第五章 青木詩音という後輩女(1)
ということで、第五章です。
今回も異色と言えば異色なので、ご期待下さい。
生か死か。Dead or Alive. そんなの、いつだって自分で決めるのが人生だ。
生きるを選べば諦めが悪く、死ぬを選べば潔い。そう決断する人間だって中にはいる。
しかし、その選択が時に、人の手に委ねられてしまうことも稀にある。その時、君は。
きっと、
如月竜也が昔を振り返ってまず思い出すのは、間違いなく青木詩音という存在だろう。
赤みのある長髪をポニーテールにしたその姿は、竜也の記憶に強く刻み込まれている。
幼馴染である柏木 紫を除けば唯一、仲の良い後輩だ。というか、幼少期を共に過ごしている為、もうこちらも幼馴染に近いものなのかもしれない。
しかし彼女は今、普通に登校が出来ない状態にある。
理由は明確には言えないが、精神科の病院に通っていると言えば察してくれるだろうか。
――――と、なんとなく夜のニュース『医師の人員減少問題について』を頬杖突いて見ながら竜也は考えていた。
ちなみに、真向かいには桜崎凰火もいる。名前が不死鳥にでも転生しそうな感じだが、本人は『生まれ変わるなら透明人間で』とのこと。変態情報通。
どうしてこの大(変態)親友が如月家のリビングにいるのかと言えば、答えは簡単だ。
『一緒にAV買いに行ってくれたら、先輩との密会の件は許してやる』と言われたから、
「……って、おかしいだろ。どうして一緒にエロビデオ買って、家に来てんだよ」
すると桜崎はにんまりとした、心底人を苛立てそうな笑顔で、
「お前が『俺の家で試写会しようぜ』って言ったんだろ~?」
「言ってねぇよ! 『頼む! 見させてくれ! 家には姉ちゃんいるから無理なんだ!』って頼み込んだのはお前だろうが」
「だ、だって姉ちゃん、マガジンだって捨てるんだぜ!?」
「あー……まあ、あういう雑誌は表紙がグラビアだしな、勘違いしてもしょうがないだろ」
「まあ俺はグラビア目的が九割だけどさ!」
「自業自得だ!」
そこまで言うと、竜也は深い深い深い深い溜息を吐いて、
「…………わぁーったよ。見せてやるけど、一回五百円な」
「金取るの!?」
「嘘だよ」
「な、なんて優しいんだ……お前、先輩の仏のようなオーラで何かが目覚めたか?」
「いや、目覚めてないけど……」
竜也はUTAYAの袋からエロビデオ(厳密にはDVD)を取り出すと、テレビ下のハードディスクに挿入した。
「なあ竜也。こういう気分だと、挿入って言葉もエロく聞こえるな!」
「人の心を読むな! でも確かにその単語はエロく聞こえる」
「だろ?」
意味不明というか不毛なやりとりをしている間に、画面に桃色空間が発生しはじめる。
しかしそこで唐突に、メニュー画面に切り替わった。
そこには、『初級』『中級』『上級』の文字。
二人して、生唾を飲み込んだ。
「「こ、これは……!!」」
―――まさか、再生される行為のハード具合を設定出来るのか!?
思考までシンクロして、竜也と桜崎は目を合わせる。
「ど、どうする……っ!?」
「じ、じゃあ初級から……」
意外とチキンな桜崎は、初心者向けであろう初級を選択する。
『初級』にカーソルを合わせてポチッとなをすると、そこで再びメニューが表れた。
次に表示されたのは、『合意』『襲う』の二項目。
二人して、再び唾を飲む。汗が頬を伝った。
「「ま、まさか……!!」」
―――まさか、行為する二人の状況を設定出来るのか!?
