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第19話 んなの当たり前じゃん

 夏の暑さが残りながらも、朝晩に涼しさが感じられるようになった9月初旬。海沿いの道を駆ける一つの影があった。

「翔!やっほー!」

充は、笑顔で元気に駄菓子屋『よっちゃん』の入口で挨拶をする。

「充、いらっしゃい〜。」

黒のカーディガンを羽織った翔が、いつも通りカウンターにいて、挨拶をする。

「なんか制服姿、久しぶり過ぎて新鮮。」

翔は充の姿を見るなり、そんな感想を述べた。一昨日から新学期が始まったため、充は白シャツにベージュのベストという服装であった。

「ふふ〜ん。制服姿も似合うっしょ?」

「はいはい。今日は何を買うの?」

翔に見せつけるように一回転しながらドヤ顔をする充を、翔は適当にあしらい、駄菓子が並んだ棚に目を向けた。

「今日はこれにするー。」

あしらわれたことに対し、特に気にすることもなく、充は棚に向かい、駄菓子を翔に渡した。それは、紙幣に似たカードが入ったチョコレートであった。

「お、即決とは珍しい。いつもは5分くらいは悩んでいるのに。」

「今日、学校でこの駄菓子の話になってさ。懐かしくなって絶対買おうって決めてたんだ。」

「なるほどね。」

翔は手早く会計を済ませると、充に駄菓子を渡した。2人は外に出ると、お気に入りである店前の赤いベンチに座る。

「今日は風が気持ちいいね。」

「それな。今年の9月は涼しいな。」

充は目を閉じて、風を感じる。鼻をくすぐる潮風、一定のリズムで聴こえる波音。目を開けると見える青い水平線に、充は自分が今、大好きな場所にいることが感じられた。

「さ!いざ開封!レアカード出るかな〜。」

「あー、表面がキラキラしたやつ?」

「友達の弟が引き当てたらしくってさ。」

充は包装紙を剥がす。チョコレートを包んでいる銀色の紙の下から、裏返しになったカードが出てくる。充がカードをひっくり返すのを、翔は見守る。充の指が、カードをゆっくりと捲った。

