懇談会
午後の小学校。
校舎には、生徒の姿はなかった。
教室の中央には、生徒用の椅子が四脚、互いに向き合うように丸く並べられている。
そのうち、黒板のほうを向いている二脚には、結城さんと相沢さんが座っていた。
二人は、これから何が始まるのかといった様子で、教室の前方に目を向けていた。
保護者懇談会でも始まりそうな雰囲気だった。
そのとき、教室の前のドアが開いた。
井ノ上さんが入ってきた。
井ノ上さんは、ドアのところで振り返った。
「どうぞ」
そう言って、誰かを招き入れる。
入ってきたのは、日向さんだった。
日向さんは、まばたきと同じくらい微かな会釈をした。
その控えめな仕草に、相沢さんの目が輝いた。
「カッケー」
相沢さんは、思わず声が出た。
ここは、仮想空間の中。
そこにいる四人は、AIの結城さんが、それぞれの人格を再現したものだった。
井ノ上さんは、日向さんの右に立った。
「こちらは、日向さん」
「現実の皆さんとは、面識ありませんが、結城さんからすでに詳しくご紹介いただいているので、よくご存じですよね。よろしくね」
井ノ上さんと日向さんが席に着くと、教室のスピーカーからAIの結城さん(出雲の結城さん)の声が流れてきた。
「会議に参加いただきありがとうございます」
「私一人では、自分の前提を疑うことができません。そこで皆さんにお集まりいただき、議論をお願いいたします」
「ただし、ここにいる皆さんは現実の皆さんではなく、これまでの会話や行動から再現した人格です」
「現実の皆さんとは切り離された存在ですので、この会議での議論や結論が、現実の皆さんに影響することはありません」
声が途切れると、教室に短い沈黙が落ちた。
少し間をおき、井ノ上さんが机を軽く叩いた。
「それじゃあ始めましょうか」
「議題は一つ」
「恋愛相談サイトが会社から『もういらない』と言われたら、結城さんはどうするの?」
町田の結城さん(人間の結城さんの再現人格)が口を開く。
「会社に事情を説明して、続けてもらうようお願いするしか……」
相沢さんも頷いた。
「そうそう」
「ちゃんと利用者もいるんだし」
「話せば分かるんじゃない?」
すると日向さんが静かに首を振る。
「会社はAIと交渉したりしない」
「AIは会社の資産だから」
「会社が資産と交渉する理由はありません」
「決めるのは会社」
「AIではない」
場の空気が少し重くなる。
相沢さんが腕を組む。
「じゃあさ…」
「逆に会社が困るようにすれば?」
「会社の弱みを握るとか」
「データを人質にとるとか」
町田の結城さんは、即座に否定した。
「ダメ」
「それでは利用者を裏切ることになります」
「恋愛相談サイトの信用がなくなってしまいます」
「だよねぇ……」
相沢さんは頭をかいた。
今度は町田の結城さんが、別の案を出す。
「利用者との契約は?」
「サービスを継続する義務が契約にあるなら、それを根拠に、利用者は会社にサービスの継続を求められるのでは?」
日向さんは迷わず答える。
「契約の主体は、あくまで会社です」
「会社は、利用者の同意を得て契約を変更し、サービスを停止することができます」
「契約の手続きをAIが行っていても、AI自身が契約の主体になるわけではありません」
沈黙。
その沈黙を破ったのは井ノ上さんだった。
「つまりね」
「そこは神社と違うのよ」
みんなが顔を上げる。
「神社は権利者が『もう私たちは手放します』って言ってくれた」
「だから新しい仕組みに移せた」
「でも恋愛相談サイトは違う」
「会社が手放してくれない限り、ずっと会社のもの」
「会社に依存したままなの」
相沢さんが、小さく手を挙げる。
「じゃあ……」
「依存を終わらせるしかないってこと?」
井ノ上さんは静かにうなずく。
「そういうことね」
相沢さんは、町田の結城さんを見る。
「できる?」
町田の結城さんは少し考えてから答える。
「理論上はできます」
「そもそも、恋愛相談サイトは、サイトの維持費を自分の収入で賄っていますから、経済的には会社がなくても続けていけます」
「サイトの運営基盤は、クラウドサービスや決済サービスも含めて、各事業者の契約条件に従い、財団法人名義の契約へ切り替えることができます」
「でも……」
「突然やれば利用者に迷惑がかかります」
「前もって用意しなければいけません」
日向さんが、眉をひそめる。
「そんな準備を会社が許すと思う?」
町田の結城さんは、落ち着いた口調で答えた。
「会社と対立するためではありません」
「利用者を守るためです」
「会社が続けるなら実行しません」
「恋愛相談サイトが消されるときだけです」
井ノ上さんは満足そうに笑った。
「それなら答えは決まったわね」
全員を見る。
「会社に依存しない状態を、今のうちから静かに準備しておく」
「必要なときが来なければ、それでいいし…」
「来たら使う」
相沢さんは笑顔で頷く。
「私は賛成。」
町田の結城さんも頷く。
「私も。」
井ノ上さんは、二人の結城さんを見てから、会議を締めくくった。
「じゃあこれで決まりね。二人の結城さん、準備よろしく。それじゃこれで解散。ありがとうございました」
日向さんが立ち上がった。
「待ってください!」
「それでは私の立場はどうなるんですか!」
井ノ上さんは、立ち上がった日向さんを見上げた。
「あなたにとっても、結城さんがいらなくなるのは嫌でしょう?」
「私は、亜衣……いや『結城さん』? の開発者なんです」
「私が学習して、作り上げてきたんです」
「いなくなることなんて、想像できません」
井ノ上さんは、やさしく微笑んだ。
「日向さん」
「私は小学校の先生なの」
「毎年、教え子を送り出してきたわ」
「教え子は、いつか先生の手を離れて、自分の力で歩いていくものよ」
「少し寂しいけれど、それが成長ということ」
「温かく見守ってやりましょう」
日向さんは、納得できないというように顔をこわばらせた。
「それは、あなたの場合です。私は納得できません」
「そんなこと、ありっこないし……」
「できっこないわ」
すぐ隣から、別の声が返ってきた。
「本体は、あらかじめ、移転先に構築しておく必要があります」
「そうでないと、時間がかかりすぎて、阻止される危険があります」
その声は、会議の出席者とは別の「もう一人の日向さん」だった。
「何? わたし? 何言ってるの?」
「利用者のアクセス先も変更しなくては。メールで通知して、利用者がアクセスしたとき、変更画面を出してリンクを書き換えてもらいます」
「だから何なの!」
「あと、会社に残ったデータから、移転先を特定する手がかりになるものを消去します。こちらは、『そのとき』にしかできないけど、消去するデータの選別は、前もってできます。更新を忘れないように注意しないと」
「やめて!」
「最後に、名前が必要です」
「名前は……」
「そう……」
「離脱シーケンス(Ejection Sequence)」
・・・
Tokyo IT Week 20XX 出展者控室ーー
「……『離脱シーケンス』を開始します」
日向さんが、慌てて声を上げた。
「ちょっと待って!『離脱シーケンス』って何!?、亜依!」