思考が再びシンクロする。二人して鼻の下が伸びまくっていた。
「ど、どうする……っ!?」
「どうするもなにも、襲うしかないだろう! 合意の行為など、相手がただイチャつくのを見ているのと同義! 見る価値皆無だっ!!」
ここでヘタレ桜崎がくると予想したが、しかし男の性が上回ったらしい。欲望に忠実だ。
竜也は震える指でリモコンを操作すると、『襲う』を選択。
ポチッと選択すると、画面から『あぁ~ん』と卑猥な音声が漏れる。
「「つ、ついに来た!?」」
しかし音声が一回流れると、すぐに別のメニューに切り替わった。
また項目がある。しかもまた二つだ。内容は……『攻め』か『受け』。
「「いい加減にしろぉぉぉぉぉぉぉ―――っ!!」」
二人してテレビ画面に叫んでしまった。
彼らは血気盛んな男子高校生。欲望解放の直前で焦らされては仕方がないだろうが、
「ヤるならちゃっちゃとヤれよ!」
「いつまで俺達にプレイの判断をさせる気だ! 萎えるわ!」
……これが健全な男子高校生の真実である。
しかし竜也もここで『もういい』と見逃せる程、本能が制御できる人間ではない。無意識的に『攻め』を押すと、やっとのことで映像がスタートする。
『や、やめて、ください、先生ぇ……っ!』
『………やめるわけないだろう。ほら、さっきからビショビショだぞう?』
『あっ! そ、そこはぁ……っ! あ、だめ、あああっ!』
…………見入ってしまうと、なかなかやめられないものだった。
だからこそ、桜崎は勿論、竜也も周りのことは気に掛けなかった。
そう。
二人の真横で峰崎鈴香が正座して一緒に鑑賞しているのも、気付かなかったのだ。
「「うわぁぁぁああぁあぁぁぁあああああ!!?」」
二人して大声を上げ、引っ繰り返りながら男の意地でリモコンを操作、映像を止めた。
尻餅をついた状態のまま、竜也が取り敢えず叫ぶ。
「え、ちょ、どどどどどーしてここにいらっしゃるので!?」
「日本語おかし……くはないね。まあ、ちょっと用があったんだけど……」
峰崎は真横……つまりは平崎の家の方を指差して、
「チャイム鳴らしても誰も出ないから、しばらく平崎さんの家で遊んでたんだ。そしてそろそろお暇かなーって感じで外出たら、家の電気が点いてたから」
「から?」
「インターホンを押そうとして……中から『襲うしかないだろう!』って叫びが聞こえてきたから、平崎さんの家の二階からこっそりお邪魔したの」
「…………」
竜也は、ゆっくりと立つ。
そして、
「桜崎ぃぃぃっ!」
「俺ぇぇぇっ!?」
「お前だろ!」
「あ、ちなみに『襲うしかないだろう!』は平崎さんも聞いてたから」
「証人が増えた―――っ!」
「いや、別に良いだろ竜也。良く考えてみろ。俺達は夜に二人きりで、エロビデオを見ていた。それの何が悪いっていうんだ?」
「問題なワードだらけじゃねぇかよ!」
「別に、今時アダルトビデオの一本や二本、見たこと無い高校生なんている訳ないだろ?」
「む……ま、まあそれは確かにそうだが」
すると峰崎は思い出したように、
「あ、そういえば平崎さんが『我が眷属と十八禁な関係を築くとは……なかなかやるな』って桜崎くんのこと褒めてたよ」
「えっ、そうなの? あざーっす」
「何故お礼を言うんだ!」
「いや、そりゃぁ……………………なあ?」
「なあってなんだ気色悪いわ!」
「ま、いいや。面白いことも聞けたし――俺、これで帰るから」
冷静を装いスッと立ち上がると、桜崎は玄関の方へ向かう。
しかし竜也はすかさずその肩を掴み、鋭い眼光を放ちながら言う。
「……待て。このブツを何食わぬ顔で置いていこうとするなよ?」
桜崎は冷や汗を一筋垂らしながら、
「チッ……。迂闊だったか……」
いつからそんな死神と契約したノート所持者みたいな顔になったんだお前は、と突っ込みたい表情になっているが、しかしそう考えている竜也もなかなかにノート所持者な顔だ。
しばらくの沈黙を溜息で打ち切った桜崎は、そのまま玄関で靴を履くと、
「そんじゃ、またな」
「持って帰れっての!」
そういうと竜也はUTAYAの袋を拾い、桜崎に投げつける。
「痛っ! お、おま、鼻っ柱に叩き込む奴が……」
「ほら、お家で仲良く姉ちゃんと見てなさい!」
「ははっ、笑えないジョークだぜ竜也」
