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0820 ~パラドックス~  作者: 加藤水城
第五章 青木詩音という後輩女
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第五章 青木詩音という後輩女(2)


 

 

 その後、紫と朝食を済ませた竜也は、携帯に九条から『こっち来いやコラ』というメールが送られてきているのを確認すると、『変態が一緒だけど良い?』と返信し、紫と共に学校へ向かった。途中で紫と別れるのが簡単ではなかったが、『男を待たせてるんだ』と言ったら『キタ―――!』とえらく興奮して一人で走っていってしまった。悪い予感しかない。

(……ああいう女って、男と男が絡んでるの見て何が楽しいんだ?)

 ふとそんな全ての男性が思っていることを思案しながら、竜也は旧体育館の中へと足を向けた。慣れてきている自分がいる。

 入口を開けると、下駄箱を潜り、いつものホールへと出る。

 今日はステージに普通に座っていた九条が、「やあ」と手を振ってきた。

「よう」

「おはよう如月君。昨日もまた凄かったらしいね」

「ん? ああ、昨日は俺、なにもしてねぇよ? 先輩が一人で終わらせちまった」

 すると、九条が少し驚いたような顔をした。

「え? そうなのかい?」

「何、驚いてんだ? いやまあ驚くか……」

 竜也自身、自分で過去を乗り越えた人物を見たのはあれが初めてだった。

 あそこまで意思が強いのは、流石にそうそういないだろう。鋼の精神とでも言うのか。

「それで結局、その『亡霊』さんは無事に消えたのかい?」

「そうだな。きちんと『成仏』したよ。綺麗な最後だったな」

「へぇそうかい」と、軽く流す九条。

 竜也は少しだけ気が落ちたような顔をすると、九条はそれを読み取ったように言った。

「ちなみに如月君、『成仏』っていうのは『仏』に『成』るって書くよね? それってどういう意味か分かる?」

「え……。普通に、天に昇って仏様になりましたよっていうことじゃないのか?」

「概ね正解なんだけど、一つだけ違うことがある。別に、死んだら皆が皆、仏になれる訳じゃあない。死んだら、転生するか仏になるかが決められるのさ」

「転生か仏、ねぇ……」

「仏になれば良いけれど、流石にまた人生を一からってのもキツイものがあるよねえ?」

 九条は「つまりね」と言うと、

「彼の戦いは、本当の意味で『成仏』出来たら終わるんだよ。まだまだ気が抜けないね」

 つまり九条は、まだ氷室 絃にとって『綺麗な最後』は訪れないということを教えたかったようだ。遠まわしに言わずにそのまま言えば良いのに、と竜也は思うが、こういう喋り方にももう慣れてきた。

「んで、なんか用でもあったのか?」

「ああ、そうだったね」

 九条はすっかり忘れていたような顔だったから、演技ではないのだろう。

 意外と抜けてるヤツだなと思いつつも、竜也は話を聞くことにした。

「件の『水』のお話だよ。まあもっとも、興味がなければいいけどさ」

「聞かせろ」

「……即答かい」

 九条は呆れたように言うが、正直なところ竜也にだってそこまで必死になる理由はない。だが、自分は確かに『水』の少女に関って、この状況を作り出した一因でもあるのだ。

 それに、ここで『やっぱりやめた』と言える程、図太い神経は持ち合わせていなかった。

「いやー、なんかよく知らないけどさ。あの子から手紙預かっちゃったんだよ」

「手紙!? お、お前っ、見せろそれ!」

「噛み過ぎだよ、如月君。まあ待とうぜ」

 九条はあくまで自分のペースを崩さずポケットに手を突っ込むと、たった一枚の折られた便箋を取り出した。

「預かったって言っても、ここに落ちてただけだからね。けど、」

 九条は便箋の裏部分を指差しながら、

「日付と名前がちゃんと書いてある。律儀だねぇ。えーっと……うん。昨日だね、これは」

「…………」

「ん? どうしたんだい? やっぱり見たくはないかな?」

「い、いや……そうじゃなくてだな。お前って、一日中ここにいるのか?」

「まあ、そうだね。風呂は我慢してる。シャワーだけだよ」

 そうか、と適当に相槌を打つ。

実は彼女からは、渡された手紙は既に存在している。

 四日前、初めて『異能』と関ったあの日。竜也は、優華が『本当にいなくなるまで』開封しないようにと指定された封筒を渡されている。厳密には拾っている、だが。

 しかし、ここであちらからアクションを起こしたということは、昨日『巻き戻る』前と同じく『水』で体表面がコーティングされている可能性がある。何故なら、その状態以外で九条が一日中いるであろうこの旧体育館こと怪談館にこの便箋を『置く』のはまず無理だからだ。九条はこれで『異能』なんて非常識に片足を突っ込んでいる訳だから、そのぐらい簡単に分かる……と竜也は思った。

