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今川氏真の発心

天正四年(1576)駿河奪回の希望を抱いて牧野城に入城した今川氏真と、その家臣たちの物語。



マロの戦国III 今川氏真の発心



「世の中は、何をうつつと白露の、結びもとめぬ月日にて……」


あ、あれえ……。


海老江弥三郎は氏真の詠じる長歌を聞きながらこぶしで涙をぬぐった。天正四年(1576年)師走も半ばを過ぎた頃、徳川と武田の境目の空き家での事である。


「うつり過ぎぬる秋の露、置きては忍びむば玉の……」


詠じる氏真は目に涙を浮かべ、対面して聞いている二人の武者も沈痛な表情を浮かべている。小山城主岡部長教と武者奉行の孕石主水である。氏真の側に控えている弥太郎もうつむいて悲しみをこらえている。


「夜はすがらに思い寝の、夢にも会わぬ、きし方の……」


今年の三月、弥三郎は氏真に従って牧野城へと意気揚々と旅立ったはずなのに、今はあふれる涙をこらえる事ができない。


「程なく年はくれ竹の、同じ世ながらあう事の、境異なるうらみのみ……」


ど、どうしてこうなった……。


弥三郎はまたこぶしで涙をぬぐいつつ、牧野城に入ってからの出来事を思い起こした。



天正四年三月、浜松を出た氏真衆は堂々と行軍して牧野城に入った。武田方が築いた時すでに広壮だった城郭は、駿河侵攻の拠点として使えるようにさらに拡張され、千人を越える人数が守備していた。


城に入った氏真主従はしばらくの間歓待責めにあった。氏真の牧野入城は大いに喧伝され、今川旧臣やゆかりの者たち多数が祝いに駆け付けたのだ。縁がなくとも氏真が駿河入りした時のおこぼれにあずかろうとして(よし)みを求める者たちもいた。


しかし武田方にいる今川旧臣の調略はいざ始めてみるとはかばかしく進まなかった。


氏真衆が親類や知人を通じて小山城、高天神城、田中城などに詰めている者たちに声をかけると、返事のあった者たちが皆長篠での武田勢のまさかの大敗で動揺していることは分かった。


万が一の武田の衰退に備えて氏真衆を通じて徳川方とのつながりを持とうとする者は少なくなかった。だが、自ら進んで返り忠をしようとする者はなかなか見つからないのだ。


武田方についた今川旧臣のほとんどが長篠での織田徳川の勝利は僥倖で得たもの、時間が立てば武田は回復すると考え、武田方に留まった方が無難と思っているらしかった。


それでも弥三郎たちが大きな見返りをちらつかせて数人の下士たちをその気にさせると、気の早い家康は八月には自ら出陣し、駿河山西にある田中城を取り囲んだ。田中城は守将山県昌満を始め主だった地位は武田累代の家臣が占めていたので、城ごと降参させるような大きなことは無理だった。弥三郎たちは今川旧臣の下士たちに恩賞を約束して放火した上で内側から門を開くように申し送っておいた。


しかし期待したような内応はなく、徳川勢が空しく城を囲むうちに半月が過ぎた。その上荷駄がかまり(忍びの者)によって奪われることが相次いだので、家康は兵を退いた。


「此度は無理攻めはせぬつもりで兵を出したが、城方の内応がなくては無駄に日が過ぎるばかりでござる故出直すことにいたす」


「我らの力が足りず申し訳なき限りじゃ」


失望をあらわにする家康に氏真は謝罪するばかりだった。いつもはそういう時にいい気味だと思う弥三郎だったが、今回は今川家再興の正念場だけにそんな余裕はなく、必死に調略できそうなつてを求めて奔走した。


しかし声をかけた誰もが煮え切らない態度を取り続ける。


その理由を探るうちに小山城主岡部五郎兵衛長教の影響力の大きさが見えて来た。


その人柄に惚れ込んで付いて行こうとする者もいれば、その武勇を頼みにする者もいたが、五郎兵衛が今川方に動けばついて行くという点では同じだった。


しかし、長教本人は昨年夏の小山城攻めの時に話し合う気がない事をはっきりと示していた。八月の田中城攻めの時徳川勢のその荷駄を奪ったかまりはどうやら長教の手の者だったらしい事も分かった。長教は桶狭間の戦いの後駿河へ戻る途中で刈谷城を攻めて水野信近を討ち取った時から伊賀者を使っていたと言う。


