羞恥心とミステリー(事件編)1/2
舞込春心と繰田朱音の所属する部活、ラフ&ピース部。その活動目標は、『檸文高校に笑いと平和をもたらすこと』だ。
それはつまりどんな活動なんだと言われたら、おおよそ次のように答えることになる。
ラフ&ピース部の日々の活動は、大きく分けて二つ。
まず一つは、自発的に奉仕活動を行うという、ボランティアサークルのような活動。
もう一つは、ほかの生徒から依頼を受け、問題の解決に向けて動くという、なんでも屋のような活動。
自分から動くか他人から頼まれるかの違いはあるが、基本的に、皆がより良い学校生活を送れるよう立ち回るのが彼女たちの役目だ。
そんなラフ&ピース部の本日の活動は、校内外のごみ拾いだった。
放課後になると、春心は部室でジャージに着替え、文化部棟の外へ出た。両手に携えているのはごみ袋と火バサミ。ポケットの中には軍手を入れてある。
朱音も一緒にごみ拾いをするはずだったのだが、緊急で正座部からヘルプの依頼が来たので、彼女はそちらへと向かった。
春心は正座部がどんな活動をしているかを知らない。レースが近いとは聞いている。どんなレースだ。
ともあれ、今日は一人での活動となる。たかがごみ拾いと侮ってはいけない。気を抜いていると、思わぬ怪我に繋がってしまうからだ。
よし、と気合いを入れるように呟き、春心はごみ拾いを開始した。
見て回る範囲は、高校の敷地内とその周辺道路。
と言っても、高校の敷地内は毎日在校生が清掃しているため、汚れているということはほとんどない。だから、主に見て回るのは周辺道路のほうだ。
まずは校門を出てすぐの歩道からごみを集めていく。
街中に落ちているごみは、空き缶、ペットボトル、お菓子の袋、タバコの吸い殻が多い。
注意して見るべきポイントは、道路脇の植栽や車道の両端の溝だ。ごみが道のど真ん中に捨ててあるということはあまりなく、大抵は端っこの方にこそっと捨ててある。
ちなみに、手で直接ごみを拾うのはNG。不衛生だし、手を切ってしまうこともある。火バサミを使って回収するのが鉄則だ。
(って私、確実に上達してるよなぁ……ごみ拾い……)
ラフ&ピース部に入ってから妙にごみ拾いの知識がついてきてしまっていることを、春心は自覚していた。女子高生が身に着けるべきスキルがこれでいいのかと思わないでもない。
まあ、余計なことを考えていてもしょうがない。いまは頭より手を動かそう。
そう考え直し、春心は目の前のごみを拾おうとするのだが、その際の火バサミを扱う手つきが以前よりも滑らかになっているのに気づき、ちょっと複雑な気持ちになる。
ところで、ごみのポイ捨てには悪意のあるものとそうでないものとがある。
いや、ごみを不法投棄すること自体に悪意があるだろうと思う人もいるのだろうが、なんというか、明らかに「ごみを持ち帰るのが面倒だからその場に捨てた」というレベルを超えているものがあるのだ。
ポイ捨てというよりも、質の悪い悪戯だと言ったほうがニュアンス的には近いのかもしれない。
たとえば、金網のフェンスの裏側のような、外からは丸見えなのに、変に回収しにくいところにごみが捨ててあったり。
たとえば、公共のベンチのちょっとした隙間に、タバコの吸い殻がいくつも詰め込まれていたり。
たとえば、背の低い植物の枝に、空き缶が何本も突き刺してあったり。
どうにも幼稚な印象を受ける悪戯なのだが、タバコや缶ビールの空き缶が捨てられていることも多いので、恐らく大人もやっている。ごみの汚れというより心の汚れを見ているみたいで、あまり気分がいいものではない。
そして今日もまた、春心は迷惑なポイ捨てを見つけてしまった。
「えっ、なにこれ……」
道路脇のちょっとした茂みに、紙の山がぶちまけてあるのが見えた。
どうやら雑誌かなにかを手でちぎったらしい。大小様々の切れ端が乱雑に捨てられている。
「どうせ捨てるなら普通に捨ててくれればいいのに……」
本が一冊ぽんと置いてあるならまだよかった。拾ってそれでおしまいだから。それなのに、どうしてわざわざ破り捨てるのか。
「いや、考えるのはやめよ。疲れちゃう」
捨てられたごみの背景を想像して、いい気持ちになったことがない。あまり深く考えず、黙々と作業をこなすのがごみ拾いのコツだ。
春心は茂みの前に腰を下ろし、速やかに紙片を拾い始める。
昼過ぎまで雨が降っていたせいか、紙切れは湿り気を帯びていて、地面や枝葉に張り付いてしまっていた。火バサミにもくっついてしまうのが少し面倒だが、風で散らかる心配がないことを思えば、プラマイゼロという気もする。
――ところで、この雑誌はなんの雑誌なんだろう?
