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25話:お休み、わたくしの教育係  

 プリシラ・ハレヴィを見送り、ステーション「クラネア」の擬似夜景が灯り始めた大通りを、レタリアは一人歩いていた。

 先ほどまでの騒がしいマーケットの熱気は冷め、人通りも疎らになっている。頭上の磁気レールを走るコンテナの駆動音だけが、等間隔に響いていた。


 ふと、レタリアは足を止める。

 この世界の「時間」の概念には、まだ完全に慣れたわけではない。だが、少しの足の疲れが、休息の必要性を告げていた。


「……そういえば、わたくし、今日はどこで眠ればよろしいのかしら?」


 セルディアでは、ミレアたちが用意してくれた居住区の一室があった。だが、ここは未知のステーション。勝手が違う。

 そんな不安を察したかのように、手首のブレスレットが正確なタイミングで震えた。


『――レタリア。もう夜よ、探索は満足したかしら?』


 モニターに映るミレアは、相変わらず無機質な空間である「ラボ」の中にいた。


「ミレア。ちょうど良いところに。……視察は概ね終了いたしましたわ。ですが、一つ問題が発生しましたの」


『問題? 何かトラブルにでも巻き込まれた?』


「いいえ。……この地には、わたくしが止まる『宿屋』が見当たりませんのよ。わたくし、野宿をするつもりはありませんわよ?」


(宿屋……?)

 ミレアは一瞬考える。


『ああ、ホテルのことね』


 ミレアは呆れたように肩をすくめた。その表情には「やっぱりね」という色が透けて見える。


『やっぱり宿泊先を確保していなかったのね。……安心なさい、私が事前に手配しておいたわ。今からナビゲートを送るから、そこへ行きなさい』


「あら。用意周到ですわね。礼を言いますわ」


『ふふ、どういたしまして。あなたのような「お姫様」のために、クラネアでも最高級のベッドがある部屋を用意してあげたわよ』


「……お姫様ではありませんわ! わたくしは公爵令嬢ですの!」


 元気よく言い返しながらも、レタリアの心は少しだけ温かかった。自分では気づかなかった細かな生活の基盤を、遠く離れた場所から支えてくれる存在。それがミレアだった。


 ◆◆◆


 ナビに従って辿り着いたのは、クラネアの中心部から少し離れた、静かな居住エリアに建つ高層ホテルだった。

 先ほどまで見ていたマーケットの「ごみごみとした」雰囲気とは一線を画す、洗練された白磁の壁と自動扉。

 フロントでブレスレットをかざすと、自動音声が優雅な声でレタリアを歓迎した。


「お待ちしておりました、レタリア・アーデニアム様。最上階のスイートルームへご案内いたします」


 エレベーターを降り、重厚なドアが開く。

「……まあ」


 レタリアは思わず感嘆の声を漏らした。

 そこは、セルディアで与えられていた機能的だがいささか手狭な部屋の、倍以上の広さがある空間だった。床には深みのあるカーペットが敷かれ、壁一面の透過ガラスからは、クラネアの鉄の街並みが光り輝く星の海のように見下ろせる。


『気に入ったかしら? 私たちシンセ・フィブラの人間がクラネアに出張するときは、ここを経費で使っているのよ』


 通信を繋ぎっぱなしのミレアが、少し誇らしげに語る。


「けいひ……?

 へぇ~……。ミレアたちも、ここを使うのですのね。ふふ、ようやくわたくしの身分に相応しい場所を見つけたようですわ」


 レタリアは柔らかいソファに身を沈め、大きく息を吐いた。

 護衛依頼での緊張、初めてのクラネア探索、そしてプリシラとの出会い。凝り固まっていた体が、高級ホテルの静寂に解けていく。


 ◆◆◆


 シャワーを浴び、備え付けのガウン(これまたセルディアのものより肌触りが良い)に着替えたレタリアは、寝台の上で再びブレスレットを操作した。

 時刻は深夜。だが、通信の向こう側の景色は、数時間前と変わっていなかった。


「ミレア。あなた……まだ、その『ラボ』におりますの?」


『ええ、そうよ。護衛任務で得られたアーデンの戦闘データ、ちょっと他のデータを照合しているの。これが終わらないと、明日のスケジュールが組めないわ』


 画面の中のミレアは、コーヒーを啜りながら、淡々とキーボードを叩き続けている。


「……あと、どのくらいかかりますの?」


『そうね……あと三時間くらいかしら。その後、一時間だけ仮眠して、朝の定例会議に出るわ』


「まあ!」


 レタリアはわざとらしく、しかし本気で呆れたような声を上げた。


「あなたいつも、そういう事をしておりますわね! お休みなし、夜更かし、乙女としてのたしなみが決定的に足りませんわよ! 美しさを保つには、良質な睡眠が必要であると、わたくしの教育係キアラも口を酸っぱくして言っていましたわ!」


 ミレアは手を止め、うわ……という顔で画面を凝視した。


『……ちょっと。それは私の勝手でしょう。私は研究者なの。データが新鮮なうちに処理するのは義務なのよ。あなたも無茶しているでしょう、私には何も言え……』


「いーえ! いつもわたくしに小言を言い、規則正しくしろと仰るあなたが、それを守っていないのは教育上良くありませんわ! 言行不一致ですわよ!」


 レタリアは画面に映るミレアに身を乗り出し、指を差して追及する。


「それとも、なんですの? また以前のお休みの時のように、『フリフリピンクの素敵なドレス』を召して、わたくしと一緒に街を歩いてもらいますわよ? 今度はクラネアの大通りで、わたくしの侍女として引きずり回して差し上げますわ!」


『……っ!!』


 ミレアの動きが止まった。

 以前着せられた、あの気恥ずかしいフリフリのドレス。その記憶は、冷静沈着なミレア・イチノセにとって唯一の、そして最大の弱点だった。


『……わ、分かったわよ。わかったわ。……今すぐ、シャットダウンするわよ』


「おーっほっほっほ! 分かればよろしいんですわ! さあ、今すぐにお眠りなさいな!」


『ええ、そうするわよ。おやすみなさい、お姫様』


「お姫様ではありませんと言っていますでしょう! ……おやすみなさい、ミレア」


 通信が切れる。

 静かになった部屋に、レタリアの微かな笑みが残った。


 ◆◆◆


 レタリアは室内の照明を落とした。

 天井が透き通り、設定された「人工夜空」が映し出される。それはセルディアから見るものとは違う、もっと遠い、けれど確かな輝きを放つ星々だった。


(……不思議な方ですわね、ミレアは)


 利用し、利用されるだけの関係だと思っていた。

 けれど、こうして遠いステーションで独り眠りにつくとき、彼女の声が聞こえるだけで、自分を縛る「孤独」という名の重力が少しだけ軽くなる気がした。


 レタリアは目を閉じる。

 沈んでいく意識の中で、懐かしい香りが鼻を掠めた。

 それは、この鉄と火花の世界には存在しないはずの、初夏の花の香り。


(……キアラ……)


 夢の中に現れたのは、厳しい顔をしながらも、優しく髪を梳かしてくれる侍女の姿。

「お嬢様。背筋を伸ばしてくださいませ。貴女は、どこへ行ってもアーデニアムの誇りなのですから」


 そう。わたくしは、公爵令嬢。

 たとえ、どれほど遠い星の海に放り出されたとしても。


 レタリア・アーデニアムは、安らかな寝息を立て始めた。

 クラネアの夜は更け、人工の星々は彼女の眠りを守るように、静かに瞬き続けていた。

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