第24話 自らの罪
前回の出来事を受けて、アルムがなぜあのタイミングで部屋へと戻ったのか――その理由が静かに描かれます。
そして、変わってしまった空気の中で、それぞれがどんな思いを抱いていたのか。
泣くことすらためらう子どもたちと、ただ一人で涙を流した大人。
淡々と過ぎていく時間のなかで、押し込めていた感情が少しずつ顔を出します。
アルムの部屋には、泣き声が静かに響いていた。
朝の光がカーテン越しに差し込んでいるのに、空気はどこまでも重かった。
ともえはソファーにうずくまり、言葉にならない声を漏らしていた。
しゃくりあげながら、何度も鼻をすすり、涙を止めようともしない。
その隣で、サディがそっと背中をなでていた。
彼女自身も胸がいっぱいで、今にも涙がこぼれそうだった。
けれど、ともえの声が止まないから、泣くわけにはいかなかった。
(シン……ほんとうに、いなくなっちゃったの……)
言葉にしたら、崩れてしまいそうで。
だから黙って、ともえの隣に座っていた。
ベッドの上では、アルムがうつ伏せになっていた。
枕に顔を押しつけたまま、じわじわと沸く怒りを持て余して、何度も寝返りを打った。
でも、どんな向きになっても、頭の中はノンナのことでいっぱいだった。
ノンナに対する怒りが、頭の中をぐるぐると巡っていた。
わかってたのに。予想できてたのに。
なんでノンナが泣いたの。
――あんなの、私達泣けないじゃん。
ともえの泣き声が耳に残る。
サディのぎこちない声も。
(……全部、ノンナのせいじゃん)
ノンナがいつもみたいに伝えてくれててたらともえもここまで泣かなかった。サディも泣くの我慢しなくてよかった。
なんで泣いたんだよ。
心のどこかで、何度もそう繰り返していた。
もう顔も見たくなかった。だから、ここに逃げてきたのに。
部屋の中には、三人の息づかいだけがあった。
シンのいない朝は、あまりに静かで、そして冷たかった。
ともえが、しゃくり上げながらサディに尋ねた。
「なんで……なんで、シンとお別れしなきゃいけないの……? ずっと一緒だったのに……!」
その声は、子どもの泣き声じゃなかった。
大切なものを奪われた人の、静かな絶望の叫びだった。
サディは言葉を失っていた。
わからなかった。
どれだけ考えても、答えなんて出てこなかった。
(……わたし、だって……納得なんて、できてない……)
気づけば、頬を一筋の涙が伝っていた。
サディは慌てて袖でそれをぬぐう。
ともえには、見られたくなかった。
そして、咄嗟に――話題を変えた。
「アルム、は……かなしく、ないの……?」
突然の問いかけに、アルムは枕に顔を押しつけたまま、ぴくりと指を動かした。
「別に悲しくないし、シンなんていてもいなくても変わらないでしょ。
私からしたら……ベッド広く使えるから、嬉しいかも」
ぽつりと、アルムがそう言った。
サディとともえは、同時に顔を上げた。
ともえは、ぽかんと口を開けたまま、アルムを見つめていた。
サディは一瞬、固まった。
ともえが何か言おうとした。
けれど――その次の瞬間、サディが立ち上がってアルムに詰め寄った。
「……なに、いって、るの……?」
掠れた声だった。
「アルム……あなた、本気、なのっ!?」
怒鳴るようにそう言って、ベッドにいるアルムを押し倒した。
布団がくしゃりと沈む。
サディは、そのままアルムの上に覆いかぶさるようにして、顔を覗きこんだ。
震える瞳。ぎゅっと握った拳。
小さな身体が、怒りと悲しみに揺れていた。
アルムは、サディが怒ることも、押し倒してくることも――
最初から、わかっていた。
「……シンなんて、いなくてよかったよ。
どうせベッド狭かったし。今夜からは広く寝られる」
ベッドに押し倒されたまま、枕に頬を押しつけながら続けた。
「泣くのは勝手だけど、私の部屋で泣くのやめてよ。うるさいし」
淡々とした口調だった。まるで本当に、何も感じていないように。
「……てかさ、二人とも。
なんでシンがいなくなったのか、ちゃんとノンナに聞いてから泣きなよ。
わかんないのに泣いても、しょうがないでしょ」
その言い方はあくまで“いつものアルム”だった。
どこまでも平然とした声色で、目も合わせず、感情を一切見せないまま――
サディは覆い被さったまま、怒りをぶつけるように声を上げた。
「……なに、それ……っ! シン、いなくて いいって……ほんき、なの……!?」
揺れる声。震える指先。けれど目は、真っすぐアルムだけを見つめていた。
「なんで……いつも、みたいに 話してるくせに……目、みて こないの……!」