ともかく、長教は徳川方相手に容赦する気はないらしい。


弥三郎を含め調略に動いている家臣たちがいずれも不首尾の理由に長教の存在を挙げ続けるので、氏真は苛立ち始めていたが、田中城攻めを挫折させたかまりの襲撃まで長教の差し金と知って怒りを爆発させた。


「どやつもこやつも岡部、岡部、岡部か! なぜじゃ!」


しかし氏真がどう思おうと、長教が武田方にいる限り、一旦武田についた今川旧臣を寝返らせることは難しいという現実は変わらない。


しかもその長教が小山城にいて四方ににらみを利かせているのだ。小山城は田中城、高天神城、牧野城のいずれにも近く、武田方の城の後詰も、牧野城への牽制もしやすい位置にある。駿河に攻め込む徳川勢の糧道を断つにもよい。


岡部長教は武田家中の今川旧臣の向背にとっても、駿遠国境の武田方諸城にとっても要というべき存在だった。


それから度重なる調略の失敗に切歯扼腕していた氏真だが、九月になり牧野入城から半年が過ぎると、焦燥よりも落胆を隠さなくなって来た。


秋の夕暮れを悲しげに眺めては


「うむう、長月の終わりに聞く入相の鐘は悲しきものよなあ……」


などと口走るようになったのだ。


「御屋形様、やはり岡部五郎兵衛殿に声をかけましょう」


見かねた岡部三郎兵衛が縁者の誼みに期待をかけて密かに書状を送ってみたが、長教からの返答はなかった。


「呉竹も松も色は変わらぬが冬が来てしもうたのう……」


「かくなる上は御屋形様おん自ら岡部殿に書状をお出しなされてはいかがでござりましょうや」


「むう、やってみるか……」


弥三郎が促して早くも諦め顔の氏真に文を書かせ、小山城の長教に再度送らせたが、やはり音沙汰のないまま天正四年は空しく過ぎようとしていた。



於諏訪原折〱書留之

外よりも夕日そしはし残ける末野の尾花はしの村立(1―397)

初秋のうきたくひかは長月のつきぬる空の入あひの鐘(1―401)

秋のはの跡なき風の音迄も枯てさひしきのへのさゝ栗(1―404)

秋をこそ身にしむとみし月影の氷れる空そすみまさりける(1―407)

冬きても色はかはらぬ呉竹の音のみかなし窓のさよかぜ(1―408)

うつろはて移ひにけり常盤なる松立ならふ冬されの山(1―414)



とうとう師走が訪れた。


氏真の牧野城入城以後、家康は武田に降った今川旧臣天野藤秀が支配する犬居谷を攻め落として遠江北部の支配を固めていたが、氏真衆の調略が期待された駿河境は膠着状態に陥ってしまっていた。


武田方の今川旧臣たちは岡部長教を中心に結束を固めているので調略は一向に進まず、その長教は氏真衆の呼びかけを全く無視していたので、打つ手がなくなったのだ。


今振り返ってみると、諏訪原城攻めで城衆の降参と開城に漕ぎつけたのは徳川勢の武力による後押しがあり、長篠の戦いの痛手で武田の後詰も遅れたという事情があったからだ。


しかしその後小山城を攻められた時、激怒した勝頼はなりふり構わず兵をかき集めて後詰をし、駿遠国境の城を見捨てない覚悟のほどを見せつけた。


一方の家康も信長の制止もあって、単独では武田との決戦を行わない方針を維持し、勝頼が後詰に来るほどの大きな動きは駿遠の境目では控えている。信長も本願寺や丹波など、西での攻勢を強めているが、東で大きな動きをする様子は見られない。


