3: 遭遇する
「象徴とはすなわち意味であり価値だ。その先に答えがある。それがどんな形のどんなものであれ――必ず」
腰に提げた鞘に収まる聖剣が、ファスの走る衝撃に合わせて揺れる。
ベルトがぶちぎれて落ちやしないかという不安は拭いきれないが、ひとまずは安心してミルシエーラにしがみ付いていられる。いやもちろん直接がっちりホールドしているわけではなく、彼女の後ろから覆いかぶさるように手綱を一緒になってつかんでいるだけで、確かに体に接触している意味で言えば役得感はある。
しかし、変な敬語を使われているせいか、はたまたなまじっか美人すぎるせいか、ミルシエーラのことをいまひとつ異性として見れていない。頼れる同行者といった感覚だ。実にそのまんまである。
「忠志様。お疲れは出ませんか?」
「ああ、いや。大丈夫だ」
答えつつ、ちゃっかちゃっかと爪を立てて大地を疾駆するファスの背から、辺りを見回す。
村は遥か後方に消えて、今はところどころ土の露出した背の低い草原を突っ切っている。方角は俺には分からないが、北に向けて走っているのだろうと思う。特に犬は濡らした鼻で方角を悟れるというし。
走る先には峻険な山脈がそびえている。
「忠志様。峯禄山についてはご存知ですか?」
「いや。全く」
ミルシエーラは軽く頷いた。ファスは利口なので、車と違ってただまっすぐ走るだけならば、面倒を見る必要がない。地面を全く見ずにいると、唐突にある窪みを飛び越える衝撃に舌を噛むくらいか。
「峯禄山は、天の塔を遮るようにそびえる灰色山脈の一番高い山のことです」
天の塔は峯禄山の裾野、灰色山脈の盆地に建っているそうだ。灰色山脈はほとんどが岩山で、年中雨や霧が立ち込めているから名付けられたらしい。
「灰色山脈には巨大猛禽鳥や骨蜘蛛、毛虫鼠など危険な動物が多く生息しています、が。取り分け危険なものとして、灰色山脈には、死が生きていると言われています」
「死が?」
「ええ。分かっていることは、ただ、それに出会ったものは皆死んでいる、ということだけです」
また恐ろしげな伏線を撒いてくれたものだ。
こっそりとため息をついて、逆にこちらからフラグを返す。
「じゃあ、俺たちが最初の生き残りだな」
「ふふ。ええ、そうですね。忠志様なら、きっと」
ミルシエーラはいつの間にか入っていた肩の力を抜き、少し嬉しそうに応えた。
思う。
立てるフラグを間違えたかもしれない。
と、ミルシエーラが手綱を引いてファスに合図した。ファスは地面を蹴るのをやめて四足で歩き、近場の木陰に身を寄せる。
「ひとまず、ここで休憩にしましょう」
「まだ大丈夫だぞ」
「疲れてから休むのでは遅いのです。休憩は体が疲れを感じる前に取らないと、回復するのも遅くなりますから」
ずいぶんと慣れたように語り、ひらりとミルシエーラはファスから降りた。俺に手を掲げて手を貸そうとしている。少し迷ったがありがたく手を借りて、どっこらとばかりに足を上げてファスを降りる。
「あたた。鞘が引っかかった。ありがとう」
「いえ」
鐙というのはふらふらしていかん。
ミルシエーラは淡く微笑んで、ふわりと木陰に腰を下ろす。
「お座りになってください。今水をお出しします」
体に巻きつけるようにして抱えている背嚢を広げているミルシエーラを見下ろす。
彼女は今、長い茶髪をマントのしたに隠し、なめした毛皮の旅装に身を包んでいた。暗褐色のチョッキに白いシャツ、人差し指の爪ほどの赤いルビーを金細工で飾ったネックレスを下げている。ボトムスはパレオのような腰巻こそあるが、黒いカーゴパンツに履き替えている。まあ走狗に乗って走り続けるのだから当然だ。
水筒に注いだお猪口のような量の水を受け取る。口を湿らせるように舐めながら、鞘に巻きつけたベルトを探る。
「忠志様は、帯剣なさるのは落ち着きませんか?」
「そりゃあ、こんなものぶら下げるのは初めてだからな」
重さとしては本を多めに詰めた肩掛け鞄ほどだが、他にも食料や水などを詰めた袋を腰に巻きつけている。
