第3話:私も恥ずかしいのですよ
「池之端口です」
幕末の広大な寛永寺の門前に位置する、不忍池を認める場所に侯彦はシルバーゴーストを停めた。
白嶺にドアを開けてもらい、上野の地に足を下ろす。
「う…」
私はたまらず口を押さえた。
「大丈夫ですか、叶花さん」
白嶺の手が私を支える。
個人的にはあまり来たくなかった場所。
宮城の鬼門の抑えによる禍々しい邪気。
そして、それを上回る彰義隊士の怨念。
1868年の、新政府軍と彰義隊士の上野の戦いの跡地は、新政府により幾年も供養されずにうち捨てられ放置された者たちの無念が残っている。
「大丈夫よ」
私の表情を見て、白嶺はしばし目を瞑り、目を開けると私の肩を抱いて進み始めた。
「百嶺ずるいぞ…おっと」
武史が白嶺に睨まれ肩をすぼめた。
歩き出した私たちに侯彦は無言でついてくる。
「時間がありません」
私はハンカチーフで口元を押さえて、支えられながら急ぐ。
西郷像を横目に道なりに進む。
12月の夕刻とはいえ、人を見かけなくなってしまった。
北の玄関口、動物園もある公園だ、妙な胸騒ぎがする。
静まり返った林の中。
上野の戦いでも被害を受けなかった。恩賜動物園内の五重の塔の前を通り…
「どうされました叶花さん」
白嶺が立ち止まった私に訝しむ。
「いえ…なんでも」
私は首を振って、歩を進めると、徳川の世でなくなり、色褪せたままにされる権現造の建物が見えた。
唐門の両脇に広がる透塀の龍のレリーフ、昇り龍と降り龍が…
(…いない…)
左甚五郎作と言われる精緻な龍のレリーフが姿を消していた。
「バカな。龍の彫刻がない…」
侯彦が声を上げる。
「叶花さん。彫刻が不忍池に水を飲みに行くという都市伝説は聞いたことがあるがこんなことあり得るわけがない」
「そうね、私にしても予想外です」
「叶花さん!危ない」
白嶺が私を庇うように覆いかぶさってきた。
「がぁ!」
顔を胸に埋められ視界が遮られると白嶺にしては珍しい叫び声が聞こえた。
「ど、どうしたの?」
巨大な何かが大空へ舞い上がった気配を感じる。
背中に回した私の手にヌルリとした熱いものを感じる。
(血?)
「白嶺!」
「叶花!」
武史の叫びに、私は白嶺が庇う腕越しに空を見る。
夕日で朱に染まった雲海に黒雲が混じり合い、地上に暗い影を落としていた。
此の世のモノとは思えない色彩だった。
雲間にエメラルドとサファイアの鱗の胴が見え隠れする。
「龍…」
侯彦が嘆息する。
「あの龍ども!」
私は武史の吐き捨てる言葉を聞きながら、白嶺を地面に座らせる。
「だらしねえな。白嶺!」
「武史!白嶺は私を庇ってくれたのよ」
「ふん!」
「白嶺、大丈夫?」
「問題ありません。私のことはご存じでしょう」
「わかっているけど、血が…」
「直ぐに止まりますよ」
「西園寺様。申し訳有りません、叶花さんを頼みます」
言葉を失っていた侯彦に白嶺が声をかける。
「直ぐに追掛けますんで」
「え、しかし…」逡巡する侯彦に、白嶺は私を押し出した。
「…あれは、青龍の眷属にすぎません。青龍を探します」
後ろ髪を引かれる思いだけど、私は一度白嶺に振り返ると侯彦と武史に目配せしてそう言う。
「しかし、どこに?あの龍も襲ってきますよ」
侯彦は龍を心配そうに見ている。
「来る!」武史が後ろを確認する。
林の間を器用に縫ってエメラルドの龍鱗を輝かせる龍が、目にも追えない速度でこちらに向かって来た。
私は、侯彦に抱え上げられた。
「ちょっ、ちょっと…」
「大丈夫です。羽毛のように軽いですよ」
そういうことじゃないんだけど…
全長20メートルはあるだろうか。私の背丈ほどもある頭部の顎が開かれる。
木に隠れた程度では盾にならない。へし折られる。
「追いつかれます」
侯彦は咄嗟に横抱きから、私の頭を庇うように抱くと地へと身を投げる。
ゴロゴロと転がりつつ、横を
ズワァァァァアアァァァァと大きく速いものが通り過ぎた音が聞こえた。
「すみません、怪我はありませんか?
