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98話:嫌ですわ!!

「引っ越しって……住まいを変える事、ですわよね?」


 レタリアは少し不安そうに、ミレアの顔を覗き込んだ。

 かつて異世界の公爵令嬢として巨大な屋敷に住み続けていた彼女には、当然ながら「引っ越し」の経験など一度も存在しない。言葉として意味を知っている、という程度のものでしかなかった。


「そう、その引っ越しよ」


「何故ですの? わたくし、あのお部屋をとても気に入っておりますのに!」


 レタリアが現在与えられている部屋は、お世辞にも広いとは言えなかった。ベッドと小さなソファ、ローテーブルに椅子が一脚、そして壁際に簡素なキッチンスペースを備えただけの、かなり手狭な空間だ。

 だが、見知らぬ星の海へと放り出された彼女が、生まれて初めて「自分の力で生活し、慣れ親しんだ」愛着のある防空壕のような空間でもあった。


「気に入ってくれたのは喜ばしいことなのだけど……レタリア、あなたが今住んでいる区画は、本来は管理局の『保護区画』なのよ」


 ミレアの言葉に、レタリアは初めてこのセルディア宇宙自治区へ訪れた日のことを思い出した。

 あの時、隊長のグレインが「身元が保証されるまで保護するための場所だ」と言って案内してくれたのが今の部屋だった。一室だけの閉ざされた空間、通路には似たような開かない重厚な扉がいくつも並び、共有のシャワー室があるだけ。そんな冷たい隔離区画の一角で、彼女は一人きりで生活をスタートさせたのだ。


「これまでの度重なるゴタゴタで先送りになっていたけれど、今のあなたはセルディアにとって欠かせない存在。それに、一応は私の身内(妹)として籍を置いているわけだからね。『保護区画に住まわせるには用途も異なっていますし、相応しい場所へ住まわせてください』って、管理局から正式に要請が来たのよ」


 ミレアの説明を聞いて、引っ越しのまっとうな意図自体はレタリアにも理解できた。しかし、やはり慣れ親しんだあの狭くも落ち着く自室を離れるのには、小さな抵抗があった。


「嫌ですわ! ……と言ったら、どうなりますの?」


「ダメ」


「嫌ですわ!!」


 精一杯のワガママを並べて抵抗してみたものの、結局は引っ越しをする運命となったのだった。


 ◆◆◆


 場面は変わり、レタリアの現在の自室。


「はい、これが引っ越し用の自律Bot。このコンテナに荷物を詰め込んでいくの。端末で指示を出したら、自動で最適化して収納してくれるから」


 後ろについてきたミレアの淡々とした指示に従い、レタリアはしぶしぶ私物をBotへと詰め込んでいく。

 最初はあれこれと文句を言っていたレタリアだったが、この進んだ科学世界のシステムには逆らえないものがあることも、これまでの経験でちゃんと理解していた。

 この世界に落ちてきた時に着ていた美しいドレスも、その後ソラたちが用意してくれたたくさんの大切な私服たちも、Botの金属製コンテナの中へ吸い込まれるように綺麗に収納されていく。


「これは……」


 レタリアの指先が、小さな布の包みで止まった。

 彼女の掌にあるのは、故郷の侍女・キアラが託してくれた手紙、そしてバイオ農場でも見事な大輪を咲かせていた、フルーアの種の入った小さな袋だった。


「そこまで大きなものでなければ、Botに入れずに自分で持って行っても良いわよ」


 彼女の心情を察したミレアが、そっと優しい声をかける。レタリアは愛おしそうにその包みを胸に抱きしめ、顔を上げた。


「では、これはわたくしがこの手で持っていきますわ!」


 元々、最低限の物しか置いていなかったレタリアの部屋である。すべての荷物を運び出すのに、大した時間はかからなかった。


 二人は無機質な保護区画を後にし、エレベーターで二階層上のエリアへと移動した。

 電子音と共に扉が開く。


「ここが、あなたの新しいお部屋がある区画よ」


 案内された場所は、これまでレタリアが訪れたことのない、非常に整然とした空間だった。しかし今までの白く味気ない金属製の通路とは違い、壁面にはまるで木目のように落ち着いた、シックで温かみのある装飾パネルが貼られている。


「なんだか……不思議なところですわね」


「ここはきちんとした管理局居住区よ。セルディア管理局の高官や、シンセ社を含む提携企業の役員クラスが利用するエリアね」


「あら。ということは……ミレアのお部屋もここにありますの?」


「ええ、そうね。ここのすぐ近くよ。ここから歩いて二分もかからないと思うわ」


 そう言いながらミレアがさりげなく横に視線を送る。そちら側にも通路が長く続いており、その奥に彼女のプライベートスペースがあるのだろう。

 それを聞いたレタリアの顔が、一気にパッと明るくなった。


「それはとても良いことですわね! 毎日でも遊びに行って差し上げますわ!」


「え、それはちょっと……困るというか、私の部屋を見ても全然面白くないわよ。……その、ちょっと服とかも散らかったりしているし」


 いつも完璧でクールなミレアが、珍しく少し焦った様子で視線を泳がせ、早口で話題を切り替える。


「そんな事より、ほら、あなたの部屋の前よ。既にBotも先回りして到着しているから、中に入りましょう」


 電子ロックの前に佇むBotを示され、レタリアは期待に胸を膨らませながら、真新しい新たな部屋の扉へと向かった。

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