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34話:鉄を切り裂く剣も、岩を砕く拳も……この世界には存在しませんのね

 その日の朝、レタリア・アーデニアムはクローゼットの前で腕を組んでいた。

 鏡に映るのは、この世界の「カジュアル」な装いに身を包んだ自分の姿だ。


 上は清潔感のある白いカットソーに、薄手のショートジャケット。下は動きやすいデニム生地のショートパンツに、レギンスを合わせている。そして何より重要なのが、その特徴的なダークパープルの長い髪をすっぽりと隠す、深めのキャスケット帽だった。


「……ふむ。なかなか新鮮な装いですわね。まるで異国の旅人のようですわ」


 レタリアは満足げに頷くと、数時間前のミレアとのやり取りを思い返した。


 ◆◆◆


【回想】


「……そう、今日は居住区に行くのね」


 デスクでホログラムモニターを指先で弾きながら、ミレアが言った。


「そうですわ。ミレアもたまには息抜きが必要ではなくて? もしよろしければ、わたくしが――」


「私は今日は仕事なの。また今度ね」


 誘いの言葉を言い切る前に、ミレアにぴしゃりと断られてしまった。レタリアは少しだけ唇を尖らせたが、ミレアは構わず言葉を続ける。


「それから、先日の宣伝出演のこともあるから、しばらく居住区に行くときは服装に気をつけなさい。バレないようにね」


 あの大騒ぎになったプロモーション映像は、今やセルディア中のモニターで流れている。


「外ではいい子にするのよ。分かったわね?」


「まーたそうやって子供扱いして! わたくしはこう見えても、アーデニアム家の……」


「はいはい。私から見れば、あなたは手のかかる子供みたいなものよ」


 ミレアは視線すら上げずにそう告げた。

 

 「もうっ!」

 

 そう言って不満を表すが、最近のレタリアはこの扱いに妙な心地よさを感じ始めていた。


「全く、ミレアには敵いませんわね」


 ◆◆◆


【回想終了】


 管理局区から一般居住区へと繋がる高速エレベーター。

 その重厚な扉が開くと同時に、目の前に広大な光景が広がった。


「いつ見ても、壮観ですわね……」


 全長15kmにも及ぶ巨大居住区、セルディア。

 多重構造となったフロアの遥か下方まで、無数の家屋や店舗の明かりが星の海のように瞬いている。管理局区という特権的な場所から一歩外に出れば、そこには何百万人もの人々が息づく巨大な社会があった。


 レタリアは今日、あえて今まで足を踏み入れたことのない場所を目指すことにした。

 彼女が向かったのは、以前から使い方を調べていた、居住区を環状に走る「リニアカー」のプラットフォームだ。


 滑り込んできた銀色の車両に乗り込み、座席に腰を下ろす。

 ガタン、という微かな振動と共に、車両は滑らかに加速を開始した。


「……っ!? まあ! なんて速さですの!」


 窓の外を流れる景色が、瞬く間に光の帯へと変わっていく。

 これまでマキナを操り、高速戦闘を行ってきたレタリアだったが、受動的に「運ばれる」という体験において、このリニアカーの速度は驚異的だった。


「馬車とは全然違いますわね……。魔力も使わず、ただの鉄の箱がこれほどの速度で走るなんて。やはりこの世界、あなどれませんわ」


 窓に張り付くようにして外を眺めるその姿は、傍から見れば物珍しさに目を輝かせる少女そのものであった。


 ◆◆◆

 クラフト地区


 リニアカーを降りたレタリアは、第12セクターにある「クラフト地区」と呼ばれる場所にいた。

 そこは、セルディア内の工業製品や家具、日常雑貨を修理・製造する職人たちが集まる、少しばかり古風で活気のある街並みだった。


 歩いていると、広場の中心でちょっとした人だかりができていた。

 見れば、数人の職人風の男たちが、大きな金属製の搬送コンテナを前に頭を抱えている。


「弱ったな。ロックが噛み込んで、手動じゃビクともしないぞ。大型の解体レーザーを持ってくるには時間がかかるし……」


「中の資材をすぐに取り出さないと、今日の作業が止まっちまう。誰か力自慢はいねえか?」


 男たちの困り果てた声に、レタリアはひょいと首を突っ込んだ。


(わたくしの世界では剣や斧で切り出せる方が居ましたわね)


 かつての世界であれば、騎士が一閃するだけで鉄扉など紙のように切り裂くことができたし、熟練の冒険者なら素手で岩を砕くことすら珍しくはなかった。

 しかし、このセルディアに生きる人々は、そういった力はなく、肉体的な限界を道具や機械で補うことに特化している。


(鉄を切り裂く剣も、岩を砕く拳も……この世界には存在しませんのね。なんだか、不思議な感覚ですわ)


 自身の知る当たり前が存在しない世界。それは、マキナの操縦席で生死を賭けて戦うレタリアにとって、非常に奇妙で、それでいてどこか温かい事実に思えた。


 しばらくその様子を眺めていたレタリアだったが、ふと、横にいた幼い少年が自分の顔をじっと見つめていることに気づいた。


「……? なにかしら、坊や」


 少年は目を丸くして、レタリアの顔と、手元の端末に映っている映像を交互に見比べた。


「……ねえ。お姉ちゃん、もしかして」


「な、なんですの」


「『暴走令嬢』じゃない……?」


 その声は、静かな広場によく通った。

 周囲の人々が一斉にこちらを振り返る。


「えっ、暴走令嬢!? あのプロモーションの?」

「ほら、あの髪! 佇まいもそっくりじゃない?」


「ひっ……!?」


 レタリアは顔を引きつらせた。

 ミレアの忠告を思い出す。「バレないようにね」。


「ま、間違いですわ! わたくしは、ただのしおらしい通りすがりの乙女ですわよーっ!」


 レタリアは叫ぶなり、脱兎のごとく駆け出した。

 幸い、ちょうどプラットフォームにリニアカーが滑り込んでくるところだった。


「間に合ってくださいまし!」


 レタリアは閉まる扉の隙間に滑り込んだ。

 車両が加速し、追いかけてこようとした野次馬たちが遠ざかっていくのを見て、レタリアは座席に崩れ落ちるように座り込み、深く吐息を漏らした。


「……あ、危なかったですわ。ミレアに怒られるところでしたわ」


 キャスケット帽を深く被り直し、レタリアは流れる夜景を見つめた。

 魔法も、鉄を断つ剣もない穏やかな世界。けれど、そこには自分を「暴走令嬢」と呼んで追いかけてくる、騒々しくも生気に満ちた人々がいる。


「……次は、もっと完璧に変装しなくてはなりませんわね」


 変装の失敗を反省しつつも、レタリアは満たされていた。

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