言葉がうまく繋がらない。けれど、それでも叫ぶように続けた。
「なん、なの……! アルム……!」
アルムはなるべくいつも通りの調子を保とうとして、苦し紛れに口を開いた。
「……目の前で騒ぐなよ……」
そう言ったつもりだった。
けれどその声は、どこか弱く、張りのないものだった。
サディも、ともえも、その小さな変化に気づいていた。
――いつものアルムじゃない。
(悲しくないわけないじゃん)
(事前に知らなかったら、私だって泣いてたかもしれないし……)
(でもノンナがあんなふうに泣いてたら、サディもともえも動けない)
(だったら私が……みんなの怒り役になれば……)
(少しは、気持ちが楽になるかと思ったのに)
(新しい王子も来るっていうし……)
(……ノンナのバカ。なんで私が、こんなめんどくさいことやらなきゃいけないの)
サディの体温と、近すぎる距離に息が詰まりそうになりながらも、
アルムは目をそらしたまま、ただ黙っていた。
サディは、そっと問いかけた。
「……アルムは、ほんとはどう思ってるの?」
アルムは黙ったまま、何も言わなかった。
言えなかった。
今さら、心配だとか悲しいだとか、口にしたくなかった。
そんなこと、今さら言ったら――
かっこ悪いし、情けないし、自分が自分じゃなくなる気がした。
その空気を和らげるように、ともえがサディの隣に横になりながら言った。
「アルムも……きっと、シンがいなくなって混乱してるんだよ……」
「べ、別に私は……」
そう言いかけたところで、サディがアルムの横にそっと寝転びながら言った。
「……ごめん。アルムの気持ち、考えてなかった」
「悲しくないわけないよね。ともえと私が泣いてたから、アルムなりに励まそうとしてくれたんだよね……」
その言葉に、アルムは小さく肩を揺らした。
でも顔は見せなかった。
枕にぎゅっと顔を埋めたまま、くぐもった声でつぶやいた。
「……べつに……そんなことないし……」
三人の距離は近いのに、
それでもどこかぎこちない沈黙が流れていた。
その頃ノンナは、自分の部屋で年甲斐もなく泣きながら、枕に顔を埋めていた。
声にならない声で、ぽつぽつとこぼれる言葉は、誰に届くこともなく、ただ枕に吸い込まれていく。
「……ごめんなさい……」
「あそこで……泣いたらダメって……わかってたのに……」
「……シンがいなくなって……一番つらいのは……あの子たちって……わかってたのに……」
「なのに……私が……ごめんなさい……ほんとに……ごめんなさい……」
嗚咽は徐々に強くなり、身体が小さく震える。
誰かに許してほしくて言っているわけじゃない。
ただ、謝らずにはいられなかった。
三人の顔が何度も頭に浮かんでは、心を締めつけてくる。
「……アルム……サディ……ともえ……ごめんなさい……」
カーテンの隙間から、まぶしい朝の光が差し込んでいた。
それが余計に、現実を容赦なく突きつけてくる。
ノンナは枕に顔を埋めたまま、静かに泣き続けていた。
ノンナはしばらく、年甲斐もなく泣きながら、枕に顔を埋めていた。
どれだけ謝っても、どれだけ後悔しても――
戻ってくるわけじゃない。
(……もう、あの子たちは泣かない)
そう、心の中で決めた。
泣いていいのは、自分ではない。
私が立たなければ、あの子たちはもっと傷ついてしまう。
涙の痕をぬぐうと、ノンナは体を起こし、部屋を出て階段を降りた。
肌に張りつく感覚が気になって、まっすぐ一階の浴室へと向かった。
シャワーの下に身を置くと、温かな水が肩に落ちてきた。
昨夜の汗と、混ざり合ったすべてを洗い流すように――
ノンナは長い時間、ただ黙って水に打たれていた。
冷たくはない。けれど、寒気は止まらなかった。
手が震えるのは、きっと心がまだ現実を受け止めきれていないからだ。
体を洗い流し、髪をまとめて、ようやくノンナは広間へと足を運んだ。
家具は、焦って整えたときのまま。
けれど、床の隅には小さな水気がまだ残っていたし、空気の中にもかすかに、気づかれたくない匂いが漂っていた。
ノンナは無言で雑巾を手に取り、ひとつずつ、ゆっくりと、掃除を始めた。
誰にも見せられない光景を、なかったことにするように。
その作業が終わるころには、日差しはもう天井の高いところにあった。
昼を、とうに過ぎていた。
ノンナは、三人に謝るため、アルムの部屋の前に立っていた。
手には何も持っていないはずなのに、妙に重く感じる。
普段なら何気なくノックできた扉。その前で、ノンナの手は小さく震えていた。
(……謝らなきゃ)
意を決して、扉を軽く叩く。
