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2: 帯剣する

 誰かの思惑通りに動くなんて、我慢ならない。


「それは、君がいつもしていたことじゃないのかい?」


 そう。

 自分がそれを望んでいないと分かっていながら、最期まで、やめることができなかった。

 本当の、最期まで。

 だから、俺は。




 ミルシエーラが俺を案内したのは、神殿から真っ直ぐ麓へ延長線を引いたような場所に位置する岩屋だった。

 岩山が終わり森の始まる境目付近にそれはある。壁が割れたような入り口の周りは、すでに森に埋もれている。

 入り口はそこが聖域であると主張するように、赤い紐が渡されていた。ミルシエーラが軽く手刀を切って頭を下げてから、その紐を外す。

 くりぬかれたように伸びた穴は、奥で広がっており、鍾乳洞のようなツララ状の鍾乳石や石筍(せきじゅん)が並んでいた。

 その中を、まるで道のように、というか間違いなく道になっている蛇行した岩が伸びている。五十センチ幅ほどのそれは、かすかに湿り、いかにも滑りやすそうだ。道を少し逸れれば目測一メートルの深さがある底にまで滑落するだろう。


 湿った冷たい空気が満ちる薄暗い空間を、静かに見据えていたミルシエーラは、俺を振り返った。


「この先に、魔王を打ち破ることができる聖剣がございます。その剣は勇者以外に持つことを許されないとされ、事実、未だかつて誰も抜くことができず、御神体としてただ祀られるままとなっていました」


 どこかで聞いたような話だ。

 しかしアーサー王は魔王なんかとは戦わなかったはずだがなあ。

 道の先を眺めていると、ミルシエーラが気まずそうに一歩下がった。


「この先は一人で行くほうがいいか?」

「お願いします。……私では、その、滑り落ちそうで」


 ばつが悪そうに顔を伏せたまま、恨めしそうに細い道を見ている。

 まあ確かに、滑りやすそうな道ではあるが。

 突っ立っていても仕方がない。さっさと、けれど慎重に、道を歩き始める。


 剣を抜くことが勇者の選別ということは、ここで俺が抜けなければ、勝手に終了ということだ。ミルシエーラには悪いが、その凡庸な結末は、むしろ当然の帰結と言えるかもしれない。

