第15話 アルム・バーンデッド
新たな一日が始まり、少しずつ“日常”が動き出します。
同じ屋根の下で暮らすことになった四人――まだぎこちない距離感の中で、それぞれの想いが静かに揺れていきます。
少しずつ、でも確かに深まっていく関係のはじまりを、見届けてください。
アルムが目を覚ますと、すぐ隣にいたともえと目が合った。
ぼんやりとした目で、寝起きのともえが小さく声をかける。
「……おはよう」
その声を聞いた瞬間、アルムは思い出した。
(ああ、そういえば……こいつと一緒に寝たんだっけ)
特に返す言葉も思い浮かばず、アルムは挨拶を無視してベッドから体を起こす。
だが、そのときともえがぽつりと呟いた。
「……アルムがいるなら、私もここに住みたいかも」
予想外の言葉に、アルムは思わず顔をしかめる。
(……勝手にしろや)
そう思いながらも、口から出たのは淡々とした一言だった。
「……そうなんだ」
朝日が差し込みはじめた頃、アルムの腹は静かに鳴り始めていた。
(……なんか、腹減った)
ベッドを抜け出すと、アルムはドアノブに手をかけた。
すると背後から足音がし、ベッドにいたともえが小走りで駆け寄ってきた。
気配だけで分かる。ぴたりと背後に立つともえに、アルムは少し顔をしかめた。
(……なんで、ついてくるんだよ)
だが、空腹の方が強かった。どうでもいいとばかりに扉を開け、そのまま部屋を出た。
廊下に出た瞬間、向かいの部屋の扉が開く。
出てきたのは銀髪のエルフと、金髪の少年。
少年の方は、自分より少し背が高く、二人とも昨日階段ですれ違った顔だった。
少年は何かを話しかけてきたようだったが、アルムにはその言葉がまるで理解できなかった。
(……なんか言ってるけど、わかんねーし)
無視してそのまま階段へと足を向ける。
背後には、ともえの足音がついてきた。
シンは目の前を歩いていく黒髪の少女と、そのすぐ後ろを無言でついていくともえを見て、思わず目を細めた。
(……ともえが、あの黒髪の子について行ってる?
笑ってもないし、無表情……昨日はずっと笑ってたのになにがあったんだ……?)
ともえはまるで当然のような顔で、黒髪の少女のすぐ後ろを歩いている。
昨日の様子からは想像もできなかった光景に、シンは小さく首をかしげた。
気になったシンは、その二人のあとを追って階段を降りていく。
扉に手をついて支えていたサディは、壁を頼りにゆっくりと歩いているため、少し遅れて階段を降りた。
サディが階段を降りると、人間の三人がすでに横一列に並んで座っていた。
一番左に黒髪の少女、その隣に茶髪の少女、そして右端にシンが座っている。
その横にだけ、ひとつ席が空いていた。
(……シンの よこ……すわる……)
ふらふらと歩いていき、サディは静かにシンの隣の席に腰を下ろした。
黒髪の少女は、料理にまだ手をつけておらず、少し不機嫌そうに皿を見ていた。
サディが席につくと、茶髪の少女が勝手に目の前のパンへと手を伸ばした。
その瞬間、隣にいたシンが素早くその手を叩き、食べさせないように制止する。
茶髪の少女は叩かれた手を見つめ、なぜか不気味な笑顔を浮かべながら首をかしげていた。
その様子に、サディはわずかに眉をひそめた。
やがてノンナが現れ、サディの目の前にサラダ、スープ、家畜の肉らしき焼き物、そしてパンを丁寧に置いていった。
「……これ、たべるの……? これ……まもの じゃない……でしょ……?」
家畜の肉を指差すと、ノンナは穏やかに微笑みながら答えた。
「ええ、食べないとダメよ。元気にならなきゃいけないでしょう?」
私は小さくうなずいたが、内心では戸惑っていた。
カリュディアでは、家畜の肉を食べることは禁止されていた。
食べるのは、呪いが解かれた魔物の肉だけ。
家畜の肉など、生まれてから一度も口にしたことがなかった。
ノンナは席につくと、ゆっくりと立ち上がり、それぞれの言葉で丁寧に話しはじめた。
「……食べる前に、食材に感謝を忘れずに。彼らも、生きていた命です。だから、“ありがとう”と伝えてから、食べるようにしましょう」
