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仙遊伝  作者: 森戸玲有
二章
14/36

 文字を追っていくうちに、険しくなっていく紅珠の表情に周囲の人間も固まった。 


「もしや、実家で何か? 麗華殿のことについて書いてあったのか?」


 気がつくと、隆貴が心配そうに紅珠を覗き込んでいた。麗華の実家が何らかの陰謀に巻き込まれたのではないかと、気にしているようだった。


「いや……。その点は大丈夫だ」


 紅珠は慌てて、手紙をめちゃくちゃに畳んで袖の中に突っ込んで隠した。


「ご両親も心配されてているんでしょう。一応、嫁入り前の娘ですしね」

「あんたなあ……」


 この仙人は、内容を分かって言っているのだから、絶対に性格が悪い。


「その逆だろ」


 紅珠は当分実家に帰れそうもない。

 自棄になって国が滅ぶのを待ちたいくらいだ。


「専門外だとは思うが蕩殿。科挙も通ったらしいあんたに一つ聞きたいことがある」

「俺に?」

「三十過ぎて、倍になった税金を払わないとどうなる?」

「そりゃ、やばいんじゃねえか」


 隆貴は、顎の無精ひげを撫でた。


「うーん。まあ、最近はそういう独身女もいるから、金を払って偽装結婚する例もあるようだな。ばれれば、もちろん罪となるが、倍になった税を死ぬまで払っていくのは大変だからな」

「偽装結婚なんてするあてもなく、納税が滞っているとどうなるんだ?」

「そんなの、牢屋行きに決まっているじゃないか」


 簡潔に自分の末路を宣告されて、紅珠はむしろ冷静になっていた。意外に大丈夫かもしれない。牢屋に数日入っている程度なら、何とかなりそうだった。


「ああ。でも」


 隆貴は、紅珠の後ろ向きな覚悟に見事なひびをいれた。


「まずは、女ばかりが集めて、朝から晩まで花嫁修業をやらされるらしい。炊事、洗濯、芸事、農民との見合いを手配してくれるそうだ。無料でやってくれるから評判は良いみたいだ。でも、あくまでも罰則だからな。数回も繰り返せば、本物の牢屋にぶちこまれる」

「最悪だ」

「そりゃ、まあ。そういう法律だからな」

「何故、最初から本物の牢屋にぶちこんでくれないんだ」

「そうか。ぶちこまれるのはいいわけだ」


 紅珠にとっては、女らしさを強制されるよりは、汚い牢屋に閉じ込めらる方が楽だ。


「お前……。税金払ってないのか?」


 恐る恐る隆貴が尋ねてくる。極度の疲労に打ちのめされた紅珠は、再び寝台に腰をかけた。


「払ってないんじゃない。払えないんだ。若い頃の蓄えと家業の手伝いだけじゃ、とても無理だ。……ったく。知らん振りして出て来てしまえば、渋々誰かが払ってくれるんじゃないかと期待したんだが、駄目だった。自分で払えなければ捕まえてくれと、親が役人に言ったらしい」 

