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チャプター08 エルフの隠れ里

 エルフの隠れ里の街に入った瞬間、ボクの足が自然と止まった。

 これが現実だという重い事実は、今は傍に置いておこう。

 そんな決意をしても、目の前に広がる光景への感動は抑えきれなかった。

 巨大な樹木の幹に直接彫り込まれたような家々が、まるで生きているかのように枝葉を広げている。

 ファンタジーの世界から飛び出してきたようなツリーハウスの数々に、ボクは思わず口を開けて見上げてしまった。

 その一方で、元々現実世界に存在していたのだろう、ひび割れたコンクリートの建築群もちらほらと大通りの左右に並んでいる。

 蔦が絡まり、所々崩れかけた壁面が、300年というこの世界の歴史を物語っていた。

 咲良さんと並んで、その不思議な調和を見せる大通りをゆっくりと歩き始める。

 石畳の道は所々苔むしていて、一歩踏み出すたびに柔らかな感触が靴底から伝わってきた。


「エルフがいないんですね?」


 通りを行き交う人々を見渡しながら、ボクは首を傾げた。

 すれ違うのは皆、普通の人間ばかり。

 尖った耳を持つ者は一人として見当たらない。

 エルフの隠れ里という設定上、当然ここにはエルフが多く住んでいるはずだった。

 ロストアビスではプレイヤーが選択できる種族は人間だけだったから、エルフは全てNPCノンプレイヤーキャラクターとして存在していた。

 なのに、視線を巡らせても、特徴的な長い耳を持つ種族の姿はどこにもない。


「ああNPCノンプレイヤーキャラクターな。情報災害(インフォギュラリティ)最初期に全て経験値稼ぎに狩られたらしいぞ。今は実際の人間しか住んでねぇな」

「……!」


 咲良さんの淡々とした口調とは裏腹に、その言葉の重さにボクは息を呑んだ。

 そうか、これは現実世界なのだ。

 ゲームの中ならば、NPCノンプレイヤーキャラクターキラーには厳しいペナルティが科せられる。

 そんなプレイスタイルでは、まともにゲームを楽しむことなどできなくなる。

 でも、ここは違う。

 生き残ることが全てで、楽しむ必要なんてない世界。

 たとえNPCノンプレイヤーキャラクターキラーとしてアカウントに善悪値(カルマ)が蓄積されようとも、経験値を得て、レベルを上げて、少しでも生存確率を高めるために──そんな選択をした人々が、かつて大勢いたということなのだ。

 そう思ってよく見れば、街の雰囲気も随分と違うことに気づいた。

 ゲームの中では、NPCノンプレイヤーキャラクターの他にはプレイヤーしかいなかったから、それこそ剣や槍、派手な鎧を身に着けたアバターがひしめき合っていた。

 しかしここでは、麻や綿でできた簡素な服を着た人たちが通りを行き交っている。

 咲良さんのような軽装でさえ、この街では異質に見えるほどだ。

 戦闘を行えるような格好の人間は、ボクたち以外には見当たらない。

 脇道に目を向けると、薄暗い路地の奥には身なりの汚れた人たちがうずくまっていた。

 ボロボロの布を体に巻き付け、壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。

 路上生活をしている人たちだろうか。

 ゲームでは決して描かれることのなかった、この世界の現実がそこにあった。

 そして何よりも違和感を覚えたのは、彼らの態度だった。

 すれ違う人々は誰一人として目を合わせようとしない。

 ボクたちの姿を認めると、さっと視線を逸らし、足早に道の端へと避けていく。

 その動きはまるで、危険な獣から身を守ろうとする小動物のようだ。

 ボクよりも咲良さんに向けられる視線には、明らかな畏怖の色が混じっていた。

 途中、同じ制服を着た集団とすれ違った。おそらく警官か軍人だろう。

 しかし彼らもまた、一般の住民と同じように道を譲り、咲良さんから目を逸らしていた。


「気にするな。住民のほとんどは未覚醒者(イノセント)だからな。潜行士(ダイバー)は基本は怖がられるんだよ」


 咲良さんは住民たちの態度など一切気にしていない様子で、まっすぐ前を見据えたまま言った。

 その横顔には、この状況に慣れきった者特有の無関心さが浮かんでいる。

 未覚醒者(イノセント)──また初めて聞く単語だ。


未覚醒者(イノセント)ってのは彼らのことですか? ボクたちは特殊なんですか?」

「まずステータス画面が出現する奴っての少ない。それが出なければジョブにもつけないし潜行士(ダイバー)にもなれねぇ」

「なるほど……」


 塵界にはジョブの発現しない人もいるのだ。

 それも大勢。

 街中を見ていても、ボクや咲良さんのような格好をした人はほとんどいない。

 おそらく潜行士(ダイバー)と呼ばれる存在は数が少ないのだ。

 

潜行士(ダイバー)未覚醒者(イノセント)の間には、力の差がありすぎる。未覚醒者(イノセント)にとっては最弱モンスターすら、倒すのが難しい。それをあっさり倒せるあたしらがビビられるのも当然だな。ま、その最弱モンスターに挑んで怪我して気絶した潜行士(ダイバー)もいるが」

