第21話 意外な訪問者
ついに――物語は最終章へと突入します。
長い日々を共に過ごしてきた五人に、王族としての「現実」と「運命」が静かに忍び寄る。
それぞれの想い、それぞれの立場。
誰もが一歩踏み出す覚悟を問われるなかで、選ばれるのは“絆”か、“血”か。
ふだん通りの朝食から始まったその一日が、
やがて彼らの世界を大きく揺るがす――そんな一章の幕開けです。
いつも通り、五人で朝食を囲んでいた。
パンのちぎれる音、スープの香り、朝の光――
いつもと変わらない、はずだった。
けれど、その空気をやわらかく割るように、ノンナが口を開いた。
「今日は……リュサニアから、客人が来ます。
シン以外の皆さんは、部屋にいてください。顔を出してはいけません」
ともえが、スプーンを置いて小さく眉をひそめた。
「……なんで? なんでシンだけいいの?」
ノンナは少しだけ困ったように笑って、
「理由は……あとで説明します。とても大事な用事なので」とだけ告げた。
朝ごはんを食べ終え、片付けもひと段落したころ。
ノンナが静かにシンへと視線を向けた。
「シン、身なりを整えて。服はこちらで用意するわ。
昼には客人が到着する予定だから」
シンは少し驚いたように眉を上げたが、黙ってうなずいた。
ノンナはそのまま、音もなく浴室へと歩いていく。
廊下に足音が吸い込まれていった。
残された四人は、自然とアルムの部屋へ向かう。
ベッドの端に腰かけたり、床に座ったり、
それぞれが慣れた動きで居場所につく。
ともえが、シンに向かって言った。
「ねぇ、今日の客人って、どんな人なんだろうね……
ノンナがあんな言い方するの、ちょっと珍しくない?」
シンは、少し考えるように顎に手を当てながら言った。
「僕にも分からないけど……たぶん、僕がノンナ様の“付き人”だからじゃないかな。
三人は、あくまで“居候”って立場だし」
ともえは、不満げに眉をひそめる。
「でもさ、シンだって、私たちとそんなに変わらないじゃん。
いつもノンナの手伝い、みんなでしてるしさ……」
そう言いかけたとき、ソファーに座って本を読んでいたアルムが、ページをめくる手を止めた。
「……私の部屋なんだけど」
無表情に、でもいつも通りの文句。
ともえは慣れた様子で笑って、
「はいはい、“アルム様”のお部屋、今日も使わせてもらってます〜」
と、軽くからかうように返した。
アルムは特に反応せず、また静かに本のページをめくった。
アルムは本から顔を上げずに、ぽつりと呟いた。
「そんなことより、サディの方を心配した方がいいんじゃない?
リュサニアからの客人ってことは、エルフが見られたらその場で打ち首――とか、あるかもよ。
本とか、シンが話してたリュサニアの歴史でも、エルフの存在って……あんまり良く思われてないでしょ?」
サディは、窓の外をぼんやり見ながら、小さく呟いた。
「……打ち首、になったら……返り討ち、にするから……だいじょうぶ」
シンは深くため息をついて、頭をかいた。
「返り討ちにしたらダメでしょ……。客人なんだからさ……」
アルムが静かに立ち上がり、黙ってシンの前に歩いていった。
「……身なり整えるんでしょ。鏡の前、座って。髪、セットしてあげるから」
そう呟いて、シンを鏡の前に促した。
ともえは、アルムの意外な行動に思わずまばたきする。
(え……アルムが……?)
