9
「あれはなんの檻だ?」
「ペンギン」
「じゃあ、あれは?」
「シロクマだ」
二匹は土産屋を漁り、それが終わると近くにあった自販機を壊して、年代物の缶飲料を拝借すると、それを飲みながら、異臭漂う動物園の中を散策し始めた。
さっさと帰ってしまっても良かったが、土産屋を漁っているうちに二匹は檻から漂ってくる異臭に慣れはじめ、せっかくだからと動物園内を回ってみることにした。
缶飲料の中身と同様に檻の中身は腐っていたが、それでも前時代はどの様な生物が檻の中にいたのか、親切なパンフレットを眺めながら見てみると、中々興味深かった。
メリスに文字を読んでもらいながら、バムはまるで幼い子供が父に色々と五月蝿く聞きまわるかのように檻を指差しては、どんな動物が入っていたのかを聞く。
「じゃあ、あの岩山が檻の中にあるのは?」
バムが少し遠くの檻を指差してメリスに聞いた。
その檻は他の簡素な作りの檻とは一風変わっていて、檻の中に岩山やジャングルジムなどがあり、今見ていたペンギンやシロクマ用の檻は、腐った水が溜まりに溜まった異臭を放つ檻よりは、まだ清潔そうだったので興味がわいた。
だが、そのジャングルジムは風化のせいで、今にも壊れそうな音を少し強い風が吹くたびに不気味に鳴らしていた。
「あぁ。お前と同じ奴だよ」
「なんだよ、それ」
「ニホンザルさ、ニホンザル。ほれパンフレット見てみ、よく似てるだろ。・・・違うって、それはジョイブだろ。奴はオランウータンだ」
メリスはバムにパンフレットの中に掲載されている動物の写真を見せて、どうにも物覚えがあまりよろしくないバムに、丁寧にどれがどれだか指を差して親切に教えてくれた。
だが、どうにもバムにはシロクマとペンギンの違いはわかったが、いまいちニホンザルとオランウータンの違いがよくわからなかった。
どちらも自分と同じ茶色い毛をしているではないか。
確かに体格は自分と違うし顔色も違うが、きっと体格が違うのは食べ過ぎで、顔色が違うのは体質なのだろうとバムが言うと、メリスはバムを小馬鹿にするような笑い声をあげ、パンフレットを愉快そうに手のひらでパンパンと叩いた。
「色々といるんだな」
「今は居ないがな」
2匹はパンフレットを畳むと少し疲れたので、近くのベンチに腰掛けて、また年代物の缶飲料を胃へ流し込んだ。
バムは先ほど土産屋で見つけたぬいぐるみを、背中に括りつけて背負っているので、少し座りにくかったが、思いっきり背中に力を入れて座ると、熊の愛らしいぬいぐるみが苦しそうな音を出しながら押しつぶされる。
果たしてナンシーが、押しつぶされたぬいぐるみを欲しがるかどうかは疑問だが、今のバムにはそんな事より、快適さが必要だった。
そして、メリスがズボンから先ほどの煙草を取り出し、一本バムに渡すと、小汚いライターを取り出して、何度かフリント・ホイールをカチカチ弄っていたが、油がもう無いのか、中々火がつかない。
次第に火がつかないことに苛立ったのか、メリスは悪態をつきながらライターを力いっぱい地面へ叩きつけた。
それを横で見ていたバムはてっきりライターが壊れてしまうと心配になったが、意外と小汚いライターは丈夫だったらしく、軽い音を立てただけでそれをバムが横から拾い上げて、再着火してみると火は簡単に点いた。
よく見てみると、どうやらフリントの位置が悪かったらしいようで、今メリスが叩きつけたおかげで良くなったらしい。
火が点いたのでメリスは機嫌を直し、先に自分の煙草に火をつけると、次にバムが口にくわえた煙草に火をつけてくれた。