ふと気になって、春心は手近にあった、比較的大きな紙片を手に取ってみた。
女性の裸の写真だった。
「ぱぁうっ!?」
それは成人誌――つまりエロ本だった。
驚きすぎて変な声を上げてしまった。パ行が出た。
「えぇ……なんでぇ……?」
どんよりとしたなにかが、背筋を上っていく。
嫌悪感だった。
「もう、こんなところに捨てるくらいなら買わないでよ~」
半ば泣きそうになりながら、春心は紙片を回収する手を速くする。一枚、二枚、三枚――取った傍からごみ袋に容赦なく詰め込んでいく。
このままあっという間に掃除を終わらせるかに思えたが、その途中で彼女はふと動きを止めた。迷ったような表情で、まだ茂みに残っている成人誌の残骸へと視線を落とす。
「…………」
興味がなくはなかった。
もちろん、嫌悪感は確かにあるし、性的ななにかを見てどうこうしようというわけでもない。
ただ、見てはいけないものが目の前にあるとなると、かえって見たくなってしまう。それも大人が法で未成年への売買を禁止している本だ。どれだけ恐ろしいことが書かれているのだろう。
まさに、怖いもの見たさだった。
周囲に人がいないことを確認すると、春心は意を決して、再び雑誌の切れ端に目を通した。
「……? ……? …………???」
――全く意味がわからなかった。
写真にしろ文章にしろ、全然わからない。
まず出てくる単語がいちいちわからないし、わかる単語が出てきても、なぜか文章の意味が理解できないという謎現象が起こる。
写真についてはそもそもなにが写っているのかわからないものと、なにが写っているのかはわかるのに、それが写されている意図がわからないという二パターンしかなかった。
総じてわからない。
しかし自分の脳がこんな風に悲鳴を上げているのだけはわかる。
ミルナ。
キケン。
ヒワイダゾ。
オトナノ。
カイダン。
メッチャ。
コワイ。
春心のすぐ後ろを、自転車が通過した。
「すっ、すいましぇんッ!」
春心はびくりと立ち上がり、反射的に謝る。
慌てて後ろを振り返ったが、春心のことを気にしている者など一人もいなかった。
「…………私、なにやってるんだろう」
なにが「あまり深く考えず、黙々と作業をこなすのがごみ拾いのコツだ」だ。
邪念だらけだよ。
春心は気を取り直して、今度こそ淡々とごみ拾いに専念することにした。もうオトナの世界には振り回されないぞ。
そんな決意の甲斐あってか、そこからの作業は滞りなく進んだ。
紙片の量は歩道から見えていたよりも多く、単に火バサミを伸ばしても届かないような奥まったところにも落ちていたのだが、こちとら伊達や酔狂でごみ拾いをしているんじゃないと、春心は勇ましく茂みに上半身を突っ込み、綺麗に取りきってみせた。
「こんなもんかな」
結局、本気を出してからは十分とかからず紙片を回収できた。
――それにしても、こんな本が学校の近くに捨ててあるなんて。先生に報告したほうがいいのかな。
と、担任の教師の顔を思い浮かべた瞬間、春心はあることに気づいた。
「あっ! 忘れてた!」
学級日誌を提出するのを忘れていた。
今日、春心は日直だった。日直は学級日誌を書いてその日の最後に担任に提出することになっている。
ホームルームが終わってすぐ、正座部から急にヘルプの依頼が来てドタバタしていたせいか、すっかり失念していた。
いや、人のせいにするのはよくないか。
日直は二人一組でおこなうのだが、もう一人のほうには春心自身が「今回は私が仕上げて提出しておくね」と言ってしまっているので、代わりに相方が日直日誌を提出してくれているというのは期待できないだろう。
幸い、春心のクラスの担任は日直日誌に厳格なタイムリミットを設けている人ではない。いまから書けばまだ間に合うはずだ。
春心はごみ拾いを中断し、ジャージ姿のまま急いで教室に戻った。