狂った世界の話なら、舌から始まる愛もあるでしょう
ねぇ、ねぇ、と甘える声に、カティはため息を零す。
現在の彼女の状態を端的にいうと、ソファーに押し倒されているところだ。恋人でも何でも無く、ドールとして世に存在する元凶。ある種『父』ともいうべき主、魔人セドリックに。
もっとも彼は、父にも主にもなりたくないのだろうと、カティは思う。
唯一無二の、近いもので言うなら恋人だ。
ドールを恋愛対象にするなど、不毛にも程があると思うが。
だが、カティはそんな主を好ましいと思う。
そうあるべきと彼や誰かに命じられたわけでもなく、ただ純粋に。
自分に甘えるようにしているセドリックの、柔らかい頭髪を指に絡めた。存分に感度を高めた彼女の指先は、僅かなものでも拾い上げられる。あぁ、彼の髪はとても綺麗だと思う。
「ねぇ、カティ」
彼女を組み伏せたままの、彼が言う。
「ボクのために、料理作ってくれない?」
「構いませんが」
「あ、えっと、今じゃなくてさ……その、次のボディね、味覚ありにしようと思って」
「……高い、のでは?」
「うん、すごく高い、高かった。だけどボク、夢に見ちゃったから。カティがね、早起きしてボクのために料理作るの、朝ごはん。それがうれしくて、うれしかったから、だからね」
身体を浮かせ、上から覗き込むようにして、セドリックは。
「ボクのために毎日、料理を作ってください」
そんな、異国において求婚する時のよくあるセリフを、音にした。
■ □ ■
かたん、と手元で音がなる。
とんとんとん、とそれはリズムよく連なっていく。
今日の朝ごはんはスープとパン、野菜。それからソーセージだ。
スープは塩や胡椒でさっと味をつけたシンプルなもので、サラダはレタスなどの葉物野菜にカリカリに焼いたベーコン、今日は気分がいいので半熟の卵もつけてみよう。
ふりかけるドレッシングは自家製だ。
カティはもちろん、セドリックもシンプルな味付けを好む。複雑で高級感のある料理は仕事先で食べることが多いし、だからこそ家くらいはあっさりとした普通のがいいという感じだ。
パンも手作りだが、これは別に珍しいことではない。
街なら朝早くからパン屋が店を開けてくれるが、ここはあいにく田舎だ。
家で食べるものはできる限り家で、というのが基本である。
幸いにも材料なら事欠かないし、こねるなどの作業もドールなら苦にもならなかった。
ソーセージは、現在フライパンの上でじゅうじゅうと音を立てて焼かれている。少しコゲるくらいがセドリックの好みだ。ベーコンほどではないが、カリカリした食感が美味しい。
これには、特性のソースを作ってかける。
サラダがあっても、若干の偏食傾向であまり野菜類をとらないセドリックのため、ソースなどは極力野菜を使うようになった。しかし、仕事が立て込んでくると、寝る間は惜しまないが入浴や食事がてきめんに不規則になってしまうから、いろいろと考えることは多い。
まぁ、風呂は楽だ。
防水完備のカティが一緒に入れば、喜んでついてくる。
女子としてのメンタルを持つ身からすると、それでいいのか、という疑問はそれなりに浮かんでこなくもないのだが、主の体調管理の前に年頃の女子が持つべき恥じらいは軽い。
――そもそも恥じらっても意味がありませんしね。
日々のメンテナンスで裸など見られまくりなのだから、今更だ。
一緒に風呂にはいるだけで機嫌がいいのだから、きっと安いことだろう。それにセドリックは基本的にカティの世話を焼きたがり、風呂でもそれは変わらないので……まぁ、あれだ。
お姫様扱いは、悪くない。
「……味付けはこんなかんじでいいですね」
小皿にスープを少し注ぎ、味を見る。塩分は程よく胡椒の辛味もちょうどいい。それと相互に引き立て合う野菜の甘みが少し足りないが、煮込み具合が甘いだけだろうと思われる。
続いてスプーンでソースをすくい、味を見る。こちらもあとは煮詰めてからもう一度という出来栄えだった。食べる直前に味見をして、最終的な味付けはその時に考えよう。
この舌は味という愛情を感知する力がある。それが持つ力をフル稼働して、カティは今日も彼のために、彼が望む料理を作る。約束は、いつしか彼女の『したいこと』になった。
――わたしがそうしたいから作っているんです。
何度か料理を作った後にそういった時の、わけがわからず唖然とした顔も、それからじわじわと湧き上がった喜びの顔も、それらすべてがカティにとっては忘れられない大事な思い出。
あぁ、そんな彼のことを、きっとカティは愛している。