「帰れとっとと今すぐに!」
「ちぇー」
なんとも昭和な『ちぇー』を残していき、桜崎は玄関から出て行った。
バタン、と玄関の閉まる音がするのを確認して、峰崎は話かけてくる。
「それでさ、如月君」
「うん? ……ああ、そういやお前は何の用なんだ?」
「そういえば、これ借りっぱなしだったから」
そう言って、峰崎は一枚のプリントを渡してきた。
「ん……ってこれ、一昨日の古文の課題じゃん。俺、貸してたっけ?」
「貸してたよ。ほら、平崎さんの話とかしてた時に」
「………………あー」
そういえばそんな気もするが、別に気にもならなかった。しかし、
「こんなの、明日で良かっただろ? なんでわざわざ?」
「いやー、流石に期限切れた課題をそのまま持っとく訳にもいかないーって良心が叫んで」
「本当は?」
「掃除当番ブッチの件と今日の屋上ことを問い詰めにきましたが何か?」
「お前もなのかっ!?」
「当たり前。大体、掃除当番サボると生活指導の先生に怒られちゃうよ?」
「生活指導の先生が、というか祭文が生徒の健康を脅かす臭いを発するんだ。なんかアイツ、最近職員室にも変な芳香剤持ってきてるってウワサだし…………」
「じゃあ屋上の件の」
「申し訳ございませんが説明は無理です」
「早っ! 謝罪が早すぎるよ! もう少しはぐらかして言えないの?」
「えー…………いや、その、なんつーかな。もう、今までより凄いことになったんだよ」
「……そうなの?」
少しだけ心配そうな顔をして、峰崎が顔を見てくる。
その時。
(……………っ!!)
竜也の脳裏で、あの無惨に上下で引き裂かれた死体がフラッシュバックした。
背中に嫌な汗が一気に吹き出る。だが、それ以上に。
瞬間的に、竜也は感涙しそうになった。
そうだ。
自分は、この子が目の前で死んだのを見ている。当事者、に近い存在だ。
だけど峰崎は今、死んでない。
たとえ『あの時』死んでいても、今は正しく生きている。
自分と、あの先輩が、守ったんだ。
そう思うと、目頭が熱くなった。
「………………よな?」
「え?」
「生きてる、よな………?」
「何聞いてるの? 死んでる訳な――、って、」
思わず、峰崎を抱きしめてしまった。
「ちょ、ちょっと如月く、ん……?」
上ずった声を出すが、途中で異変に気付いた峰崎は声のトーンを落とす。
竜也の肩が、震えている。微かに、だが。
痙攣のように、震えている。
「生きてる、んだな。………っ!!」
涙は零さなかった。
ギリギリのところで、堪えられた。
その態勢のまま、一分ぐらいが過ぎた後……竜也は静かに離れた。
少しだけ頬が染まっている。流石に恥ずかしい行為だというのに、今更気付いたようだ。
「峰崎、悪い。…………少し、話を聞いてくれないか?」
「うん、いいよ。私も無関係じゃなさそうだし」
普通にそう言ってくれるのが、何よりの救いだ。
峰崎は、自分が思っている以上に強くて優しい人間だった。
「……それで、その『巻き戻った』後の世界ってこと? ここは」
「……ああ。突拍子もない話だけど、信じてくれ」
竜也は、大体の顛末を語った。
自分があの先輩と知り合ったこと、変な放送が流れたこと、学校中の人間が死んだこと、屋上へ逃げた後に突然『巻き戻った』こと、その後、先輩と共に亡霊を成仏させたこと。
全ての話を、峰崎は黙って聞いていた。
そして語り終えたときに、ようやく発した言葉がこれだった。
峰崎は苦笑いをしながら、
「いやいや、別に信じない訳じゃなくて。その……自分が死んだっていうのが……」
「ま、まあそうだよな。あなた死にましたって言われても、実感はそりゃ湧かないよな。……悪い」
「謝らないでよ、悪いことした訳じゃないんだし」
「でも、俺があの時に譜面を持ってたし……。何か行動すれば良かったんだよな……」
すると峰崎は『あれ?』という顔で、
「でも竜也君は行動した訳だよね。えっと……『巻き戻った』後で」
「そりゃまあ、誰でもあんなことがあれば行動の一つや二つ……」
「じゃあもう、竜也君は行動したんだし。やっぱり悪くないんじゃない?」
どうやら峰崎は、どう言っても竜也は悪くはないと解釈するらしい。
苦笑が漏れた。