 勿論、違う可能性もあるのだが、九条はすぐに察してくれたようで、

「ああ、俺がここに彼女が来たか確認出来たかどうかってこと?」

「あ、ああ。そうだよ。よく分かったな」

「君は単純だからね。故に分からないところもあるけど」

「単純か……。いやまあ、それはいいや。取り敢えず、確認は出来るのか? ここに誰が来るのかどうか?」

「いやできねえよ? 無理に決まってんじゃん、そんなの」

「軽く言うなぁっ! お前、ホントに『異能』のプロ的な人なのか!? 普通に物知りなオジサンみたいな感じになってきてるぞ!」

「いやー考えてみなよ如月君。君だって現役学生なんだから俺よりは勉強出来るんだろうけど、数学の公式を見て『これは誰が考えたの?』なんて聞かれても分かんないでしょ?」

「いや、まあ、……それはそうだけどっ……!」

「君だって全ての公式を知る訳じゃないように、俺だって全ての世界を知る訳じゃない。大体、俺だって寝るんだ。その間に『異能』だってない俺がどうやって探知するんだよ」

「…………確かに」

 納得してしまった。

 と、そこで無駄な会話が八割がた入っていたことに今更ながら気付いた竜也は、取り敢えず見せろと言って九条の手から便箋を奪う。

「えーと…………ん?」

 そこには、こんな文面が並んでいた。

 

 

『こんにちは。最近学校は行かないでいてごめんなさい。て、これはあなたに謝ることじゃないわね。またまたごめんなさい。

私は今、決着を着けようとしています。

何に、と聞かれても答え難いけど、まあ大方知ってそうね。『ひまわりパーク』のこと。

この便箋は私のメッセージではなく、別に人のための伝言のようなものです。

最近学校行かなかった理由を言ってしまえば、あの日を知る人を探していました。全員が『変死体』で見つかった『ひまわりパーク』に関与していた人を当たっていたのです。

そこで変な噂を小耳に挟んだので、言っておきます。

確かアオキシオンとかいう女子がかつてここにいて、その子が今精神科の病院に収容されているとかなんとか。その話の中にあなたの名前も出ていたので、一応知らせておきます。あ、でも知り合いなら知っているかしら。無駄に紙を浪費してしまったわ。

あと、最後に私のこと。

深く詮索はしないで。危険云々じゃなくて、これは私が、自分で決めることだから。

それじゃあ、次は月曜日に会いましょう。

                                  柊 優華』



取り敢えず、竜也は安堵の息を吐いた。

自分が想定した最悪の状態みたいな内容ではなかったことに、胸を撫で下ろす。

「それで如月君、そのアオキ……青木君? いや、青木ちゃんか? はどうしてんだい?」

「……いやだから、精神科に入院してたんだって。この便箋だと収容してるってあるけど、別に今は病院通いだよ。まあ、聞いてみた人が古い情報持ってたんだろうな」

「いやだから、そうじゃなくて。どうしてそこに入院したのかって聞いてるの」

「…………は? なんだ、つまり精神科行くような原因を明かせってのか? 本人がいないのに? それは流石にマズイだろ、プライバシー的な話でさ」

「今更何を言ってんだい。昨日まで人の弱い所にガスガスと踏み込んでいた癖に」

「…………っ!」

 竜也の額に、血管がビキビキと浮き出た。

 しかし抑える。別に、ここで怒りをぶちまけたところでどうにもならないというのは、自分でも分かっているのだ。

 一方の九条も九条で少し「やりすぎたか」みたいな顔で、

「いや、ごめんね如月君。別に君のやり方自体を否定する訳じゃあないんだよ。その青木って子の精神科行くような原因が知りたいのはね――――」

 九条はそこで、竜也の予想しえないことを言った。

 

 

 ――――その青木さんも、『異能』を保持しちゃったかもしれないんだよ。

 

 

 

 

 今日は音楽の授業が一時限目だ。

 だからといって別に峰崎鈴香の得意科目ではないのだが、しかし音楽鑑賞というのは好きだ。色々なジャンルの音楽を分け隔てなく聞いているつもりでも、クラシックに偏ってしまう傾向があるぐらいには。

 ということで峰崎は授業がほぼ趣味の時間だわーいという感じで授業に臨もうとしたのだが、

(…………こ、これはまずいね……)

 辺りを見渡す。

 前の席の生徒は―――寝ている。

 右の席の生徒は―――寝ている。

 左の席の生徒は―――寝ている。

 前の教卓の先生も――寝ている。

 つまりところ、

 

 

(ね、寝ていない人がいないよ、このクラス……ッ!?)