「その件はすみませんでしたよっ!」

「うしし」


 咲良さんの悪戯っぽい笑い声に、ボクの頬が熱くなっていくのがわかった。

 耳まで赤くなっているに違いない。

 視線を逸らしながら、首筋を掻いてごまかそうとするが、咲良さんの楽しそうな表情は変わらない。

 だって仕方ないじゃないか。ゲームの世界が現実と混ざり合った未来だなんて、誰が想像できるだろう。

 目が覚めたらいきなり見知らぬ場所に転移していて、それをすんなり受け入れろという方が無理な話だ。

 普通の人間なら、まず現実を疑うに決まっている。

 咲良さんと並んで歩きながら、ボクは周囲から向けられる好奇と畏怖の入り混じった視線に肩を縮めた。

 通りすがりの人々が、ボクたちを見ては小声で囁き合い、慌てて目を逸らす。

 その度に背中がむず痒くなるような感覚に襲われるが、これも仕方がないことなのだろう。

 潜行士(ダイバー)である以上、この視線からは逃れられない。


「少し店の外で待ってろ」

「あ、咲良さん! ちょっ、ちょっと!」


 慌てるボクを尻目に、咲良さんはボクをおいて店内に入ってしまった。

 急に手持ち無沙汰になる。

 知らない場所で、一人きりというのは心細いものだ。

 ボクがこうして立っているだけで、通りを歩く人たちが、恐る恐るこちらの様子を伺うのも気持ちが悪い。


「咲良さん、早く帰ってきてくださいよ〜……あれ?」


 ボクが咲良さんに恨み言を呟いていると、ふと前方に小さな人影が目に入った。

 薄汚れた麻の服を着た、おそらく三歳から四歳くらいの少女だ。

 小さな手で涙を拭いながら、不安そうに首を左右に振っている。

 誰がどう見ても迷子だった。

 思わず踏み出そうとした足が硬直する。


 もしここで、動いたらきっと周囲の視線が集まるだろう。


 潜行士(ダイバー)のボクなら尚更だ。それにあの女の子自体を怯えさせてしまうかもしれない。

 震え出す手を強く握り込む。

 こんなことにすら、ボクは──。


「なんだ、迷子か? まずいな。ここら辺は少しガラが悪い」

「咲良さん!」


 いつの間にか咲良さんが買い物した荷物を抱えて、ボクの横で眉を顰めていた。

 驚くボクに気がつくこともない。  


「行くぞ、凪」

 