ノンナは私にも、リュサニアの言葉でやさしく語りかけた。
私は少し戸惑いながらも、うなずいた。
そのとき、黒髪の少女が、大きな声でノンナに何かを言い返した。
ノンナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したように微笑み、再び全員に向き直って語った。
「……そうね、“ありがとう”では少し足りないかもしれません。これからは“命をいただく”という意味を込めて──“いただきます”と声に出してから食べましょう」
その言葉に、空気がふっと変わる。
誰もが、目の前の食事に向き合うように、静かに姿勢を正した。
「いただきます」と、慣れないリュサニアの言葉を、ノンナとシン、そしてわたしはぎこちなく口にした。
黒髪の少女と、隣にいる茶髪の少女だけは、なぜか自然にその言葉を発していた。
そのすぐあと──
茶髪の少女が、目の前の皿に盛られたサラダに素手で手を伸ばし、そのまま掴んで食べようとした。
ついでに、パンに手を伸ばした拍子に肘がスープの器に当たり、汁がテーブルの上にこぼれる。
その瞬間、シンは不快そうに眉をひそめ、目を逸らした。
わたしも思わず食欲が失せるのを感じる。まるで、見てはいけないものを見てしまったようだった。
黒髪の少女は数秒黙ったあと、何か短く茶髪の少女に向かって言葉をかけた。
茶髪の少女は一瞬、不気味な笑みを浮かべたが、すぐにフォークに手を伸ばし、真剣な表情で食べ始めた。
誰も口を開かないまま、静かに朝食は終わった。
シンとノンナは立ち上がり、手慣れた様子で食器を片づけ始める。私も黙ってそれに倣った。
隣にいた二人の人間の少女は、何も言わずに部屋へ戻ろうとしていたが、ノンナの声に足を止められていた。
食器を片づけ終えると、ノンナはいつものように穏やかな表情で、私たち一人ひとりに向けて話し始めた。
「今日からは、この家ではリュサニアの言葉で会話を行います。そのため、皆さんには、少しずつ学んでいただきます」
それぞれに通じる言語で、丁寧に説明されていた。
どうやらノンナも、全員に違う言葉で話すのがさすがに大変だったらしい。
日が沈むまで、私は発音と単語の意味、そして文法を学んでいた。
ノンナは丁寧に、ひとつひとつの単語の意味や文法の仕組みを教えてくれた。
シンは私の発音に耳を傾け、何度も根気よく矯正してくれた。
けれど、驚いたのは――
黒髪の少女が、たった一日しか学んでいないはずなのに、もう私よりもずっと自然にリュサニアの言葉を使いこなしていたことだった。
発音も、文法も、まるで前から知っていたかのように正確だった。
私は、その姿をただ見つめながら、胸の奥に小さな焦りを感じていた。
夜になり、ノンナは「少し出かけてくるわね」とだけ言い残し、外套を羽織って玄関へ向かった。
シンはすぐに立ち上がり「お供します」と声をかけたが、ノンナは微笑んで首を振った。
「今日は四人でちゃんと交流してて。シン、あなたが一番リュサニアの言葉上手なんだから、助けてあげてね」
そう言って、扉の向こうに消えていった。
黒髪の少女は無言のまま立ち上がり、自分の部屋へ戻ろうとする。
シンが慌てて声をかけた。
「ちょっと待って、せっかくだし……四人で少し話さない?」
少女は軽く眉をひそめたが、ため息混じりに足を止めて、無言で机の方へ向かった。
私もあとに続くと、茶髪の少女がじっとこちらを見ていた。にたにたと不気味な笑みを浮かべながら、片言で口を開く。
「えるふ……かわいい……」
「あなた……なまえ……なに……?」
シンは少し気まずそうに、ぽつりと口を開いた。
「そういえば……名前も知らないし、自己紹介しよう」
そう言って、背筋を伸ばして自分から名乗った。
「僕は、シン・オルタナクト。六歳。リュサニア王国から来た。ノンナ様の付き人として、昨日からここに来た」
次に視線を黒髪の少女へと向けた。
「じゃあ、次は……黒髪の少女?」
「少女いうなし」
ぴしゃりとした声が返る。
「私はアルム・バーンデッド。三歳。……次、ともえよ」
