火傷
夜の町を、アフィはとぼとぼと歩いた。
往路の確信に満ちた足取りはすっかり消え、帰路は寄る辺ない子供そのものだった。すっかり出来上がった親父たちよりも頼りない足取りで宿に帰り、騒がしい酒場の隅を通って二階の部屋に入った。
「え」
ずっと、自分の足先ばかりを見て歩いていた。だから薄い木戸を閉め、重い体を引きずるように寝台に身を投げ出しても、すぐには気付かなかった。
やる気のない視界に映る、見たこともないような美しい曲線と白さを持った肌色が、一体何なのか。
「火傷のあと……?」
そこに、まるで地図でも描いたように大きく広がるみみずばれのような痕を見て。その横で揺れる青みがかった灰色の髪を見て。
「…………」
嫌な予感に冷や汗を覚えながら、ゆっくりと顔を上げて。
「…………」
無表情でこちらを見下ろす、アリシアと目が合った。
「――――ご!」
「ご?」
「っっごごごめん!!」
走って逃げた。
けたたましい音を立てて、全身で木戸を閉める。
ぜーはーっと全力疾走したかのように息を吐き出し、更にもっと遠くに駆けだすか、いやいやまずこの場で土下座して大声で謝罪だろうかと煩悶した時……音もなくイリシオスが現れた。
「忘れろ」
いつも以上に表情を殺して、そう言った。
「忘れろ」
二度も言った。
普段なら「お前はあいつの父親か」くらいの反論もしただろうが、今ばかりは壊れた人形よろしく何度も首を縦に振った。
それでも、現実には衝撃が大きすぎて、忘れられるはずもなかった。
脳裏では至近距離で見てしまった陶器のように滑らかな白い肌がくっきりと記憶され、目を瞑れば嫌でも鮮やかに蘇ってしまう。
しかも全く嫌でないことがまた、アフィの感情を制御できないものにしていた。
(なんっ、何なんだこれ!?)
右手で心臓を押さえ、左手で口を覆う。触れる何もかもが異常に熱い。思考が全く回らなかった。
(とと、とにかく、まずあやま)
「アフィ」
「っぅわあ!」
今度はティスだった。イリシオスと入れ替わるように目の前に浮かんでいる。
見事なほど声が裏返って、慌ててもう一度両手で口を塞ぐ。
「なっ、なんでどいつもこいつも突然現れるんだっ」
木戸の向こうに聞こえないよう、小声で叫ぶ。ティスは申し訳ないような、悪戯したくて仕方がないような顔で、「ごめんね」と同じく小声で返した。
「今まで一部屋で済ませてたけど、イリシオスがアリシアには一人部屋が必要だっていうから、後からもう一部屋無理言って融通してもらったの」
「なんで先に教えてくれなかったんだ!」
「だって、アフィいなかったじゃない」
「それは……!」
ぐうの音も出なかった。今まで三人での旅はいつも一部屋だったから、今回もそうだと勝手に思い込んでいた。ここに来るまでは、ほとんど野宿で済ませてきたから。
「……謝ってくる」
「それがいいかもね」
観念したように項垂れたアフィに、ティスが満足げに腕を組んで頷く。にやにやしていた顔はけれど、いつまでたっても復活しないアフィを慰めるように優しい苦笑になった。
「大丈夫。きっと、怒ってないから」
「…………?」
まただ。ティスは、まるでアリシアのことを何でも知っているかのように話す。
アフィと最初に会った時もそうだった。二人とも、アフィをまるで子供の頃から知っていたかのように接してきた。
(あれも……知ってんのかな)
ふと、純粋な疑問が過る。一瞬だけ見てしまった、彼女の背中の大きな火傷痕。次には、口が勝手に動いていた。
「ティスは、知ってたのか?」
「体拭いてたこと?」
「ちっがぁう!」
期待と全く違う返答に、思わず叫ぶ。しかし叫んだあとで、しまったと思った。
あんなにも大きな傷は、きっと何かしら大変な事情があったのだろう。だが女の子にとって、傷痕などきっと知られたくないことのはずだ。
(許可もなく相談するのは良くなかったか)
ティスとのいつものやり取りに、やっと冷静さが戻ってくる。アフィは頭を掻きながら意識して嘆息すると「もういい」とティスを手で追い払った。
「ちゃんと謝るのよ」
「分かってる」
「忘れろよ」
「分かってるって!」
まだ部屋に戻っていなかったイリシオスの三度目の念押しにいい加減怒鳴り返して、アフィは改めて木戸の前に向き直った。