 

 

 そりゃまあ長々と優しげなメロディーが響けば眠気に襲われるのも分かるが、しかしそこで諦めて寝てしまうのはどうかと思う。しかも先生まで、だ。

(取り敢えずはこの人を……)

 と、自分の前の席の平崎 夕を起こそうと試みる。

 ちなみに、音楽室での席順は五十音順の男女別な為、『ひ』らさきと『み』ねざきの間の名字の人物はこのクラスにはいない。補足しておけば、『ひ』らさきの前の席が『ひ』いらぎなので、某如月竜也にとっては馴染み深い三コンボとなる。

 峰崎は平崎の背中をシャーペンで突きながら、小声で囁く。

「おーい平崎さん。授業中だぞー」

「…………ぅぅん………………峰崎か………」

「あ、ちょっと起きた?」

「………そ、」

「ん?」

「そのはち切れんばかりのバスト……吸引してやるムニャムニャ…………」

「どんな夢見てるの平崎さん!? バスト吸引ってちょっとグロいんじゃないかな!?」

「…………エロアニメとかだと………………よくある…………」

「どうして会話が成立してる上にそんな知識があるの!」

「…………竜也に……ゴニョゴニョ………」

「ゴニョゴニョってなんなのーっ!?」

「………………………うふふ」

「よし。取り敢えず如月君を締めよう。首辺り」

 

 

 如月竜也は、音楽の時間中で音楽鑑賞中だというのにまったく眠気がこなかった。前の席である氷室 奏は早々にノックアウトされて、どんな夢をみているのか先ほどからずっと『……フランスパンが、迫ってくる………っ!』と意味不明の寝言を繰り返している。

 まあ意味もなく迫ってきたら怖いよな、と小声で呟きながら、竜也は朝に九条から言われたことが頭から離れない。というかそれが思考の半分以上を占めているから、周りからいくら静寂に近いクラシックが流れてこようとあまり関係ないのだ。

 九条から言われたこと。それは勿論、柊 優華のこともある。しかしそれ以上に、

(…………詩音アイツが『異能』を、ねぇ)

 にわかには信じられないが、しかし同時に、自分が今まで遭遇してきた『異能』のことを考える。

『妄想』に『投影強化』、『歌』と恐らくは『心』、そして『水』。

 どれも大体は精神的ストレスからきていると言って良い。二つほど分からないのは件の『水』と『心』だが、前者に関しては恐らくは『ひまわりパーク』の変死体が主に関係しているというのが妥当だろう。後者に関しては、未だ所有者に確証はない。言ってしまえば峰崎が所有者だと九割は踏んでいるのだが、それ以上の詮索は必要ないのでしていない。

 ともあれ精神的ストレスというのは、間違いなく青木詩音が当て嵌まる。この言い方は多少失礼だが、竜也の知り合いの中で、精神的ストレスの文字が最も似合うぐらいだ。

 可能性がない訳ではない。むしろ、ある方へと天秤は傾きつつある。

(まあ一応、アイツのストレス原因は知ってるしな……)

 何か有事の際も一応の行動は取れるように、竜也は、あまり気が進まないが詩音の体験した『アレ』について少し頭の中で整理することにした。

 

 

 …………筈が、いつのまにか意識が暗転していた。

「?」

 あれ、と口にするよりも早く、ここが保健室のベッドへあることが分かった。

 そして喉が妙に痛い。何かこう、締め付けられたような痛みがある。

 取り敢えず起きようとすると、自分の太股辺りをを枕にして誰かが寝ている感触がした。

(誰だ……)

 視線を移すと、そこには峰崎が寝ていた。

「こんなの前も見た気がする!」

 と、思わず心中をそのままぶちまけてしまったが、その突然の声に驚いたのかなんなのか、峰崎は目を覚ました。

 しかし、覚醒した峰崎は優しい声音ではなく、多少ドスの効いた声で、

「……如月君。一つ教えてもらいたいことがあります」

「……え、あ、は、はい! なんでございましょう!」

「平崎さんと、その……」

 峰崎は少し口ごもると、しかしすぐに口を開いた。

「え、と。……え、えっちなアニメとか、見た?」

「いきなり何言ってんだお前は!」

「うわっ、いきなり叫ばないでよ。びっくりするなあ」

「こっちがビックリ仰天だ!」

「ちなみにビックリを漢字で書くと『吃驚』ってなるよ」

「どうでもいい知識をどうも! そしてどうしてそんなアニメの話になったんだ!」

 すると峰崎は「それがさあ」と手の平を返したように、

「平崎さんがね、私のバストを吸引したいとか寝言で言い出して」

「エロ……くないな。グロい、うん」

「えっちなアニメだとよくあるとか言ってたから、どうして知ってるのって聞いたらなんか如月君とゴニョゴニョって言ってたから……あ、待って如月君。ハサミ持ってどこ行くの?」