武田に従う今川の旧臣たちも、武田が持ち直したので織田徳川の攻勢がひとまず治まったと見ている節があった。


何かもう一つ大きな変わり目がないと駿遠国境の情勢は動き出しそうになかった。


年内に駿河入りできるのでは、と期待していた牧野城の番衆の熱気も冷めて、氏真衆も肩身が狭く感じるようになっていた。


牧野城で新年を迎える新手の番衆がやってきて年越しの話をするようになった頃、氏真は弥三郎、岡部三郎兵衛、蒲原助五郎たち氏真衆の主だった者を集めた。


「やはり我らの見立てが甘かったようじゃ。境目の城は調略では取れまい」


氏真が苦しげにそう告げると、集まった者たちの間には重苦しい沈黙が広がった。


誰も氏真の言葉を否定できなかった。


しかし氏真衆は氏真の駿河入りを喧伝して改名した牧野城に入ったのだ。今さら調略は難しいとあきらめてしまえば家康に見捨てられてしまうかも知れない。


それに何よりもあまりに悔しい。


「どうやら岡部五郎兵衛を味方に付けねば何事も進まぬようじゃが、五郎兵衛は返事もよこさぬ……」


氏真が嘆息すると、三郎兵衛が申し訳なさそうにわびた。


「五郎兵衛殿とは縁続きながらお役に立てず面目なき次第にござりまする……」


「せめて一目会うて思うところを語り合いたいのじゃがのう。このまま敵味方に分かれたまま今生の別れとなってしまうのか。切ない事よ……」


そう言って嘆く氏真のために何か手立てはないかと皆頭を悩ませるが、やはり名案がないまま沈黙が続いた。するとうつむいて考え込んでいた氏真が何かを思いついたように顔を上げた。


「そうじゃ、今生の別れに一目会いたいと五郎兵衛に申し送ってみよう。もはや寝返ってくれとは頼まぬ、敵味方に別れる他ないとしてもせめて一目会っておきたい、とな……」


蜘蛛の糸にすがるような話だが、何もしないよりはましだった。


氏真は早速書状をしたためると、三郎兵衛の手筋の者を使って小山城の岡部長教の許へ送らせた。数日後、弥三郎たちが氏真に呼ばれて集まると、三郎兵衛が長教からの返事を携えて来ていた。


「五郎兵衛殿より吉報でござる。御屋形様がそうまで言われるなら内密にお会いすると返答をいただき申した」


「うむ、そうか。では日取りを決めて会うとしよう」


岡部長教は意外と情で動く人なのかもしれない、と弥三郎は思った。


数日後、弥三郎は氏真に従って岡部長教との密会に赴いた。他に付き従うのは岡部三郎兵衛と、話を聞き付けて浜松から馳せ参じた朝比奈弥太郎だ。弥太郎は少しでも脈があるなら長教を口説き落としたい、という思いでやってきたようだった。


長教とは牧野城と小山城のほぼ中間にある武田と徳川の境目あたりの人目につかない空き家で夜陰に紛れて落ち合う事になっていた。長教たちを警戒させまいと気遣う氏真の命で弥三郎たちは鎧を着けず、烏帽子直垂で供をした。


雲に遮られがちな月明かりだけを頼りに約束の場所に着いてしばらくすると長教が孕石主水と共にやって来た。二人は数人の騎馬武者を連れ、兜こそ被ってはいないが鎧を着込んでいる。


弥三郎たちが先に空き家に入り、長教は騎馬武者たちを外に立たせて孕石主水と共に入って来た。


「久しいな、五郎兵衛」


「氏真様にはご健勝にて何よりの事と存じ奉りまする……」


目立たぬように灯した燭台の弱い光の中で氏真と長教は型通りのあいさつを交わした。


岡部長教は長身だが髪にも髭にも白髪が多く、年は六十近くに見える。若かりし頃はその武辺と共に気性の激しい事でも知られていたが、久しぶりに間近に見る長教は年相応に落ち着いて見えた。