だいたい俺の衣服そのものも、ごわごわしたシャツとやたら厚手のベスト、そしてミルシエーラのものより厚手のなめし皮で作ったジャケットを着させられ、袴のような緩いパンツに、図太い腹巻のようなベルトをつけて先の袋と鞘の下げ緒の一つを結び付けている。鞘は肩からもたすき掛けに吊っており、腰にも巻いているのは予備というか単に安定させるためだ。
象徴的な筋書きとは裏腹に、ディティールの凝った話ではある。
筋書きといえば。ファスに水を与えているミルシエーラに目を向けた。
「ミルシエーラ」
「はい。なんでしょうか」
「お前は神子とか言ってたな。どうしてこの旅についてくるんだ? 危険だろ、たぶん」
「どうしてもなにも、私は初めからそのために神殿を奉り申上げていたのです」
「それは……役職、というか、家系? 使命のようなものか?」
「そう、ですね。神子を奉じたときより私は勇者様のお供として在りましたので」
神職のようなものか、と予想を立てるが、その割には少し違和感がある。
信仰を血肉の一部として暮らす者独特の、非信仰者視点では少々超越した合理性を基準に置いているような物事の考え方をしている。しかしその割には、信仰者視点から考えようにも思想が見えない。
「ああ、そうだ。思い出した。崇め奉る神のない神殿を祀る神職が居るわけがない。というか、神の居ない神殿はおかしい。ミルシエーラ、お前はなにを奉っているんだ。なぜに使命を奉じるんだ」
「なに、と申されましても……ただ、魔王を対抗する勇者様にお仕えすることは、当然ではないでしょうか」
ミルシエーラは俺の疑問がさっぱり分からないという顔で困惑していた。
確かにな、彼女の言には納得できるものがある。世界を滅ぼす魔王がいて、対抗しうる勇者がいるなら、その勇者を支援するのは当然だろう。
しかしどこか、腑に落ちない。
胸焼けでもしているような、喉に小骨が引っかかったような、微妙なもどかしさが胸を満たす。
「そろそろ参りましょう、忠志様。夕に差し掛かるまでに進めるだけ進んでおかなければ」
「ああ」
ファスは呼ばれもせずに這うように体を寄せて、片目だけでじっとこちらを見つめる。本当に賢い。
馬上いや犬上から手伝ってもらって再びファスにまたがり、ミルシエーラの背に身を寄せる。手綱の簡単な合図だけで、ファスは再び身をくねらせるように走り出す。
足のしたで躍動するファスの力感を足で感じながら、考える。
状況も、展開も、筋書きという作為の影が見える。
ミルシエーラ、お前は、何者だ。
赤く染まり始めた空の果てに、天の塔は黒くそびえている。
「ファス」
ミルシエーラはファスに声を掛けながら手綱を引いた。先ほどと同じように、ファスは足を緩めて立ち止まる。
「そろそろ夜営の支度をしましょう」
「ああ、分かった。でも」
「どうされました?」
「いや、夜営なんてしたことがないから、何をしたものかと思ってな」
「それでしたら、私がお教えいたします。一緒にやりましょう」
ミルシエーラの手伝いをするような形で、夜営の準備をする。とはいえ、やったことと言えば、燃えやすそうな燃料を集めたり、石を拾って竈を作ったり、燃え移らないよういくらか草をむしったくらいだ。寝床はない。
食料だと思っていた木の実が、潰して絞った油に火をつけるものだとは思わなかった。盗み食いしなくてよかったと思う。
そうこうしているうちに日が沈んでいたらしく、辺りは夜になっていた。
明日は日の出前から出立するというので、食事を取ったらすぐに眠るつもりだ。
「食事ができましたが……どうされました?」
「ん、ありがとう。大したことじゃないさ」
固形スープを溶かしたポタージュと固めたパンが夕食だ。わざわざ貴重な水を使ってスープを作るのは、栄養バランスという意味よりも、それに浸さなければ固すぎてパンが食べられないからという側面が強い。
器の縁にパンを置いて柔らかくほぐれるのを待ちながら、もう一度、空を見上げる。とっぷりと黒一色に塗りつぶしたような夜空には、月がない。
月のない夜は、加護がない闇を――つまり、不吉を暗示する。
今夜、なにかあるかもしれないな。
「忠志様。あの……ぶしつけなことをお伺いしてよろしいでしょうか」
ミルシエーラが遠慮がちに尋ねてきた。
「もちろん。つうかそんなふうに遠慮するなよ。敬語やめちまえ」
