002 ゲーム症患者コウの関係者への精神科的診断面接
国立大学法人第二女子医科大学附属病院に、本日から入院することとなった礼文コウ。
コウへの案内を病棟の看護師に任せた私は、コウの成人同行者から話を伺うことにした。コウのような10代前半の精神病棟への入院者の場合、学業への影響への配慮から、比較的短期での治療的介入が期待される。特に、別人格の発現という、典型的な解離性同一性障害(DID)の症状が見られるコウに対する治療的介入については、自覚症状がないという意味で統合失調症患者へのアプローチする際にも近い慎重な配慮が求められる。そのため、家族もしくはそれに近しい存在から話を聞くことは非常に重要となる。若年のDID患者の場合、90%近くの症例で、家族又は近親者からの虐待等が発症の要因とされているのだ。
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私は、はじめに、二人と礼文コウの関係について尋ねた。山田修と名乗った、執事風の格好をした年配の男性は、礼文家の執事を40年以上勤めてきたのだという。そして、その山田の部下の一人のメイドが、横に控えるイープなのだという。イープという外国人風と言って良いかも微妙な謎の名を平然と語る山田の姿に、思わずツッコミを入れたくなる私だったが、専門医の矜持を保った顔を崩さずに、そのまま話を聞いていく。
(家族性、かも。)
言葉には出さずに私はそう考えていた。遺伝的素因の関与が比較的強く推定されている統合失調症等とは異なり、DIDについては遺伝的素因の影響は強くないとされる。しかし、両親のいずれかがDIDを発症しながらも社会生活を送っており、その子が同様なDID症状を呈しているといった症例の報告は比較的多い。DIDの典型症状である多重人格が家庭内のみで現れているという成人者は、統計的には1%を超えると推定されている。家庭内でのみ通用する設定の下で育てられた子がその設定を何らかの形で引き継いだ別人格を発症させゲームにのめり込み社会生活を送れなくなる場合を「家族性のゲーム依存症」と呼ぶ。私は、学会の症例報告の場でそう報告していた。
「ご紹介ありがとうございます、山田さん。それでは、コウさん主治医である私、斎藤にコウさんのご家族についてご説明いただけますでしょうか?可能であれば、40年のご経験に基づきまして、コウさんのご両親の幼少期のこともお話いただけますとありがたいです。」
コウが両親のいずれかから何らかの形で虐待を受けている場合、虐待している当人も幼少期に何らかの形で虐待を受けていることが多い。執事を雇っているような名家の場合、両親による厳格な躾が子にとっては虐待に当たる場合もあるのだ。
「承知いたしました。ただ、残念ながら、コウお嬢様のご両親の幼少期のことを私は存じ上げません。お嬢様の父上は齢78歳になられております。母上は生きておられれば72歳となるのですが、66歳の時に乳がんで亡くなられております。」
私は、頭の中が一瞬(???)となった。現在、中学1年生のコウは12歳。その父が66歳で子をなすということはありえない話ではないが、母が60歳で子をなすということは医学的にはほぼありえない。いわゆる愛人関係など、複雑な家庭の事情をいうものを私は想像し始めた。
山田は落ち着いた口調で続ける。
「お嬢様は、礼文家の住民票の上では、養子ということになっております。」
むむっ。私は、齢60歳を超えた父上が若いメイドとの間でなした子など、いかにもなストーリーを思い浮かべた。初見では、山田の隣にしおらしく座るイープは、コウの母となるには少し若すぎるように思われるが、コウの入院に同行してきたことからすると、その線は当然考えられる。
「ただし。」
山田はそこで言葉を区切った。礼文家にとって大切な秘密事が語られる予感を覚えつつ、私は山田の次の言を待つ。
「旦那様は、今のコウお嬢様が、2011年に行方不明となられたコウお嬢様の生まれ変わりであると信じております。」
今のコウ?生まれ変わり?ラノベやユリ系小説などに出てきそうな発言を聞いた私は、そこで一旦質問を入れた。
「ありがとうございます、山田さん。今のコウさんが生まれ変わりであると信じているのは、山田さんの雇い主である旦那様だけなのでしょうか?」
「いいえ、この山田も、そう信じております。」
少し想像の斜め上をいかれたが、コウの呈している症状の原因が家庭環境にあることは十分伺えてきた。後期高齢者となっている旦那様と、同年代であろう執事の山田さんの二人が、12歳のコウを、亡くなった娘の生まれ変わりとして信じている。少なくとも旦那様の方は、多重人格性のDIDか認知症の症状を呈していることだろう。
「そうですか。では、続きまして、コウさんが養子になられた経緯につきましてのお話をお願いいたします。」
「OUKIN」もしくはそれに近しいゲームに別人格が夜な夜なのめり込み、それによって中学校に不登校となっていることが疑われるコウ。そのコウは通う中学は、中学受験生の間では女子御三家として有名な名門の中高一貫校である。少なくとも、1年前の受験時には、コウは小学6年生としてトップクラスの成績を収めていたに違いない。それどころか入試では上位10%以内の成績だったという。そのコウが、中学に入って1年間で、学年順位はほぼ最下位なのだという。不登校に学業不振という状況にあるコウはどのようにして、礼文家に迎え入れられたのだろうか?