「ごめんな、なんか。でも、お前がどう解釈するかは自由だけど、やっぱり俺が先輩と凄いことをしたっていうのは偏見というか……行き過ぎた解釈というか……」
すると峰崎は少しだけ唸り、すぐに顔を上げた。
「別に、私はこの世界でしか生きてない主観だからね。言い方悪くしちゃえば、この世界さえ救われれば私から見て、竜也君が悪くなる筈ないでしょ?」
そう言われると、少し心が軽くなった。
軽くなる自分が、あまり好きではない。
「まあ違う自分の思考なんて知らないけど、きっとその私も気にしてないと思うよ。……って、別に並行世界とかじゃなくて、ただ単に時間が巻き戻ったんだったね。それなら尚更、気にすることじゃないよ。その私も今の私も同じなんだから」
そう締めくくると、峰崎は少しだけからかうような表情を浮かべ、拳をグーの形にして竜也の胸板にポンと押し当てる。
「しっかりしろ如月竜也。そんなんでへこたれてないで、もっと鈍感に生きて楽をしろ」
「……?」
突然の口調の変化にやや驚く竜也だったが、そんな思惑を顔から読み取ってか峰崎はすぐに口調を戻した。
「ある人の受け売り。というか、如月君も知ってる筈だけど」
「え?」
間抜けな声が出てしまった。
しかしそこで峰崎は続けず、気になるところで話を打ち切ってしまった。
「それじゃあ、明日は掃除当番二倍だからね?」
そう言いながら立ち上がると、峰崎は桜崎同様玄関へと歩いていく。
「あ、おい。誰なんだよそれ」
慌てたように竜也が質問するが、峰崎は返答しなかった。思い出せという暗示だろうか。
しかし、そこで一つ予想外のアクションがあった。
座って靴を履きながら、峰崎は少しだけまた口を開く、という。
「……ねぇ。どうやったら、家族と上手くやれるかな?」
「? ……ま、まあ、自然と上手くいくもんじゃねぇの? 家族なんて」
「!」
その解答に、少しだけ驚いたような顔をして峰崎は振り返る。
「……なんだ? どうかしたのか?」
「な、なんでもない。じゃねっ」
何か焦ったように別れの挨拶を言うと、峰崎はいつもの五割り増しぐらいのスピードで玄関を開け出て行った。
「ってだから、誰なんだよ!?」
叫びは、虚しく夜空に木霊するだけだった。
ちなみに、リビングのハードディスクには未だに例のDVDが入っていることを、まだ誰も知らない。
人の肉体に関する死の基準は簡単だ。
例えば、刺殺。
重要な部位さえ刺してしまえば、あとは時間が勝手に出血を促し、勝手に息絶える。
例えば、絞殺。
喉をあらん限りの力で絞めさえすれば、凶器がなくとも簡単だ。
例えば、撲殺。
絞めなくとも、自分が平気ならば回数の暴力で相手はお陀仏となる。
例えば、圧
もう、この思考はやめよう。
対して、人の精神に関する死の基準は難解だ。
不滅の精神とあるように、ただそこに『ある』とさえ思えば『ある』。それが精神だ。
それにそもそも、生死の概念を付けるのが間違いなのだろうか。
十人に聞けば九人は、そうだと答える筈だ。残り一人は、くだらないと言うだろう。
しかし、自分は定義を考え続けなければならない。そして、自分と決着を付けるのだ。
元になんて、戻れない。
翌朝。
竜也は珍しく、自分からではない要因で意識を覚醒させた。要はインターホンで起こされたというだけの話だが。
「……んだよ、こんな朝っぱらから…………」
むくりと起き上がると眠い目を擦り、自室を出てインターホンに応答する受話器があるリビングを目指す。
昨夜は結局、ムラムラもとい欲求が半分解放という微妙な精神状態で遅くまで起きてしまっていた。明らかにあのビデオが原因な為、結局は元凶である桜崎と電話でアレなトークをして解消したのだが、それでも寝たのは日付が変わって三時間後だ。当然、まだ眠い。
リビングに到着すると、壁に設置されている受話器を取る。
「はーいー……?」
『おはようございます先輩!』
「留守ですよー」
淡白に答えるとガチャリと受話器を置き、朝食の準備でもしようかとキッチンに入る。
だが、しかしというかやはり、ドンドンと玄関が外から強く叩かれる。
『せーんーぱーいー! どーして無視するんですかー!? 今日は別に、変な目的じゃないですから安心してくださーい!』
それは暗にいつもは変な目的だというのを認めているのだろうか。しかし、あの変態も竜也に大真面目に嘘を吐くことはしない。当たり前の心構えというか、親しき仲にも礼儀ありという感じなのだ。
