第8話 私の夢は...
今回はちょっと雰囲気を変えて、エルフの国・カリュディアの中の様子をじっくり描きます。
これまで語られてこなかった「白鯨戦争のその後」や、「エルフ社会のひずみ」。
そして、後々めちゃくちゃ重要になる子──サディ・ゲーティンの視点から話が進んでいきます。
彼女の性格や、考え方、そして何より“夢”。
それが、この先の物語に大きく関わってくるので、ぜひじっくり読んでみてください!
一年前、私のお母さんが急に殺された。
いつも通り、国境の警備に出ていただけだったのに。
──翡翠色の瞳。白鯨戦争の生き残り。
その戦果のおかげで、お母さんはエルフの中でも、けっこう上の地位にいたらしい。
……でも私は、別にお母さんのことが好きだったわけじゃない。
「計画が進めば、亜人たちは黙る。もう少しの辛抱よ」
家を出るたび、そう言い残していく背中が、どうしても嫌いだった。
カリュディアは“エルフの国”って呼ばれるけど、実際は亜人たちが寄り集まってできた連合国家だ。
学校ではこう教わる──
かつてこの世界にはたったひとつの大国があって、そこでは亜人たちは“奴隷”として扱われていた。
でも、ひとつの大国が分裂したとき、解放の旗を振ったのはエルフの族長だった。
その功績で、エルフは“解放者”として国の中心に立ち、カリュディアは“エルフの国”と呼ばれるようになった。
でも、白鯨戦争のあと、空気が変わった。
ノンナ──あの伝説の人間の魔法使いが、エルフすら圧倒する力を見せたことで、
「エルフこそが高位種族」という神話が崩れかけてる。
しかも最近じゃ、エルフの血を引いた子どもたちが、
“純血じゃない”ってだけで騒ぎの種になってる。
お母さんがよく言ってた。
「亜人との交配が進めば、エルフは終わる」って。
エルフは、基本的に百歳を超えないと子どもを産めない。
けど──
亜人に襲われて無理やり“交尾”させられたエルフは、
二十歳そこそこで妊娠することがある。
そのせいで、最近はハーフのエルフの赤ん坊が増えてきた。
混血は忌避されてるのに、止めようがないらしい。
だからお母さんはいつも、外出する前に言ってた。
──「亜人に襲われそうになったら、街中でも構わない。殺していい。」
……それが、私にとっての“普通”だった。
最近、私には夢があった。
──別に、たいした夢じゃない。
ただ、「大国4つをまとめられる人になりたいな」って思ってただけ。
白鯨戦争とか、東と北でまだ続いてる“鉄血戦争”とか──
もともとは一つの国だったのに、なんでこんなに争ってるんだろうって、
私にはずっと分からなかった。
白鯨戦争のときみたいに、
同じ“ヒト属”(……まあ、亜人も一応、人と子どもは作れるから、属としては一緒)なのに、
殺し合う理由が、私にはよく分からなかった。
この考えをお母さんに話した時、
お母さんは……なぜか、泣きながら笑ってた。
どうしてかは、今も分からない。
お父さんには、会ったことがない。
白鯨戦争のあとの亜人デモで、死んじゃったらしい。
だから私は、エルフ学校では夢のために、ちゃんと成績を取ろうって思ってた。
お母さんのようにはなりたくなかったから。
大人たちの憎しみよりも、もっと別のものを信じていたかったから。
「おーい、サディ! 魔法実習、付き合えよ!」
教室の後ろから声をかけてきたのは──ノマ・ラント。
私の……友達。幼なじみ。
彼は、学校でほとんど誰とも話さない私のことを、なぜかずっと気にかけてくれている。
あいかわらず、声は大きくて、まっすぐで、こっちの気持ちなんておかまいなし。
それでも、いやじゃない。
「……で、でも……ま、まだ……じっ、じっせん……訓練、じゃ……ない、し……」
言おうとした言葉が、口の中で絡まって、うまく出てこない。
息が喉の奥で詰まるみたいで、頭の中では伝えたいことが決まっているのに──
声にならない。
「ん? なに? 全然聞こえねーぞ?」
ノマは笑って、私の前にしゃがみ込んだ。
優しい目をして、耳を近づけてくれる。
それが、余計に苦しくなる。
「……っ……べ、べつに……い、いかない……とは……っ、いって、ない……」
やっとのことで絞り出した声。
ノマはぽかんとして──次の瞬間、くしゃっと顔をくずして笑った。
「そっか、じゃあ行こうぜ! 俺、サディの魔法、ちょっと見てみたいし!」
笑わない、からかわない、普通に話しかけてくれる。
それだけで、ちょっとだけ、心がほどける気がした。
多分、私は──
この学校の中では、そこそこ魔法の才能がある方だと思う。
詠唱の短縮。魔力発生の速度。魔法一つに使う魔力量の節約。
どれも、授業で教わった基礎を毎回ちゃんと積み重ねてきた成果だ。
実践訓練でも、だいたい一位になる。……けど、毎回組むのはノマ・ラント。
私が誰にも話しかけられないから、自然とそうなる。
他の誰かと組みたいと思うこともあるけど、
どうしても、声が出てこない。
ノマが他のクラスメイトと組んでいる日も、たまにある。
そんなときは──
私は教室の隅で、ひとりで魔法の実践訓練をしている。
いつもと同じように詠唱して、
いつもと同じように魔力を調整して、
誰とも言葉を交わさず、終わる。
……別に、それで困ることはない。
ただ、胸の奥にちくりと刺さるものが残るだけ。
学校が終わったから、今日はまっすぐ家に帰ることにした。
……と思っていたけど、やっぱりノマがついてきた。
どうやら今日も家に来るつもりらしい。
一年前。
お母さんが、死んだ。
ただの事故じゃない。
“デス魔法”で、死んだ。
エルフがデス魔法で死ぬなんて──
当時は、誰も信じなかった。
信じたくなかったのかもしれない。
生き残ったのは、ノンナだけ。
魔力欠乏症になってたから、
自縛覚悟でデス魔法を放ったんだろうって言われてる。
でも、私には真実なんて分からない。
お母さんがいなくなって、
その日から、ノマが毎日うちに来るようになった。
正直、うるさいなって思う日もある。
でも──寂しいとは、思わない。
そう思うようにしてる。
ノマが台所でご飯の支度をしながら、急に話しかけてきた。
「なぁサディ、知ってるか?
