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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
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20 不思議/優しい/親切/ちょっぴり怖い:頼りになる人


 あの子が無事に生きている。いつも通りに、笑っている。


 この事実だけで、いったいどれだけ救われたことでしょう。ああ、私の頑張りは無駄じゃなかったんだ、役目だけは果たすことができたんだ──って、そう心から思うことができました。


 私を──私たちを助けてくれたのは、イズミさんという不思議な男の人。まだはっきりと確認したわけではありませんが、この帰らずの森の中にぽつんと建っているお家に引きこもって暮らしている賢者様。


 本人は賢者などではない、異なる世界から迷い込んできた者だ──なんて言っていましたが、果たしてどこまで信じればいいのやら。たしかに、お家の内装も服装も、なんなら明らかに人種さえ違いますが、異なる世界とはいったい何なのでしょうか。魔界や妖精郷の類とは思いますが……ううん、よくわからない。


 異世界人だとか賢者だとかを抜きにしても、イズミさんは優しい人でした。無一文で明らかに訳ありの私とテオをこうして助け、看病してくださっていたのですから。


 ふかふかの、暖かで心地よいベッド。体が沈み込むようで、まるで雲の上で寝ているかのよう。私の実家のベッドはもっと硬くて少し横になっているだけですぐに体が痛くなってくるのに、このベッドは全然そんなことありません。身じろぎをしてもきしむ音の一つもせず、ただただ暖かく私を迎え入れてくれます。


 それに、ベッドに負けないくらいにふかふかの枕。まるでお母さんの膝枕のような……ううん、それ以上。おまけになんでしょう、このなんとなく落ち着く匂いは? 人の匂い……みたいだけど、それにしては妙にしっくりしすぎるような気が……。


 ともあれ、こんな貴族の屋敷でもそうそうお目にかかれない上等な寝床を用意してくれるだなんて、信じられないくらいです。


 寝床だけではありません。食べさせてくれた黄色い桃の美味しさと言ったら! 蕩けるように甘くて、何もかも忘れてしまったくらい。いったいどうすればあんなにも甘くて美味しい桃を作ることができるのでしょう。


 そんな美味しい桃を、当たり前のように私に食べさせてくれたイズミさん。持ち合わせが無くて内心焦っていたのに、遠慮なんてしなくていい、だなんて言うではありませんか。


 そうです。おかしいのです。


 上等な寝床。上等な食べ物。テオがあれだけ元気に笑っていたところを見るに、きっとテオも美味しいものを食べさせてもらって……たぶん、いろいろと面倒を見てもらっている。


 そのうえで、私の体から漂うツンとした特有の刺激臭。あちこちに巻いてある包帯から推察するに、お薬の匂いでしょう。同じ匂いは嗅いだことがありませんが、似たような薬草の匂いを嗅いだことは何度かあります。


 ええ、そうなのです。


 明らかに訳ありで帰らずの森を彷徨っていた私たちに──何の関係もなくただ転がり込んできた私たちをこうして受け入れ、高価な薬を使ってまで、イズミさんは面倒を見てくれたのです。


 同じことをしてもらうとしたら、果たして金貨が何枚必要になることでしょう? 食事代、薬代、宿泊費……軽く挙げただけでも、相当な量が必要になることは間違いありません。


 いったいどうして、私たちにこんなに親切にしてくださるのでしょうか?


 無論、下心があるのでは──と、考えなかったわけではありません。今の私に価値があるとしたら、それくらいしかないのですから。


 実際、目覚めた私はいつもの給仕服ではなく、見慣れぬ衣装を身に纏っていました。さらさらで着心地の良い、縞々模様の服です。肌触りがよく、通気性もよく……寝間着としてこれ以上ないものでしょう。


 ただ、その。


 意識のない私が、一人で着替えることなんてできないわけで。


 一応、その心配はなさそうでした。あの子が──テオが懐いていることからも、疑う必要はないでしょう。それに、あのボロボロの状態の私でそんな気を起こす人なら……そんな嗜虐趣味の変態なら、私は今ここにこうしていられないと思います。


 ……ま、まぁ、どこまでかはわかりませんが、色々諸々見られちゃったのは間違いないと思いますけど。こればっかりはもう、イズミさんが行動通りの紳士であったことを願うしかありません。


 ……乳や尻の一揉みや二揉み程度でこの待遇を許されるのなら、あの子のために揉まれる覚悟はありますが。


 ともあれ、現状では。


 私とテオはこうして温かい寝床と温かい食事を用意され、安心してここで過ごせる……ってことだと思っていました。理由も聞かず、ただただ面倒を見てくれる奇特と言っていい程に親切な人に拾われ、安心して過ごせる……と、そう思っていました。


 ──安全ではありますが、安心とは言い難いと悟ったのは、ついさっきのことです。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ──ギャアアアアア!?