「い、いいえ、そうは参りません。私は神子なのですから」
「……神子って、いったい、ああいや、やっぱりいい。後でいい。何が聞きたいんだ?」
「い、いいえいいえ、私などの質問より忠志様の質問のほうが! 大したことではありませんから、本当に!」
「まあまあ、順番なんて些細なことじゃないか。早く聞きなさい」
言いながら、下手にミルシエーラがへりくだるから、本当に俺のほうが序列が上のように錯覚しそうになってきている自分に気づいて辟易した。なんて単純なんだ俺は。参ってしまう。
「私は、ただ、その。勇者としてお出でになる以前、なにかしてらっしゃったのですか、と」
「ああ、そういうのか。俺はここと全く違う文化のところで一般人として慎ましく生きていたよ」
「違う文化……ですか」
「そう。日本つってな、いやそもそも日本は地球って惑星の島国で、惑星ってのは宇宙をめぐる星のことで」
言葉を重ねれば重ねるほど理解から程遠い表情になっていくミルシエーラを見て、口をつぐんだ。
「……まあ、あれだ。いろいろ効率化して、見た目は変わっちゃいるが、そう変わらんだろうなあ。いや、違うと言えば全く違うんだが」
曖昧なことを言ったせいで、ミルシエーラはますます混乱したふうな顔をしている。具体的には、と指折りしながら例示する。
「車って言って、乗ったひとが操縦するままに走狗より速く自走してくれる箱があったり」
「えっ、そんな便利なものが」
「冷蔵庫って言って、食べ物を冷やしたり凍らせたりして鮮度を守ったまま保存してくれる箱とか」
「ええっ、そんな便利なものが」
「電子レンジって言って、中に入れた食べ物を熱々に温められる箱とか」
「ええーっ、そんな便利なものが」
「エアコンって言って、空気を冷やしたり暖めたりできて部屋の温度を快適に調整してくれる箱とか」
「ええーっ、そんな便利なものが!」
「家って言って、中に入った人を風雨や外敵から守ってくれる箱とか」
「ええーっ! そんな便利なものが!」
ぱくんと口を閉じて、ミルシエーラは変な顔をした。
「家はこっちにもありますよ」
「と、思うじゃん? マンションって言って、何十世帯もの家族が住める、高い塔があるんだよ」
「えええーっ!」
ファスがハッと頭をあげた。
あまりにもいいリアクションをするミルシエーラに、声をあげて笑う。そりゃあ多少演技入ってただろうが、いちおう驚いたのは本当らしい。ミルシエーラは顔を赤らめて首を縮めていた。
騒ぎが大したものではないと思ったらしいファスは、うるさそうに顎をバツの字に組んだ前肢に乗せた。
「"でんしれんじ"と"えあこん"は本当に羨ましいですね」
「他だってありゃあ便利だぞ。車は運転したことはないけど」
パンをかじる。少しふやかしすぎたかもしれない。
「それじゃあ次はこっちの番だ。そもそも勇者だか魔王だかってのは、なんだ? 昔からいるのか?」
「はい。詳しい伝承は残っていませんが、お教えさせていただいたようなことは古くから世界に伝わっております。特に、私の村は近くに剣が安置されていたので、おそらく世界で最も詳しく伝承を残していると思います」
「そうか」
つまりは、いくら取り繕うとも、所詮は伝説上のものでしかない、と。
「魔王はどうして世界を滅ぼすのかとか、分からないか?」
「そうですね……あの天の塔は、突如高々と現れましたが、実は、あれで完全に現れたわけではないのです。完全に姿をあらわして天の塔が真に天に達したとき、大地は割れ、海は山を沈め、空は落ち、日は姿を消して、瘴気が満ち、あらゆる生き物が生きられない世界に変わる、と言われています」
「天の塔が、真に天に達したとき……?」
俺は思わず、空に視線を向けてあの高々と天に消える塔の姿を探してしまった。
当然、月のない夜の空にその姿を見つけることはできない。
「勇者が魔王を滅ぼすと、天の塔は光の柱となって掻き消え、世界は安寧を取り戻す――そう、伝えられています」
「なるほど、ね」
天の塔と言えば、思い出すことは、バベルの塔だ。