シンは少し戸惑いながらも椅子に腰かけて、鏡越しにアルムを見た。
「……髪のセットくらい、王族なら当たり前にできるし」
そう言って、照れ隠しのようにアルムを軽く突き飛ばした。
顔がうっすら赤くなっているのを、ともえは見逃さなかった。
アルムは「……あっそ」とだけ返して、すぐにソファーに戻って本を開いた。
何事もなかったような顔で読み始めるその背中に、
ともえはほんの少し、笑ってしまいそうになるのをこらえた。
アルムは本を読みながら、目線ひとつ動かさずに思考を巡らせていた。
(……馬車が森に入ったか。この速度だと、あと数時間で家に着くな。
エルフたちの動きは……今のところ、なし)
視線はページの上にありながら、意識は別の場所を見ていた。
家の外――木の上に設置した“人形”の視界を通して、アルムはすでに馬車の接近を確認していた。
誰も気づいていない。 アルムが、読みかけのページの裏で“警戒”を緩めていないことを。
シンは鏡の前で、髪を整えていた。
手つきは少しぎこちないが、表情は真剣そのものだった。
「……アルム、いつもよりどう? 一応、ちゃんと整えてみたけど」
背中越しに問いかけると、アルムは本から顔を上げずに、ぼそっと返した。
「……別に、いいんじゃない?」
気のない返事に聞こえるけれど、どこか否定しない優しさが混じっていた。
サディがそっとシンを見つめながら、ぽつりと声を発した。
「いつもより、かっこいいと 思う……」
シンは少し目を丸くして、サディの方を見た。
「……ありがとう、サディ」
その声はまっすぐで、静かに嬉しそうだった。
サディはうなずくと、また視線を逸らして口をつぐんだ。
アルムの部屋の扉が、静かにノックされたかと思うと、ノンナが中へと入ってきた。
バスローブ姿のまま、まだ髪から湯気が立ちのぼっている。
「失礼します」
そう言って部屋に入ると、軽く一礼してから視線を全員に向けた。
「――今日の客人について、正式にお伝えします」
一瞬、部屋の空気がぴんと張り詰めた。
ノンナはゆっくりと息を整えたあと、はっきりと告げる。
「本日、この家に来訪されるのは――リュサニア王朝の現王、ラウンド・オルタナクト様です」
沈黙が落ちる。
「本来なら、私の方からリュサニアへ出向くのが礼儀ですが、今回は“密談”という形で、ラウンド様が直々にこの地へお越しになります」
ノンナの言葉に、誰もすぐには反応できなかった。
だが、ノンナはさらに重い口調で続ける。
「この件は――シンに深く関わる話です。ですが、他の三人、特に……サディ」
ノンナの目が、静かにサディへと向いた。
「あなたは、絶対にこの密談の場に近づいてはいけません。 ――万が一、聞き耳を立てるようなことがあれば……」
ほんの一瞬、言葉を選んだような間があって。
「……私が、その場で処刑しなければならなくなってしまいます」
その言葉に、誰も息をのめなかった。
それほどまでに――“王”の来訪は、重く、揺るぎないものだった。
ノンナの言葉が静かに空気を締めつけたまま、しばらくの沈黙が続いた。
その中で――
ぱたん。
静かに本が閉じられる音が響いた。
アルムが手元の本を閉じ、表紙を指で軽くなぞるように撫でながら、淡々と口を開いた。
「……ヴァノス連邦とゼルトナ王国の本が読み終わったから他の本もできたらほしい」
その口調はあまりに平常で、さっきまでの緊迫した雰囲気とまるで違っていた。
ともえは額に手をあてて、思わずため息をつく。
「今、それ言う……? 空気読もうよ……」
ノンナは微笑を浮かべたまま、しかしほんの少しだけ眉を下げて言った。
「申し訳ありません、アルム様。その二つの国の書物に関しては、リュサニアにはほとんど流通しておりません。 ……新しい本を手に入れるのは、難しいかもしれません」
アルムはそれ以上何も言わず、閉じた本を横に置いた。
ノンナは姿勢を整え、柔らかく会釈をしてから言った。
「では、私もこれから迎えの準備に入ります。……みなさま、くれぐれも――部屋から出ないようにお願いいたします」
そのまま、静かに扉を開けて、ノンナは部屋を後にした。
部屋には、再び静けさが訪れた。
ノンナが部屋を出たあと、空気がすこし和らいだ。
そのタイミングで、サディがアルムの方を見て口を開いた。
「……アルム……ヴァノス連邦と、ゼルトナ王国の ことば…… 理解、できるように なったの……?」
アルムはソファに腰かけながら、手にしていた本を閉じて軽くうなずいた。
「まあ、読み言葉なら。書き方とか文法は少しずつ分かってきた。 でも発音とか、聞き取りとかは無理。本でしか学んでないし、実際の音は聞いたことないから」
「……そう、なんだ」
サディは一瞬だけ考えるような間を置いて、少し前のめりになって言った。
「……じゃあ……読み方だけでも、教えて。わたしも……知って、おきたい」
アルムは少し驚いたようにサディを見て、それからほんのわずかだけ微笑んだ。
「……いいけど。教えるっていっても、そんなに深くは読めないよ。 せいぜい、手紙の冒頭くらい」
「それで、いい」
「……じゃあ後で、写本してるやつ見せてあげるよ」
「……うん」
そのとき、視線の端に映ったシンの顔がやけに青ざめていた。
ともえが心配そうにシンの横ににじり寄って小声で話しかける。
「シン? なんか顔色悪くない? ……具合でも悪いの?」
アルムはその様子を見ながら、内心で静かに思った。
(……シンって、リュサニアの王族なんだよね。じゃあ今日の“客人”って――)
(父親、ってことか)
(にしても……顔色、真っ青すぎない?)