昨年の小山城攻めの際使者として開城を勧めた弥三郎と弥太郎に鉄炮をぶっ放した孕石主水は相変わらず豪快な風貌だったが、今日は大人しく長教の脇に控えていた。


「ようやく会えてうれしいぞ」


「今宵は今生のお別れと思い、うかがい申した」


普段とは違って伏し目がちに語りかける氏真に長教は物静かに答えた。


物言いは丁重だが、同時に何物にも心を惑わされる事はないという静かな覚悟がその声音ににじみ出ていた。やはり調略に心を動かす事はなさそうだ。


「……やはり、そなたとはこのまま一生敵味方に別れたままでおる他はないのか」


しばしの沈黙の後氏真は口を開いたが、その言葉にはもはや長教を口説き落とそうという下心は感じられず、ただ別離の悲しみだけが伝わって来た。


長教は氏真の言葉に心を動かされたようだったが、その問いには答えず別なことを口にした。


「それがしは義元様の戦いを続けるのみでござる」


「……父上の戦いをか……」


「御意……」


静かにそう告げる長教に氏真は絶句し、氏真に従う者たちも言葉がなかった。弥三郎も長教の言葉を信じられなかった。


十年数年も前に主君の義元を桶狭間で討たれた事を恨みに思って信長と戦い続けているのか。それが長教なりの武士の意地なのか。弥三郎はそれを言葉として受け止めることはできても、名状し難い不可解で異様なものを感じた。


「そなた、長篠のいくさの事は聞き知っておろう。織田と徳川は日の出の勢い、勝てぬぞ」


長教は氏真が悲しげに言い聞かせるように話すのを静かに聞いていたが、黙然として答えなかった。その顔は反発も、怒りも、何の感情も表していなかった。


代わりに孕石主水がぼそりとつぶやいた。


「我らは長生きし過ぎたのでござる」


そうか、長教たちは桶狭間の戦いで義元が討たれた時から死に場所を求めているのか。弥三郎は少しだけ長教の胸中が分かったような気がした。


鳴海城を守っていた長教は井伊直盛や松井宗信のようにその場に駆け付けて義元の後を追って討ち死にすることができなかった。だから殉死の代わりに死地に身を置いて戦い続けて来たのだ。


長教は桶狭間の戦いの後も義元の首級と引き換えに開城するまで鳴海城を守り続け、駿府に戻る途中で刈谷城を襲って水野信近を討ち取った。


信玄と家康が今川領に同時に攻め込んだ時は、一旦武田勢に奪われた駿府館を小勢で奪い返した。北条氏政が信玄と同盟して氏真への支援を打ち切るまでの間、あの精強な武田勢の攻撃を防ぎ切った。


