表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/70

新たな一歩②

料理は滞りなく進み、気づけばメインディッシュが卓へ運ばれていた。


リアは手元のナイフとフォークを確認し、皿の上に綺麗に盛られた肉を一口大に切り分け、ゆっくりと口へ運ぶ。


給仕係は先程、北方産の鹿肉のローストと説明していた。


柔らかな肉は臭みがなく、噛むほどに口の中へ旨味が広がる。


町で食べてきた鹿肉とはまるで別物だった。


先程ルシナスが気遣ってくれたこともあり、昨夜の練習とは違い、料理そのものを味わう余裕が生まれていた。


(昨日は、何を食べたのかも分からなかったなぁ……)


昨夜のレティシアの厳しい指導を思い返し、リアは小さく身震いした。


ベリーのタルトが運ばれる頃には、リアの肩から力はすっかり抜けていた。


侍女がデザートの皿を下げると、代わって香り高いハーブティーが運ばれた。


湯気とともに、爽やかな香草の香りが静かに広がり、それぞれがカップに口をつけた。


静かな時間が流れる中、その沈黙を破ったのはレイだった。


「意外だった。グレイヴ卿なら、何かしら条件を付けると思っていた」


グレイヴは、レイを一瞥した後、リアに目を向け話しだした。


「最初はそう思っとった。礼儀がなっておらんなら、我が家の恥を晒すわけにはいかん。連れ帰るつもりだった」


「あの男のようなところがあるなら、そもそも認めるつもりなかった」


「だが、実際に会ってみたら違った。礼儀にはまだ粗さがあるが、そのうち身につくだろう。それ以上に……あの子を思い出した」


グレイヴはリアを見つめた。


その視線は、リアを通り越し、遠い過去を見ているようだった。


グレイヴの目に浮かんだ感情を、リアはうまく言葉にできなかった。


私は母を失った。


この人は娘を失った。


そう思うと、なぜか怖くはなくなった。


「あの……ハーヴェル侯爵様。お祖父様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


少し間を置いて、リアはおずおずと続けた。


「その……ご迷惑でなければ……」


リアは視線を伏せ、小さく呟いた。


グレイヴは一瞬、言葉を失った。


リアにお祖父様と呼ばれることなど、想像もしていなかったのだろう。


「……迷惑では、ない」


その声は揺らいでいた。


レオニスとルシナスは、思わず顔を見合わせた。


その空気を和らげるように、ルシナスがいつもの調子で笑った。


「おっさんが、戸惑うなんて珍しいものを見た」


「確かに。何が起きても眉間のシワ一つ動かないのに」


レオニスも珍しく同意した。


「本当に、おぬしらときたら……昔から変わらんな」


グレイヴはそう言うも、口調は穏やかだった。


「あの……お祖父様、母は……どんな人でしたか?」


「私にとっての母は、病気で辛いはずなのに、いつも笑っていて……私を安心させてくれる人でした」


リアは、グレイヴに尋ねた。


グレイヴはすぐには答えなかった。


しばし目を閉じ、遠い記憶を辿るように静かに息を吐いた。


「そうだな……娘は、君の母親は」


グレイヴはゆっくりと言葉を紡いだ。


「私に似て、頑固だった。急に君の父親と結婚すると言い出した時は、私は認められなくてな……互いに意地を張っているうちに、それっきりになってしまった」


「家に連れ戻したかった。だが、あの子の身体では北の寒さには堪えられんかったからな。一度だけ、手紙の一つくらい寄越せと使者を通じて伝えたことがある。それでも、返事を寄越さなかった」


グレイヴは小さく息を吐いた。


「……まったく、私以上の頑固者だ」


リアは静かにグレイヴの言葉を聞いていた。


自分の知らない母の姿だった。


「ありがとうございます。私の知らなかった母の一面を知ることができて、嬉しいです」


リアは微笑んだ。


けれど、グレイヴの声に滲んだ寂しさが、胸に残った。


「……手紙くらい、書いてくれていたら良かったのに」


リアはぽつりと声を漏らした。


部屋が静寂に包まれる。


グレイヴは何か言おうとして、しかし言葉を飲み込んだ。


その様子を見ていたアルヴェインが、静かに口を開く。


「もし別の選択がされていたなら、別の未来があったでしょう」


「ですが……今のリア様がここにいる未来もまた、その選択によって生まれたものです」


リアは、しばらくアルヴェインの言葉を噛みしめていた。


「……そうですね。もしかしたら、今ここにいる皆さんに出会えていなかったかもしれません」


「それなら……私は、今がいいです」


リアは、あったかもしれない未来を思い浮かべた。


もし別の道を歩んでいたら、今の自分はいなかった。


そう思うと、不思議と寂しさよりも、この場所へ辿り着けたことへの安堵が胸に広がった。


グレイヴは静かにカップを置くと、リアへ視線を向けた。


「さて、養女の手続きは済んだ。だが、それで終わりではない」


リアは顔を上げる。


「ひと月後、正式にハーヴェル侯爵家の養女となったことを披露する席を設ける」


「……披露、ですか?」


聞き慣れない言葉に、リアは首を傾げた。


「関係者へ知らせるための場だ。我が家の娘となる以上、避けては通れぬ」


グレイヴは一度言葉を切る。


「南方にある伯爵家の屋敷を借りる。古くから我が家と親交がある家だ」


「その日までに、我が家の養女として恥じぬ立ち居振る舞いを身につけてもらう」


その言葉で、リアの脳裏に昨夜の光景が蘇る。


視線の向き、足の運び、食器の扱い。


レティシアの厳しい指導を思い出し、思わず表情が引きつった。


「ひと月後って、早すぎないか?」


リアの不安そうな顔を見て、ルシナスはグレイヴに視線を向けた。


「このまま、国の保護下という曖昧な立場に置いておくわけにもいかんだろう」


グレイヴは淡々と答える。


「正式にハーヴェル家の養女として公に認められれば、殿下の婚約者候補として相応の扱いを受ける。それに、我が家の娘となれば、軽々しく扱う者も減るだろう」


「……なるほど」


ルシナスは納得したように息を吐いた。


「殿下の隣に立つ覚悟があるのなら、これくらいは乗り越えてもらわねばならん」


リアは小さく頷いた。


グレイヴは、戸惑いながらも頷くリアを見て、わずかに口元を緩めた。


貴族には、知らない決まりや習慣がまだまだあるのだろう。


それでも、不思議と以前ほど不安ではなかった。


ここへ来るまでの間に、自分を支えてくれる人たちがいることを知ったから。

いつも読んでくださる方ありがとうございます。

また、気になる点などあれば教えていただけると助かります。もう片方の作品についても……よろしくお願いします。

今回被災された方へ、なるべく早い平穏な日々が訪れることを心より祈っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