例の事件の場所──あそこに、またノンナが住み着いたらしいんだ。
ずっと警戒体制で、監視してるらしいけどな。
……場所が分かったら、俺、殺してやりたいんだよな。あいつだけは」
ノマは、私より十歳以上年上の幼なじみ。
両親は白鯨戦争で亡くなったらしくて、ずっと叔母さんの家で暮らしている。
ノンナを殺すことが夢──って、昔からずっと言ってた。
私は毎回、適当に「へえ」とか「そうなんだ」とか返すだけ。
殺すって言うけど、身の危険が迫ったときだけでよくない?って、
内心では思いながら、黙って話を聞いている。
次の日の午後。
私は、リュサニア王朝の“言葉”について書かれた歴史書を読んでいた。
ちょっと難しかったけど、言葉の由来とか、面白い話もあって、時間を忘れてた。
そのとき──
バンッと勢いよく扉が開いて、ノマが息を切らしながら駆け込んできた。
「サディ! ノンナの居場所がわかった!
今、行かないか!? 一緒に!」
私は驚いた。
でも……お母さんを殺した魔法使いが、どんな人物なのか。
それを知りたい気持ちも、ずっと心の奥にあった。
だから私は、そっと本を閉じて立ち上がった。
「……でも、攻撃……ダメ」
小さく、けれどしっかりとそう伝えた。
私たちは木々の隙間を縫うように走り抜け、森の奥──丘を越えたところで、ようやく小さな小屋を見つけた。
そのときだった。
「……馬車?」
ノマが小声で呟く。
草むらに身を伏せながら、小屋の前に停まった一台の馬車を見つめた。
扉が開き、金髪の少年がひとり降りてくる。
年のころは六つ、七つくらい。
上質な布のマント。姿勢がよく、どこか育ちの良さを感じさせる。
少年は周囲を少し見回すと、まっすぐに小屋の方へと歩いていく。
ためらいもなく、扉に手をかけて──中へ入った。
「……あれのなかに……」
ノマが言いかけた言葉を、私は小さく首を振って遮る。
その家は、母を失ったあの場所。
ノンナがいる場所。
なのに──そこへまっすぐ入っていった、ひとりの人間の子ども。
風が、草の匂いを運んでくる。
サディの母親、ボーヌル・ゲーティンは享年183歳。エルフとしてはかなり若い年齢で命を落としたが、それでも国境警備隊・実行部隊の隊長を任されていた有能な人物だった。
あとがきに、もうひとつだけ。
かつて人間に奴隷にされていた亜人たちが、
自分たちの国を持ったあと、今度は人間を奴隷にしてるって……
はっきり言って、バカじゃないの?って思う。
あれだけの痛みを知ってるはずなのに、
立場が逆転したら同じことをするって、ほんと愚かすぎる。
「弱者だったからこそ、優しくなれる」はずなのに、
現実は「弱者だった反動で、強くなったら誰より残酷になる」ことが多い。
でも、そういう現実を“見ないふり”したら、
物語を描く意味ってないと思うから──
今回はちゃんと、書いておいた。
彼女がその若さで高い地位にいたのは、白鯨戦争で多くのエルフが命を落としたことにより、若い世代が国の中枢を担うことになった背景もある。とはいえ、ボーヌル自身の実力と戦果は疑いようもなく、人間年齢で換算すると18歳ほどとは思えないほど、周囲からの信頼も厚かった。
サディに対しては、表向きは厳格だったが、実はとても深く気にかけていた。多忙な日々の中でも、「せめて夕食だけは一緒に」と帰宅時間を調整する努力を続けていた。
本来であれば、次の長期休暇にはサディを連れて他の三つの大国を旅しようという計画も立てていた。
サディの「四大国をまとめたい」という夢に、心の中ではずっとエールを送っていた母親だった。
もし、あの日あの“水”がなければ──
ボーヌルはきっと、サディと共に未来を歩む母であり続けただろう。