 勘違いし妄信した馬鹿な女と、祭り上げられるままに己の器を履き違えた愚かな男が、粋がって神話に挑み、あえなく沈黙する。

 もしくは、誰もが抜けるつまらない剣に空想を重ね、憐れな最期を迎える。

 ただの詐欺であれ、馬鹿な妄想であれ、俺が本当に勇者であることよりは、よほどありえる話ではある。

 しかし。


 道の終わりは石筍に突き当たって終わった。

 足元に、真っ直ぐな直剣が刀身の半ばほどまでを盤座に埋め、その古びた柄をこちらに差し出すように伸びている。

 その剣身はミルシエーラの語ったものとは思えない、研ぎ澄まされた輝きを持っている。


「嫌な金属光沢だ」


 意識的に顔をしかめた。俺はこういうのに胸を突かれたんだよ。

 無造作に手を伸ばして柄を掴む。

 ツカだけに。

 風化した表面の布が手の中で崩れ、湿った縫込みがひたりと指に吸い付いた。

 力を入れると、まるで鞘走りをするような音とともに、その剣はいともあっさりと引き抜かれる。

 洞窟内の薄暗さのなかにも関わらず、まるで自ら発光しているかのように、かすかな光をかき集めているかのように、その剣は青く輝いていた。


 このお膳立てが正しいなら、筋書きは、とても単純なものであるはずだ。

 古来より、首を刎ねれば災禍の象徴は潰える。

 故にこそ、剣というイメージは、剣を突き立てるという死のイメージは、筋書きの最後を飾るだろう。


「抜けたはいいが」


 さて、と戻ろうと振り返ったところで思い当たる。


「抜き身では危ないよなあ」


 うっかり手を滑らせたりしないよう、湿った柄を握り直す。


 ミルシエーラの元まで戻ると、彼女は俺の手元を見て、かすかに安堵したように表情を緩めた。

 そして俺を外に促すと、腰の布の影に隠していた巾着袋から竹笛のようなものを取り出した。

 ぴゆいっ、と鳥の鳴き声のような甲高い音が鳴り響く。大きさの割にとんでもない音量だ。笛の音は山彦のように反響しながら、遠く空まで広がっていった。


「それは?」

走狗(そうく)を呼んでいるのです」

「走狗?」


 走狗というのは、一般に他人の言うなりに奴隷のように働く者を揶揄するか、原義通り狩猟犬という意味がある言葉だが、この状況で出てくるには少々場違いな単語ではある。

 ミルシエーラは俺が理解に及んでいないことを見ると、ほんの少し焦った感じで言葉を継ぎ足した。


「私たちを乗せて速く移動させてくれる生き物です。彼らに乗らないと、とても村まで行けません」

「なるほど。つまり馬か」

「え……馬のような臆病な動物は、乗り物には適さないのではないでしょうか」

「それでも力は強いし足も速い。鍛えれば多少のことには動じない、勇敢な個体になるものいる」


 と語ってみて、ふむと顎に手を当てる。まさか馬に相当する役割を持てる動物を、家畜化しているのだろうか。するとそれはどういう動物なのだろう。

 考えていくらもすることなく、ミルシエーラが顔を上げた。

 同時に彼女の向いた方向から足音がして、茂みから巨大な影が飛び出す。

 わっと漏れそうになった声と一緒に息を呑んだ。


「これが走狗です。賢く勇敢で、力強い動物ですよ」


 走狗、というよりも狼のようだった。顔つきはシベリアンハスキーのようで、毛並みは灰色をしている。保護色の観点から考えると、本来はもっと北の動物なのだろう。

 しかし異様なのは大きさで、親しげに顎を撫でるミルシエーラの手が肘の高さにある。

 体高は一メートル半、体の長さは尾を除いても二、三メートルはある。一般的な乗用車ほどの大きさの犬が、(くつわ)(くら)(あぶみ)を取り付けられているのだ。

 しかし、普通の犬とも少し違和感がある。

 やや細く胴が引き締まり、足がすらりと長い。おそらく一般的な肉食獣のように短距離の速さで仕留めるのではなく、長い間追い回し、獲物が疲れたところを仕留めるような狩りをするタイプだ。

 本来の狼は、夜陰に乗じて視界のない草木の影から狩りをするからこそ、鼻を利かせて獲物を探るのだ。狩りかたの異なるこの走狗は、目と耳が利くのだろう。


「……これに乗るのか?」

「はい」


 ミルシエーラは轡から垂れる手綱を取って、俺を振り返った。

 その彼女に、剣を見せる。

 あ、という顔でぽかりと口を開けた。

 馬であれ犬であれ、抜き身の剣を持ったままでは乗れないだろう。


「大丈夫です」


 しかし、ミルシエーラは微笑んでうなずいた。走狗の青灰色の瞳が俺をじっと見つめている。


「勇者様なら、気をつけて乗れば、怪我しませんよ」


 走狗が嫌そうにミルシエーラを見た。

 さあ、とばかりにミルシエーラは俺に手を差し伸べている。


「ミルシエーラ。こいつに名前は?」

「はい。ファス、と言います」

「そうか。ファス」


 名前を呼ばれてファスが俺の目を見た。

 その瞳を見つめ返し、真剣に、言う。


「落としたらごめん」




 村まではだいたい三十分ほどで着いた。流れていく景色を見た感じ、平均時速は四十キロほどだろうか。軽く跳ねるようにファスは大地を駆けていった。その走りぶりはまさに、尻が痛い、といったところか。乗り慣れないと相当な苦痛になりそうだ。


 そしてその村は、高い獣防止用の柵に囲まれた田畑を長く突っ切って、用水路の水を溜めて農業と下水の二つに分かつ貯水池を越えて、木の板で作った住宅の並ぶ村だった。

 基礎は石を固めて作ってあり、窓は木枠によって組まれている。屋根の角度からしてあまり雪が降るわけでもなさそうだ。

 また窓や木の板はしっかり隙間なく加工されており、土木技術もそう低くはないことをうかがわせる。

 見たところ薪がないため、燃料は恵まれているのだろう。

 大きな家に納屋が併設されているようなこともなく、私有財産に関してはそれほど厳しい統制がなされているわけではないらしい。同時に防犯意識もゆるく、家の戸が開け放たれたままになっている家もある。