「ひぇ……っ!?」


「だーう!」


 魔獣が近くをうろついているということで、先ほどイズミさんが外に倒しに行きました。歴戦の兵の風格と言いますが、やると決めた瞬間に顔つきが一瞬で変わったのが、なんだかちょっぴり怖かったです。


 窓から見えたあの魔獣。私も名前はよく知りませんが、それなりの冒険者でもてこずる相手だったと思います。力も強くて、足も速くて……森の中で何度か追いかけられましたが、よくぞまぁテオを背負った状態で逃げ果せたものだと、自分で自分が信じられないくらいです。


 ──ギャ、ギ、ギ、ギ


「うぅ……!」


「ま! んま!」


 そんな怖い魔獣の悲鳴が……いえ、断末魔の声とも言えない漏れ出たそれが、さっきからずっと外から聞こえてくる。ぢゅいいいい、と奇妙な音も断続的に聞こえていて、魔獣が暴れている音と、ぴしゃぴしゃ、ぐしゃぐしゃという妙に液体的な音もずっとずっと。


 ──あ、なんか赤いのぴって飛んできた。


「テオ、テオ……! おねがい、ちょっと、手だけ握らせて……!」


「う!」


 ──ア、ア、ア


 さっきから聞こえてくるのは、魔獣の悲鳴と聞いたことのない変な音だけ。騒々しい鳥の鳴き声をいっぺんにぎゅっと詰め込んだような……妙に甲高い音だけ。イズミさんの声が全く聞こえないのは、果たしていいことなのか悪いことなのか。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ……!」


「うー!」


 ──アアアア!


 ああ、なんでこの子はこんなにも楽しそうにけらけら笑っていられるのでしょう? 私なんてもう、魔獣の声なんて聞こえてくるだけで体が震えてくるというのに。いいえ、それ以前に、あんなにも苦悶に満ちた苦しみの声を聴くだけで、耳を塞いでしまいたくなってくるというのに。


「だいじょうぶ……賢者様なら、あれくらい一人でも倒せるはず……!」


「だう!」


 ああ、本当にこの家は大丈夫なのだろうか。イズミさんは結界があるから問題ないって仰っていましたし、実際今の今まで魔獣の侵入はなかったみたいですが……。


 それでも、こんな近くに魔獣がうろついているというのはあまりにも心臓に悪すぎます。窓の外、石垣の向こうにうろついているって信じられますか?


「……あ」


「きゃーっ!」


 ベッドの中で震えていたら。


 いつの間にやら、外が静かになっていました。


「い、イズミさんが勝ったんだよ……ね?」


「う! う!」


 語り掛けても、テオはにこーって笑って腕をぱたぱた動かすばかり。ああ、赤ちゃんって本当に生きているのが楽しそうです。


「すまん、ちょっとてこずった。うるさくしちゃったか?」


 まだ見ぬ部屋の外の奥の方──おそらくは玄関の方から聞こえてきた、大きな優しい声。思わずほっとして、テオを握る手が弱まりました。


「ああ、よかった──イズミさん、お怪我はありませんか?」


「ん。見ての通り全く問題は──」


「ひぇっ」


 ひょい、部屋の入口の方に躍り出てきた人影を見て、気を失いそうになりました。


 赤。赤。赤赤赤。


 ほっぺと、むねと、わきばらのところに。


 すっごい、すっごい──赤!


「いいい、イズミさん……!」


「わ、悪い……! ちょっとしくじって、返り血を浴びちまっただけだから!」


 女子供に見せられる格好じゃなかったな、だなんて言ってイズミさんは引っ込んでいきます。


「……」


「きゃーっ!」


 けらけら笑うテオを見て、ふと思います。


 もしかしてこの子……この光景に、慣れてしまったのではないでしょうか?


 あと、賢者様っててっきり偉大な魔法で敵を打ち砕くイメージがあったのですが……あれだけ返り血を浴びたってことは、接近戦で刃物を使ったってことですよね? なんかイメージと違うような……。


「……」


 まぁ、でも。


「……頼りになる人で、よかったです」


「んま!」


 暖かい寝床。温かい食事。清潔さと、傷の治療。たまーに怖い魔獣の襲撃があるけれど──頼りになるイズミさんが駆除してくれるし、この家の中は絶対に安全。


「あなただけでも、ちゃんと守れそうで……本当に良かった」


「う!」


 テオの手をぎゅっと握り、一息をつく。


 いろいろありましたが……なんとか、新しい生活が始まりそうです。

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