新たな一歩②
料理は滞りなく進み、気づけばメインディッシュが卓へ運ばれていた。
リアは手元のナイフとフォークを確認し、皿の上に綺麗に盛られた肉を一口大に切り分け、ゆっくりと口へ運ぶ。
給仕係は先程、北方産の鹿肉のローストと説明していた。
柔らかな肉は臭みがなく、噛むほどに口の中へ旨味が広がる。
町で食べてきた鹿肉とはまるで別物だった。
先程ルシナスが気遣ってくれたこともあり、昨夜の練習とは違い、料理そのものを味わう余裕が生まれていた。
(昨日は、何を食べたのかも分からなかったなぁ……)
昨夜のレティシアの厳しい指導を思い返し、リアは小さく身震いした。
ベリーのタルトが運ばれる頃には、リアの肩から力はすっかり抜けていた。
侍女がデザートの皿を下げると、代わって香り高いハーブティーが運ばれた。
湯気とともに、爽やかな香草の香りが静かに広がり、それぞれがカップに口をつけた。
静かな時間が流れる中、その沈黙を破ったのはレイだった。
「意外だった。グレイヴ卿なら、何かしら条件を付けると思っていた」
グレイヴは、レイを一瞥した後、リアに目を向け話しだした。
「最初はそう思っとった。礼儀がなっておらんなら、我が家の恥を晒すわけにはいかん。連れ帰るつもりだった」
「あの男のようなところがあるなら、そもそも認めるつもりなかった」
「だが、実際に会ってみたら違った。礼儀にはまだ粗さがあるが、そのうち身につくだろう。それ以上に……あの子を思い出した」
グレイヴはリアを見つめた。
その視線は、リアを通り越し、遠い過去を見ているようだった。
グレイヴの目に浮かんだ感情を、リアはうまく言葉にできなかった。
私は母を失った。
この人は娘を失った。
そう思うと、なぜか怖くはなくなった。
「あの……ハーヴェル侯爵様。お祖父様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
少し間を置いて、リアはおずおずと続けた。
「その……ご迷惑でなければ……」
リアは視線を伏せ、小さく呟いた。
グレイヴは一瞬、言葉を失った。
リアにお祖父様と呼ばれることなど、想像もしていなかったのだろう。
「……迷惑では、ない」
その声は揺らいでいた。
レオニスとルシナスは、思わず顔を見合わせた。
その空気を和らげるように、ルシナスがいつもの調子で笑った。
「おっさんが、戸惑うなんて珍しいものを見た」
「確かに。何が起きても眉間のシワ一つ動かないのに」
レオニスも珍しく同意した。
「本当に、おぬしらときたら……昔から変わらんな」
グレイヴはそう言うも、口調は穏やかだった。
「あの……お祖父様、母は……どんな人でしたか?」
「私にとっての母は、病気で辛いはずなのに、いつも笑っていて……私を安心させてくれる人でした」
リアは、グレイヴに尋ねた。
グレイヴはすぐには答えなかった。
しばし目を閉じ、遠い記憶を辿るように静かに息を吐いた。
「そうだな……娘は、君の母親は」
グレイヴはゆっくりと言葉を紡いだ。
「私に似て、頑固だった。急に君の父親と結婚すると言い出した時は、私は認められなくてな……互いに意地を張っているうちに、それっきりになってしまった」
「家に連れ戻したかった。だが、あの子の身体では北の寒さには堪えられんかったからな。一度だけ、手紙の一つくらい寄越せと使者を通じて伝えたことがある。それでも、返事を寄越さなかった」
グレイヴは小さく息を吐いた。
「……まったく、私以上の頑固者だ」
リアは静かにグレイヴの言葉を聞いていた。
自分の知らない母の姿だった。
「ありがとうございます。私の知らなかった母の一面を知ることができて、嬉しいです」
リアは微笑んだ。
けれど、グレイヴの声に滲んだ寂しさが、胸に残った。
「……手紙くらい、書いてくれていたら良かったのに」
リアはぽつりと声を漏らした。
部屋が静寂に包まれる。
グレイヴは何か言おうとして、しかし言葉を飲み込んだ。
その様子を見ていたアルヴェインが、静かに口を開く。
「もし別の選択がされていたなら、別の未来があったでしょう」
「ですが……今のリア様がここにいる未来もまた、その選択によって生まれたものです」
リアは、しばらくアルヴェインの言葉を噛みしめていた。
「……そうですね。もしかしたら、今ここにいる皆さんに出会えていなかったかもしれません」
「それなら……私は、今がいいです」
リアは、あったかもしれない未来を思い浮かべた。
もし別の道を歩んでいたら、今の自分はいなかった。
そう思うと、不思議と寂しさよりも、この場所へ辿り着けたことへの安堵が胸に広がった。
グレイヴは静かにカップを置くと、リアへ視線を向けた。
「さて、養女の手続きは済んだ。だが、それで終わりではない」
リアは顔を上げる。
「ひと月後、正式にハーヴェル侯爵家の養女となったことを披露する席を設ける」
「……披露、ですか?」
聞き慣れない言葉に、リアは首を傾げた。
「関係者へ知らせるための場だ。我が家の娘となる以上、避けては通れぬ」
グレイヴは一度言葉を切る。
「南方にある伯爵家の屋敷を借りる。古くから我が家と親交がある家だ」
「その日までに、我が家の養女として恥じぬ立ち居振る舞いを身につけてもらう」
その言葉で、リアの脳裏に昨夜の光景が蘇る。
視線の向き、足の運び、食器の扱い。
レティシアの厳しい指導を思い出し、思わず表情が引きつった。
「ひと月後って、早すぎないか?」
リアの不安そうな顔を見て、ルシナスはグレイヴに視線を向けた。
「このまま、国の保護下という曖昧な立場に置いておくわけにもいかんだろう」
グレイヴは淡々と答える。
「正式にハーヴェル家の養女として公に認められれば、殿下の婚約者候補として相応の扱いを受ける。それに、我が家の娘となれば、軽々しく扱う者も減るだろう」
「……なるほど」
ルシナスは納得したように息を吐いた。
「殿下の隣に立つ覚悟があるのなら、これくらいは乗り越えてもらわねばならん」
リアは小さく頷いた。
グレイヴは、戸惑いながらも頷くリアを見て、わずかに口元を緩めた。
貴族には、知らない決まりや習慣がまだまだあるのだろう。
それでも、不思議と以前ほど不安ではなかった。
ここへ来るまでの間に、自分を支えてくれる人たちがいることを知ったから。
いつも読んでくださる方ありがとうございます。
また、気になる点などあれば教えていただけると助かります。もう片方の作品についても……よろしくお願いします。
今回被災された方へ、なるべく早い平穏な日々が訪れることを心より祈っています。