「その年で親頼みとは、最低だな」


 英清が嫌悪感たっぷりに、眉を顰めた。否定は出来ない。……けど。


「ちゃんと返すつもりだったんだ。税金は三十日に一度の支払いだろ。あと少し足りなかっただけだ。でも払えないと言ったら、本気で隣の爺さんと結婚させられそうだからな」

「そりゃあ、逃げたくもなりますよね。紅珠さん」


 宋林はしゃがんで紅珠の手を取った。見事に弱っているところを、漬け込まれている感じがするが、次の一言は、紅珠が予想していた口説き文句とは程遠かった。


「でも、それ、借金が払えない人の使う言い訳ですよね」

「あんたが、誰より一番えげつないことを言っているぞ」


 紅珠は笑顔で、宋林の手をぎりぎりと強く握り返した。


「あの。一応断っておくが、俺は結婚しているから、無理だぞ」


 必死な形相の隆貴は一歩退く。


「そんな顔しないでくれ。私がみじめだろう」

「まあ、落ち込むな。おい。お前達の中で、手っ取り早く結婚したい奴いるか?」


 廊下からこちらを見ている暑苦しい男達に、隆貴が目配せしたが、皆一斉に首を横に振った。


「そこまで、私は嫌か……」


 まるで、どうでも良いものを競りにでも出すように、軽んじられ、挙句、全員に拒否されてしまうのだから、さすがに落ち込みたくもなる。


「じゃあ、仕方ないですね。ここは僕と結婚しときましょう」

「あんた、戸籍が行方不明なんじゃないのか?」

「…………何だ。そんな細かいことは、どうでもいいじゃないですか」

「良いはずがないだろ」

「まったく。仕様もない人だな。分かりましたよ」


 宋林は紅珠べったりだった体を起こし、小さく息を吐いた。


「貴方が税金を払うことが出来たのなら、良いんですよね。だったら、方法はありますよ」

「内乱に乗じて、強盗でもしろと?」

「何で、叔母さんの考えは危険なんだろうな」

「そりゃあ。私はお前の母の妹だからな」

「そう。まさしく、それですよ。紅珠さん」

「宋林?」

「貴方は、税金を両親に押し付けて逃走している。麗華さんは連れ去られて、紫英殿は責任だけ貴方に押し付けて遁走している。つまり、姉夫婦のせいでこんなに危険な目に遭っているんですよね。だったら、見つけ出して、お金を要求すればいいんです」

「しかし、私は実家にも帰りたくないが、ここからも出たいんだ」

「どうして、貴方という人は柔軟な考え方が出来ないんでしょうねえ」

「すべてが緩々で、溶けかかっているあんたには言われたくないな」

「親父が言ってたぜ。紅ちゃんには、迷惑をかけたから、それなりにお礼をするって……」

「何だって? 英清。それ、本当か?」


 英清の一言に、一瞬、紅珠の心は揺れたが、すぐに、馬鹿らしくなって苦笑した。


「……しかし、襲撃に協力するのも馬鹿げているよなあ」


 紅珠は、盛大な溜息と共に肩を落とした。


「宰相様が捕えられているとして、相手が本気だったら、とっくにどうにかされているだろうよ。私としては、あんた達が過激に動いたりして、姉さんの身に危険が迫るほうが怖い」

「そうかな。麗華殿のほうが既にこの世にいないかもしれないぞ」


 隆貴が遠慮なく答えたので、英清が感情的になって怒鳴った。


「そんなこと、お前には分からないだろ!」

「ああ、分からんな。俺はその可能性を示唆しただけに過ぎない。だが、麗華殿が狙われた理由ならば、分かるような気がする。――ときに、英清殿」


 身長が自分の腰にも満たない英清に、今頃気付いたかのように、隆貴がしゃがんだ。


「俺は何処かで、君の顔を見たような気がするんだよなあ?」


 隆貴の鋭い刃のような瞳が英清を凝視した。咄嗟にまずいと感じた紅珠は、英清を後ろに自分の後ろに隠す。紅珠を間に挟みながら、二人の応酬は続いた。


「あんた、たまに家に来てただろ。ぼけてんのか?」

「しかし、麗華殿の後ろで隠れている姿しか見ていなかったからな。今、こうしてまじまじ見てみると……。君はそう……、陛下(あの方)に似ているんだな?」

「…………恐れ多いぞ。蕩殿!」


 紅珠が一喝したが、次の瞬間には、隆貴の背後の連中が騒ぎ始めていた。


「陛下だと!? どういうことだ?」

「蕩殿。それは本当か?」


 隆貴は、紅珠の気持ちも知らずに、仲間からの声に深々とうなずいた。


「陛下にはお世継ぎがいらっしゃらない。先帝の御子を養子に迎えるというのは、興公の考えだが、宰相様はこのことについて否定的だった。紫英を旗印にした理由はこれにあるのだろう」