「止めるな峰崎。今日こそあの邪気眼女を葬り去る」

「さ、流石にそういう犯罪に手を出すのはマズいんじゃないかな!?」

「あたかも軽い犯罪には手を染めてるみたいな感じに言うな!」

 叫びあうと、竜也は額に手をあて「はぁぁ……」と溜息を一つ。

「……それで? それを確認するためだけに、俺を気絶させるような真似して保健室にわざわざ運んだのか?」

「そんな訳ないって分かりきってるなら言わないでよ。……というか、少し気になったことなんだけどね」

 竜也からしてみれば、峰崎が『気になった』という段階の物事を人に話すのは極めて珍しい。何故なら、普通はそんなことを他人に言う前に自分で調べて納得してしまうからだ。そこまできて初めて、『興味深かった』みたいなニュアンスで話してくる。

「なんだ、珍しいな。俺は倫理が得意だぞ?」

「いや、勉強の質問なら教室でしてるから。……じゃなくて、『異能』、だっけ? のこと」

「!」

 なんというか、純粋に驚いてしまった。峰崎がここまで積極的に関るとは予想していなかったのだ。

「あれのことを考えて思ったんだけどね。そもそも『異能』ってなんだろうって」

「なんだろうって………………」

 少し考えるが、確かに確たる根拠も論理もない。

 ということで、こう続けるしかなかった。

「………………なんだろうな?」

「私ってホラ、中の上ぐらいの成績だから。分かんないことは誰かと考えようって思ってるんだ」

「いきなりなんだ。そしてお前はキチガイなぐらい頭良いだろ」

「き、キチガイはひどいなぁ。それで話がいきなり戻るんだけど、『異能』はやっぱり私達の常識では片付けられないところあるでしょ? あの灰色の壁とか、体感時間停止とか」

「ああ、まあそうだな。俺はすっかり『そういうものだ』って片付けてたけど」

「まあそっちの方が楽なんだろうけどさ。やっぱり、何か分からないものが扱えるってのも逆に気持ち悪いし。それで思ったのが、これは昔の人類……というか人類の祖先でいうところの、『道具』とか『言葉』とかみたいなことなんじゃないかな」