思えば、走狗のような怪獣の存在しうる異世界において、日本語が平気で通じるのは、ある意味であの塔が存在しているからかもしれない。逆説的にはあの塔がある限り、言語において意思の疎通に困ることはなかったという話だったわけだし。
そんな与太話は差し置いても、世界の滅ぶ理由だ。
本当に地球上に天突くバベルの塔が存在しうるとしたら、どうなるだろう。
当然、ねじれに耐え切れず構造的に塔が破壊されるだろう。もしも耐え切れるとしたら、慣性の法則に基づき、てこの原理もあいまって、自転に対する急激なブレーキとなる。
しかし、そもそもが天に至るほどの塔だ。
壊れて降り注ぐ質量は、隕石として世界を危機に陥らせるには十分だろう。あるいは本当に自転の速さを変えてしまうとしたら、世界が滅ぶことになんの疑問もない。
問題となるのは高さの成長スピードだが、これは天の塔が突如現れ、そのときから天辺が見えなかったのだから、相当なものがあると考えていいはずだ。
天というのがどこを指しているのかは分からないが、単純に神の世界すなわち現世の外を指しているとして、宇宙の果てを貫く長さとでも考えておく。ウン百光年彼方である。正直もう見えない時点で塔の長さはどうでもいい。
思ったよりも、ロジカルに世界の終末を迎えるらしい。
その割に対抗策が剣、というのも不思議な話だ。そもそも塔によって世界が滅ぶのに、魔王を倒せば世界崩壊が回避できる、というのも不自然ではある。
「魔王ってのは、いったい何なんだ?」
単純に考えれば、破滅そして死の象徴だ。
だが、そう割り切れない何かがある。ピースを欠いた結果、別の答えを見ているような。
「忠志様?」
ミルシエーラが怪訝そうな顔で、俺を覗き込んできた。いつの間に隣にまで回りこんでいたのだ。
思わず仰け反って驚いてしまった。
「お召し上がりになりませんと、スープが冷めてしまいますよ」
「あ、ああ、おう」
いかんもったいない、と慌てて平らげる。ミルシエーラがおかしそうに微笑んだ。
ファスは呆れたように、でかい口を開けてあくびをしている。
犬のくせに、本当に賢いやつめ。
と、見ていたら、ファスがびくりと上体を飛び起こした。
立ち上がり、周囲をうかがいながら歩いてくる。
「ど、どうしたの、ファス」
食器を片付けていたミルシエーラが、目を丸くしてファスを見る。
耳も鼻も首も、しきりに動かして、周囲を警戒している。焚き火の明かりが届く外は、暗幕が被されているかのように暗い。そこに不快な何かがあるかのように、牙を剥いてうなり始めた。
歩み寄ってきたファスに寄り添うように、全員集まって立つ。
「なんだか、嫌な予感しかしないな」
「は、はい……」
何が起こるか分からない。
武器があるのに使わないのは落ち着かない、早速抜かないと危ないか、と柄に手をかける。
しかし現代人の価値観が、危険物を易々と握ることに躊躇を生じさせた。
重たい金属板をぶつけたような低く力強い咆哮。
ファスが闇に吠え立てる。
その瞬間、まるで宵闇から染み出したように、人影が闇を掻いて現れていた。
黒紫に変色して波打った肌、腫れたような唇、隈を塗ったように黒く落ち窪んだ眼窩に、白く濁った瞳。
腫れたうえに肉がずれているのか、奇妙に歪んで膨らんでいる手足。
襤褸が風をはらむたびに煽られる、不快な甘ったるく苦酸っぱい腐臭、死臭が漂っている。
死人だ。
声帯を雑巾絞りのようにねじったままで無理矢理に声を出させたら、こんな音が出るのではないかという、怖気のするような叫びをあげて、死人は駆けてくる。
考えるまでもなく、魔王側の存在だ。
違うとしても、こんな存在そのものが罪のような冒涜的な物体を殺傷するのに、躊躇いも呵責もない。
というか、こんなものに傷つけられたら絶対に病に罹る。
「ぐっ、く!?」
剣を引き抜こうとしたが、柄が何かに引っかかって抜けない。
ミルシエーラは怯えたようにファスに体を預けて、肘から先だけで挙手するかのように、中途半端に手を挙げて固まっている。
死人はその全身を焚き火の明かりに写し、その色濃く落とされた陰影を強調するかのように、手を、爪を振り上げた。
俺はその動きを、喉の奥がつぶれそうなほどの緊張とともに、目を見開いて見つめている。
剣が、抜けない。




