第133話 先生が「今度は待たせない」と約束したので、カコの長い待ち時間は終わりました
先生は何も言わず、ただカコを見つめていた。
その表情は驚いているようにも、少し寂しそうにも見える。
自分の知らないところでカコが多くのことを学び、旧王と向き合い、仲間とともにその旧王を退けた。先生にとっては、喜ばしい話であると同時に、そばで見届けられなかった五年間の長さを突きつけられる話でもあるのだろう。
それでも、先生の青銀色の瞳に最後まで残ったのは、心から嬉しそうな穏やかな光だった。
「……そうか」
やがて、先生が静かに口を開いた。
「お前はもう、一人で待っているだけではないのだな」
カコは少しだけ目を見開いた。
その言葉が何を意味しているのか確かめるように、俺とミメシス、それから空中に浮かぶコーデックスへ順番に目を向ける。
かつてのカコは、この森と家を守りながら、いつ帰るかも分からない先生を一人で待ち続けていた。
けれど、今は違う。
先生を捜すと決めたときも、旧王の命令を拒絶したときも、カコの隣には俺たちがいた。
カコは先生へ顔を戻し、ゆっくりとうなずいた。
「うん。もう一人じゃないよ」
言い切った声に、迷いはなかった。
以前のカコなら、先生がいないことを問われるたびに、帰ってくると信じて待つことしかできなかったのかもしれない。
今のカコには、自分の意思で進むための知識と力がある。そして、苦しいときに手を伸ばせば、その手を握り返す者もいる。
先生も、カコの短い言葉から、その変化を感じ取ったのだろう。
その言葉を聞いた先生は、静かに目を閉じた。
「……そうか」
今度の先生の声は、とても穏やかだった。
カコが成長したことだけではなく、信じられる相手と出会えたことにも安心しているように聞こえた。
「それならば」
先生は再び手を伸ばし、カコの淡いプラチナ色の髪を優しく撫でた。
まだ腕には十分な力が戻っていない。細い指先は僅かに震えていたが、カコの髪へ触れる手つきだけは、第三封鎖牢で再会したときよりも穏やかだった。
「私が戻れなかった間に、お前が過ごした時間も、すべて無駄だったわけではないのかもしれんな」
「うん」
カコはすぐに答えた。
「ケイと会ったし、ミメシスともコーデックスとも一緒にいられた。知らなかったこともいっぱい知った」
カコは先生の細い手を、両手でそっと握った。
否定したいのではなく、自分の気持ちを正しく伝えたいのだろう。淡い青銀色の瞳をまっすぐ向け、一つずつ言葉を選ぶように続ける。
「でも、先生がいなくてよかった時間でもないよ」
先生の目が、ゆっくりと開いた。
「私、ずっと待ってた」
「……ああ」
「ずっと先生に帰ってきてほしかった。何を覚えても、何ができるようになっても、先生に見てほしかった」
「……ああ」
先生がいなかったから、カコは一人で多くのことを覚え、強くならなければならなかった。
その中で俺たちと出会い、一人ではできなかったことも成し遂げた。
だからといって、先生がいなかった五年間まで、よかったことにする必要はない。
得られたものを大切にすることと、失っていたものを悲しむことは、きっと別のことなのだ。
「だから」
カコは先生の手を、少しだけ強く握った。
「これからは、ちゃんと帰ってきて。勝手にいなくならないで」
強い口調ではなかった。
責めるような声でもない。
それでも、その短い言葉には、カコが五年間抱え続けてきた寂しさと、もう二度と同じ思いをしたくないという願いが込められていた。
先生が小さく笑った。
「ああ。今度こそ約束しよう」
「本当に?」
「本当だ。今度は、お前を一人で待たせたりはしない」
「絶対?」
「ああ。絶対だ」
カコは先生の答えを確かめるように、その顔をじっと見つめていた。
五年前にも、先生はすぐに戻るつもりで家を出た。それでも、結果として約束を守ることはできなかった。
だからこそ、今の約束を口にする先生の声には、軽い慰めでは済ませない強さがあった。
やがて、嘘ではないと分かったのか、嬉しそうにうなずく。
その直後だった。
《会話継続時間が推奨限界値を超過しました》
治療区画へ、コーデックスの淡々とした声が響いた。
《治療を再開します》
治療カプセルの黒い覆いが、閉じる準備を始めるように淡く光る。
「待て。もう少しくらい……」
《却下します》
「私は患者なのだぞ?」
《そのために却下しています》
先生が言い返そうとしたが、コーデックスに譲るつもりはないらしい。
『ははっ! 先生とやら、完全に紙束に怒られておるではないか!』
黙っていればいいものを、ミメシスが楽しそうに笑った。
《必要であれば、ミメシスも強制動作停止状態へ移行させます》
『なぜ我まで止められるのだ!?』
《治療区画における静穏を妨げているためです》
『我の声は患者を奮い立たせるために必要だ!』
「今のところ、驚かせてるだけだと思うぞ」
『我が主まで何を言う!』
「二人とも、先生が休むから静かにして」
カコが振り返り、ミメシスとコーデックスを見る。
声を荒らげたわけではない。ただ、静かに名前も呼ばず注意しただけだった。
『……承知した』
《了解しました》
二人は同時に答え、そのまま本当に黙った。
先生がまた笑った。
さっきのような大笑いではなく、身体へ負担をかけない穏やかな笑いだった。
「本当に、強くなったのだな」
「うん」
その誇らしげな笑い声を聞いたのは、これが初めてだったような気がする。
第三封鎖牢で聞いた先生の声は弱々しく、再会を喜びながらも、どこか現実を信じきれずにいるようだった。
けれど、今は違う。
目の前にいるカコを見て、俺たちとのやり取りを聞き、この場所で生きて帰ることを受け入れ始めている。
先生は、確かに戻ってきた。
まだ自分の力で歩くことはできず、これからも長い治療が必要になる。
俺の傷は先に治療カプセルへ入ったことで大半が塞がっているが、完全に治りきったわけではない。無理に身体を動かせば、脇腹や両手にはまだ僅かな痛みが残っている。
森を覆う結界や古代施設にも、片づけなければならない問題は残っていた。
全部が終わったわけではない。
先生をこの施設から連れ出し、カコの待つ家へ帰るまで、本当の意味で安心することもできないだろう。
それでも、ようやく一つだけ終わったものがある。
カコが長い間続けてきた、先生を一人で待つだけの時間だ。
《治療カプセルの覆いを閉鎖します》
先生とカコの間へ、黒い覆いがゆっくりと閉じ始めた。
カコは最後まで先生の手を握っていたが、二人の指先が離れる直前になると、自分からそっと手を放した。
以前のような不安は、その表情に浮かんでいなかった。
「先生、おやすみ」
「ああ。目が覚めたら、また話を聞かせてくれ」
「うん。まだいっぱいあるよ」
「……そうか。それは覚悟しておこう」
黒い覆いが完全に閉じる。
再び青白い魂力が治療カプセルの内部を走り、先生の身体を淡い光で包み込んだ。
カコはその場を離れず、規則正しく脈打つ光を見つめている。
だが、その横顔は、先生が目を覚ます前とは違っていた。
もう、目を離した隙に先生が消えてしまうのではないかと怯えてはいない。
先生は約束した。
今度は、カコを一人で待たせないと。
俺は治療を再開した先生と、そのすぐそばで静かに見守るカコを眺めながら、ようやくここまで来られたのだと改めて実感した。
先生を連れて帰るという俺たちの目的は、まだ完全には果たされていない。
それでも、カコの長い待ち時間だけは、今度こそ確かに終わったのだ。




