましょう……どうしましょう………。
おろおろとした様子で、何度も局の方を振り返るわたくしに、姫様は呆れたように溜息をつかれました。
「松雪、兄上が気になるの?」
「あ、いえ……」
日記帳が気になるのです。だってあれには、鷹冬様に見られたくない事が書いてあるのですから。
「もしかして、わたくし……助けなかった方が良かったかしら?」
「なっ!」
かぁ~っと頬が熱くなり、ぶんぶんと頭を振るわたくしに、姫様が「素直でないこと」と苦笑されるのが聞こえました。
後日、わたくしの局にやって来た鷹冬様が、いつも以上にねちねちと迫ってきたのは言うまでもありません。
日記に何が書いてあったかと言いますと、鷹冬様の悪口と……その……あの……わたくしが………って、こ、これ以上は恥ずかしくて言えませんっっっ!!




