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霧の声

翌朝はフォグ全体が、深い霧に包まれていた。


城も街も全て、遠くの鐘楼さえ白く霞んで見えない。


まるで国そのものが、巨大な霧の中へ沈められたようだった。


そして、リアには朝からずっと“声”が聞こえ続けていた。


頭の奥


耳元


あるいは、霧そのものか


どこから聞こえているのか、もう分からない。


――近づくな


――選ぶな


――災いが起きる


――壊れる


無数の囁きが、絶え間なく流れ込んでくる。


「……っ……」


リアは寝台の上で、怯えるように身体を丸めた。


耳を塞いでも、何も変わらない。


むしろ頭の中へ直接流し込まれているみたいだった。


しばらくして、様子を見に来た侍女が声をかける。


「リア様……?」


返事はなかった。


汗で乱れた髪


震える肩


涙で濡れた頬


侍女は慌てて傍へ寄る。


「お加減が……」


だが、リアにはほとんど聞こえていなかった。


(声がうるさい うるさい うるさい)


侍女は困ったように、そっと汗を拭き取る。


乱れた寝間着を整え、髪を梳かし少しでも落ち着けるよう静かに世話を続けた。


リアは、されるがままだった。


ぼんやりと、虚ろな目で天井を見つめている。


その後、侍女が部屋を出ようとした時だった。


扉の向こうから、控えめな声がする。


「……入っていい?」


ルシナスだった。


侍女が扉を開ける。


ルシナスは軽く礼を言って部屋へ入った。


室内を見た瞬間、その表情が少し曇る。


寝台の横へ卓上の椅子を引き寄せ、静かに腰を下ろした。


「……よう」


なるべく普段通りの声をかける。


リアはちらりとルシナスを見る。


だがすぐに視線を伏せた。


(少しだけ殿下に似ている、けれど違う)


すると、あの声が囁く。


――こっちなら、良かったのに。


意味が分からない。


リアは苦しそうに眉を寄せる。


ルシナスは、そんな彼女を見つめながら小さく呟いた。


「……大丈夫か」


返事はない。


「ここに来た時から、守ってやれたら良かった」


その声には、悔しさが滲んでいた。


あの日、霧の中で出会った少女に助けられたのは、自分だった。


なのに、今の彼女はこんなにも壊れそうになっている。


王宮が


王家が


ルシナスの胸に、静かな怒りが滲む。


(自分は、王になれる立場から遠い。


だが双子の兄、レオニスなら…


あいつなら、もっと違う形があったのではないか。)


そんな考えが、脳裏をよぎった。


しばらく黙って隣にいたあと、ルシナスはそっとリアの頬へ触れる。


涙を拭うように。


「……無理すんなよ」


それだけ言って、静かに部屋を出ていった。


その夜、ようやく時間を作ったレイはリアの部屋を訪れていた。


扉を開き、中にいた侍女へ静かに声をかける。


「入ってもいいか」


侍女は慌てて頭を下げる。


「はい、殿下」


部屋の中では、リアの髪を整えている最中だった。


綺麗な寝間着へ着替えさせられ、長い髪が丁寧に梳かれている。


レイは侍女を下がらせた。


静かになった室内でリアを見る。


前より、少し痩せていた。


白い肌


細い肩


儚い


抱きしめたら、壊れてしまいそうだった。


「……リア」


名を呼ぶ。


その瞬間だった。


リアの中で響く声が爆発した。


――選ぶな


――近づくな


――災いが起きる


――壊れる


来てくれて、本当は嬉しい。


ずっと会いたかった。


なのに…声が、それを許さない。


リアは耳を塞ぐ。


だが消えない。


(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい――)


「……っ……」


呼吸が乱れる。


涙が溢れる。


そして気づけば叫んでいた。


「うるさいのよ!!」


レイは咄嗟にリアを抱きしめた。


細い身体が震えている。


(今にも壊れてしまいそうだ…)


その瞬間、声が止まった。


最後に、たった一つだけ言葉を残して。


『――この国はもう駄目よ


――次期王は間違えた


――私の忠告を、あなたが聞かないから……』


あれほど頭を満たしていた声が、それだけを言い残し突然消えた。


リアは呆然とする。


「……え……?」


小さく呟く。


「今のは……何……?」


その時になってようやく、自分が抱きしめられていることに気づいた。


レイの腕は、少し震えていた。


「……壊れてほしくなかった」


「失いたくない」


そして、苦しそうに続ける。


「守れず、すまない」


リアの心臓が大きく跳ねる。


「あの……殿下……」


顔が熱い


こんな近く


こんな体勢


誰かに見られたら


「私は、大丈夫ですから……」


おずおずと言う。


「少し離れて下さい……本当に……」


レイは我に返ったように、静かに身体を離した。


「……大丈夫なのか」


真剣な目で見つめられる。


「まだ何か聞こえるか?」


リアは戸惑いながら首を振る。


「急に……何も聞こえなくなりました」


そして、不安そうに続けた。


「でも……最後に言われた言葉が……」


レイの表情が僅かに変わる。


リアは、ゆっくりその言葉を口にした。


「この国はもう駄目よ……」


「次期王は間違えた……」


「……私の忠告を、あなたが聞かないから……って」


室内の空気が、静かに凍りついた。

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