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「先生は、今日から私の奴隷になりました。」


「――貴様、何のつもりだ。ナデラ・エヴァンス」


 低く、冷え切った声が降ってくる。

 見上げれば、そこにはいつにも増して不機嫌そうなレヴィス・グレイヴ先生の顔があった。


 艶のない黒髪に、血の気の薄い白い肌。細身の銀縁眼鏡の奥から覗く切れ長の瞳は鋭く、ただでさえ近寄りがたい顔立ちをさらに冷たく見せている。背は高く、身体つきは細い。きっちりと首元まで留められた黒いシャツに、皺ひとつないローブ。乱雑な研究室とは正反対に、本人は神経質なくらい隙がない。


 ――普段なら。


 ここは魔法学園の研究棟、その最奥。先生に与えられた個人研究室だ。

 本棚には魔導書が隙間なく詰め込まれ、机の上には書類と薬瓶が積み上がっている。本来なら、生徒が勝手に立ち入ることさえ許されない場所である。

 

 そんな研究室の床いっぱいに、今は巨大な魔法陣が広がっていた。

 そして、その中心に先生は床に座り込み、指一本まともに動かせずにいる。

 

 奴隷契約は、相手の同意がなくても強制的に契約を結ぶことができる。とはいえ、術式が完成する前に魔法陣から逃げられてしまってはどうしようもない。


 なので念のため、先に先生に痺れ魔法をかけておいたのだ。少々、強めに。


 身体は動かせなくても、目だけは元気らしい。先生はものすごい形相で私を睨んでいる。

 怖い。ものすごく怖い。けれど私は、その視線を真正面から受け止めて、にっこりと笑った。


「成功しましたね、先生! 奴隷契約っ!」

「見ればわかる!」


 怒鳴られた。ですよね。

 先生は忌々しそうに自分の胸元へ手をやった。黒いシャツの襟をわずかに引けば、胸元あたりに黒い紋様が浮かび上がっている。

 奴隷契約の証だ。

 私も自分の襟元をつまみ、少しだけ覗き込む。同じ場所に、先生とまったく同じ黒い紋様が刻まれていた。


「おお……ちゃんとありますね」

「嬉しそうに確認するな。……奴隷契約は、とうの昔に禁じられた魔術だ。どうしてそれを貴様が」

「頑張って覚えました!」

「どこでだ!」

 

 先生が頭を抱えた。どうやら納得していただけなかったらしい。説明しようとすると、いろいろと面倒なのだ。

 

 禁書庫に忍び込んだり。

 古代魔術を解読したり。

 失われた術式を復元したり。

 途中で何度か爆発させたり。


 そんなことを――何度も何度も繰り返して、ようやく完成させた。


「……それで、エヴァンス。貴様はこの奴隷契約に何を盛り込んだ」


 奴隷契約には、命令への絶対服従。主人を守るための盾となることや時には、本人が望まない行為にさえ従わせることができる。契約に組み込んでしまえば、本人の意思など関係ない。だからこそ、この魔法はとうの昔に禁術に指定された。


 そんな奴隷契約を使って、私が先生に課したのは――。


「生(・)体(・)負(・)荷(・)共(・)有(・)です」

「……生体負荷共有?」

「はい。先生が受けた痛みを、私が半分引き受けます。怪我はもちろん、毒なんかの苦痛もです」


 先生の眉間に、ぴくりと皺が寄った。


「感覚そのものが共有されるのか?」

「いいえ。視覚や聴覚、味覚なんかは共有されません。あくまで身体にかかる負荷だけです」

「……それだけか?」

「あとは、私が回復魔法を使え、先生の怪我も一緒に治ります。離れた場所にいても」

「…………」

「どうです? すごいでしょう!」

「待て、エヴァンス」

「はい?」

「なぜ奴隷である私ではなく、主人である貴様が痛みを引き受ける」

「そのための契約ですから」

「何のためだ」

「先生を死なせないためです」

「…………何?」


 あ。

 しまった。また余計なことを言った。

 先生の目がすっと細くなる。これはまずい。絶対に面倒なことになる。


「では、契約も無事に済んだことですし、私はこれで」

「待て、エヴァンス!」


 さっさと踵を返し、研究室の扉へ向かう。


「今のはどういう意味だ。説明しろ!」

「また明日、先生」

「待て! ナデラ・エヴァンス!」


 背後から怒声が飛んでくる。けれど、無視。幸い、痺れ魔法はまだしばらく切れない。先生が追いかけてくる心配もない。私は研究室を出ると、そのまま扉をぱたんと閉めた。

 

 深く突っ込まれると面倒くさい。めちゃくちゃ面倒くさい。

 どうして先生が死ぬと知っているのか。

 どうして禁術なんてものを覚えたのか。

 そもそも、どうしてここまでして先生を死なせたくないのか。

 説明しようと思えば、それはもう、とてつもなく長い話になる。

 だから、今は説明しない。理由は何度も言うけどめんどくさいからだ。


「……よし」


 これで第一段階は成功。奴隷契約は結べた。生体負荷の共有も、問題なく発動しているはず。開けっ放しの窓から、夏の名残を残した少しだけ涼しい風が吹き込んでくる。


 あとは先生を死なせなければいい。

 

 ――今度こそ。絶対に。


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