「はい。今のコウお嬢様が、礼文家を初めて訪れになったのは、6年近く前のこと。7歳の誕生日を迎えられたコウお嬢様が、お嬢様の専用ダイヤル番号に電話をかけてこられたのです。何分にもお嬢様が行方不明になられてから15年間着信がなかった番号への着信でしたので、私は驚きました。」
(いや、15年間お嬢様専用ダイヤルとかいうのを確保している方が驚きだよ。)と私は心の中で突っ込んだが、何も言わなかった。これも、礼文家の設定なのかもしれないし。
「無論、私は専用番号に着信があったということだけをもって、今のコウお嬢様が、礼文家のお嬢様の生まれ変わりであるなどと考えたわけではございません。その日のうちに、礼文家にお越しになられた、今のコウお嬢様を、私は、家の剣道場に招きました。」
マイ剣道場まであるんかい!
「すると、子ども用の竹刀を手にしたお嬢様は、まだ7歳だというのに見事な竹刀捌きを見せられたのです。その後、『私にはこっちの方があうんだよね。』とお嬢様そのままの口調で木刀を手に取られると、お嬢様を彷彿させる太刀筋を見せられたのです。私は呼び寄せていた門弟の一人、立ち会いを命じました。」
どんだけ広い道場やねん...。私は、心のなかで、腐女子医大生時代に過ごした京都府での7年間で覚えたエセ関西弁でツッコミを入れていた。そして、医大への合格が決まった時に『腐女子が腐立医大に進学だって~』と笑った高校の同級生スルガのことを思い出していた。自身は都内の薬学部に進んだスルガの家は、山手線内なのに家に広い池がある、超絶名家の家だった。そんなスルガは、貧乏サラリーマンとうさんが娘のために用意してくれた府立医大病院前の小さな私のアパートに何度も遊びに来てくれたのだった。何のことはない、京都の漫画博物館を巡ったり、舞妓コスプレしてみたりと、スルガの方も腐女子なのだった。コウにも山田たちにも言ってはいないが、そんなスルガと私は、コウの中高の先輩筋にあたる。私は、ただの貧乏サラリーマンとうさんの娘にして腐女子なだけではなく、子供の頃から勉強の方はけっこういける方だったのだ。
剣道経験がないために実感がわかず話を聞き流しがちになっていた私に向かって、山田は一呼吸おいて、続きを話した。
「すると。門弟が軽く打った面や小手を、まだ7歳のお嬢様は軽く受け流した後に、足払いで門弟をひっくり返してみせたのです。」
ひっくり返ったのは分かったが、話の流れが見えない。
そんな私の様子を見て取ったのか、山田は私に向かい、
「話をご理解いただくためには、足払いをお見せしておいた方が、よろしいでしょうな。」
と言って席を立った。そして、脇に座っていたイープも同じくスッと席を立つ。
二人は大人数での面談もこなせるよう広めに取られた室内の脇の方で向き合う。山田はイープと向き合ったまま、
「剣道では、通常、竹刀を持って打ち合うものです。」
と、話を再会する。
そして、手刀を作り、軽くイープに向かって振り下ろしたと私が見た瞬間に、イープが後方に一気に倒れた。女子医大での研修医時代に救命病棟の当直医バイトをしていた経験のある私は、イープが後頭部を床に強打すると見て取り、思わず立ち上がった。
立ち上がった私は、その瞬間、イープが何事もなかったように山田から一歩半ほど離れた位置に正座をしているのを見つけ目を剥いた。
私が、山田ではなくイープの方を凝視していることを見て取った山田は、
「私は警察剣道の指導者となった後、古武術の修行を行った身。その私からしてみても、このイープは尋常ではない身のこなしなのです。」
と解説しつつ、席の方に戻ってきて座る。イープも音もなく立ち上がり、音もなく山田の隣に座った。