 共同体意識が強いのかもしれない。人口と比して考えると、たいへんに治安のいい村だと言える。それは裏返しに規律の存在を匂わせるのだが、為政者によるものか慣習によるものかまでは分からない。

 今はゆっくりと歩いているファスを、桶を持っている女性が不思議そうに見上げていた。

 桶を持っているということは、上水道までは完備されていないのだろうか。しかし技術力から見て、川の水という衛生面において不安の残る水源を用いているとは思えないため、おそらく井戸はあるのだろう。

 衛生といえば、家畜小屋の悪臭がしないが、運搬はどうしているのだろう。村道はファスが通れる広さがある以上、家畜を用いているだろうとは思うが、(わだち)がない。

 波打つような足跡からして、おそらくは走狗のような動物の背に括り付けて運搬しているのかもしれないが、馬車のような牽引器具なしに使うには限界がある。

 村の中で速く走らせる必要はないし、まして勇敢である必要はない。走狗とは別の、そういう労働に向いた家畜がいると考えるべきだろうか。


「勇者様」

「ん、ああ」


 声を掛けられて、ミルシエーラを見る。彼女の視線は村の中央にある広場を、いやその正面にある大きな屋敷を見ていた。

 ファスが屋敷の前に横付けするように立ち止まり、体を伏せる。

 ミルシエーラにうながされて、慎重に、剣先の動きに注意しながら足を滑らせないように鐙を踏んで下馬する。いや下犬か?

 俺を下ろしたミルシエーラは、するりと手馴れた身のこなしでファスから降りる。格好いいじゃないか。

 ファスは二人を下ろすと首を回して体を揺すり、勝手にどこかに歩いていってしまった。ミルシエーラはそれを見送ることすらせず、頭を下げて屋敷の戸を示した。


「こちらにお出でください。ご足労を掛けて申し訳ございません」

「……なんだかんだ、かなり言うタイミングを逃したんだが、いいか」

「は、なんでしょうか」


 顔を上げて、不思議そうに首をかしげる。その純粋な翡翠色の瞳から目をそらして、口元あたりに目をやる。俺は違和感がありながらも、それどころでなかった頼みをようやく口にする。


「その勇者様って呼ぶのをやめてくれないか。自分がとても頭の悪いダメな存在に思えてくる」

「え……そ、そんなことは決して」

「俺は穂村忠志だから。姓でも名でも好きに呼んでくれ。ただし、勇者も様もやめること」


 タダシだけに。

 こっそり心で付け加えた。

 戸惑うように視線を泳がせて、俺の全身と広場中の景色を眺めて回ったミルシエーラは、おずおずと口を開く。


「で、では、穂村忠志様……?」

「フルネームはやめて」


 速攻で頭を下げた。


「すまん。フルネームは勘弁してくれ、病院にでも呼ばれてる気分になりそうだ。あと様付けもやめ」

「は、はい! すみません! では、タダシ……ど、殿?」

「どの、殿かー。なんで疑問系だよ。どうしても尊称を付けないと気が済まないのか? いいじゃないかせめて"さん"とか"くん"とか"ちゃん"とかで。いや待ったやっぱ"ちゃん"は無しだ」