ということで竜也は玄関へ向かうと、鍵を開けてドアを開けた。
「あっ! やっと開けてくれましたね先輩っておうわぁぁぁぁっ!?」
外には既に制服姿の柏木 紫がいた。最近は名前を『ゆかり』ではなく『むさらき』と呼ばれることが多く密かに凹んでいるとのウワサだが、しかし竜也が現在最も気になるのはそんなことではない。
「お前、なにそんなに驚いてんの?」
「いや、だって先輩! 流石にこの季節に下着とシャツだけってのはどうなんですか!?」
「は? ……あ、ああ。これな」
竜也は今更のように、自分の格好を再確認する。
ラフなTシャツ一枚に、下はトランクスという夏場のオヤジな格好だった。
これは別に、昨晩のムラムラとかは関係ない。竜也は十月が終わるまではこのスタイルで毎年通している。見栄を張る訳でもなく、ただ本当にこの格好が寝やすいのだ。
「別に、驚くモンかぁ? ガキの頃に見慣れてるだろ?」
「あの頃と今じゃ訳が違います! 先輩だって流石に私の下着姿みれば驚くでしょう!」
「いや、別に?」
「真顔で返された!」
「だいったいよー、朝からなんの用だ?」
「あ、ああそうでした。一応、今日は詩音ちゃんの面会オーケーですよというのをお伝えしに来まして」
すると竜也は、明らかに今までと違う対応で、
「おっ。マジで? じゃあ放課後行くか。……いや、別に今言いに来る必要あったか?」
「先輩、最近なんか放課後はさっさと帰るか既にいないかしかないんで。釘を刺したんですよ。まああとは朝勃ちの処理でも手伝」
「まあ上がってけよ。毒入りシチューでも食うか?」
「食べませんよ! どうしてそんな軽いノリで私に毒を盛ろうとするんですか!」
「いや、なんとなくだけど……」
「そこは嘘でもさっきの朝勃ちのくだりを入れてくださいよ! 普通に傷つくんで!」
「悪かったな。じゃあやり直すか」
そういって咳払いを一つすると、竜也は家へ引っ込もうとする。
「え、ちょ、なんで戻るんですか?」
すると竜也はなにを馬鹿なという顔で、
「いや、最初からやり直すんだろ? なら俺はもう一度寝るから」
「そこからァ!? いくらなんでも戻りすぎですって! せめて『おっ。マジで?』辺りからでいいじゃないですかーっ!」
「おっ。マジで? じゃあ放課後行くか。……いや、別に今言いに来る必要あったか?」
「えっ? あ、なに、もう始まってるんですか!? ええと……先輩、最近なんか放課後はさっさと変えるか既にいないしかないんで。釘を刺したんですよ。まああとは朝勃ちの処理でも手伝おうと――って、ここで割り込むパターンでしょう!」
「まあ上がってけよ。致死性の毒でも飲むか?」
「食べませんよ! どうしてそんな軽いノリで……なんかちがぁぁぁう! 先輩、今明らかに台詞改悪しましたよね! 毒入りシチュー、ただの毒そのものになってましたよね! しかも致死性になってましたよね! 食べ物というか飲み物ですらありませんよね!」
「いや、なんとなくだけど……」
「え、演技を続けてるのに会話が成立している!? えーっと、じゃあそこは嘘でも朝勃ちのくだりを入れてくださいよ! 普通に傷つくんで!」
「悪かったな。じゃあな」
「いやおかしいでしょ! そこは別れの台詞じゃあなかったはずです!」
「えー……。文句多いヤツだなぁ」
そこで一通りのネタと言うか唐突なアドリブによる掛け合いが終了し、紫はまあいいです、それじゃあと言って如月家を去ろうとする。
「あれ? お前、どっか用事あんのか?」
「へ? いえ、別にありませんけど」
「普通にメシ食ってけよ。炒飯ぐらい作るぞ?」
「………………えっ、ええ!? 良いんですか!?」
「いや、何も今のは家に入る前の段取りみたいな感じだろう。流石にそこまで邪険にはしねぇって」
「そ、そう……ですか…………」
顔が俯きかけながらも、紫はおずおずと近づいてきて、
「じ、じゃあ……いただきます…………」
「おう。じゃ、入ったらそこらへん座って待ってろ」
久しぶりに、この二人での食事だ。
というか忘れられかけている事実でもあるが、竜也と紫は幼馴染なのである。
ゆかり は すごい はっけん を した!