口には出さなかったけれど、気になったアルムはゆっくり立ち上がった。
「シン、髪まだ整えてないでしょ。ノンナに正装もらってきなよ。 ……さすがに、その顔で出迎えるのはまずいでしょ?」
シンは一瞬きょとんとして、それから苦笑を浮かべた。
「……うん。……ありがと。行ってくる」
そう言って、ぎこちなく立ち上がり、部屋を出ていった。
シンが部屋を出ていったあと、サディがそっと声をかけた。
「……アルム。ヴァノス連邦とゼルトナ王国の……読みことば、教えて。今日は、ひまそう……でしょ」
気だるげにため息をついた。
「……めんどくさい……」
そう言いつつも、隣のクッションを軽くぽんぽんと叩いて、サディを呼ぶ。
「……ここ、座って」
すると、ともえがぱっと手をあげた。
「私も! 一緒に勉強する!」
ともえもソファーの反対側にぴょこんと座り、三人でぎゅうぎゅうの並びになった。
アルムは、膝の上にノートを広げて、無造作にメモを見せながら口を開く。
「この記号……多分だけど、ゼルトナ語で“あ”って意味。で、こっちはヴァノス語で“う”。文脈から推測しただけだけどね」
「発音とか聞き取りはわかんない。本しかないから、文字しか読めないし」
「誰かに教わったわけじゃないから、全部“たぶん”だけど」
ともえとサディは、アルムのノートを覗き込みながら真剣にうなずいていた。
しばらくそうしていると――
ともえがふと、ペンを持つ手を止めた。
「ねえ……」
アルムとサディがちらっと横目を向ける。
ともえはクッションをぎゅっと握って、ぽつりとつぶやいた。
「密談って、なに話すかは分かんないけど……どうして、私たちって聞いちゃダメなんだろうね?」
アルムは一瞬だけ目線を上げてから、視線を紙に戻し、ぼそっと答えた。
「……リュサニアの人間じゃないから、でしょ。たぶん」
ともえは「ふーん」と小さく返事をしたあと、静かにペンを動かし始めた。
サディも、それ以上は何も言わず、アルムのノートをじっと見つめていた。
部屋の中に、ペンが走る小さな音だけが響いていた。
アルムたちがソファーで言語の勉強をしている頃。
シンは自室で身支度を終えたノンナに連れられ、シンの部屋で正装に着替えていた。
ノンナがリュサニア伝統の上着のボタンを留めながら、シンの襟元を丁寧に整えていく。
「……ノンナ様、申し訳ありません。正装の着方も知らずに……」
シンが恐縮したようにうつむくと、ノンナは静かに微笑んで首を横に振った。
「大丈夫よ、シン。あなたは六歳からこの家にいるんですもの。
私がもっと早く、礼儀や正装の着脱を教えてあげるべきだったわ」
指先が優しくネクタイの位置を整えながら、ふと視線を遠くに向ける。
「……密談が終わったら、三人にもリュサニアの礼儀や正装の着方を、ちゃんと教えてあげましょうね」
そこまで言って、ノンナはふっと笑みを深くした。
「……特にアルム様。あの子は本当にかわいいから、きっとドレスも、とてもよくお似合いになると思うの」
思い浮かべたのか、ノンナの目がわずかに細まって嬉しそうに揺れた。
ノンナは、別室でシンに正装を着せながら、リュサニアの礼儀や作法を一通り復習させていた。
言葉遣い、立ち居振る舞い、王族としての受け答え――
「背筋をもう少し伸ばして。はい、もう一度ご挨拶の言葉を」
「……は、はい。『本日はようこそお越しくださいました、ラウンド・オルタナクト陛下』……」
「よくできました。緊張せずにね。深呼吸して、少し肩の力を抜いて……そう」
一方その頃。
アルムの部屋では、三人がまだソファーに並んでいた。
「……一旦、休憩」
そう言って、アルムが本を閉じると、ともえが小さくうなだれた。
「うー……ヴァノス語、文法むずかしすぎ……」
とぼやきながら、両手で頭を抱える。
「リュサニアとも、カリュディアとも、アストロとも……
文法も語順もぜんぜん違うじゃん! なんでアルムは分かるんだよー……」
視線をアルムに向けて、むくれた顔でぼそぼそと文句をこぼす。
「ゼルトナ語は、まだリュサニアと似てる部分あるから、少しわかるけどさ……」
すると――
コン、コン、コン。
