第10話 掌の温もり
駄菓子屋の赤いベンチに、充と翔は座っていた。空は快晴で、雲一つない。例年の7月上旬通り、何もせずとも汗が滲む程の暑さだが、時折吹く風が涼しいので、日陰さえあれば屋外でも過ごせていた。
「たけみっちゃんが、ずーっと別れた彼女の話してて、全然授業どころじゃなくてさー。クラスの皆で慰めてその日終わったんだよな。俺的には授業潰れてラッキーって感じだけど。」
「ふふ、充らしいね。」
「らしいってどういうことだよ。」
「もちろんそのままの意味。」
充は、きなこがまぶされた駄菓子を食べながら話す。掌に収まりきれる長さのそれを、充はきなこが落ちないように気を付けながら3分の1ずつ食べていた。充は、1週間の間に起きた出来事を話し、翔は充の話に相槌を打ったり、適度に質問したり、時々充をからかいながら聞き役に回っていた。
「今度、OB戦があるから、今は勉強しながら3年でバスケの練習している感じ。」
「あー、卒業生が後輩たちと試合するやつ?」
「そーそー。ちゃんとしたお別れ会とウィンターカップ予選が始まる前に後輩たちのお手並み拝見っていう意味で。まぁ、試合って言っても、気楽に楽しめる試合だけどな。」
充はそこまで言うと、お菓子を食べる手をふと止め、口を噤んだ。
「充?」
充の声が途切れたことを不思議に思った翔は、充に声を掛ける。
「俺さ…」
充はまたしても口を閉じる。先程とは打って変わった充の深刻な声色に、翔は無意識に居住まいを正した。カモメの鳴く声が遠くで聞こえた。しばらくして、充は口を開いた。
「翔が何の部活入ってるか聞いたことあったっけ?」
「…え?」
充の口から出てきた内容を聞き、呆気にとられた翔は聞き返す。
「俺、ずっと自分の話ばかりしてて、翔自身のこと、あんま聞いたことなかったなって思って。ごめん!」
充は身体の前で手を合わせ、申し訳なさそうに謝る。
「いや、いいよ。俺だって元から自分の話あまりしない方だし。それに、充の話、聞いている方が楽しいから。」
翔の言葉に、嘘偽りはなかった。翔は元々、自分のことをあまり人に話さない人間であった。それは、翔が言葉にして伝えることに苦手意識を感じていたからだ。また、翔は充の話を聞いていると、いつも楽しい気分になっていた。人の話を聞く方が好きな翔にとって、充との関係は非常に居心地の良いものであった。
「翔…」
笑顔で返答する翔が、充には仏のように見え、さらには後光が差しているようにも見えた。充はうるうるとした目で、翔を見つめた。
「ありがたや。」
「何で?」
充の行動に、翔は冷静にツッコんだ。
「ちなみに部活には?」
「一応入ってる。俺の通ってる高校、部活に絶対入らないといけないから。」
「マジ?ブンブリョードウってやつか。」
充は自分の通っている高校の規則の緩さに有難みを感じなが、駄菓子を食べ終わった。充は、鞄からウェットティッシュを取り出すと、きなこのついた指を拭き取り始めた。
「・・・充って、何気に女子力高いよね。」
「そうか?あ、翔もいる?」
「俺はいいよ。」
「・・・ならいっか。」
充は、鞄にウェットティッシュを直した。
「てか、何の部活?」
「当ててみて。」
翔はいたずらっぽく微笑んだ。普段より子どもっぽい笑顔を見せた翔から目を反らすように、充は考えるために腕を組んだ。
「そうだなー。まず、絶対に運動系じゃない。」
「そうだけど。完全否定されるのはちょっとな。」
翔は頬を少し膨らませて怒った。
「ごめんごめん。んー、結構定番な部活?」
「そうだね、どの学校にもほぼある部活だと思うよ。」
「翔の性格に合ってそうな部活?」
翔は充から視線を反らし、海を眺める。波が壁に当たる音がした。その間は、数秒のことではあったが、翔はとても長く考えていたと感じた。考えがまとまり、翔は充の目を見つめる。
「たぶん合ってると思う。俺の主観だけど。」
「なるほどなー。」
充は腕を組み、考える。充が考えている間、岩壁に波が当たる音が聞こえていた。
「・・・美術部?」
「お、正解。」
「マジで!?」
充は当たったことが嬉しくて、目を輝かせて喜んだ。