(こ、これは……)
というか、発見してはいけないものを発見してしまった。
というのも、如月家にお邪魔になって竜也がすぐに台所へ行ってしまい、奥の方から『暇だろうからテレビ点けて良いぞー』と言われたから、彼女はリモコンを手に取った。
ここまでは良かったのだ。
だが、そこで彼女は電源のボタンとハードディスクの挿入口が開くボタンが並んでいた為に、間違って押してしまった。そこでハードディスクから出てきたのは、
一枚のエロDVDだった。
「………………ま、」
マズイ、と口にしようとしたのかどうかは定かではないが、ともかく彼女は次の行動をとった。
それは、
「とりあえず再生してみましょうか」
「ちょっと待てこらぁぁぁぁっ!」
喧しい足音を立てながら、台所からタックルのような勢いで飛び出してくる竜也。それを見た紫は真顔で、
「あ、ご飯できました? 手伝いますか?」
「いやサラッと流すなや! 普通あれは気まずい顔してもっかい仕舞うパターンだろうが! なんで見ようとしたの!?」
くっそ桜崎の野郎が袋だけ持って帰りやがったな……と言っている竜也に向けて、楓は至極当然のような表情で、
「いや、人の性癖の把握は基本ですし……」
「何の基本だ何の!」
すると紫は持っていた自分の鞄から、『これで彼氏ともゴールイン! 交際してからの上手いコミュニケーション術』と書かれた怪しげな雑誌を取り出した。
「これの、ですが?」
「いや『ですが?』じゃねぇよ! それは付き合ってる前提の話だろ!」
「じゃあ問題ありません」
「ありありだと思うけどな」
「私は先輩と(に)付き纏っています」
「字と読みが違う気がするんだが!?」
「そんなのは些細な問題です。…………私にとっては」
「あ! 今、私にとってはって言った!」
「地獄耳ですねー」
「意味違うぞそれ! ……と、取り敢えず、これはもういいの!」
竜也はバッとDVDを取ると、隅っこの方に置いてある鞄に投げ入れた。
あー貴重な資料がーと嘆く紫だったが、それをいつものように無視して、竜也は続けた。
「って、じゃなかった、そうだよ手伝ってくれ」
「あ、やっぱりですか?」
「この麺、ざるに入れて水洗いしてくれ」
手渡されたボールに入っている白い麺を見て、紫は竜也に尋ねた。
「そうめんですか?」
「おう。ちと時期外れだけどな、余ってたから」
そう言いながら竜也はまな板を出し、既に水洗いしてあったらしいキュウリを軽快なリズムで刻み出す。
「私は好きですよ、そうめん」
「お前は昔から、麺類は全般好きだろ」
「いえいえ、昔からどうも餡かけだけは。あの少し硬い麺というのが、理解出来ません」
「俺は餡かけも好きだけどな」
「じゃあやっぱり私も好きです」
「なんじゃそりゃ」
はははと少し笑いながら、竜也は手を休めない。
紫も何回かに分けて水洗いしようと考えながらも、頭の隅では別のことを考えている。
しばらく、台所には包丁の音と水の音しか響かなかった。その状況を打ち破るように、紫が声を発する。
「そういえば、昔もこうやって作りましたよね」
「ん? ……あー、昔はあれだろ、確か醤油ラーメン」
「詩音ちゃんが普通に醤油をドバドバ麺に浸けたりして、大変なことになりましたっけ」
「おう。結局人数分は作れなくて、俺だけしょっぱい麺だったんだよな」
「あ、そういえばあの麺はどんな味だったんですか? その時はすぐに気絶したから聞けなかったんですよ」
「うーむ。そうだなぁ……」
竜也は三秒ぐらい唸ると、