部屋の扉が三回、静かにノックされた。
アルムが「開けて」と促すと、扉が音もなく開いた。
中へ入ってきたのは、正装姿のシンだった。
いつものシャツとズボンとは違う、濃紺の上着に金の装飾があしらわれた、格式ある衣装。
髪はきれいに整えられ、背筋はまっすぐに伸びている。
そして、腕を後ろに組みながら、ゆっくりと歩を進めると――
「私の正装姿は……いかがでしょうか?」
いつもとは打って変わった、かしこまった丁寧な言葉遣いで、三人に向かって問いかけた。
いつもは優しくて、しっかりしてるけど少し抜けているシンが――
今は、まるで本物の貴族のように立っている。
サディとともえは、一瞬、言葉を失った。
(……シン、かっこいい……)
サディはそう思った自分に驚きつつも、少しだけ顔を赤らめて、胸の奥がどくんと跳ねた。視線をまっすぐ合わせられず、手元を見つめたまま、言葉を探していた。
ともえも、鼓動がわずかに早くなっているのを感じながら、
(え……今の……シン? ……なんで、こんなに……かっこよく見えるの……?)
胸の奥がざわつく。
(え? これって……ドキドキ、してる……?)
戸惑いとともに、ほんの少し、頬が熱くなるのを感じていた。
静かな空気の中で、
アルムだけが、ごく自然な声で言った。
「うん。いつもより、かっこいいと思うよ」
その言葉に、シンの肩がわずかに揺れた。
「……ありがとう」
小さく、小さく――
けれど確かに、顔をほんのり赤くしながら呟いた。
「……そろそろ、お見えになる頃ね。シン、一緒に玄関へ行きましょう」
ノンナは正装姿のシンの肩にそっと手を添えて、部屋の扉に向かう。そして振り返り、残された三人――ともえ、サディ、アルムを静かに見据えた。
その瞳には、これまで見せたことのない冷たい鋭さが宿っていた。
「……ともえ。サディ。アルム様。」
声のトーンが、いつもの柔らかなノンナのものではなかった。
「――いいですか。これは“お願い”ではありません。“命令”です」
部屋の空気が凍るように感じた。
「この扉の外で何が話されても、あなたたちは絶対に聞いてはいけません。 一歩でも外へ出れば、“賢者”として――“処断”しなければならなくなります」
ともえが思わず口を開きかけたが、ノンナの視線が一瞬でその動きを止めた。
「特にサディ。あなたは“エルフ”です。 リュサニアの王に見られた瞬間、あなたの命は保証できません」
ノンナは右手をすっと扉の方へ伸ばし、結界を発動させた。 パチッと弾ける音と共に、淡い光が扉を覆う。
「――これで外の音は聞こえませんし、扉も開きません。 ……このくらいの強制力がなければ、私はあなたたちを守れない」
その声には、優しさではなく“覚悟”があった。
ノンナは最後にもう一度だけ言った。
「……お願いです。命を、守るために。――絶対に、出ないでください」
そして、扉を閉めると、音もなく足早にシンと共に廊下を去っていった。
シンの足取りも、その背筋も、もう“少年”ではなかった。
小さな王族としての――覚悟が、その歩みににじんでいた。
作中で少し触れた言語の違いについて、ここで少し補足しておきます。
ヴァノス連邦の言語だけが、他の国と大きく異なる理由は、連邦という体制にあります。
800年の歴史のなかで複数の民族が共存・融合し、それぞれの言語の特徴を持ち寄る形で“合体語”のような言語が使われるようになりました。
また、戦争が絶えなかったため、文法や語順が次第に“暗号化”のように複雑化していき、敵国に情報を漏らさないよう設計された、という背景もあります。
一方、ゼルトナ王国は王による中央集権が強く、古くからの統制が取れているため、カリュディアの言語に近い構造を持っています。
ただし、「似ている」だけであって、文法の乱れや語順の粗さは目立ち、王の力によって“無理やり”統一された名残が見え隠れします。
結果として、表面的には近くとも、使われ方や品位には大きな差があるのです。
次回から、ついに“王との密談”が本格的に始まります。
四人の物語に、どんな影を落とすのか――ぜひ見届けてください。