「…………? あ、ああ」

 竜也は少しだけ首を捻ったが、すぐに意味を理解した。

「つまり、現時点の知能では理解の及ばない位置にある……なんつーんだ、『手段』みたいなノリか?」

「そうそう、それ。つまり、今の人間がもう少しだけ『有能』になるための手段なんじゃないかって思うの」

「有能、ねえ」

 有能というのは、読んで字の如く能力があるという意味だろうか。それとも、純粋なる進化という意味なのだろうか。

「前に九条にも言われたけど、時間止められる人間はもう人間とは認められないよな……」

「……人間、やめたの?」

「別に石仮面は被ってない」

「その左手、どうして銃口なの?」

「別にサイコガンも付けてねぇよ」

「応用次第ではサイコガンより強いんだよね、如月君のは」

「…………九条のヤツ、またペラペラと言いふらして……」

「あ、いや、今のは自分で考えてただけなんだけど。もしかして、流石にないよなぁと思ってた体表面をコーティングとか、当たってる?」

「当たってるよ! お前やっぱ凄ぇな! そして今更だけど保険医の人は!?」

「眠ら……ゴホンゴホン。寝てたよ?」

「何を言いかけた。場合によってはお前が犯罪者に―――」

「寝てたよ?」

「言い訳は聞きたくな――」

「寝てたよ?」

「え、あ、その」

「寝てたよ?」

「…………はい」

 まさかの真顔で寝てたよコンボがくるとは思わなかった竜也は、思わず別の話題を探してしまった。委員長属性は竜也にとってちょっとしたウィークポイントなのかもしれない。

「あ、えーと、ところでさ。今って何時だ? もう次の授業始まってないか?」

「いやー、まだ一時限目だよ?」

「マジでか。というか、よく授業中にここまで来れたな」

「いや、それは少しクスリを――じゃないや、如月君の首を絞めたの」

「どっちにしても大問題だぞ!?」

「それを言うなら皆も先生も、如月君だって、授業中に寝るなんて問題だよ?」

「うっ……すみませんでした」

 改めて言われてしまうと、返す言葉が見つからない。自分が話をしている時に寝られたら、竜也自身だったら確かにぶちギレるに違いないだろう。

「とにかく、まあ一応話したいことは終わったから、戻ろうか」

「分かったよ。……ああ、というか、どうして峰崎はわざわざ保健室に運んできたんだ? それこそ、皆寝てるなら音楽室でだって『異能』のことは話せただろうに―――」

「んー……まあ、こうした方が秘密っぽい感じがしてワクワクするでしょ?」

「あ、分かるぞそれ。よく土手とか穴掘って秘密基地とかやってた」

「へぇ、やっぱり男の子は元気だねぇ」

「ババくさっ! ……あ、すみませんマジ詫びます小指で詫びます」

 竜也のウィークポイント確定。

 

 

 如月竜也は決してホモではない。

 いや、確かにホモ・サピエンスではあるのだが、別にそんなくだらない謎かけが重要なのではなく、今現在重要なのは竜也が男子トイレで男子生徒と二人きりという状況だ。

 別にはぐらかさなくても良いが、相手は桜崎。鬼気迫る顔で本当に迫ってきたよコイツどうしようとか竜也が思っているうちに、いつのまにか引っ張られていた。ちなみに休み時間。

 しかして、当の桜崎はとても困ったような顔だ。

「えー……ま、まあ落ち着けよ。考え直せ、な?」

「何がだ……」

 溜息を吐きながら応じると、

「ホラ、昨日のアレ、まだお前の家だろ? 家でこっそり確認したらなくて、そりゃもう朝まで探したんだ」

「だからそんなに隈が酷いのか……。どこまで厳しい姉ちゃんなんだよ」

 どうせ言うほど厳しくはないのだろう、みたいな予測をしていた竜也だったが、

「…………お前に例えれば、全力でドラグネスムーンの噂を広められるに等しい」

「悪魔かその女はっ!!」全力で叫んでいた。

 しかし、自分の黒歴史に例えられるとこうも分かりやすいとは思わなかった竜也としては、この激しい動揺が桜崎への強い同情なのか自分の黒歴史への強い嫌悪なのかは不明だ。

 というか、分かりたくない。

「いやまあ、それでさ。例えばお前がアレを俺ん家のポストとかに入れたりすれば、俺はもう死ぬんだよ」

「社会的にか?」

「物理的にだな」

「アレ、桜崎。お前の家の住所ってなんだっけ?」

「郵送しようとしてるのか貴様! 明らかに俺が生死の境を彷徨っていると知ってからの行動だろう今の!」

「ところで、さっきからアレアレって何のことだ?」

「随分と今更じゃね!? むしろ良く今までの会話について来れるよなお前!」

「だから、なんのことだよ」

 意地の悪い笑みで竜也が聞くと、桜崎は震えながら顔をあげた。

 瞬間、竜也の頭が警告信号を出す。

 …………ヤヴァイ。ちょっと調子乗ってイジり過ぎたかも。

 やっぱ分かってるよあの如何わしい例のブツだろと言おうとしたが、既に遅かった。

 桜崎は目をギュッと瞑り、渾身の力を込めて声を上げた。

「お前と一緒に借りた、エロビデオのことだよ決まってんだろ!!」

「何叫んでんだアホ! いやでも俺も悪いかごめんなさい!」

 ほぼ同時に叫びあった二人、の横方向からガタガタと音がした。

 個室の扉の向こうからは、「うわマジかアイツら」「随分と仲良いなとは思ってたけどよ」「如月はカシワギさんがいるだろうが!」「死ねリア充! けど桜崎はいらない!」という声がバンバン響いてくる。同時に男子トイレのドアが開く音が聞こえたため、出て行ったのは分かったの、だが。

「「………………………」」

 数秒の沈黙。

 そして瞬時に、お互いが拳を振り上げた。

「「テメェの所為でホモ疑惑掛けられてんだろうがっっ!!」」

 んだとぉっ!? という声すら一致して、同時のタイミングで拳を突き出した。クロスカウンターが決まるかと思ったが、それは狭い個室の中での出来事であったのが幸いしたのか、お互いのバランスが微妙にズレたことでお互いの拳が個室を仕切る壁へと激突した。

「「痛ってぇぇええぇっ!」」

 己の拳摩りながら、キッと睨み合う。しばしその状態で硬直するが、すぐに双方とも軽き息を吐いた。どうやら、二人とも同じような思考にいきついたらしい。

 ここで殴り合っても仕方ない。

 重要なのは、かけられたホモ疑惑を晴らすこと一点のみだ。

 