「も、申し訳ございません。……あの、"様"は負かりませんか」


 そう来たか。


「様付けは大仰だからやめてもらいたい」

「しかし、その、私も神子(みこ)として、勇者様の尊称を省くような不敬は、ちょっと」

「俺がいいと言っているのにか」

「はい。過度に礼節を軽んじるわけには参りません。ですので、どうか、"様"までお願いいたします。こちらとしてもぎりぎりのところで」

「うーむ」

「どうかどうか」

「仕方ない。様付けでもいい」

「は、ありがとうございます、忠志様」

「やっぱりむず痒いな」

「申し訳ございません」


 へこへこと頭を下げるミルシエーラ。

 いったい何の話をしていたのだったか。


「あ。忠志様、こちらへお願いいたします」


 あ、てお前。

 ミルシエーラはまるで忘れてなんていませんよ話が終わったらこうするつもりだったんですという顔で、屋敷の扉を開いて、俺を促した。


 屋敷の中は意外に狭い。

 というか、玄関がなく、いきなり応接間になっているのだ。

 卓袱台とクッションが打ち付けられた椅子が並ぶ部屋だ。壁には赤い旗のようなものが下げられている。

 調度品はおろか机のほかには家具もない。別に出してほしいわけではないが、お茶請けも出さないのだろか、応接間なのに。

 奥の壁には、旗に隠すように扉があるが、あれは通るときに邪魔ではないだろうか。


 唯一の家具であるところの机には、老人が既に着いていた。ミルシエーラと同じ貫頭衣を纏った手足は筋張り、肌の出ているところはシミにまみれた、いやあ今ちょっとそこの墓地から出てきたんですと言われても、納得できそうなくらい老いたお爺さんだ。

 ミルシエーラが俺の横に立って、老人に頭を下げる。


「長老、お連れしました」

「ぅああ」


 口を動かすのも億劫、というように、半ばうなるような声で答えた。


「剣を」


 じろりと目だけを動かして、長老は言う。

 ミルシエーラは彼の代わりに俺に頭を下げて補足した。


「申し訳ありませんが、ご無礼を承知で、剣を(あらた)めさせてやってはいただけませんでしょうか」

「ああ、どうぞ」


 剣を渡そうと柄尻を向けて差し出すと、まるで逆に刃先を突きつけられたかのように、ミルシエーラは体を引いた。長老も目を剥いている。


「それは勇者様以外に持つことはできません。どうか、そのままで結構です。あいえ、やっぱり少し、彼に見えるようにお願いできますでしょうか」


 なんというか、敬意を持っているのかいないのか、微妙な感じになってきた。不自然に敬意を持たれ続けるのも居心地が悪いから、望むところでもあるけれど。

 横に捧げ持つように剣を持ち、長老の前に見せる。


「……ぉああ」


 うなるようにうなずいて、長老は震える手で合掌し、頭を下げた。


ううしゃ(・・・・)よ、どうか、どうか、世界を、救いたもう」

「分かっています。そのために、私はどうすればいいのですか?」


 あまり刃物を見えるところに置いておきたくないので、腰に下げるような位置に引き下げてから、問う。

 枯れかけた老人は、言葉を発するのも険しいというように、ゆっくりと声を絞った。


「剣だけでは、魔王は、打ち払えません。呪文を、刻む必要があります。魔女を。北の、峯禄山の切り裂け谷にいる、黒の魔女に、頼みなさい」


 峯禄山、切り裂け谷、黒の魔女。

 ここに来て厄介な言葉が一挙に出てきた。

 眉をひそめるのを堪えて、今はただ、その名を覚えるに留める。


「そうすれば、必ずや、魔王にも、勝てましょう」


 ふう、と長い息を吐くように、長老は話を終えた。

 そのまま目を伏せてしまって、これはお迎えが来たか、と不安に思っていたら、彼はもう一度頭を下げた。


「どうか、ミ()シエーラを、頼みます」

「はい」


 答えた俺の肩を、ミルシエーラがそっと引く。

 彼女の翡翠の目と合わせ、促されるままに、長老の前を辞去した。


「北を目指せばいいのか?」

「ええ、忠志様」


 広場は破滅を前に生き急ぐように人々が行き交い、通りに市場が開かれ、角の長い牛のような動物に荷を背負わせ、村は動いている。

 峯禄山、切り裂け谷、黒の魔女。

 山谷は試練の象徴。魔女は賢者としての役割を負う、知恵の象徴。

 しかし 峯の字は峻険な高さを暗示し、切り裂け谷という不穏な名が不吉を感じさせ、おまけに魔女の号が黒と来た。

 分かりやすいくらいの、険しい道のりを予感させている。

 青い空の日はまだ高く、正午にも至らない。

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