「さて、私が手刀の出した際にイープを倒したのが足払いです。斎藤先生は手刀の方を見ておられましたから、私が足でイープの軸足を払ったのはお見えにならなかったでしょうが。この技の行使は危険が伴いますため、現代の剣道では、捕縛術の指導も行う警察剣道のみで使用が許されています。私は、かつて、コウお嬢様にもしもの時の護身のために、礼文家の道場で足払いを伝授しておったのです。」
出来すぎた話、にも思えるが、山田の私にはまったく見えなかった足払いと、その後のイープの超人的な身のこなしを見てしまった後だけに、私はこの話を否定できなかった。
その後、山田は、7歳のコウを主人である礼文幸一に引き合わせた際の話をしてくれた。話の内容は、予想通り、コウが、かつてのコウでしか知り得ない話を礼文幸一にし、幸一がコウをかつてのコウの生まれ変わりであると確信したというものであった。
だいぶ長く話してもらったので、山田からのその日のヒアリングにここで打ち切ることにした。
最後に山田は、コウの住民票上の名前は、礼文幸であること、サチという名は、コウが育てられた京都の尼寺でつけられた名前なのだと付け足してくれた。
なるほど。後で、京都での幼年時代の話についてコウから聞いて裏を取ろうと、私は思った。
☆
山田に先に帰ってもらった私は、これまでほとんど口を開かなかったイープ1人へのヒアリングをお願いした。患者の関係者への精神科的診断面接においては、複数の関係者から話を聞くことが強く望まれる。ここまで落ち着いた語り口で礼文家の内情を話してくれた山田が実は、礼文幸一によるコウへの虐待の加担者であるということもありうるのだ。さらにいえば、DID患者であるコウが多重人格という強い症状を呈していることから、たとえそんな風には見えないにしても、実は山田がコウに対し性的虐待を行っている当人だといった可能性も検証しなければならない。
私からのヒアリングのお願いに対し、イープは、
「ええ、構いませんわ。私の今日の予定は、コウお嬢様にここまで同行することのみですので。」
と答えた。
その、もの柔らかな口調の中で《コウお嬢様》という声色が、少し山田とは異なった響きを持っていることを見て取った私は、
「イープさんは、礼文家ではコウさんのことをどうお呼びになってますか。」
と尋ねた。
イープは、
「姫王閣下とお呼びしております。」
と即答した。
ひめおう?かっか? 国立大学法人の精神科病棟の面談室での会話には似つかわしくない、いや、どこの場所での会話にも似つかわしくない厨二病的な呼び名である。礼文家の家庭内にさらなる共犯者を見出した私は、若干クラクラしつつ、ヒアリングを続ける。
「イープさんは礼文家にメイドとしてお勤めになられて何年になるのですか。」
「5年です。」
「イープさんが礼文家でメイドとして働こうとしたきっかけはどのようなものでしょうか?」
「姫王閣下にお仕えするためです。」
厨二病全開の答えだなー、と思いつつ、私は続けた。
「メイドとなる前は、何か別のお仕事をされてましたか?」
「はい。先生はここのお近くの東新宿にお住まいでしょう。」
私は、ドキリとした。確かに私は東新宿に住み、徒歩で10分ほどの新宿区戸山にあるこの病棟に通勤している。女医として精神科医をしていると、患者もしくはその家族から2度や3度やストーカー被害に会うことがある。多くは男性からのストーカーなのだが、若い女性のゲーム症患者の治療を専門としている私の場合、目の前のイープのような年頃の女性から執拗にストーキングされた経験を持つ。女性によるストーキングは、当人が私の前でリストカットしてみせるといった独特の危険もある。初対面のイープはどのようにして、私の住処を特定してきたのだろうか?当てずっぽう?