「まぁ、幽霊部員だけどね。本気で描いている人には申し訳ないけど、特に熱意を持っているわけでもないし。何か部活に入らないといけないから、人数が比較的に多くて、楽できる美術部にしただけ。・・・そう思っていたけど。」
翔は言葉を区切って前を見つめた。翔の目線の先では、海が太陽の光によりキラキラと輝いていた。それは、先程、翔の所属している部活動を当てることができ、喜びで輝いていた充の目に似ていた。
「何で美術部だと思ったの?」
翔は充に疑問を投げかけた。
「んー、翔の手が綺麗だから?」
充は自分の両手の掌を翔に見せながら答えた。
「俺、ボールとかでの突き指とかしょっちゅうあって、ゴツゴツしてるからさ、余計に翔の手が綺麗に見えてさ。手、大事にしてるんだなって思って。そう思ったら、何となく美術部かなって思って。」
充は、眉を下げながら自分の手を見た。高校生になってから、突き指をすることはなかったが、バスケを始めた頃は、突き指などの手の怪我ばかりで、未だに治っていないところがある。そんな翔は、充の観察眼に改めて感動を覚えていた。
「やっぱり、充は凄いね。」
「でしょ?でもさ、一番そう思った理由は他にあってな。」
充は、自分の右頬を人差し指で軽く突き、微笑んだ。
「青のインク、ついてるよ。」
「え?」
翔は、後ろを向いた。後ろは、ガラス貼りの戸であるが、若干、自分の容姿を確認することができる。翔は、充から指摘された自分の右頬を見た。
「え~・・・いつから?」
「俺がここに来た時にはもう。」
「ねぇ~、趣味悪過ぎ。知ってたのなら言ってよ。」
「アハハハハ!ごめんごめん。いつ気づくかなって思ったけど、全然気づかないから。」
充は、声に出して笑った。その屈託ない笑顔を見た翔は、肩をすくめた。充は、鞄の中からウェットティッシュを取り出す。
「はい。使いな。」
「・・まさか、さっき俺にいる?って聞いたのって。」
「やっぱりいるだろ?」
充は、悪戯が成功した子どものように笑った。
「・・・参りました。」
翔は充からウェットティッシュを受け取り、右頬についていた青インクを拭き取った。
「取れた?」
「うん、取れてるよ。」
「ほんとに?」
「そんなに疑うなよ。」
「前科持ちが何言ってんの。」
「それもそうだな。」
そこで言葉が区切れると、充と翔は面白くなって一緒に笑った。
「ね、絵が完成したら、見せてよ。」
「え~、どうしよっかな~。意地悪した充君には見せたくないな~。」
翔は、充とは真逆の右方向を向きながら言った。
「そこを何とか翔様、仏様。」
「ふふふ、じょーだん。」
翔は、充に向き合い、目を合わせた。
「本当は、一番、充に見せたい。」
潮の香りがする涼しい潮風が吹いた。
「それまで楽しみに待ってて。」
翔は、目を細めて微笑んだ。
「・・・わ、わかった。」
夕日に照らされた翔の綺麗な笑顔を見た充はそう返すと、翔から目線を反らした。
「あとさ、俺は好きだよ、充の手。」
翔は、充の右手を両手で優しく触れた。
「確かに、俺よりはゴツゴツしてるけど、練習を頑張ってきた努力の手って感じがして好き。」
翔の指が、充の指をするりとなぞる。翔の手から温もりが伝わってくる。充は居たたまれなさを感じ、今度は翔に目線を向けた。翔の目は優しく、充の手を見ていた。
「あ!そろそろ帰らないと!」
充は、翔の手から優しく自分の右手を抜き取ると、鞄を持ち、ベンチを立つ。
「翔!また来週な!」
「うん、また来週。」
充は、翔に向かってはにかみながら手を振り、バス停までの道を走った。充は、先ほどから高鳴っている鼓動を、運動によって起きる鼓動に変えるために息を切らしながら全速力で走る。先程の充の手を見つめる、翔の目。その目の奥に見えたものを、充は忘れることができなかった。それは、一般の人よりも他人の気持ちに敏感である充が感じ取ったもの。「愛おしい」という感情。そして、その感情を向けられた充は、心のどこかで「嬉しさ」を感じている自分がいることを自覚した。
(あー、来週からどんな顔して話せばいいんだろ。)
充の顔は、夕焼けの光だけでは説明がつかないほど、赤く染まっていた。