「しかし、ここがもし健在だったら、動いてる奴を見たかったもんだね」
「そうか?俺は嫌だね。別に集落か何かにでも行けば、たくさん見れる。二足歩行だけどな」
「それは獣人だろ?俺は動物を見たいんだ」
「何が違うんだよ」
二匹は紫煙を漂わせながら、特に意味のない話に花を咲かせた。
バムとしては、現在腐臭しか漂ってこない檻の中に、動物がいるのならどんなに素晴らしいかと語るが、メリスとしては、自分らと同じような連中が檻の中にいる姿を見るのは、とても不思議な感覚であり、またどこか言葉で言い表せないような、不気味さを感じるのである。
そして、煙草が燃え尽きると、二匹はよく揃った動きで、ベンチから腰を上げた。
いい寄り道ではあったが、少々時間を掛けすぎてしまった気がする。
そろそろワゴンに戻ったほうがいいであろうと、元来た道を戻ろうとした二匹の耳に、突然鉄に何か叩きつけるような音がした。
それを耳にした瞬間、即座に二匹はその場に身を伏せる。
いや、身を伏せるというのは丁寧すぎる表現で、実際は音が聞こえた瞬間にメリスがバムを張り倒す形で乱暴に地面に突っ伏せた。
その音が鳴ってからしばらく二匹は伏せていたが、その音が銃声や何か攻撃的な音でないことがわかると、メリスはゆっくりと銃を構えながら立ち上がり、辺りを見回した。
バムは地面に強か打ち付けて痛む顔面をさすりながら、立ち上がってメリスと同じように辺りを見回した。
「なんだ?」
「...銃声ではないな」
「俺ら以外に誰かいるのか?」
「わからん」
せっかくの動物園観光で高揚していた気分が、今の音と打撃で台無しにされ、バムはいささか不機嫌になりながらも、音の発生源を探す。
「鳥か?」
「檻にぶつかったのか?間抜けすぎるぜ」
バムの問いをメリスは吐き捨てるように一蹴すると、こっちから音が聞こえたバムに言って、散弾銃を構えながらゆっくりとその方向へ歩きだした。
すぐにそのメリスの後ろからバムも、短機関銃を構えつつ適当に距離をとり続く。
立ち並ぶ檻の隙間を縫うように2匹は進み、しばらくして音の発生源と思われる檻へたどり着いた。
音は二匹が進んでいる際にも連続的に鳴っていたので、発生源を突き止めるのは容易であった。
「なんだよ。あれ」
そう呟いたのはメリスだった。
二匹の前に設置されている檻は、先ほど見てきた大きな檻と違って、二匹の身の丈の倍ほどある箱の一面に鉄格子になっている箱のような物だった。
しかし、別にその様な檻は二匹にとって見慣れていた物であり、問題はその中身であった。
「…人間か?」
「正確には人間だった物だな」
二匹の目の前にある箱は、別に何も珍しくはないのだが、メリスはさも驚いたように、その言葉を口にした。
バムにとっても別に珍しい響きではないし、現に先ほどのガソリンスタンドで、年老いてはいたが、同種である人間を見ていた。
だが、その人間は明らかに先ほど見た者とは違う。
それは勿論年齢やら、外見などの違いはあるだろうが、そのような基本的な違いとは別次元な物をソレは持っていた。
髭が異様に長く、一体いつ手入れをされたかはわからないが、ボサボサの長髪を垂らし、顔は垢と痣でとても黒く、ソレはまるでボロ雑巾のような外見をしていた。
「ひでぇなぁ…」
そうメリスは吐き捨てるように言った。
バムも同様の感想だった。
ソレは二匹を前にしても、こちらには何の興味もないかのように、宙を見ては口を白痴のように開けている。
いや、実際に白痴なのだろう。
ソレは人類戦線の軍服を着ていたが、軍服は汚物で汚れていた。
