ガキだよね
勇斗くんは、あれからお姉さんとは会っていないようだった。というか、しょっちゅう私を構いに来ていて、そんな暇はなさそうだ。3年の月日があるといえ、私のほうがまだ年上だというのに。
「だから打つときはア行を連打するんじゃなくてさ」
「なに?このふりっく入力?難しい!」
3年のブランクを埋めるリハビリは多岐にわたっている。父親が買ってくれたスマホには、まだ家族と勇斗くんの連絡先しか入っていない。全部向こうの世界に置いてきちゃったから、高校時代の友達に連絡が取れないのは痛いけど。日々忙しいからそうも言っていられない。行方不明だった私が戻って来たと、聞きつけた小・中学校の友達からは家に連絡が来ているので、生きていれば会えることもあるだろう。きっと。
高校も両親が泣く泣く退学届けを出していたので、認定試験を受けて、大学進学を目指すことにした。こちらの年齢は二十歳といえど、身体も精神年齢もまだ高校生の17歳なわけで、その違いになかなか慣れることができない。
ちなみに、勇斗くんと話し合って異世界に行っているときの記憶は「ない」ことにした。そのおかげで、両親には貞操を心配されるし精神鑑定を受けさせられるしで、それはそれで大変だったのだけれど。
「すみれー。ご飯よー」
階下から母親の私を呼ぶ声がする。ご飯よーというのはご飯が出来上がったわけではなく、これから準備するから手伝ってーという意味だが。
あ、と顔を上げると、勇斗くんは乗り出していた身をアパートの窓の中へ引っ込めた。窓枠が立派な絵画みたいに、勇斗くんの神聖そうな顔を縁取っている。
私の部屋と、勇斗くんの部屋の窓が、幅30cmにも満たない空間を開けて、そこに在る。最近は勇斗くんが学校から帰って来ると、どちらともなく窓を開けて、リハビリ講座が開かれているのだ。だんだん寒くなってきたし、今度はこちらに招いてもいいかもしれない。昔みたいに、窓を超えて。
「勇斗くんは、ご飯どうするの?」
「まあ、適当に何か食べるよ」
「この間のお姉さんはどうしたの?」
ご飯をおごってくれるというお姉さんは。私は、勇斗くんの栄養面が気になって聞いた。
「心配?」
勇斗くんは、片眉を上げて言う。何故だか嬉しそうだ。
「そりゃあ。会えなくて寂しくないの?」
勇斗くんは軽く沈黙したあと、別に、と素っ気なく言った。
「今は間に合ってるし。」
「ふうん。とりあえず、ご飯はしっかり食べなよー。」
心からの言葉だったのだけれど、勇斗くんは目に見えて機嫌が悪くなった。端正な顔に不愉快と書いてある。なんて感情が出やすい子なのかしら。その表情の頻度が割と高い気がするんですけど、お姉さんは悲しくなります!
「ど、どうしたの勇斗くん?」
「すみれさんてさあ、………。」
勇斗くんは私と目を合わさないまま、ぼそりと呟く。
「ガキだよね。」
「!?」
まさかの暴言である。
「えぇ~…。まあ、確かにあの理恵さん?みたいに大人の女性じゃないのは自分でもわかるけどね、でもね、私もまだ17歳だから!半年分しか歳をとってないから!仕方ないと思うの!」
「………ッ!あのひとは関係ない。それに、17歳ももう少し大人だと俺は思うけど!」
「ひどい!」
お姉さんに会えないからって八つ当たりでは!?それに身近なすてきな人と私を比べるのはどうかと思います!
私も悔しくなって、勇斗くん相手にむきになって言い返してしまった。二、三、やり取りをして、結局私は窓を閉めてシャットアウト。勇斗くんの顔は見えなくなった。
急に何だって言うんだ、まったく。勇斗くんこそ、ガキみたいじゃないか。ガキだけど。何が怒りの琴線に触れたのか、全くわからん。
それから、しばらくリハビリ講座は行われなかった。つまり、勇斗くんと全く顔を合わせなかった。
私も勉強のため予備校に通い始めて、日々が忙しくなってきたせいもある。勇斗くんにも生活があるだろうし、そんなに気にはしていなかったのだ。
勇斗くんと顔を合わせなくなって数日。予備校の帰りにファーストフード店で勇斗くんを見かけた。この間とは違うお姉さんと一緒にいて、ちょうど店から出て来るところだった。
私は慌てて物陰に隠れた。それまで忘れていたのに、勇斗くんと喧嘩中なことを急に思い出したのだ。勇斗くんも私に見られたら気まずいに違いないと思ったけれど、案外もう気にしていなくて、明るく挨拶して通り過ぎた方がいいのかもしれない。
そんな逡巡をしている間に、二人は私が隠れている物の横を通り過ぎていく。お姉さんは、この間よりも勇斗くんに少し年齢が近そうだ。私より少し上、くらいかな。
「この後どーするー?勇斗んち行こっかぁ?」
「ん~今日はそういう気分じゃないんだ」
「えぇ~この間もそう言ってたじゃぁん。最近どうしたの?」
「…最近ちょっと悩んでいるんだよね」
そんな会話が聞こえてくる。盗み聞きみたいで気分は良くないが、勇斗くんが、悩んでいる。前半部分はよく聞こえなかったが、とにかく勇斗くんが悩みを抱えていることがわかった。
物陰から出ると、そろっと二人の後を付いて行くことにした。
駅前まで来ると、お姉さんは改札へ。勇斗くんは律儀に手を上げて見送ると、くるっと私の方へ身体を向けた。そして、私がいるとは思っていなかったようでギョッとして立ち止まった。
「勇斗くん!」
「す、すみねえちゃん…」
あれ、呼び方が。勇斗くんも「しまった」という顔で口元を抑えている。なんだろう、素に戻った感じなのかな。ということは普段の「すみれさん」呼びって、私が異世界から戻って来てからなんだけど、ちょっとお兄さんぶって言ってたのかなあ。
それはともかく。
「夕飯って、いつもファーストフードなわけ?」
「……そうだけど。」
「だめだよ!伸び盛りなんだから、もっと栄養のあるもの摂らなくちゃ。」
「すみれさんには関係ない………、」
「あるよっ!!」
また否定的な言葉を吐こうとするので、私にしては珍しく大きな声で一喝する。勇斗くんの大きな瞳が、びっくりして見開いている。
「今日のお姉さんって、付き合ってるの?」
「いや、別に」
「じゃあ理恵さんは?」
「…ちがうけど。何、また説教?」
勇斗くんは、面倒くさそうに視線を逸らした。
私はその様子を見ながら、一人でうん、と頷いた。
「勇斗くんのお姉さんは、私なんだから!」
「はあ?」
「あんな見ず知らずのお姉さんたちに勇斗くんが栄養失調にされちゃうくらいなら、私が夕飯作るから!」
「栄養失調って…」
「ほら、行こ!」
私は勇斗くんの手を引っ張って、家へと向かう。まずは、我が家の野菜室から野菜を失敬してこよう。
「なんだよ、それ………。」
手を引っ張られながら後ろで呟く勇斗くんが、どんな顔をしていたのか、前を向いている私には見えなかった。