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昼休み。俺は久々に学食に来ていた。普段は教室で昼食を摂っているのだが、たまに部室だったり学食だったり、教室でない場所で食べることもある。基本的に自分で弁当を作ってくるので、どこで食べても問題ないのだ。
今日はなぜ学食なのかというと、日下部から逃げるためだ。最近はやたら声をかけてくる。今朝もいろいろ言われたし、いい加減うんざりしている。はっきり言って苦手なタイプだ。今は星野のこともあるし、話すのは仕方がないだろう。ただ、できるだけ減らしたい。必要最低限にしたい。
日下部から逃げたい気持ちは、間違いなく本心だ。しかし、目的はもう一つある。俺は学食に入ると、その目的を目指す。いつも、ここで昼食を摂っているという話を聞いたのだが。
「おい、成瀬」
突然声をかけられて思わず立ち止まる。声のした方へ視線を動かすと、そこには俺の探し人がいた。向こうから声をかけてくれるとは有り難い。それとも、向こうにも俺に話があるのだろうか。
「よう、学食に来るなんて珍しいな」
「お前こそ、俺に声をかけるなんて珍しいな」
軽く応じながら、カバンを机の上に置く。
「ここ、いいか?」
「ああ、構わないぜ」
そこにいたのは、同じクラスの男子、佐伯と石川だ。友人が少ないことを自称する俺だが、同じクラスの、しかも男子となれば多少はしゃべったりする。
「俺に何か用か?」
先に席についていた二人に続いて、俺も合掌して弁当に箸をつけた。
「ああ、聞きたいことがあってな」
それなら俺もある。聞きたいことというのは、お互い同じ内容だろう。
「何だ?」
「星野が、お前と岩崎さんに悩み相談しているだろ」
俺の予想は当たった。俺もそのことについて、お前たちに聞きたいことがあったのだ。ただ、一つだけ言っておく。悩み相談を受けているのはTCCであって、俺と岩崎ではない。だいたい当たっているが、それでも違うのだ。
「やっぱり知っていたのか」
「まあな。星野は俺たちのマドンナだからな」
言うのは佐伯だ。マドンナとは時代を感じさせる言葉だ。少なくとも俺たちの世代では使わない言葉だろう。
「マドンナというより、母親って感じだな」
「ははっ、違いない」
佐伯の言葉に石川が反応し、それに対して楽しそうに笑う佐伯。ふむ、話に出ている星野も含めて、野球部は仲がよさそうだ。その仲がよさそうな星野が嫌がらせじみたマネをされているにもかかわらず、深刻そうな雰囲気はない。
「星野が母親というと、石川が父親か?」
石川はこの夏三年が引退してから主将を務めているらしい、
「いや、俺は長男ってところだな」
「父親は顧問だな」
そうなると、星野がかわいそうだな。
「日下部は、末っ子か?」
「いや、ペットだな」
「ひでぇ。でも言い得て妙だな」
ふむ。軽快なトークだ。おそらく野球部の中でもこんな感じなんだろうな。チームプレーはお手の物というところか。
「で、星野のことなんだが」
このまま二人のペースで話していると、雑談で終わってしまう。一旦話を切って、少し強引だが星野の話に持っていく。
「おう、何だ?」
「女子マネの部室で星野のカバンに物が入れられた。これで四度目だ。何か心当たりはあるか?」
「心当たりも何も、こっちが聞きたいくらいだ。実際どうなんだ?調べているんだろ?」
こっちが聞いているのだ。何か分かっていたら、この俺がこんな状況作るわけないだろう。
「単純に考えて、女子が犯人だろう。何せ女子の部室で起こっているのだからな」
「まぁ、そうだろうな」
「そうとは限らないだろう」
二人で言っていることが正反対だ。これもこっちを混乱させるためのチームプレーだとしたら、大したものだと思う。
まず否定をした佐伯の言葉。
「当事者が言うのも何だが、うちの部活はマネージャーも含めてかなり仲いいぜ。うちの部活内で嫌がらせなんてあり得ない」
俺もそれを否定するつもりはない。こいつらには言わないが、俺と岩崎の間では嫌がらせではないという認識を持っている。
「その当事者が、隣で肯定しているぞ」
自信満々に言う佐伯に向かって、俺は石川を示す。
「そうだな、どういうつもりか教えてもらおうか。まさか、お前がやったんじゃないだろうな」
いきなり前言撤回するなよ。仲いいんだろ。
「部室は毎回必ず施錠をする。その鍵はマネージャーたちがグラウンドに持ってくる。となると、他の人間に侵入できる余地はない。言ってみれば、こいつは密室ということだ。殺人ではないがな」
殺人だったら、こんな昼休みにのんびり話していられるか。密室とは言い過ぎだが、石川の意見はかなり真っ当なものだ。少なくとも、佐伯の言う『仲がいいからやるはずがない』という意見よりは真実味を帯びているだろう。
「じゃあ何だ?石川は、例の嫌がらせの犯人は、うちのマネージャーのうちの誰か、って言いたいのか?」
「そこまでは言っていない。ただ、真っ先に疑われるのは、うちの女子マネだろうな、と言っているんだ」
「少し落ち着け。もっと建設的な話をしよう」