そして軍服に付いていたのであろう階級章は、檻の鉄格子の一つに掛けられていて、その階級章の横に丁寧に軍隊手帳が掛けられている。
まるで、二匹が今まで見てきた動物の檻を見ているような気分だった。
だが、今度は先ほどの中身が無い檻と違って、しっかり中に動物がいる。
しかし、ソレを動物と言っていいものなのか、二匹は複雑な心境になりつつも、軍隊手帳を眺めた。
「ジャック・メイソン…階級は軍曹・・か」
「人類戦線の生き残りだな。…ガソリンスタンドの奴の同類だ」
「奴はまだ獣人好きだったろ?」
「…変態だったけどね」
二匹がそんな会話をしていても、檻の中の人間は全く興味を示さないようだった。
「獣人に捕まったんだな」
「捕虜って具合か」
「いや、見せ物だな。これじゃぁ…いったいどれぐらいの期間入れられてたかわからないが、こりゃぁもう逝かれてるぜ」
二匹は悲しげに、過去の栄光から引きずり落とされた種族に、同情の念を持った。
軍隊手帳に記されているのが事実ならば、ソレには家族が何人かいて、こことは遙か西方の地に故郷があるらしい。
「何か食い物でもやれば良くなるかな?」
「よせよ。こうなっちまったらもう救いようがねぇや」
「しかしよ。幾ら何でもこいつが哀れだよ」
「こいつを救うには食い物なんて高価な物はいらねぇよ。・・・バム。拳銃貸せよ」
そうメリスは吐き捨てると、バムのズボンのポケットから拳銃を取り出して、弾を確認して撃鉄を起こした。
「おい、メリス」
「いいんだ。これが一番なんだよ…。お前だってこんな風になっちまったら、食い物より鉛玉の方を喜ぶときが来るだろうさ」
彼の言葉に対して、バムは何も反論できなかった。
現に今までだって、ソレのようになってしまった奴は大勢見てきた。
戦争経験者である二匹にとっては珍しくもない光景であったが、不意にこんな出来事に出くわしてしまったバムには、衝撃的であった。
一瞬の静寂を置いて、一発の銃声が鳴り響いた。
二匹はその後、これ以上の探索を打ち切って、その場を去ることにした。
後味はとても悪かったが、一応ぬいぐるみなどのそこそこの土産ができたとそれなりに喜んだ。
元来た道を戻り、車を飛ばすと、周りのジャングルは徐々に薄くなり、辺りは草原が広がり始めた。
一応道路を走っているのだが、コンクリートの隙間から生えた丈の長い草が、車体に引き倒される。
「山羊面のワゴンまで後どのくらいだ?」
「2・30kmかな。飛ばせばすぐさ」
相変わらず車内ではメリスが煙草を吹かしている。
その紫煙は開け放たれた窓から、逝き老いよく飛んで行き、一瞬ではあるが殺風景な景色に色を添えた。
「機関銃に弾薬・・・それとぬいぐるみ、あのケチンボどのくらい寄越すと思う?」
「使った弾薬の半分と・・運が良ければ煙草ワンカートン。悪ければ、弾薬無しで、半カートン」
「まぁ、そうだろうな」
相棒はそう苦々しげに言うと、吸っていた煙草を灰皿に押し込んだ。
ハンドル脇にある灰皿はもう吸い殻で満杯になっていて、今にも溢れだしてしまいそうだった。
その辺に捨てれば済む話なのだが、吸い殻というのは、素晴らしい足跡の役割を果たしてくれる。
本来足跡は雨などで消えるのだが、捨てた吸い殻はしっかりとそこに残る。
普段から誰かに後を付けられるような事をした覚えはないのだが、回収業者をやっていると、良い獲物を求めて、盗賊などが追ってくる場合があるのだ。
現に向かしメリスの捨てた吸い殻で、死にかけたことがある。
その為、吸い殻は少なくとも移動中は必ず灰皿に捨てるようにと、メリスには言っている。
だが、そう言っても彼がそれを守ることはあまり無いことだったが。