侯彦は直ぐに起き上がると、私の手を引いてくれた。
私は頷くことしか出来なかった。
「叶花どうする?俺がアイツラを押さえとこうか?」
武史が忌々しそうに龍を見つめていた。
たしかに、このままでは青龍を見つけられない。
今度はサファイアの龍が上から身体をくねらせて降ってくる。
「叶花!やるぜ!」
「わかったわ。お願いします」
武史はその場で跳び上がると、人あらざる高さで龍の角に取り付いた。
そのまま、龍を地面に叩きつけた。
地響きを上げ、猛烈な砂塵が舞い上がる。
「侯彦さん、あそこへ」
呆ける侯彦を引っ張る。
今の衝撃で動物園の外と内を隔てる木製の透かし塀が吹き飛んでいた。
園内に入ると、直ぐに巨大な建造物の五重塔が目に入る。私は侯彦さんと共に中に入った。
扉は施錠されていなかった。
飛び込んで扉を閉める、灯りのない世界、暗闇に閉ざされた。
シュッ
ポォウっと燐寸を擦って火を灯す。
「叶花さん。煙草吸われるんですか?」
「吸いませんよ。こういうときのために用意しているんです」私は薄く微笑んで応える。
燭台にあった大きな蝋燭に火を移していく。
建物内は18畳程度、中央に心柱がそびえ、その周囲には四方仏が配されていた。
時計回りに東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来…
なんだろう、違和感がある。
「これからどうしますか」
「少し待ってください。結界を張ります」
「結界?叶花さんは探偵ではないんですか?」
「まあ、簡単な呪符結界なので…」
私はそう言って四方の扉に呪符を貼っていく。
「あの龍、何が起こってるんですか?それ以前に夕夏乃に何が起こり。そして何故ここに来たんですか?」
「…そうですね。夕夏乃さんは東京駅で新たな平川の青龍に出会ったんです」
「は?」
「東京駅のレリーフ配置から、新たな四神が生まれた。その中でも青龍は平川にいた青龍の生まれ変わりだと思います」
「難しくて何を言われているのか…」
侯彦は困惑する。
「うーん。東京駅のせいで龍が復活しました。その龍に夕夏乃さんは見初められてしまった」
「言い換えても、あまり変わらない気もしますが…夕夏乃が何故?」
「波長が合ったのでしょう。
先祖、祖先まで遡ると何か見えるかも知れませんが…
話を進めます。復活した龍は子供で、養分を欲して夕夏乃さんから生気を吸いあげているんです。
でも、普通の人間である、夕夏乃さんでは全然足りず、夕夏乃さんはあのような姿に」
「夕夏乃は一年も生気を吸われていたのか!」
「その夕夏乃さんから、生命力が吸いだされている経路を辿って来たのがここになります」
「なんでこんな場所に…それにあの龍は!」
「ここは、江戸の鬼門を抑えるための地として天海が設けた要の地。抑えられた悪霊、怨霊。そして多くの無念が集まっていた場所です。
そういう悪しき霊気を吸い上げているのでしょう。
あの龍は、私たちが来たことで自らを護る眷属を使役していると思われます」
「そんな力があるんですか?」
「逆に護らせるということは自身には身を守る力がないのかも知れません」
侯彦は頷いた。
「さて、件の青龍ですが…ここにいそうですね」
「え!ここに?」
侯彦は周囲を見る。薄暗い初層は
「最初にここの前を通ったときに違和感がありました」
「ここ…ということは、最上階にでも?」
「いいえ、五重の塔は五層の屋根をもつ平屋ですよ。五階層の部屋はなく、この部屋の上は屋根を支える張りがあるだけです」私は笑ってしまった、。このような認識の人のほうが圧倒的に多いのだけど。
「こほん、ではどこにいるんですか青龍は」
私は南の扉に視線を向ける。
