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仙遊伝  作者: 森戸玲有
二章
12/36

「ああ、うっかり呼び捨てにしてしまったよ。興公と呼んだほうが良いかな」


 蕃 秦正は、青后こと、青嵐の兄である。

 権力争いに破れ、逃げてきた白涼帝を匿い、再び挙兵することに力を貸した。その功を認められ、「興州」という東の肥沃な広地を与えられた。

 もっとも、その土地に秦正はほとんどいない。代理を立てて、土地を治めさせている。秦正の仕事は興にいては出来ないからだ。


「興公の奥方様となら、恵祝も接点があるはずだと思ってね。そうだろう?」


 恵祝は、暫時沈黙を貫いたが、最後には小声で白状した。


「……恐れながら」

「その興公の奥様がややこしいことに、私がお世話になっている宰相様の妹御でいらっしゃってね。たまに宰相様の屋敷に招かれて行くと、ばったり会ったりするんだ。私が宰相様と話している時に、恵祝が噂の一つを聞いても不思議ではないからね。まあ、奥方様がどうして宋林さんを攫おうとしのかは分からないけど、恵祝はただ操られただけでしょう」

「……なるほど」


 宋林が軽く手を叩いてから、紅珠を見つめた。


「僕には、まったく分からないのですが。紅珠さんは?」

「……私にも、さっぱりだ」


 紅珠とて、よく分からない。

 ただ庶民の頭を使って分かることといったら、皇帝亡き今、宰相と大司徒の仲が悪いのではないかということだ。


「元々、麗華を紹介してくれたのは、宰相様だったからね。麗華の次に、頭が上がらないお方なんだよ。そんな宰相様が捕えられてしまったのが麗華のいなくなる三日前のことだった」

「はっ!? どうして、宰相様が?」


 あまりにも、簡単に紫英が告げたので、紅珠はひっくり返りそうになった。


「陛下の病は急だったからね。毒を盛った人間がいるのではないかという憶測が飛んだんだ。宰相様が陛下に一番身近だったから、疑われたんだろうな」

「それはまた……」


 物騒なことだ。

 やっと血生臭い時代が終わったと思ったのに、これでは逆戻りだろう。


「義兄上。暢気にしてちゃ駄目でしょう。国を揺るがす一大事じゃないですか」

「だからこそ、私は、今までおいそれと動けなかったんだ。宰相様のお力で出世した私だから、宰相様を救えって、続々と人が寄ってくるんだ。勘弁して欲しいよ。もし、私が麗華を捜しに行ったら、それだけで叛乱にされてしまうかもしれないし、私だって、まだ死にたくないし」


 途端に、紅珠の血の気が引いた。


(……死?)


 恐ろしい憶測が、脳裏をかすめる。


「………………それを言うなら、姉さんだって、もしかしたら、もう……」


 言いかけて、自分で側頭部を殴った。

 よく分からない人だが、それでも姉だ。見殺しには出来ない。


「それはないよ。麗華は生かしておいて、今後の交渉に使った方が有益でしょう」


 紫英は自信たっぷりに断言するが、紅珠には信じられなかった。


「義兄上は、姉さんが興公に捕えられていると断言できるのですか?」

「…………断言は出来ないけど、おそらく。でも心配はいらないと思う」


 何なんだろう。

 そのあやふやな慰め方は……。

 我慢が出来ずに英清が叫んだ。


「ふん。どうせ、母様のことなんてどうでもいいんだろ。やっぱり俺一人で捜し出してやる」


 英清は感情的にその場から出て行こうとするものの、次の一言でぴたりと歩みを止めた。


「まあまあ、落ち着きなさいよ。英清君」


 起き上がった宋林は床にあぐらをかいて、英清を見上げていた。


「君はどうして自分や、母様が狙われたか分からないのかな?」

「悪い奴が母様を使って、父様を脅そうとしているからだろ。でも、父様が応じないから、俺を連れて行こうとしているんだ。違うのか?」


 凄いなと、紅珠は甥の賢さに素直に感動していた。

 しかし、この仙人は違っていたらしい。


「いい線いってますが、違うかな。おおよそは君のせいです。困ったものですね。英清君」

「宋林殿!」


 間に入った紫英を、宋林は片手で制した。


「……俺の?」


 目を丸くする英清に、宋林は頷き返す。


「そう。君の体に流れている血のせいですよ。暁虎も、僕もそれに導かれてここに来た」

「宋林。おい、いくら何でも」


 紅珠は、思いとどまらせようとしたが、宋林に笑顔で封じこめられてしまった。


「君の本当の父親は、白涼帝。先日崩御された皇帝陛下なんです」

「はあっっっっ!? 何ですとっ!?」


 …………瞬間、恵祝が驚倒し、英清は他人事のように小首を傾げ……。

 暁虎だけがのんびりと欠伸をしていた。


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