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仙遊伝  作者: 森戸玲有
二章
13/36

◆◆◆


 誰にも起こされずにひとすら眠っていたい。瞳を開けたところで、ろくなことはない。

 ――科挙に七年連続で落ちたとか、蓄えが尽き、税金も払えずに、実家から遁走したこととか、甥が皇帝の子供だったとか、その甥が、後継問題で狙われているらしいとか……。


 全部。知ったことか。どうとでもなればいい。


「おい。いい加減、起きろ。叔母さん」

「絶対に嫌だ」

「ふざけんな! いつまで寝てるつもりだ?」

「出来れば、半永久的に……」

「子供かよ?」

「心は、いつまでも子供だ」

「奇遇ですね。僕もそんな感じです」

「あんたと一緒にすんな!」


 がばっと紅珠は、布団をはいで飛び起きた。

 調度品もない質素な客間に、明るい赤の着物姿の英清と、相変わらず、無駄に重そうな道士風の格好をしている宋林がいた。

 真っ白な衣装は不思議なことに汚れていない。


 ……それにしても、何故、彼らは、女性の寝室に平然と侵入しているのだろうか。


 失礼だという教育は、受けていないのか?


(……受けちゃいなんだろうな)


 紅珠は、ぼさぼさの髪を手で整えながら、寝惚けていた頭を徐々に覚醒に持っていった。


 ――そして、やっと昨夜のことを思い出した。


 宋林が暴露してしまった後、さすがの英清も固まってしまったのだ。

 結局、紅珠が宋林を殴り、紫英が雰囲気の悪さに、恵祝をしばらく座敷牢に監禁するよう命じて、あの場はお開きとなった。

 まだ幼い英清には、たった一晩で、すべて受け入れることなんて出来ないはずだ。


「英清。平気か?」

「何が?」

「いや、その……。色々とあったから」


 紅珠が言いにくくしていると、英清は大人のような疲れた微笑を浮かべてみせた。


「平気も何も、そんなこと考えている暇もなかったからな。父様がとうとうやってくれたんだ」

「……はっ?」

「読んでみろよ。朝起きたら父様の部屋にあったんだ」


 英清が、二つ折りの手紙を紅珠に渡した。乱暴に手紙を開いた紅珠は、文面を目で追う。


「…………どういうことだ?」

「どういうことも何も……」


 信じられなくて、何度も目を擦った。


「叔母さん、字も読めないのかよ。しっかりしてくれ。俺でも読めたんだぞ」

「馬鹿にするな。手紙くらい読める。この内容が分からないと言っているんだ」

「そのまんまの意味ですよ。紅珠さん。だって、紫英さんの姿が見当たりませんから」


 現実が恐ろしくなった紅珠は、自らに言い聞かせるように音読した。


『――みんなへ

 私は、昨夜英清が言った通り、駄目な親父です。自分から何も動こうとしなかった。

 宰相様から、すべて聞いた上で妻に迎えた麗華だけど、私には有り余る愛情がある。

 幸い、英清は屋敷に戻ってきたし、護る環境も十分整い、元・御殿吏の紅珠殿という切り札や、見えない獣とでも仲良くなれる夢のような仙人もいます。

 私がいなくても、きっと大丈夫。麗華を捜す私を、捜さないで下さい。 ――駄目親父より』



「駄目親父だっ!!」


 紅珠は叫んだ。


「ここまで、駄目だったとは。何が切り札だ。何が大丈夫だ。冗談じゃない!」

「まあまあ」


 宋林は何処からともなく現われた暁虎に早速襲われて、部屋の中心で押し倒されていた。


「それにしても、紫英さんも食えない人ですね。神獣のこと、ちゃんと知っていたんじゃないですか」

「そんなことは、どうだっていい」


 いきり立つ紅珠の神経を逆なでするように、宗林が偉そうに語りだした。


「なるほどね。血縁という絆は、神獣と召喚者の絆と似ていますね。普段たいして仲良くもないのに、苦境に立たされると、何故か引っぱりだされるという……」

「神獣を呼び出したことのない私に、どう共感しろと?」


 とにかく、紫英が心配だった。

 捕えるまでもなく、殺される可能性だってあるのだ。

 紅珠は口では、駄目だと罵ったものの、正直なところ、宋林と同意見で、義兄の頭が悪いとは思っていなかった。  

 仮にも、一国の宰相に目をかけられているのだ。馬鹿では務まらないはずだ。

 恵祝に関しても、事情を知っていて、泳がせていたような節があった。

 あの泰然とした物腰は侮れない。あの歯切れの悪い言い回しといい、紫英はてっきり麗華の消息を知っているものだと、思いこんでいた。


 ……だから、紅珠は一人で麗華を探すことをやめたのに。


「まさか、こんなことになるなんて……」


 寝起きから既に疲労困憊の紅珠だったが、しかし、それだけでは終わらなかった。

 間髪入れず、騒々しい足音が廊下から近づいてくる。

 一瞬、身構えたものの、急襲ではないようだった。


「おいっ! 目を覚ましたんなら、顔を見せろ! 一体、いつまで待たせる気だ!」


 まったくといって良いほど、紅珠が聞き覚えのない男の声だった。


(次から次へと、どうして、人がわく?)