 

「青木さん。カウンセリングの時間よー」

 白い。

 そう表現する以外ないような病室。カーテンも壁紙も花瓶も棚もベッドもシーツもテレビの枠さえ白い、そんな部屋の主に、ナースは声を掛けた。

「…………」

「青木さん?」

 しかし、反応が無い。

 いつもはどうして精神科に収容されているか分からない、という程に気丈に振舞うので、こういった形で名前を連呼するのは初めてだった。それに、ベッドに腰掛けた彼女はずっと窓の方を眺めている為、表情も伺えない。

 仕方ないので、ナースは更に二歩彼女に近づく。

「どうしたの? 窓の外に何かあった?」

「…………あ、いえ。なんでもないです」

 唐突に返事をしてきた彼女の顔は、しかし特に変化もない。しかしそこでナースは、朱色の髪がいつもと違って一つに束ねられていることに気がついた。

「あら、どうしたのその髪。彼氏さんでも来るのかしら?」

「いいえ、お友達です。ずっと前からの」

「あら、そう。でも良いわね、昔からの友達なんて。どのくらい前からなの?」

 彼女はわざとらしく指を折る仕草をしながら、「えっと」と呟き、

「…………十二年前くらいから、ですね」

 するとナースは、お世辞なしに驚いたような表情を浮かべる。

「へえ! 青木さんは今、十六歳よね? なら……すごいじゃない、四歳の頃からなんて。もう家族みたいな感じかしらね?」

「ええ、まあ……。あ、でも、途中で会えなくなったりもしたんで……実質的には、十年くらいの付き合いですけど」

「それでも凄いと思うけどね? ……あらいけない、話し込んじゃったわね。そろそろカウンセリングの時間。すぐに行ける?」

「大丈夫です」

「じゃあ、行きましょうか」

 少しだけおぼつかない動きでベッドから降りると、それ以降はいたって普通の動作で病室を出る。

 横で支えるようにしながらもナースは、やはりどうして彼女が精神科ここにいるのか分からなかった。精神的にショックを受ける出来事はあったらしいが、しかしそれを隠して毅然と振舞っているとも思えない程、自然な動作しかしないのだ。総合病院の方から移されてきたというのしか知らないが、恐らくは何かのきっかけで怪我をして、その時に精神的ショックも受けたということだろうか。

 そんな邪念が頭に浮かんでいるからこそ、ナースは気付かなかったのかもしれない。

 彼女の口が、僅かに動いているのを。

 

 

 ―――――――もう、いないんだ。

 

 

 口は、確かにそう紡いでいた。

 

 

 

 佐藤 楓は頭がどうにかなりそうだった。

 昨日のことを気にしている訳ではない。昨日は昨日で、区切りをきちんと自分でつけた。

 楓の頭がおかしくなる寸前になっているのは、それとはまた別の理由がある。

 というのも、楓は結局のところ昨日の手紙では自分のなかで纏まりがつかず、かといって三年のフロアにいると『昨日はどこのどいつに泣かせられたんですか!?』と男子生徒がうるさい(昨日は腫れぼったい目で授業を受けた)ので、逃げるように二年生フロアに来ていたのが原因だった。

 昨日だけで例の『異能』とかいうやつは制御できるようになった、というのも伝えた方がいいだろうということを自分に言い聞かせ、そこらへんの下級生に如月竜也のクラスを聞こうとした、その時。

『悪魔かその女はっ!!』

 明らかに昨日の後輩の声が、というか叫び声が男子トイレから響いてきた。なら丁度良いとばかりに男子トイレの方へ向かう。叫んでいるということは、少なくとも用は足していないだろう。用を足しながら『悪魔かその女はっ!!』と叫ぶ人間に救われたとは信じたくないので、その信用を裏付けるべく、そして無意識だが早く如月竜也と喋りたかったというのもあるのか、男子トイレへと一歩踏み出した。そして、

『お前と―――エロ―――――』

 という叫びが断片的に聞こえてきた。しかも次は、違う男子の声だ。明らかに中で叫びあっているのだが、しかしそれ以上にきになることは。

(お前と…………エロ…………ということは…………ッ!)