ともえはふにゃりと笑いながら話そうとしたが、その顔を見てアルムがすぐに口を挟んだ。
「だからその笑顔、気持ち悪いって言ったでしょ」
ともえはびくりと肩を震わせたが、真剣な顔になって口を開いた。
「……みかづき ともえ です……さんさい……」
そして、最後は私の番だった。
「……サディ、ゲーティン……にじゅうにさい、です……」
アルムが、ふとサディに目を向けた。
「てかエルフ……じゃなくて、サディ・ゲーティン。あんた、怪我してるの?」
サディは軽くうなずいた。
「……サディ、で いいよ……。けが……きのう、ノンナ に なおして、もらった……。でも……ちゆまほう、だから……かんぜん じゃ ない……」
(治癒魔法って、完全には治らないのか)
アルムはそんなふうに思いながら、ふと興味が湧いてくる。
いい機会だし、治癒魔法使ってみたいかも。
「……サディ、服脱いで」
サディは一瞬きょとんとしたあと、顔を赤らめて聞き返した。
「……ここ、で ぬぐ の……?」
「エルフなんだから、魔物と対して変わらないでしょ? いいから、服脱いで」
そう言って手を伸ばそうとしたアルムに、シンがすかさず口を挟んだ。
「魔物と対して変わらないって、それは失礼だと思うよ。エルフは魔物じゃなくて……どっちかというと、動物に近い存在なんだから」
(この世界、動物いるんだ……。てか、じゃあ魔物ってなに?)
そんな疑問が頭をよぎるが、面倒になって「ごめんなさいね」とだけ軽く口にし、サディの服に手をかけた。
服を脱がせると、サディの肌にはまだ瘡蓋のようなものが残っていた。
アルムはその傷に手を当て、治癒魔法を発動する。
淡い光が指先から溢れ、傷痕を包み込む。次第にその痕跡は完全に消え去り、肌は元通りのなめらかさを取り戻していった。
「……いたみ、ない……」
サディは驚いたように、小さく呟いた。
(完全に治ったけど……治癒魔法って、こんなもんじゃないの?)
アルムは肩をすくめながら、あまり深く考えずに立ち上がった。サディは自分の肩を見つめたまま、ぽかんとしていた。
その反応に少しだけ違和感を覚えつつ、アルムはふと口を開いた。
「ねえ、お風呂ってどこにあるの?」
するとシンが首をかしげて言った。
「お風呂……?」
アルムは心の中で叫んだ。
(お風呂ないの!? ……この世界、不便すぎじゃない?)
けれどすぐに気を取り直して、「じゃあ、シャワーはある?」とシンに尋ねた。
「シャワーなら、トイレの隣の部屋だけど……」
そう返されると、アルムは無言でトイレの方向に足を向けた。
すると、背後からともえの声が届く。
「アルムと……いっしょに はいりたい……」
ともえは当たり前のような顔で後をついてくる。
シンはその様子を見て、少しおどけたように言った。
「じゃあ、いっそ四人で入らない? アルム、サディはどう?」
「水浴び……ひとと いっしょ、に する の……!?」
サディが目を見開いて驚いていた。
アルムはめんどくさいなと思いながらも、なんとなくその場の空気を受け入れていた。
「ともえ、シン、サディ。これから、よろしくね」
その言葉に、ともえとシンが声を揃えて「よろしく」と返す。
そしてサディは、アルムの前に歩み寄ると、迷いなく彼女の唇に口づけをした。
「……っ!? ちょっ……」
唖然とするアルムをよそに、サディはともえにも同じように軽く口づけをし終えると呟いた。
「カリュディア、の あいさつ……だから……」
アルムは少し顔を赤くしたまま呟いた。
「私、そういう趣味ないけど……」
こうして四人は、静かに浴室へと向かっていった。
今回は、四人がようやくひとつ屋根の下で言葉を交わし始めるお話でした。
サディにとっては言葉の壁も文化の違いもあり、まだまだ戸惑うことばかり。
シンも慣れない空気の中で奮闘中です。
そして――サディもシンも、実は心の中でこう思っています。
「ともえのあの“気味の悪い笑顔”、できればやめてほしいな……」と。
次回も、それぞれの関係に少しずつ変化が訪れます。お楽しみに!