「南ですか?東でなく」
「青龍は東。ですね」
「まあ、東にしか行けない生物なんてないでしょうけど…生物でもないですが」
「この塔の位相を故意に変えた人がいるみたいです」
「え?」
「心苦しいのですが、抱えあげて頂けますか?」
私は扉の前まで歩くと、侯彦さんにお願いする。
「ええっ?」
「私も恥ずかしいのですよ、今は侯彦さんしかいないので…」
「わ、わかりました」
侯彦さんは、私の腰へ手を回すと、そのまま捧げるように持ち上げてくれる。
私は暗い扉の上の桟を覗き込むと、そこにはヤモリのようなヘビのような小さな青い生き物がいた。
私はそれを逃さないように捕まえる。
どのみちこの部屋からは逃げられないのだ、既に結界は張ってある。先程の結界は室内に対するものなのだから。
「こ、これが青龍だっていうんですか?」
「そうです。夕夏乃さんと悪霊の生気、霊気では育てなかったみたいです」
「こ、こんな小さなものが夕夏乃をあんな姿に!」
私の手から、奪い取ろうとする手を私は払いのける。
「叶花さん。何故」
「これでも神なので…何か有れば現世に支障が出ますよ」
「神?」
「最も今は悪霊や怨念に塗れてるみたいですけど」
「夕夏乃、夕夏乃は助かるんですか?」
「直ぐには無理ですが、この子から生気を夕夏乃さんに返すようにします」
「どうやって」
「先ずは帰りましょう、白嶺も武史も心配です」
「わかりました」
侯彦は一瞬私を睨むような素振りを見せるが従ってくれた。
「ああ、それと、釈迦如来様と薬師如来様の位置を変えてください。位置が逆ですから」
「逆?東と南が?ああ、そういう…位相の逆転か…」
***
「叶花さんお疲れさま」
「叶花お疲れ」
外に出るとすっかり暗くなった上野の森で、白嶺と武史が直立して待っていた。
「白嶺大丈夫?武史も」
「私は大丈夫ですご心配おかけしました」
「なんかおまけみたいな言い方だな叶花」
「だって、心配するような事にならなかったんでしょ?」
「当然だ、叩き落としてやったが、さっきレリーフに戻っていったよ。
「よくやってくれたわ、ありがとう」
「あ!」
「叶花さん」
「叶花」
二人は突然抱きついてきた。
私は、二人の背中に手を回しトントンと叩いて労を労った。
◇◇◇
「また来たんですか?西園寺様」
「とらやの羊羹を持参いたしました」
朱緋に迷惑がられつつも、侯彦はお土産を見せて懐柔を図る。
「良いわね、お通しして」
奥から聞こえた叶花の声が自分の鼓動を早くしたのを意識しつつ、叶花の本屋と見紛う事務所に足を入れる。
「どうぞ」といって朱緋に羊羹を渡すと、朱緋は右手の奥へと姿を消した。
「夕夏乃さんのご容体は如何ですか?」
「姿は17歳に戻りました、多少大人びた様子ですが、ですがまだ身体は思うように動かせないようです」
「養生させてあげて下さい」
「勿論です」
上野から戻り、数日が経つと夕夏乃は少しずつ皺が取れ、肌に瑞々しさが戻っていった。
方法は聞いていないが、叶花さんによって青龍から生気?を夕夏乃に戻してくれたことに間違いはないと侯彦は理解している。
「どうぞ」
朱緋がお茶と切り分けた羊羹を皿に乗せてテーブルに置いていく。
「ありがとうございます」
白嶺と武史、そして朱緋もソファーに腰を降ろす。
侯彦は切り分けられた羊羹が一つ多いことに気付く。
そして見たことなない子供が叶花の背もたれの後ろから出てくると、叶花の膝の上に陣取った。
「あの、叶花さん。そちらのお子さんは?」
叶花は“ん?”という表情をするとこう言った。
「蒼紫です、私の子です」
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