ギブアンドテイク
勇斗くんの悩みが何かはわからないけれど、いきなり聞いて答えるわけもない。ということで、心配しつつもまずは餌付けから始めることにした。
「……なに?これ」
「えっと、オムレツ」
お皿を並べていると、勇斗くんが怪訝な顔をして聞いてくる。
確かにお皿の上では焦げた塊がでろんと倒れ伏している。うん、ひどい。異世界の旅の中で料理をすることもあったけれど、基本的に保存食を使ったスープが多かったからなぁ。たった半年の旅で料理スキルが上がるはずもなかった。
「卵か。何が焦げたのかと思った。」
ところが、勇斗くんはなぜかホッとしたような口調である。卵なら焦げててもいいのだろうか。それとも、ダークマターが何の物質かわかったからだろうか。
皿を並べ終えると、「いただきます」と手を合わせて食べ始める。うんうん、礼儀正しいのはいいことだ。私が昔教えた作法をしっかり続けているではないか。小さい頃はお箸どころかスプーンもフォークも使い方を知らなかったものね。
オムレツの他に、サラダとスープをぺろりと平らげていく勇斗くん。私はその横で、参考書を開いて勉強をしていた。私の夕飯は我が家にありますのでね。
「ごちそうさま」
「早っ。もしかして足りなかった?」
「うーん、まだ食べられる」
「ご飯おかわりする?」
「おかずがない」
「おかずなしでもいいじゃん」
「いやキツイでしょ」
「ふりかけとかないの?」
「ない」
ふむ。調味料も全然ないし、そういうのから揃えた方がいいかもしれない。
勇斗くんに聞くと、一応お母さんから振り込みでお金はいくらかもらっているそうだ。それを食費に回してもらおう。……総額がいくらなのか、聞くのが怖いけど。勇斗くんの栄養面のために、食費だけは削れない。
家から持ってきたティーバッグでお茶を淹れながら、私は明日からの算段をする。せめて、勇斗くんに本当の彼女ができるまでは、栄養面をしっかりサポートしていきたいところだ。私、予備校生で暇だし。
お茶を持ってローテーブルに置くと、勇斗くんはびっくりした顔で見上げてくる。
「なに?これ」
さっきのオムレツの時にも聞いた疑問を投げかけてくる。何って、お茶ですよ、食後のお茶。そう言っても相変わらずの怪訝な顔だ。ここ最近の生活じゃ、食後のお茶なんてなかなか楽しめなかっただろうけど。おかしいなあ、小さい頃我が家にたまに夕飯を呼んだときも出していたと思うんだけど。覚えてないかな。
「なんかデザートがあると最高なんだけどね。みかんとか。」
「みかんをデザートって言うのは違和感がある」
と言いながらも、愛らしい唇をコップに近づけて、ふぅふぅと冷ましている勇斗くんは、最高にかわいい。思わずにこにこ眺めてしまうくらいに。
「なに?」
そんな私を嫌そうな顔で見る勇斗くん。最近、その天使な顔が嫌そうに歪むのにも慣れてきてしまいましたよ。
「いやあ、かわいいなあって」
「はあ?それ男子に言うセリフじゃないから」
嫌そうな顔が心底嫌そうな顔にレベルアップ。うん、そんな顔もかわいく見えてくるから不思議だ。慣れって怖い。
「勇斗くんは小さい頃からかわいいなあって」
「俺もう中学生なんだけど」
「うんうん、大きくなったねぇ」
「…すみれさんは変わらない」
「またすみねえちゃんって呼んでいいのよ」
「………ほんと、ガキのまんま」
あ、それ。なかったことにしてあげてたのに、まだ言うか。
抗議しようと口を開いたところで、勇斗くんが立ち上がった。な、なに。暴力か。あんまり太刀打ちできないぞ。
「俺、いつまでもすみねえちゃんの弟じゃないんだけど」
勇斗くんはそう言って、私の隣にスッと腰を下ろした。
顔が近い。意思の強そうな黒い瞳が、私を見返してくる。
「………なんでそんなこと言うの?私、勇斗くんのお姉さんでいるつもりだよ。手助けしてあげたいと思っているんだけど…」
「いらない。自分でなんとかできる。」
「それって、見ず知らずの人たちに助けてもらうってこと?」
「そう、それが俺にできることだから。俺の外見が使えるなら何にだって使うよ。」
一人で生きるためなら、なんて言葉が聴こえてきそうな。
勇斗くんのその天使みたいな外見を使って、一体何をしているの?お姉さんたちは一体なにに満足して勇斗くんにご飯をくれるの?
「どうして?もっと身近な人を頼ってよ……………」
それは無理なんだろうな、と思いながらも私はそう言っていた。
だって勇斗くんのただ一人の身近な肉親はお母さんで、いつもいなくて。たまに一緒に連れて来る「お父さん」は、いつも違う人で、いつだって勇斗くんのことを疎んじていた。怒鳴られたり、時には殴られたりしたこともあったんだと思う。30cmの隙間と壁2枚を挟んで、私は勇斗くんの部屋に限りなく近い場所にいたのに、見て見ぬふりをしてきた。ただ罪悪感をもって、たまに構って「あげてた」だけで。自分の罪悪感を解消させる偽善でしかないんだ。
「じゃあ」
勇斗くんは長いまつげを伏せた。そして悲しそうに目を上げると、ふっくらした唇を私の耳へ寄せる。
「すみれさんは、俺に何して欲しいの?」
そう言って、今にも震えだしそうな私の手に自分の手を重ねた。冷たい手だ。さっきまで温かいカップを持っていた手だとは思えないほど。
勇斗くんが私の手を持ち上げて、指を絡めてくる。ゆっくり体重をかけてくるので、背後の壁に、ドンっと私の後頭部が当たる。絡んだ手も、壁に縫い止められてしまった。
「こうしてほしい?」
勇斗くんの端正な顔が、ゆっくり近づいて来る。
勇斗くんの吐息が私の唇を掠めたとき、
「勇斗くん」
私はやっと声を出せた。
私のかすれた声に、勇斗くんは「なに?」と目で問いかけてくる。とてつもなく近い。喋ったら息がかかりそうだ。
「あのね、これは頼ってるって言わないんだよ」
目の前の勇斗くんは、呆れたように目を細めた。
そんな勇斗くんには構わず、私は彼の背中に手を回して、そのまま抱きしめた。
私と同じくらいの体格は、大人の男性にはまだ少し遠い。勇斗くんの背伸びは、いつから始まってしまったんだろう。でもそれは責められない。勇斗くんの周りの大人と、私のせいなんだから。
「勇斗くんはギブアンドテイクすぎるんだよ。すみねえちゃんは、そんなケチなこと言わないからもっとドンと頼っておいで」
私の言葉に、抱きしめられた勇斗くんが身じろぎした。「………ばかじゃないの」って言葉が小さく聞こえてくる。
「うんうん、ばかで結構!勇斗くんのそばにいられるなら、ばかでいいよ」
「………ばかじゃないの」
「うん。私は勇斗くんに頼られたい。」
「………ばかじゃない、の」
「うん。一緒にいるからね。」
「………いなくなったくせに」
「うん、ごめんね。もう大丈夫だよ。」
「3年も。俺がどんな気持ちで」
「待っててくれたんだもんね。ありがとう、勇斗くん」
勇斗くんは、小さな頭を私の耳の横に擦りつけた。柔らかな黒髪が私の頬をくすぐる。勇斗くんの唇が、私の耳に触れた気がした。
泣きそうな勇斗くんだったけど、その夜は泣かなかった。