 咲良さんがあっさりと一歩を踏み出した。

 少女の元まで歩いていくと、咲良さんはその場にしゃがみ込む。

 視線の高さを合わせ、できるだけ威圧感を与えないようにしているのだろう。

 突然目の前に現れた咲良さんに、少女は小さく身を震わせた。

 大きく見開かれた瞳には、驚きと恐怖が入り混じっている。


「どうした? 困ったことでもあったか?」


 顔全体をくしゃくしゃにするような、不器用な笑顔だった。

 整った美貌には似つかわしくない表情だが、どこか温かみを感じさせる。

 ボクはその場に立ったまま、二人のやり取りをじっと見守っていた。


「おかあさんが、いなくなっちゃった……」

「そうか。一緒に探してやる。お母さんはどんな人だ?」

「とてもやさしいの!」

「くくく。優しいのは見た目じゃあわからねぇなぁ。髪は長いのか?」

「うん、ながいよ! とっても長いちゃ色のかみ!」


 咲良さんは膝を折って少女の目線に合わせると、不安そうな表情を浮かべる少女から巧みに情報を引き出していく。

 いつものヤンキー風の口調は変わらないのに、声のトーンが心なしか柔らかい。

 少女も最初は身を固くしていたが、咲良さんの雰囲気に安心したのか、小さな手で咲良さんの袖をぎゅっと掴んだ。

 やがて咲良さんは立ち上がると、ひょいと少女を持ち上げて肩車をした。

 少女が小さく歓声を上げる。

 高い位置から辺りを見回せるようになった少女の顔に、ようやく笑みが戻った。


「凪、いくぞ。こうして歩いてりゃ、母親の方から見つけるだろ」

「は、はい!」


 ボクは慌てて咲良さんの隣に並んだ。

 咲良さんの肩の上で、少女がきょろきょろと周囲を見渡している。

 小さな手が咲良さんの頭をしっかりと掴んでいるのが微笑ましい。


「知っている建物あったら教えろよ?」

「うん! 今度はあっちにいってみよ!」

「はいはい」


 少女が指差す方向へと歩きながら、咲良さんは時折少女を揺らして笑わせている。

 そんな光景をみながらしばらく経った頃、少女がボクの方を向いて話しかけてきた。


「きん色のおねえちゃんと、もう1人のおねえちゃんはだいばーなの?」

「いや、見た目は女の子……かもしれないけれど、心は男でね」

「こんなチビに対してまで何言ってんだ? いいじゃねぇかお姉ちゃんで」

「ボクにだって、意地というものがですね!」

「? 男のお姉ちゃんなのね?」

「ううん……? まあそれでいいか!」

「うししし」


 咲良さんが肩を震わせて笑う。

 その振動で少女もけらけらと笑い出した。

 ボクは頬を膨らませながらも、二人の楽しそうな様子に自然と口元が緩んでしまう。


「二人ともだいばーだけど怖くないね」

潜行士(ダイバー)は怖い人が多いの?」

「うん。だから近づいちゃダメっておかあさんが。でも金と男のお姉ちゃんは優しい人だね」


 少女の無邪気な言葉に、ボクの胸がちくりと痛む。

 小さな手で咲良さんの金髪に手を乗せて、彼女は不思議そうにボクたちを見ている。

 やはり未覚醒者(イノセント)にとって、潜行士(ダイバー)は恐怖の対象でしかないのだ。

 街を歩いていても向けられる視線の意味が、今ようやく理解できた気がする。


「でも、ごはんを運んでもくれるんだって。お姉ちゃんがとってきてくれるんでしょ?」

「ああ。お腹いっぱい食べられているか?」

「うん! お腹が減る時もあるけれど、昨日はお肉入りのシチューだったよ」

「そりゃよかったな」


 咲良さんは優しく微笑む。

 その声音は、きっと今までにも何度もこうして子供たちと接してきたのだろう。

 二人の会話を聞きながら、ボクはふと疑問を抱く。

 未覚醒者(イノセント)の人たちは一体何を食べて生きているのだろう。

 エルフの隠れ里──茂原外環から出られない人たち。

 街の中を歩き回っても、田畑らしきものは一つも見当たらなかった。

 そもそもロストアビスはダンジョン内での戦闘と探索に特化したゲームだ。

 農業や畜産といった食糧生産の要素など存在しなかった。唯一あった食事に関する要素といえば──。


「咲良さん。この子たちのご飯って」

「ああ。全てモンスターの収穫物(ドロップ)だ。ロストアビスでは田畑は作れねぇ。だから潜行士(ダイバー)がモンスターを狩り、食糧収穫物(ドロップ)を収集することで、飯になる」

「……そうですか」


 咲良さんの言葉を聞いて、ボクは言葉を失う。

 なんて不安定な食糧事情なのだろう。

 未覚醒者(イノセント)は街の外には出られないため、食糧供給の全てを潜行士(ダイバー)に依存する社会構造になっているのだ。

 もし潜行士(ダイバー)が集める食糧収穫物(ドロップ)が少なければ、たちまち未覚醒者(イノセント)の人々は飢えに苦しむことになる。

 そんな綱渡りのような生活を、彼らは三百年も続けてきたというのか。


「サキ!」


 そのとき、ボクたちの背後から切羽詰まった女性の声が響いた。

 振り返ると、息を切らせた女性が立っていた。

 女の子の母親だろう。

 髪は乱れ、額には汗が浮かんでいる。必死に探し回っていたのだ。


「おかあさん!」


 少女の顔が一瞬でぱあっと輝いた。

 小さな手で咲良さんの服を引っ張り、おろしてもらうようにせがむ。

 咲良さんは優しく少女を地面に下ろすと、少女は待ちきれないとばかりに母親のもとへ駆けていった。

 母親も同じように娘に向かって歩み寄る。

 母親には憔悴の色が浮かんでいたものの、それよりも大きな安堵の表情で娘を抱きしめた。

 しかし次の瞬間、母親は少女を自分の背後に隠すようにして立ち上がり、警戒心に満ちた視線を咲良さんに向けた。

 その目には明らかな恐怖の色が宿っている。


「あ、ありがとうございました」

「ああ。会えてよかったな」

「わ、私たちにお礼できるだけの、よ、余裕はありません……」


 母親の声は震えていた。

 咲良さんの姿を見て、危険を感じ取っているのは明らかだった。

 視線は咲良さんの顔とボクの間を行き来し、こちらの出方を探るような色を帯びている。


「別に求めちゃいねーよ」

「あ、ありがとうございます。それでは失礼します」


 母親は言質はとったと言わんばかりに深々と頭を下げると、娘の手首をしっかりと掴んで、踵を返した。


「お姉ちゃんたち、ありがとう」

「おーよ。もうはぐれんなよ!」


 母親に引っ張られながらも、少女は振り返ってボクたちに手を振った。

 その無邪気な笑顔に、咲良さんは片手を高く挙げて応えた。

 声は明るかったけれど、どこか寂しげな響きが混じっているような気がした。

 咲良さんは母娘の後ろ姿が完全に見えなくなるまで、じっと立ち尽くしていた。

 ボクにはその背中がいつもより少し小さく、そして孤独に見えた。

以降は毎週土曜日夜9:00頃の投稿になります。

今後別作品も投稿していきますので、もしよければお気に入りユーザに登録をしていただけると小躍りして喜びます。

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