信玄が織田徳川との戦いを始めてからは最前線の小山城を死守しようとしてきた。


長教は義元の後を追う気持ちで、死ぬまで信長との戦いを続けるつもりなのだ。もはや勝敗は関係ないのだ。武田方にいる今川旧臣の中にも同じ想いを持つ者が多いのだろう。


戦国の世の厳しさと悲しさが冷たい炎で焼き付けられるようで、弥三郎は胸が痛かった。


「どうしても退けぬか」


悲しげに問う氏真に長教はもう言葉では答えず、うなずいただけだった。


「そうか…ならば!」


氏真はそう言うと腰の脇差を素早く抜いた。


突然の事に皆が身動きもできずにいると、氏真は烏帽子を外して自分の髻をつかみ、脇差で切り落とした。氏真の髪はほどけて肩にかかった。


「余はそなたたちと戦う事はできぬ。そなたたちが退けぬなら余が退こう」


氏真は脇差を鞘に納めるとそう言って弱々しく微笑んだ。


「御屋形様……」


長教も目を潤ませたが、心を惑わすまいとしているらしく、口を固く引き結んだ。


「五郎兵衛、主水、これが今生の別れじゃ。最後に我が想いを込めた歌を聞いてくれ」


氏真はそう言って別れの長歌を詠み始めたのだった。



「……繰り返すなる事もやと、問はんとすればいなずまの……」


弥三郎がこれまでの事を振り返っている間にも、氏真の詠唱は続いていた。


「光の内に宿りつつ、身をたのむなるはかなさの……」


氏真の歌がよどみなく続くのは、日頃からの想いを歌にしているからなのだろう。


「……ただつらつらと、さし向かう、鏡に映る時の間の、影をまこととしたいつつ……」 


弥三郎はまたこぶしで涙をぬぐった。自分は去年の上洛以来はしゃいで見せる氏真のうわべだけを見て浮かれていたのか。


「我よ人よといたずらに、争う物を、誰と定めん……」


しかし、氏真は独り密かにこんな事を思っていたのだ。弥三郎は氏真の内面の苦悩など考えもしなかった自分が悔しく悲しかった。


「忘れては慕うもはかな、世の中のお、うつつも夢の、昔かたりをお……」


これで全て終わった。今川家の再興はもうかなわぬ夢となった。


一度は敵味方に分かれた旧臣たちが再び駿府に集まって昔の苦労を懐かしく語り合うことも、もはやない。


そして岡部長教も孕石主水も、武田に従っている今川旧臣たちはいずれみな死ぬのだ。


「……これで終わりじゃ」


「お歌に込められた御屋形様の想い、しかとこの胸に刻み申した」


氏真と長教は静かに語り合ったが、今生の別れの悲しみを見せまいとする二人の言葉にはかえって悲壮な響きが感じられた。


「これにてお別れにござりまする。では」


長教は最後に深く一礼し、孕石主水も黙然として丁重に一礼すると二人は静かに立ち上がってその場を去った。


長教たちが引き連れてきた騎馬武者たちも去り、密やかな馬蹄の音が遠くに消えた後には失意の氏真主従が残された。


弥三郎は黙っていることができなかった。


「御屋形様、それがし口惜しゅうござりまする……」


「済まぬな、弥三郎。済まぬが余は、マロは軟弱者故、五郎兵衛たちを殺して駿河を奪う事はできぬようじゃ」


「悔しゅうござりまする……」


「済まぬな。しかしマロはもう決めたのじゃ。今まで我が今川家のために余りに多くの人が死んでしもうた。マロはこれ以上今川のために人が争って死ぬのを見とうない……そなたたちの仕官先はできる限り世話をする。家康にも頭を下げて路頭に迷わぬようにいたす故、こらえてくれ」


氏真は子供をあやすように弥三郎を諭したが、弥三郎はただ泣くばかりだった。弥太郎と三郎兵衛はただ悲しみをこらえていた。


氏真主従がいる空き家の周囲では物音ひとつ聞こえず、ただ冷たい月だけが静かに見下ろしていた。



追善に 普門品 懐旧

迷はめや思ふ心をまほに揚て弘き誓の海渡る舟(1―416)


世中は 何をうつゝと 白露の 結ひもとめぬ 月日にて 

うつり過ぬる 秋の露 をきては忍ひ むは玉の 夜はすからに 

思ひねの 夢にもあはぬ きし方の 程なく年は 

くれ竹の 同よなから あふ事の 境ことなる うらみのみ 

ありその海の なみかけて 鳴や千鳥の あとをさへ 

つけぬ余に 木からしの 森のこのはの 朽やらぬ 酬はつるに 

そきぬには くりかへすなる 事もやと 問はんとすれは 

いなつまの 光のうちに やとりつゝ 身を憑むなる 

はかなさの 数は数にも こゆるきの いそかぬ齢 

ふる雪の ふしの煙と きえかへる 思ひをいはば 

中〱に あさはかならん あさましと 心ひとつに 

うらみ侘 只つら〱と さしむかふ 鏡にうつる 時の間の 

影をまことゝ したひつゝ 我よ人よと いたつらに 

あらそふ物を 誰とさためむ(1―417)


忘てはしたふもはかな世中のうつゝも夢の昔かたりを(1―418)


詠草研究から今川氏真の実像について、昨年五月『評伝今川氏真 みな月のみしかき影をうらむなよ』について書きました。


本作は一年半くらい握っていたものですが、今日はツイッタラーワールドでの「氏真オンリー」の日ということで、投稿します。


サガラは氏真が牧野城を去るに至った経緯が作中の「懐旧」の長歌に詠われていると考えます。


なお、この見解は既に『評伝今川氏真 みな月のみしかき影をうらむなよ』に書きましたが、詠草研究シリーズ第三弾としても近日公開予定です。




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