「…ソシャゲだとノーマルプラスくらい?」

「このお金が実際に手元にあったら嬉しいレベル。」

充はそのカードを両手で胸の前に掲げた。波の音が、静かに聞こえていた。

「翔はさ、お金があったら何したい?」

充は、ぽつりと言葉を発した。翔は、ゆっくりと充を見やった。

「俺は、世界一周旅行をしたい。」

充の頭の中に、クルーズ船に乗った充が、サングラスをかけ、優雅にシャンパングラスを掲げる姿が浮かぶ。その姿を想像し、充の口角は上がる。

「んで、一周し終わった後に、ここに帰ってきて、「やっぱりここが一番だ!」って思いながら駄菓子をめっちゃ食べる。」

充は、自分の思い描く幸せを想像し、顔を綻ばせた。翔はその笑顔を、ただ静かに見つめていた。

「俺は…」

翔は口を開いたが、すぐに閉じる。白くて大きな雲が、西日を覆い隠し、地上に影を落とした。

「翔?」

翔の言葉が途切れたことを不思議に思った充は、翔の方を向いた。

「充、渡したいものがあるんだ。」

「うぇ!?何々!?」

「そんな大したものじゃないよ。」

突然の翔の言葉に、充は目を輝かせた。翔は、ポケットから1枚の紙を出し、充に渡した。それは、薄い水色で横に長いチケット。

「入場券?」

充はチケットに書かれている文字を読み上げる。

「俺の高校の文化祭チケット。再来週開催されるから、充に来てほしい。」

充は、ちらりと翔の顔を見る。翔の顔は、若干強張っていた。その声には、緊張が含まれている。充は翔の目を見ると、目を細めて笑った。

「もちろん行く!んなの当たり前じゃん!」

厚い雲から顔を覗かせた西日が、充の顔を照らす。光が当たった充の笑顔を見た翔は、安堵し、自分でも無意識の内に入っていた肩の力を抜いた。

「第二校舎の4階まで上った後、右に曲がると突き当たりに教室があるから、そこに来てほしい。10時から開場だから。」

「おけ!4階の右に曲がった突き当たりの教室ね!」

「うん、待ってる。」

翔はそう言うと、どこか強い意志を宿らせた目を細めて、柔らかく微笑んだ。

「翔のクラスは何やるの?」

「俺のところはたこ焼き屋。ちなみに俺は、キッチン担当だから。」

「ちぇっ。接客担当なら揶揄えたのに。」

「揶揄わないでくれる?それに、俺が接客向いていると思う?」

2人の間に一瞬の沈黙が訪れる。遠くで烏の鳴き声が聞こえた。

「あー、傷ついた。」

「ごめんごめん。」

わざとらしくそっぽを向く翔に、充は笑いながら謝った。

「そっか~。翔のところは文化祭早いな。」

充は翔から貰ったチケットが傷つかないように、大事にカバンのポケットへ仕舞う。

「充の高校は?」

「俺のところは11月上旬。今日、何やるか決まったところだもんな。」

「え、何やるの?」

「んー。」

充は腕を組む。しばらくすると、充は口の前に人差し指を当て、目を細めて笑った。

「秘密。」

充の目が、西日を反射して輝いた。悪戯っぽいその表情に、翔は胸の奥がくすぐられているような感覚を覚えた。

「文化祭の日が近づいてきたら、俺もチケット渡すわ。」

「…楽しみにしてる。」

笑いながら先ほど買った駄菓子のチョコレートを齧る充に、翔は柔らかく微笑んだ。西日はゆっくりと、確かに沈み始め、一日を終えようとしていた。


 (マジで今日に限ってなんでバス遅れるんだよ!)

海沿いの道を全速力で走る充。バスの遅延により、翔と約束した時間から大幅に遅れていた。大量の汗が首筋を流れ、息はすでに切れていたが、充はその速度を緩めず走り続けた。

(見えてきた!)

充の視界に、白い校舎が映る。信号機が赤に変わったため、充は止まる。青信号に変わるまでの時間にもどかしさを感じながら、ポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを立ち上げる。開く画面は、翔との会話。そこには、急いでいる充を安心させる数々の言葉が並んでいた。その優しさに、充は微笑む。信号が青に変わった。充は地面を踏みしめ、駆け出した。


 校門の学校銘板に書かれている文字は、漣波間高等学校。いかにも、この立地らしい名前を横目に、充は文化祭を楽しむ人々を上手く避けながら、第一校舎を過ぎ、渡り廊下を渡って、第一校舎よりも人が少ない第二校舎へと入った。充は、部活動でのキツイ練習を思い出しながら、階段を全速力で駆け上がった。


 「つ、ついた...」

充は息を整えながら、額の汗を拭う。辺りに人の気配はない。4階には、充しかいなかった。充は息を整え終わると、翔と約束した教室に足早に向かい、足を踏み入れた。年季の入った木製のイーゼル、まとめて置かれた様々な大きさの筆、独特の絵の具の匂い。柔らかな日の光が差しているこの教室は、美術室であった。充は、教室内を見渡す。

「すげぇ...」

充は思わず感嘆の声を漏らす。壁には、数々の絵が飾られている。それらは、美術部生がこの日のために描いた「努力の結晶」であった。充は、飾られた絵をゆっくりとだが、一つずつ見ていき、とある絵の前に来ると、思わず立ち止まった。絵を見た充の目が、見開かれた。






それは、
















太陽の光を反射する海のように輝いていて―












雲一つない空のように澄んでいて―












海から吹いてくる潮風のように爽快で―














岩壁に当たる波の音のように心地良くて―














限られたお小遣いで買った駄菓子を食べた時のような小さな幸福と―
















戻ることはできないあの頃の懐かしさを感じさせた。










 様々な駄菓子が並ぶ棚。店の外に広がる海と空。そして、店前に描かれた二人の人物。一人は亜麻色の髪を持つ、黒色の学ラン姿の人物。もう一人は、白髪をお団子にまとめ、薄紫色の服を着た人物。充には全て、見覚えがあった。だからこそ、細部までとても細かく描かれたその絵は、充が今まで見てきたどの絵よりも美しかった。充の目が、絵の下部を捉える。その目に映されたのは、黒色で書かれた制作者名。それは、充のよく知る人物の名前。黒髪の優しい彼の名前。その隣には、作品名が書かれていた。

「『海沿いノスタルジー』。」

充は、その作品名を静かに呟いた。それと同時に、充の頬を何かが流れる。

「あれ、なんで俺...」

無意識に流れ出す「感情」を充は止めようとするが、それは止まる気配を見せない。彼は、一体どんな気持ちでこの作品を作り上げたのだろうか。彼があの日、どんな言葉を紡ごうとしていたのか。充は、思わずしゃがみ込んだ。

「んなの当たり前じゃん…」

思わず吐き出したその声は、今にも消えてしまいそうなくらい、とても儚かった。充は、わかっていた。今までずっと気付かないふりをしていた。それは、可能ならば気付きたくなかったこと。しかし、いつか明らかなること。そして、この先に起こり得るであろうこと。残酷なまでに美し過ぎるその絵が、それを物語っていた。 スマートフォンの通知が鳴る。誰かは見るまでもなくわかっていたが、充はスマートフォンを取り出し、返信するという気力がなかった。充は、翔と笑顔で会うために、ゆっくり息を整え、必死に感情を押さえ始めた。教室では、柔らかな光がその絵と充を優しく包んでいた。

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