「だが、その証拠はない。陛下が認めていない子供が世継ぎになれるはずがないだろう?」

「紅珠殿。お前は知らないのか? 麗華殿は後宮が解体された後も王宮に留まり、青后の世話係をしていたのだ。陛下との馴染も深い」

「…………嘘?」

「お前、妹なのに、知らなかったんだな」


 念を押されて、紅珠はたじろいだ。

 ……知らなかった。

 紅珠が都を去った後、紫英と結婚するまで麗華は王宮で雑用をしていると聞いていた。だが、青后の近くにいたとは想定外だった。


「状況証拠は揃っている。陛下の面影を宿した御子。麗華殿が攫われ、あんた達も狙われたとか? 宰相様が証を立てて下されば、すぐに判明するはずだ」


(……私は、甘かったのだな) 


 隆貴は、紅珠達が興公に狙われたことも知っていた。衛射の情報量は半端ないらしい。

 随分前から、隆貴は憶測を立てていたのだろう。


 ―――英清の正体について……。


 ここに来て、公にしたのは叛乱を企てている者達の気持ちをまとめるためだ。

 隆貴は紅珠が自分の思惑通りに動かないことに、痺れを切らしている。

 これはおそらく、彼の思惑通りだ。

 ――宰相を救え……と、男たちの怒号が炸裂している。


「なるほど、陛下の御子がいらしたからこそ、宰相様は紫英殿に指示を仰げと言ったのか?」

「陛下は嫉妬深い青后を恐れて、麗華殿をここに匿ったのか!?」


 そうして、隆貴は突然、床に正座すると、紅珠の横で小さくなっている英清に向かって大仰に頭を下げた。それに倣うように、皆、次々と床に座りこむ。


「今まで無礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。太子様」

「ちょっと待てよ。何の真似だ? 俺は髙 英清だ」

「では英清様。宰相様を救出するまで、これより我々が全力を尽くし、貴方をお護り致します」 

「別に、護ってもらいたくなんかないし。俺はただ母様を……」


 英清はいきなり豹変してしまった自分に対する周囲の態度に、明らかに狼狽していた。

 紅珠の袖をそっと掴む。

 それを黙視していた隆貴が紅珠を見上げた。


「お前は、実家に帰れ。今なら皇子の叔母として他言無用の念書一つで見逃してやる」

「…………叔母さん、威彩に帰るのか?」

「……英清」


 先ほどの威勢は消え、不安そうに英清が紅珠を見上げていた。こんな視線を向けられて知らん顔して帰る勇気を、もとより紅珠は持っていないのだ。


「……いや。お前の傍にいるよ。こいつらは全然、信用できないからな」

「何だと!?」

「まあ、待て」


 隆貴は、いきりたった男たちを手で制した。

 皆、役人には見えない。山賊一味のような格好の奴らばかりだ。一応、商人や農民に変装しているつもりなのだろうが、紅珠が見る限り、的外れとなっている。しかも、厳つい顔をした大男が多かった。彼らは、隆貴の部下なのかもしれない。腕が立ちそうだ。

 面倒なことになった。

 それでも、紅珠は後戻りできないことも分かっていた。


「ああ。信用できないな。英清は私の甥だ。あんた達の思惑通りに動く人形にはさせない」

「人形……だと?」


 数人の男達が顔を上げて、紅珠を睨みつける。


「……ところで、ここで一番強いのは誰なんだ?」

「はっ?」


 思い思いのことを口走っていた男達が、全員顔を上げた。


「この中で、一番強い奴は誰かと聞いている?」


 紅珠も自分の言動がまともなものだとは思っていなかったが、すぐに隆貴が紅珠の意図を察してくれたのには、助かった。


「……俺だが」


 素早い反応は、紅珠にとって都合が良かった。

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