やれやれ。なぜすぐケンカ腰になってしまうのだ。一年女子マネもこんな感じだったのではないか。こんな話をしていれば当然だが、俺たちが野球部女子マネを疑っているのは火を見るより明らかだ。身近な人が冤罪をかけられれば、普通こうなってしまうのかもしれない。
いや、そんなこともないだろう。佐伯はすでに怒り心頭だが、一緒に話を聞いている石川は冷静そのもの。おそらく石川にしたって面白くない話だと思うが、それを踏まえた上で事件現場を考え、身内が怪しいという事実を肯定している。
「実際星野だって、逐一カバンの中を確認していたわけじゃないだろう。きっと教室で入れられたんだよ。で、部活が終わるまで気付かなかった。部活が始まる前にカバンを開けたとき気付かなかったから、部活の最中に入れられたと勘違いした」
つい先ほどまで興奮していたようだが、今は冷静であるようだ。再度口を開いた佐伯は、割とまともな仮説を提示した。ま、悪くはないが、都合がよすぎる気がする。
「星野が山に行くようなカバンを持っていて、消しゴム一個入れられた、という話なら、今の仮説は納得できるが、普通の学生バックにA4だぞ。気付かなかったとは思えない。しかも紙袋に三冊だぞ?その仮説は厳しいな」
「三冊?三冊も入っていたのか?」
何だ?佐伯は知らなかったのか?というと、情報量に違いがあるようだ。伝達時に齟齬でも発生したのだろうか。
「星野のカバンには三冊のノートが入れられていたんだ。知らなかったのか?」
「いや、ノートが入れられた、と聞いただけで……」
「お前は誰に聞いたんだ?」
俺が佐伯に聞くと、
「俺は星野本人から聞いたんだが」
「石川は?」
「俺は倉本から」
本人から聞いた方が情報量が少ないのか。おそらく星野は詳しく話さなかったのだろう。佐伯も深く追求しなかったんだろうな。
「…………」
自分の持っていた情報を修正した佐伯は、それに沿って仮説を修正したのだろう。しばらく黙りこんでしまった。おそらく石川の意見のほうが現実味を帯びていることを自覚してしまったのだろう。
「で、成瀬はどう思っているんだ?」
やや気落ちした感じの佐伯とは違い、石川は飄々とした様子で話す。
「俺はまだ考え中だ」
一応正式な依頼として受けている相談なので、ここで俺が意見を言ってしまうと、妙な先入観を与えてしまうし、まだまだ情報が出切っていない状態であまり軽はずみな発言をしてしまうのはよろしくないだろう。
「そうか。ずいぶん慎重だな。世間話程度に答えてくれればいいんだが」
悪いな。俺は慎重で臆病なんだ。
「ま、そんなに気負う必要はないだろう。適当にやってくれ。試験勉強の合間の息抜き程度にな」
そんな適当でいいのか、とか、息抜きになるわけがないだろう、とか、言いたいことはたくさんあった。だが、それら言いたいことは俺の口から出てくることはなかった。
俺はものすごく適当で無責任なことを言っている石川からある感情を感じ取っていた。
こいつ、俺に何かを期待している。
「…………」
おそらく岩崎は倉本から同様の様子を感じ取ったに違いない。なるほど、こういうことか。
「どうした?」
「いや……」
いきなり黙り込んだ俺に対して、石川は訝しんだ様子で聞いてきた。佐伯も不思議そうな表情で俺を見ている。
「何でもない。それにしても、その言い方は無責任すぎるぞ。仮にもお前らの母親の悩み相談なんだ。もっと深刻そうにしろ」
「本人がそこまで深刻そうじゃないんだ。周りが心配しすぎるのも、おかしな話だろう」
「おっしゃる通りだな」
俺の発言に対し、楽しそうに笑う石川は、これ以上話を続ける気がないように感じた。今日はここまでなのだろう。
「もっとお前ら野球部が協力的なら、簡単に解決するかもな」
「悪いが、俺たちはお前と違って余裕がないんだ。試験休みになったら勉強させろ」
別段俺とて余裕があるわけではない。それに、こんな厄介事を持ち込まれている俺に対して、余裕があるとはひどい言い分だ。
「きっと日下部が協力してくれるだろう」
お前らに比べて日下部に余裕があるとは思えない。それ以前にあいつは絶対勉強していないだろう。
「あいつがするのは協力じゃなくて邪魔だろ」
そう言って話を終わらせると、俺たちは席を立ち、教室に向かった。
三人そろって教室に向かうと、いきなりこいつが話しかけてきた。
「おぉい、成瀬!どこ行ってたんだよ」
いちいちお前に断る必要はないだろう。声をかけてきたのは、紛れもなく日下部だ。この様子だと、何か用事があったらしい。やはり教室から逃げ出してよかった。
「お?何だ、石川と佐伯もいたのか。珍しい面子だな」
「まあな」
「何の話してたんだよ」
俺は適当に聞き流していたが、後ろで石川が、
「お前の話だ」
と言っていた。別段おかしくない、と思うのだが、その言い回しが妙に気になった。確かに日下部の話はしたのだが、話の中心ではなかった。ま、嘘ではないし、日下部をあしらうためにそう言ったのかもしれない。だが、何となく気になった。
「俺の話?悪口じゃないだろうな?」
「お、よく分かったな」
「おい、お前ら!いい加減にしろよ!」
日下部はどこへ行っても日下部だな。よく言えば、愛されキャラなのだろう。あんな間抜けのどこがいいんだが。俺はため息を吐いて、自席に着いた。