私は表情を変えずに、問いに答え、話を続ける。
「はい、そうですが。そのことが、何かイープさんのお仕事と関係あるのですか?」
すこし動揺したのか、口調が冗長になっている気がする。
「はい、私も、5年前まで東新宿に住んでおりましたもので。私の勤務先はそこから新宿駅の方に少し歩いたの花道という通りに面した、業界関係者向けのお店となります。」
東新宿に住んでいたという話も驚きだが、20代後半の年頃と思われるのに、金髪メイド姿で厨二病全開と思われるイープが勤務していたという、おそらくは歌舞伎町界隈の業界関係者向けの店の方も、いかにもまともなものではなさそうだ。
「差し支えなければ、お店でのお仕事も簡単にお話いただけますか?」
既に、イープをコウ以上の解離性同一性障害患者(DID)の可能性ありと受け取っていた私は、イープの生い立ちも掘り下げておこうと考え始めていた。東欧系出身と思われるイープの出自も可能であれば聞き出したいところだ。
「はい、構いませんわ。お店の名前は、通り名で、サティステックミカ子バンド。お店の看板としては、『S.M.』に租界地の方のBundをつけたものとなります。」
おいおい、マジかよ。著作権的にアウトじゃんかよ、昭和の伝説のバンド名すれすれの店の名に思わずツッコミを入れる、私。
そんな私の思いを見抜いてか、ついに、先日コウが真似してくれたイープの口角を上げての嗤いが出た。
(ヤベーよ。そんなスライムさんじゃなきゃできないような笑いまでコスプレしないでよ~。)
そう思う私に、イープは嗤いを解かないままに、
「エスエムとはもちろん、SMプレイのことですの。」
救急医バイトを経ての10年以上の精神科医勤務で、私の胆力は相当に鍛え上げられている。そんな私が、嗤いを浮かべるイープの姿に寒気を覚え、そして、下腹部の方で、おそらくはちょっぴりとお漏らししてしまっている。そのことを悟られないよう、私は、イープがしている戦闘メイドコスプレが出てくる楽しい方のアニメの方をいったん思い浮かべてから、
「なるほど。」
と答えた。
要するに、そのお店に勤めるおねえさま方は、アイドルやアニメのヒロインなどの服をお召しになり、そんな姿のままで罵られるのがお好きなお客さんに対し、想像通りあるいは想像以上の罵りを提供するとのこと。そして、イープという名は、そのお店での源氏名だということである。お漏らしから若干たち直りつつある私は、
「なぜ、その店でのお名前を今もお使いですの?」
と聞いた。
イープは、
「礼文家に参る前のプシチェクでも、イープと名乗っておりましたもので。」
と答える。
私には、話が見えない。プシチェクというお店の方にも勤務していたというのか?
「プシチェクでは、プシ国王となられた姫王閣下に親衛メイドとしてお仕えする傍ら、周辺国との連携役である書記長を努めておりました。」
あー、プシ国設定、この人のものだ~。遂に主犯を見つけ出したと思う私は、コウの治療戦略を根本から練り直さなければならないと考え始めた。虚構の設定を、複数人で部分的に共有する症状はゲーム症患者の中にも、まれだが見受けられることがある。コウが診断されている解離性同一性障害(DID)は基本的に難治である。そのため、精神科医によるDID治療では、寛解による完治は期待せずに患者を生きやすい方に導くことが基本とされる、おそらくだが、女子中学生であるコウと設定を共有する成人女性イープの存在は、コウの社会適合をより難しくするはずだ。
とはいえ、この場でイープにそのことを指摘することは適当ではない。私はイープがなしている設定の聞き取りを続けることにした。
「その書記長とは、どのようなお仕事なのでしょうか?」
「精霊の導きに則っての、王族や重臣たちの暗殺と粛清を司る組織の長となります。」
あー、新興宗教とか絡んできそうな奴だ~。これ以上聞くと、今晩、東新宿の自宅に帰るのが怖くなりそうな気がしたので私はこのあたりで本日のイープからのヒアリングを終えることにした。
「最後に一つだけ聞いていいでしょうか?コウさんはプシ国では6名の親衛メイドたちから御伽話を聞かせてもらっていたと言っていたとのことですが、礼文家には、あなたのようなメイドさんは他にいるのでしょうか?」
こんなイープのような人があと5名もいるとかいう答えが返ってきたら、私は、コウの主治医を降りるつもりだった。そんなに大勢を精神科医学的に治療できるわけがない。
「いえ。プシ国からお仕えを続けているのは、私だけです。」
なんとかコウの主治医を続けられそうだと思った私に、イープはさらに続けた。
「ですが、プシ国に転移して親衛メイドになった5名は、今も、元気にサティステックミカ子バンドで働いてますわ。」
...休みの日も歌舞伎町の方には近寄らないようにしよう...そう思いつつ、私は、入院患者コウの関係者2名への精神科的診断面接を終えた。