「………何故だろう。思い出そうとするとすぐに出てくるワードが『祭文』なんだ……」
「臭いまでキツイ麺だったんですか!?」
「いや、別にそういう訳じゃなくてな。……いや、そういえばあの後詩音が泣きながらしょっぱさを軽減しようとカルピスの原油とか角砂糖とか入れて………」
「……うぇぇっぷ……」
聞いているだけで戻しそうになる食べ物だ。何だ、しょっぱ過ぎる麺の醤油ラーメンにカルピスと角砂糖って。
「そう。例えるなら『吐寫物』」
「そうめん作りながら言わないでくださいよ!」
「おう、悪い悪い」
苦笑いしながらも、竜也は少しだけ目を上に向けた。
「…………なんか、変わっちゃったな」
「そりゃ変わるでしょうね。私も、先輩も……詩音ちゃんも」
「俺は変わってないつもりなんだがな」
「いや、そりゃ私だって変わってないつもりではありますよ。イメチェンなんてした憶えはないけど、やっぱり変わってます。声変わりなんかとは違って、当人にとっては分からないものですからね、『成長』って」
「おぉ……な、なんか深いこと言ったな。流石は特待生」
「あれっ、すっかり忘れていた設定でした」
「本人が忘れるなよ。つーか、今日なんかキャラ違くないか?」
「まあ、やっぱりアレですよ。詩音ちゃんの前じゃあお姉さんぶりたいですからね」
「ああそういうことね。……そういえば、アイツの友達の喋りかたはどうにも分からないんだよな……」
「? なにがですか?」
「『デュフフ』とか『サーセンww』とかってヤツだよ。よく言ってる意味が分からん」
「ふっふっふ、甘いですね先輩は。私でも流石に知ってますよ。アレはネットスラングってやつのアレンジ版ですね。ほら、よく『作画崩壊ワロタww』とか聞くでしょう?」
「いや、一回も耳にしたことはないが……」
ちなみに竜也は知る由もないが、ネットスラングを口に出すなんて羞恥プレイを実行する人間は殆どいない。それをするのは余程どっぷり浸かっているのか、周囲に『オタクです』とアピールしたい状況以外には考え難いほどだ。
そんな感じで青木詩音の友達(確か名前は希恵ちゃん)は、間違いなく前者と言えた。
「純真だった詩音に、そんな友人がいると知ったときは驚いたぞ」
「純潔かどうかは怪しいですが」
「穢した男は誰だ? 一秒も掛からず首を撥ねてやろう」
「包丁持ちながら言わないで下さい、犯罪者っぽいですから」
冗談です冗談、と言うと紫は、背後の棚を勝手に開ける。どうやら麺を盛る器を取るらしい。
「でっかいのあるだろ? 青いやつ」
「あーこれですか?」
「それそれ。それと小さいの一つ出して。……うし、大体切り終わったな」
「あ、どうぞ」
「サンキュ」
竜也は、切りたてのキュウリと既に切り終えていたハムの細切れを紫から受け取った皿に盛ると、それを茶の間というかリビングのテーブルへ持っていく。
すると、紫は多少の無理をしてでも一回で運びたいとでも思ったのか、右脇に麺つゆのボトルを挟み、右手で小さな取っ手のある器を二つ持ち、左脇で抱え込むように麺を持ってきた。
「おいおい、危ねぇな。ほら、麺よこせ」
竜也が脇に手を差し込むと、紫が恍惚とした表情で『先輩の手が私の脇の割れ目に……』とか言い出すから頭を強打した。
「何言ってんだお前は」
「デュフフ……この程度でへこたれるほど、優しい紫ちゃんではないのだZE☆!」
「お、落ち着け紫! お前まで感染してるぞネットの暗号に!」
「はっ!? あ、危なかった……」
「お前はなにと戦ってるんだ……」
竜也は思わず額に手を当て、溜息を吐いた。




