第10話 規格外/信頼
護衛の方を見送って、階段を下り、長い廊下を真っ直ぐ進む。
ここに来るまでに一度中庭を経由して、わざと遠回りした。
いつも同じ道順で行くと、〈応接室〉の場所がばれてしまうかもしれないからだ。
廊下の突き当たりまで来て、壁にそっと手を触れる。
手のひらから、やわらかな魔力が流れ込んでくるのを感じる。
この瞬間から、私の姿は誰にも見えなくなる。
正確に言えば、影が薄くなるという感じだ。
だから、急に人が消えたーとか騒がれる心配も無い。
うん、殿下の魔力だ。
やっぱり落ち着く。
殿下の魔力によって作られた魔方陣に触れることで、壁を通り抜けられるようになっている。
もちろん、殿下が魔力を登録した人しか通り抜けられない。
壁を抜けると、そこまで続いていた廊下と同じように、さらに廊下が続いている。
そして、右側には教室がひとつだけある。
その扉の前に立ち、魔力を込めた。
「【魔法解除】、術式展開」
扉のロックを開けるため、まずはかけられている魔法陣の、術式を展開する。
ふむふむ、こんな感じか。
複雑に絡まった術式から、少しのとっかかりを見つけて、そこから紐をたぐりよせるようにするすると術式を解いていく。
こんなものかな。
最後の一文字まで解読できたところで、パリンという小気味良い音とともに魔方陣が割れる。
よし、解除成功だ。
私はためらわずに、いきおいよく扉を開けた。
その瞬間、氷の剣が私の頭めがけて飛んでくる。
それを、わずかに頭を左に傾けることで回避する。
と同時に後ろに張った魔法障壁に、氷の剣が刺さる。
私を通り過ぎた剣は、すぐに後ろからまた私を狙ってきたのだ。
「おお、お見事」
私はため息をついて、攻撃してきた本人に文句を言った。
「……殿下、氷の剣、もう飽きました」
「そうかい? ふふ、僕のお気に入りなんだよ?」
ソファに座っている殿下の斜め後ろには、先程の護衛の方が立っていらっしゃって、驚く。
なぜかあちらも少し驚いた顔をしている。
それもそうか、急にこんな小娘が現れたら、驚くだろう。
「そちらの方は……」
「ああ」
「とりあえず座って」と向かいのソファを勧められたので、「失礼します」と言って一礼し、座った。
「紹介するけど、その前に」
殿下はそこで言葉を切って、護衛の方を振り返って言った。
「ルー、もういいよ」
愛称呼び!? そんなに親しい相手なの……?
少し胸が騒いだ。
「……御意」
護衛の方が返事をした瞬間、彼の魔力量が何百倍にも膨れ上がった。
――!? まさか、私が魔力に気づかなかった……!?
さっき教室で彼の魔力を探ったときは、本当にわずかな魔力量しか感じ取れなかったのに……。
私の動揺を見透かしたように、彼が言った。
「完全に隠すことよりも、抑えるほうが簡単なこともあるのですよ」
……してやられたわ。
私は、今学んだことを記憶に刻むように、こめかみをトントンとたたいた。
これは覚えておいたほうがいい。相手が手練れだった場合は危険だ。
ふう、と息をついて、動揺した心を落ち着かせる。
……それにしても、この方は何者なの?
見たところ騎士のようなのに、魔法の使い方は私にも、もしかしたら殿下にも匹敵するかもしれない……。
敵か味方か見極めないと……。
「ふふ、大丈夫だよ、ソフィア。彼は敵ではないからね」
殿下の言葉に少し安堵する。
護衛の方は、少し驚いたように、殿下に尋ねる。
「……殿下。殿下は彼女が何を考えておられるか分かるのですか?」
「ふむ、そうだね。大体分かるよ。それくらいソフィアを愛しているんだから当然さ」
「……」
な、何てことを……! 初対面の人の前で……!
殿下はさも当然、みたいな感じだけど、護衛の方がすごく混乱しちゃってるから!
「殿下、誤解されるような発言はしないでください」
「ソフィア、今さら恥ずかしがることもないよ、『きみと僕の仲』じゃないか」
「……」
ふむ、そういうことか。
「……わかりました。そのお方は信用に足る方だということですね」
愛しているうんぬんについては、もうつっこむのも面倒くさい、というか言っても聞かないので、いつもどおり軽く流してしまうことにした。
「ああ、もちろん」
殿下の言葉を聞いて、一瞬とても嬉しそうな顔をした護衛の方は、すぐにショックを受けた顔をした。
……? 無表情というか、クールな方だと思っていたけれど、意外と表情豊かな人なのね……?
『ただ、敬語はそのままだ、ソフィア』
突然、殿下から念話がおくられてきてびっくりする。
殿下と私の間で使う念話には、かなり複雑な暗号化を施している。
とはいえ、これほどの実力者の方ならば、解読できてしまうのでは……?
『心配しなくとも、ルーには聞こえていないよ。念話を送る対象をソフィアに絞り、暗号化した上で、ルーにルーの魔力と同じ量と質の魔力をぶつけることでさらに妨害しているからね』
な、何だって……!?
そんなことができるの……!?
同じ量と質の魔力って……。
抑えていたときと違って、今の彼の魔力はかなりの量だ。
はは、規格外にもほどがあるわ……。
『ふふ、お褒めにあずかり光栄だけれどね。ずっとじゃなくて、瞬間的に当てるだけで良いんだ。ソフィアにもできるさ。試しにやってごらん?』
『……わかりました』
『うん、上手。すぐできるね。ソフィアは相変わらず魔法の繊細なコントロールが得意だね』
そんなことは無いと思うけど、規格外の殿下に褒められるのは素直に嬉しい。
少し笑顔になってしまう。
「……? 殿下、お互いに顔を見るだけで会話をするのはやめていただきたいのですが……」
「ふふ、愛の力だね」
殿下は嬉しそうに笑っている。
いえ、念話の力です。と言う訳にはいかないので、誤魔化しておく。
「私は殿下のお考えなどわからないことがほとんどですわ」
「悲しいな。相変わらずつれないね」
「殿下も相変わらずですね」
「……」
そしてまた、護衛の方がさらにショックを受けた顔をしている。
何で?
「で、殿下、いろいろ説明していただけませんか」
「うん? ルー、大丈夫かい?」
「だ、大丈夫ではありません……」
「おや、めずらしいね」
殿下は心底驚いた顔をしてそう言った。本当に意外そうな顔をしている。
護衛の方は何だかばつが悪そうだ。
殿下はそんな彼を驚いた顔で見つめ、ふっと笑って。
「かわいいところもあるじゃないか」
と、優しく、兄のような目で微笑んだ。
そんな笑顔を向けられた護衛の方は、たじろいでしまっている。
ご令嬢だけでなく、護衛の方にまでそんな微笑みを向けるなんて。
「罪なお方だわ……」
「え?」
「いえ、何でもございません」
思わず声に出ていたみたいだ。
綺麗な“貴族令嬢”の笑みを浮かべて、大したことではないと告げる。
そんな私を見て、殿下は不服そうに頬を膨らませている。
「まあ、良いけれどね」
彼はふっと笑って、組んでいた足を崩した。
「ルー」
「はい」
おふたりは、いかにも長い年月をともにしてきた、信頼し合っている主従といった雰囲気だ。
いいな。
殿下にも気心の知れた存在が、立場上、友人というのは難しくても、対等とは言えなくても、そういう存在がいたのだと嬉しくなると同時に、少し妬けてしまって、まぶしくて。
少しだけ目の前の光景から、目を逸らしてしまった。