 無視していても、男達に侵入されるだろうことが分かった紅珠は不満を隠せなかった。


「生憎と知らない男に、寝起きの顔を見せる義理はないんだがな」

「緊急事態だ。入るぞ」


 『鍵』というものが、普通の屋敷には、存在していない。

 扉さえない家がほとんどなのだから、引き戸で仕切りがあるだけ、義兄の屋敷は良いほうだ。

 紅珠は鬱々としながら、寝台から下りた。

 扉を乱暴に開け放ち、巨躯の男が床を軋ませながらやって来る。

 どうやら、仲間を連れていたらしく、数人の男が男の後に従って、部屋の中になだれこんできたが、紅珠が寝巻姿だと知ると、そそくさと去って行った。

 一応、それなりの礼儀はあるようだ。


「何だ。まだ着替えてもいないのか? どれだけだらしのない女なんだ」


 まだ顔も洗っていないということはとりあえず、伏せておいた。

 男は鋭い眼光を細めて、紅珠を睨む。

 鍛え上げられた逞しい二の腕に紅珠の目は引き寄せられたが、気になったのは、筋肉ではない。

 男の袖のない着物だった。


(どうして、あんなことに?)


 それでも、布地は上質のようなので、着古して、襤褸になってしまったわけではないようだ。

 男のこだわりなのだろう。褐色の肌に、無駄な肉をそげ落としたような精悍な顔立ちに無精ひげが伸びている。

 紅珠よりも明らかに年上のようだ。

 まずいと思い、紅珠も丁寧語に改めようかと逡巡したが、今更だった。


「義兄の家に、山賊が出るとは知らなかったな」

「俺は九鼎きゅうていの一つ衛射えいいの任に就いている。とう隆貴りゅうきだ。後ろの奴も、まあ役職は、ばらばらだが役人やそれに連なる者がほとんどた。ここで待機する者や決起を待つ者がほとんどだな」