 何故か容易に想像できた男同士の絡み合う図。それを真っ赤な顔でぶんぶんと振り払うと、アンタら何をやっているみたいな乱入をしようとした。ちなみにそれをすれば、偶然にも『巻き戻る』前と同じような構図になっていたのは運命なのかなんなのか。

 しかしそこで、男子トイレの中でガタガタッという音と共に明らかに声を発していなかった男子生徒数名が、外へと脱出してきた。口々に『マジかあいつら』『死ねリア充』『けど桜崎はいらない』などという声が聞こえる。その断片から推理するに、恐らくは、

 

 

 ~先輩の妄想パート~

『な、なあ桜崎……もう、いいだろ……?』

『ばか、駄目だろ竜也っ、こんなとこで……っ! あ、あぁ……っ!』

『ほらほら、体はやっぱり正直だなぁ…………ここが、い・い・ん・だ?』

『や、らめぇ、壊れちゃうよぉぉ……っ!』

 

 

 みるみる真っ赤に染まりなおす楓の頭がパンクし、そこで妄想はストップされた。

「…………ハッ!?」

 我に帰ると、しかしなにも事態は進展していない。

 次に何が聞こえるか男子トイレからの声を待つと、そこで二人のシンクロした声が聞こえてきた。

『『――テメ―――――ホモ――――がぁっ!!』』

 肝心なところは実のところ全く聞こえていないのだが、しかし楓にそんなことは知る由もない。

「な……、な……っ!」

 そして、不意に横から声がした。明らかに切羽詰ったような声だが。

 そこにいたのは、不鮮明極まりない記憶で思い出すに、先日自殺騒ぎを起こした女子生徒だった。何やら如月竜也と馬鹿をやっているというのを小耳に挟んだことはある。

 楓同様顔を真っ赤にしてパクパクしている女子生徒を見ながら、楓はUターンをした。

 何故か少しだけ爽やかな笑顔で、一人楓はこう思う。

 私、後のことしーらね。

 

 

 昼休み。

「いやマジ助かりましたわ」

「ホントっスね。流石は委員長様っス。いやぁー、やることが違う!」

「茶化さないで。私は一応怒ってますからね」

「「ハイすいません」」

 竜也と桜崎は教室で、峰崎に頭を下げていた。それはもう九十度ぐらい。

 というのも、二人で誤解を晴らすべくストレートに『誤解なんだ!』と叫んでいたところ、じゃあ誰が本命なんだよというお前ら中学生かみたいな質問が飛んできた為、全人類が納得するであろう無難な答えを突き詰めた結果、二人でこう叫んでしまったのだ。

 

 

『『お前ら、巨乳の委員長以外の女子なんて認めるのか!?』』

『『『『認めないぃぃっ!!』』』』

『けど貧乳はぁっ!?』これは桜崎。

『『『『ステータスゥゥゥゥゥゥゥッ!!』』』』

『しかし微乳もぉっ!?』これは竜也。

『『『『捨てがたいぃぃぃぃぃぃぃっ!!』』』』

『だが結局美乳がぁっ!?』再び桜崎。

『『『『一番だぁぁぁぁぁっ!!』』』』

 

 

 ということでいつのまにか敵どころか信者を増やしてしまった二人を見るにみかねて、というか明らかに名指しされたような峰崎が仲裁に入ったという訳だ。

「明らかに途中からのアレは悪ノリだったよね」

「いやー、あんなに盛り上がるとは思わなくてなぁ。なあ竜也?」

「俺に振るな。今不用意に話すと俺は死ぬんだ」

「? どうしたんだ、鬼気迫る顔して」

「いや、というか鬼がすぐそこに迫ってる……いえ、天使が近くにいらっしゃるので」

 すると桜崎は苦笑いしながら、

「おいおい、流石に女子の目の前で天使ってのは言いすぎだろう?」

 そんなことは竜也自身が一番分かっている。

 だがここでああそうだね、天使は言いすぎだよねみたいなことを言えば、桜崎の背後にいる峰崎に見える何かが牙を剥いて来るに違いない。何か今日の峰崎は保健室へ拉致したりなんだりと色々と変な為、油断は出来ないのだ。

 というか、やはり峰崎は心のどこかで『巻き戻る』前を覚えていて、胴体真っ二つにされ殺されちゃったことを根に持っているのだろうか。あまりにも、ぞっとしない。

「というか如月君、微妙な胸が好きなんだ?」

「そりゃまあ大きすぎず小さすぎず、それこそ微妙なラインで留まっている胸ほど素晴らしいものはないだろう。ルーヴル美術館にでも贈呈すべき品だな」

「人体は贈呈できません。そして博物館です」

「そんな。オールカラーの岸辺露伴は美術館と言っていたのに」

「漫画に信憑性を求めないで。まあ、美術館でも名称的には合ってるんだけど、一応はフランスの国立博物館だからね。って、なに巧妙に話題を逸らしてるのよ」

 峰崎を一時的とは言え話題から自然と離れさせた竜也は普通に賞賛に値するのだが、そんな賛辞を送るものは誰一人いなかった。

「……あれ? 桜崎は?」

「電話きたから悪い、って言ってたじゃない」

「何時の間に……」

 まさか瞬間移動の『異能』でも使えるんじゃないだろうかと冗談半分で考えてみたが、もしそうならいずれは、何らかの理由で対立することにもなりかねない。

 峰崎には言っていないが、以前九条から言われたのだ。

 

