プロローグ 帰る星
「メリル、お願い。お願いだから戻って来ないで」
妻の声が震えていた。
通信画面の向こうでは、大勢の人々が避難船へ殺到している。妻の腕には、まだ幼い娘がしがみついていた。
「今、そっちに向かってる。あと少しだ」
「間に合わないの!」
メリルは答えなかった。
故郷の惑星が、操縦席の正面に見えていた。その上空には巨大な天体が迫り、軌道上の艦隊が一斉に砲撃を浴びせている。無数の光が天体の表面で弾けていたが、その進路は変わらなかった。
「パパ、お土産買ってきた?」
娘が画面に顔を近づけた。
「ああ。青い魚だ。お前が欲しがってたやつ」
「ほんと? 早く帰ってきてね」
メリルは操縦桿を握り直した。傍らには、青い魚が泳ぐ小さな透明な箱が置かれている。
「すぐ帰るからな」
妻が何か言おうとした、そのときだった。彼女の背後で人々が一斉に空を見上げ、次の瞬間、通信が途切れた。
「おい……? 聞こえるか!」
呼び直しても、つながらない。
メリルは船をさらに加速させた。航法装置が危険を告げる警報を鳴らしていたが、速度を落とす気にはなれなかった。
やがて、惑星の表面が白く光った。
光は大陸を覆い、海を越え、夜の側へと広がっていく。メリルは声を上げようとしたが、喉からは何も出なかった。
直後、船体が大きく揺れ、娘への土産が床に転がり落ちた。透明な箱が割れ、内部に投影されていた青い魚がふっと消えた。
メリルはそれを拾うこともできず、目の前の惑星を見つめていた。
何度も妻の番号を呼び出したが、応答はなかった。
しばらくして、通信機が雑音混じりの音声を拾った。
『……惑星防衛司令部より、残存する全船舶へ。天体の軌道変更に関与した艦艇群は、レオル・アーデン率いる勢力の所属と確認された……』
メリルは顔を上げた。
レオル・アーデン。その名前は知っていた。星間諸国に影響力を持つ政治指導者で、商人のメリルも彼の動向には注意を払っていた。
『……繰り返す、レオル・アーデンの指揮下にある艦艇群が……』
そこで音声が途切れた。
メリルは聞こえた名前を、船の記録装置に打ち込んだ。
そのとき、操縦席の片隅に取り付けられた黒い装置が光り始めた。
父から船を譲り受けたときから、そこにあったものだ。用途も分からず、一度も動いたことがなかった。
何が起きたのか確かめる間もなく警報が鳴り響き、船体が軋んだ。窓の向こうでは、星々の光が奇妙に歪み始めている。
メリルは慌てて装置に手を伸ばしたが、その指が触れるより早く、視界が暗闇に包まれた。
*
目を覚ましたとき、船は見知らぬ宙域を漂っていた。
メリルは痛む頭を押さえながら航法装置を操作した。現在位置を確認しようとしたものの、表示された年代を見て手が止まった。
ステルヘイム暦2026年
故障を疑い、古い星図を呼び出して周囲の恒星配置を照合する。しかし、何度確かめても、その時代の記録と一致していた。
メリルは故郷の惑星を検索した。
そこには、失われたはずの星があった。
まだ誰にも壊されていない、青い惑星が。
メリルは画面に手を伸ばした。
あの街も、家も、娘が遊んでいた公園も、まだ存在しない。それでも、青く輝く星から目を離せなかった。
妻の声が耳に残っていた。
「お願いだから戻って来ないで」
メリルはしばらく画面を見つめていたが、やがて記録装置を開いた。
【レオル・アーデン】
あの男が率いる勢力によって、妻と娘は命を奪われた。なぜ故郷が狙われたのか、メリルには分からない。
だが、あの男なら理由を知っているはずだった。
メリルはその名前を消そうとして、指を止めた。
そして、記録を閉じた。
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『まだ星は輝いていた』は、長編スペースオペラとして連載していきます。
次話から本編が始まります。