「…………えっ?」

「おかしいな。俺達のこと、紫英殿から、何も聞いていないのか? ……朔 紅珠殿」


 聞いていたのなら、紅珠は今頃ここから逃げているはずだ。

 屋敷の奥に、腕の立つ人間がいることには、昨夜の時点で気づいていたが、紅珠は彼らを用心棒だと思い込んでいた。


 殺気がまるでなかった。


 人が集まる家だと英清は嫌がっていたが、宝正の地位にある紫英に護衛がついていないはずがないのだから、当然のことともいえる。


 ――なのに。


 九鼎、衛射がここにいる。

 皇帝直属の護衛部隊ではないか。

 訳あり女性の受け皿となっていた御殿吏よりも、はるかに位は高い。


「そんな格好なのに、出世頭……」

「私服と役職は関係ないだろう。大体、お前だって人のことを言えるのか?」


 紅珠は慌てて襟元を整えた。

 どうにも、姉の寝巻きはひらひらしていて、着心地が悪い。

 上着を羽織っているものの、無駄な露出も多くて、色気がない紅珠が着ると、滑稽に見えた。


「いい年した男が女の寝室に不躾に入って来ることなんて、想像もしていないからな」

「しかし、そこにいる、その男は一晩中、この部屋にいたらしいがな」


 隆貴が示した指の先を辿って、紅珠は絶句した。


「……宋……林?」

「…………あー。見られていましたか。仕方ないですね」


 宋林は、あっけらかんと認める。

 危機を察知したのか、暁虎はふわりと消えてしまった。


「でも、紅珠さん、心配には及びません。大丈夫ですから」

「何が、どのように大丈夫なんだ?」

「僕はただ黙って、貴方の寝顔を見ていただけですから」

「誰が黙って見てくれと頼んだ!」


 有無をも言わず、紅珠は寝転んだままの宋林を踏みつけた。

 宗林は…………悦んでいる。


「あはあは。紅珠さんったら、そうきましたか。照れ屋さん。ぐふっ!」

「………………さて」 


 紅珠は宋林を、満遍なく足蹴にすると、汗を拭った。


「そのお偉い役人さんが、どうしてここにいるんだ?」

「紫英殿が消えたと聞いてな。皆と大慌てで、紫英殿を捜しているんだ」

「はあっ?」


 驚いた紅珠は、ようやく宋林から離れて、隆貴に注目した。


「あの腰抜けが逃げたんじゃねえかって……な! だから、こうして興公に疑われることを覚悟して、様子を見に来たわけだ」

「…………今の話を説明出来るか。英清?」

「さあ。俺にもよく分からない。でも、いろんなおっさん達が、母様がいなくなる前から家に居着いてた。うるさくて嫌だったんだよな」

「好きで、居着いてたわけじゃないんだが……」 


 隆貴は宋林を跨いで、体全体で不機嫌を訴えながら、紅珠と英清に近づいてきた。

 こぢんまりとした客間は人間が四人もいると、暑苦しくて仕方ない。


「宰相様の命でな。自分に何かあったら、紫英に指示を仰げと。お前は知らないだろうが」

「いや、宰相様のことは昨夜義兄上から聞いていたが、しかし」


 紅珠は愕然となった。

 どうりでおかしいと思っていた。

 宰相に信頼され、出世しているとはいえ、書付でもない限り、紫英に頼ろうと思う挑戦者は滅多にいないはずだ。


「どうして義兄上なんかに?」

「それは、俺も知りたいところだ」

「もしかして、俺のせい?」

「気にするな。英清」


 珍しくしょんぼりしている英清の小さな肩に、紅珠は片手を置いた。


「何かが狂っているんだ。きっと次に目を開け時には、全部が正常に戻っているはずだ」

「叔母さん。そういうのを現実逃避っていうんだろ?」

「お前のその様子じゃ、更に追い討ちをかけてしまうようだが……」


 まだ何かあるのかと、紅珠は即座に耳を塞いだが、無駄だった。

 隆貴は止めてくれない。


「その紫英殿がな。元御殿吏の義妹が自分の代理をすると、書き置きして出ていった訳だ」


 気を抜いたら、そのまま卒倒してしまいそうなほどに衝撃的な内容だったが、紅珠はよろけながらも、何とか意識を堪えた。

 隆貴は懐から、取り出した手紙を丁寧に広げて見せてくる。


「離れにあった手紙だよ。筆跡は間違いなく紫英殿のものだ」

「ああ……」


 手紙には、紅珠に後はまかせた……という無責任極まりないことが長文で綴られていた。


「まあ、正直なところ、指示を仰ぐ云々じゃねえんだよな。問題は、いつ蜂起するかだ」

「……蜂起?」

「宰相様が捕えられているんだ。香陽のはずれの牢獄に。たった独りでな……。素早くお救いするためには興公を排除するしかないだろ。俺達はそれぞれに動いて、人も武器も集めた。あとは、号令を待つだけなんだ」

「どうして、そうなるんだ?」

「どうしたって、そうなるだろう。機を逃せば、宰相様に近い人間が一気に始末されるぞ」

「やられる前にやるっていうことですか。これで、都も一気に盛り上がりますね」

「内乱で、盛り上がってどうする。性悪仙人」


 いつの間にか隣にいた宋林が紅珠の背中を支えて、満足げに微笑していた。

 この男にとっては、戦争が起ころうが、世界が滅亡しようが、瑣末なことなのかもしれない。


「どうせ義兄上は、決起するべきじゃないとか云々言っていたんだろう?」

「いや。兵を挙げ、命懸けで宰相様をお救いしなければならないと、言い張っていたがな。具体的な話となると、いつの間にか姿を消していた。そして今日は完全に消えちまった」

「あんた達にとったら、義兄上は心底腹の立つ人間なんだろうな」

「……で?」


 隆貴は、覗きにやって来た同志から扉越しに目配せされて、面倒そうに口を開いた。


「一応、聞いておこう。お前はどうなんだ? 元御殿吏の腕を役立てたくて、紫英殿のところに来たわけではないんだな?」

「どうして、そんなことになってしまうんだ? 大体、私は痴話喧嘩で家出した姉を、宥めるつもりで、ここまで来たんだ。こんなことになるのなら、実家で大人しくしてたよ」

「じゃあ、実家に帰ればいい。むしろ、邪魔な存在にうろつかれるほうがやりにくい」

「それもそうだな。私だってこれ以上、大事に巻き込まれたくない。――英清!」 


 紅珠は、宋林を突き飛ばしてから、部屋の隅の小さな箪笥の上から多くない荷物を取って、小脇に抱えた。

 ―――だが……。


「そう安易に実家には戻らないほうが良いと思いますよ」 


 宋林は懐に手を入れ、よれよれの手紙を紅珠に差し出してきた。

 何か臭そうだし、手に取りたくなかったが、宛名は紅珠で、差出人に父の名が書いてあったので受け取るより他ない。


「昨夜、紫英殿が言っていた実家のお父様からの手紙、貴方宛てのものもあったようですね」

「―――つまり、あんたは、もう読んだということだな?」


 とりあえず、紅珠は宋林を一発殴ることにしたのだった。

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