 

 ――お互いの正体を知らない『異能者』ほど、敵対状況に陥りやすいんだよ――

 

 

 迷信めいているとも思うが、しかし今更迷信がどうとか言っていられない。時間停止から本物の亡霊まで見てしまった竜也は、今ならどんな都市伝説でも真に受ける自信がある。

「それで、如月君。微妙な胸が好きなのは分かったよ? でもね、そうなると―――」

 少しだけ、峰崎は真剣に悩むような顔をして、

「……平崎さん、危なくない?」

「ねぇよ!」

 

 

 放課後になった。

 とは言っても、流石に学年が違えばロングホームルームも速い遅いがあり、紫は下駄箱で竜也を待っていた。

 そういえば、ロングホームルームを直訳すれば『長い家族の家』。実にのっぽな家族のようだという割とどうでもいい思考を走らせながら、手持ち無沙汰にバッグを揺らす。

 ちなみにロングホームルームの本当の意味は『長学活』だ。ロングホームルーム自体も造語のような意味合いがあるので、直訳しても意味はない。しかし、どうやってホームルームという単語が生まれたのかまでは紫の知るところではない。そこまで知りたいなら、ネットを立ち上げてウィキを見るのが一番手っ取り早いだろう。

 と、そこまで思考の風呂敷を広げたところで、竜也が下駄箱へと降りてきた。

 紫はぶんぶんと手を振りながら、

「遅いですよー、もう!」

「悪い悪い。なんかもう卒業式の準備の話題が出てきてさ」

「『仮装大会祭』もあるのに、随分早くないですか?」

「あー、まあ、『編入生』は全員卒業だからな。一応初代だし、華々しい卒業にしたいんだろ」

 この高校は、前にも言った通り去年開校したばかりだ。

 つまりは、現時点での三年生は全員高校二年生としてこの高校に入学したことになる。厳密に言えば、希望者学力テストで上位九十名を選出したのが今の三年生だ。立地条件といい設備といい文句はないので、この地域の高校二年生はほとんどが学力テストを受けたらしい。三百人ぐらいのうちの上位九十名は無事高校へ入学し、『編入生』と呼ばれるようになった。

 ちなみに紫と竜也は普通に受験して入った。

 双方、頭は冴えるほうなのである。

「そんじゃ、行くか」

「そうですね」

 取り敢えずは駅へ足を進ませる。

 後に気付いたことだが、これから向かう病院と平崎の両親が入院している病院はすぐ近くにあるらしい。だからどうしたという訳でもないが、御茶ノ水へと竜也と紫は向かう。

 

 

 

「…………、」

 気付けば、電車に揺られていた。

 ガタン、ゴトン。

 ガタンゴトンと。

 座席に座っている訳ではなく、吊り革に掴まって。

「―――――んですよ。だから、やっぱりお土産は東京バナ奈がですね……って、聞いてます?」

「………………あ、あー。えっと、」

 起きた直後のようなぼやけた頭でもない、不思議な感覚を頭から振り払いながら、

「悪い、何の話だっけ?」

「ですから、私の親戚の家へ何を持っていくべきか、という話です。お土産によって私のお小遣いが一万円ぐらい変動するんで……」

「お前の親戚は随分と小遣いくれるんだな……つーか俺、寝てた?」

「そんなの聞かないで下さいよ……。というか、意識もせずに立ち寝なんて重症じゃないですか。最近お疲れなんですか?」

「そんなお疲れでも……」

 ない。そう言おうとした竜也の脳裏に、ここ連日の『異能』が蘇る。

「……ある。めっちゃ疲れてる」

「え、ちょ、素直に言うって相当じゃないですか! 本当に大丈夫ですか?」

「いや、まあ大丈夫だって」

 明日で、決着をつけるのだから。

 そう心中でのみ呟いて、竜也は頭を切り替える。

 これから向かうのは、御茶ノ水の総合病院と隣接した精神科の病棟だ。先週行ったばかりなのだが、しかし先週行ったのは総合病院の方で、精神科の方へと足を向けるのははじめてだった。

 電車を降りると、竜也と紫は少しだけ戸惑いながら精神科の病棟に入った。

 


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