「……話があります」
小さな声で呼びかけるも、部屋の中から返事はなかった。
ためらいながらも、ノンナは静かに取っ手を回し、ドアをゆっくりと開ける。
静かな空気の中、ベッドの上で三人が寄り添って眠っていた。
アルムを真ん中にして、サディとともえが小さく身を丸めている。
サディとともえの目元は赤く、泣き腫らした跡がくっきりと残っていた。
ノンナは、そっと口元に手を当てた。
胸の奥に、言葉にならない痛みが湧き上がってくる。
あれだけ謝る覚悟をしてきたのに、言葉は一つも出てこなかった。
「……何のようなの、ノンナ」
アルムは目を擦りながら、はっきりとした口調で言った。
眠気よりも、明らかな苛立ちが声に混じっている。
「私は今、起こされたんだけど。
話があるなら早くしてよ。立ってるだけなら、来ないでくれる?」
その一言に、ノンナの顔が一瞬だけ強張った。
けれど、すぐに覚悟を決めたような表情に変わり、口を開く。
「……シンがいなくなった理由を、お話ししに来ました」
凛とした声だった。けれど、その後の言葉には少しだけ迷いがにじんでいた。
「ですが、お二人がお休み中なので……お二人が起きたら、お伝えください。
目が覚めたら、中央ホールに降りてきてください。そこで、すべてお話しします」
「……はあ? じゃあ、なんで来たの?
起こす気もないのに、今さらノックとか、意味わかんないんだけど」
アルムの声は低く、けれど鋭く突き刺さるようだった。
ノンナはそれ以上何も言わず、静かに頭を下げて――
扉を閉めた。
その音だけが、やけに大きく、静かな部屋に響いた。
扉が閉まったあと、アルムはしばらく天井を見つめていた。
(……やっと、いつものノンナに戻ったか)
心のどこかで、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
けれど、それを顔に出すことはしない。するつもりもない。
むしろ、わざと不機嫌そうに眉をしかめたまま、枕に顔を埋める。
(……別に安心したわけじゃないし)
そう言い聞かせるように、布団に体を丸めた。
静かな息がゆっくりと落ち着いていく。
気づけば、また眠りの中へと沈んでいた。
アルムは、なにか気配を感じて目を覚ました。
息がかかるほど近くに、誰かがいる――そんな違和感。
ぼんやりと目を開けると、そこにはともえの顔があった。
……近い。
あまりにも近すぎて、唇が触れてしまいそうな距離だった。
「……っ!」
「わわっ!」
二人同時に声を上げたその瞬間、反射的に体を離した。
アルムは勢いよく横に転がり――
ともえは逆方向に倒れて、ベッドから落ちた――かと思われたが、
ふわっ……と、魔力の光がともえの体を包む。
そのまま床に着く前に、ゆっくりと着地するように降り立つ。
「……あぶな……っ」
ほっとしたように息をつくともえ。
ぽすん。
アルムはそのまま、横に寝ていたサディの上に倒れ込んだ。
「……っ!? な、なに……!」
サディがびっくりして、ぱちっと目を開けた。
「……きゅ、急に……なに、アルム」
サディが少し不機嫌そうに言った。
目をこすりながら、まだ寝ぼけた声でアルムを見上げる。
「ち、ちがくて! ともえが! 目の前にいて、びっくりして……!」
アルムは焦った様子で、早口に言い訳を始めた。
「わ、わたし、なにもしてないからっ!」
ともえが顔を真っ赤にしながら、慌てて叫ぶ。
サディは、ため息まじりに目を伏せて――
「……いいから……どいて、アルム」
「……ご、ごめん」
アルムは小さく謝って、サディの上から降りた。
アルムは、ぼそっと言った。
「……そういえば、さっきノンナが来た。
シンがいなくなった理由、話すってさ。中央ホールで待ってるって言ってた」
いつも通りのトーンで話していた。
ともえが静かに起き上がり、サディもそれに続く。
「……行こっか」
「……うん」
三人は無言のまま着替えを整え、扉の前に立つ。
アルムがドアに手をかけ、開くと昼の光が部屋に差し込んだ。
そのまま三人は階段へと足を運ぶ。
ゆっくりと、無言で。それぞれの胸には確かな重さがあった。
ちなみに今回、ともえが顔を近づけていた理由は、
**「アルムにキスしようとしていたから」**です。
ともえは目を覚ましたとき、隣にいたアルムとサディを見て、
「本当にシンはいないんだ」と実感してしまい、涙が出そうになっていました。
その気持ちを落ち着かせるために、思わずアルムにキスをしてしまおうかと――
“普段なら絶対にしないこと”をしようとしてしまった、という裏設定です。




