第14話 奪うもの奪われるもの
今回のお話では、それぞれの想いを抱えた登場人物たちが、ついに一つ屋根の下に集まります。
傷ついた者、迷う者、支え合おうとする者……静かに動き出す関係の兆しを感じていただけたら嬉しいです。
扉が、ぎぃ……と重く開いた。
髪は乱れ、服は裂け、肩から血を流しながら、ぼろぼろの状態のサディが立っていた。
無言のまま一歩、室内に足を踏み入れた。
ノンナは机に一人座り、顔だけをサディに向けると、静かに言った。
「……遅かったわね」
サディは顔を伏せたまま、わずかに目を細めて答えた。
「……仕方なく……戻ってきた」
声は小さく震えていた。
「ノマの首に……爆弾が巻かれてた。逃げたって……意味なかった……」
その目には、涙がたまりはじめていた。
サディは力が抜けるようにその場に崩れ落ち、うつ伏せに倒れ込んだ。
それを目にしたノンナは、無言のまま素早く駆け寄る。足音すら立てず、静かにその傍にしゃがみ込む。
倒れたままのサディは、かすれた声で「……だいじょ……」と何かを伝えようとしたが、喉が震えるだけで、うまく声にならなかった。
ノンナはそんなサディに右手をゆっくりと掲げ、淡い光をともす。
「……まずは、治癒魔法からよ」
そう言って、肩の傷口に向けて、静かに魔力を流し始めた。
「……反射している?」
ノンナの治癒魔法は、皮膚の表面で弾かれ、何も作用しなかった。
ノンナは目を細め、すぐにその原因に気づく。
「やっぱり……魔物の呪いね」
呟くように言うと、ノンナは手のひらを返し、別の詠唱を始めた。
今度は、呪いを打ち消すための魔法。空気に細かな振動が走る。
「まずは……こちらをほどかないと」
淡く光る術式がサディの肩に触れると、まるで膜が剥がれるように、呪いの気配が溶けていった。
ノンナはすぐに治癒魔法を展開する。
今度は魔法が弾かれることなく、傷口へと染み込んでいく。
えぐれていた部分がゆっくりと再生し始め、赤黒かった肉が肌の色を取り戻していく。
シンは浴室の扉を静かに開けて出てきた。
(……浴槽、めちゃくちゃ綺麗だったな)
湯気が抜けていく体に、ふわりと眠気が広がる。
(お腹もすいてないし、ノンナ様に「おやすみなさい」って言って寝ようかな……)
そう思いながら、ふとノンナがさっきまで座っていた椅子に目をやる。
──だが、そこにはもう誰もいなかった。
(……あれ? いない?)
不思議に思って玄関の方へ視線を移すと、ノンナが魔法を使用しているのが見えた。
青白い光があたりをぼんやりと照らし、彼女の髪と衣が風に揺れている。
(……なにかあったのか?)
シンは思わず息をひそめたまま、じっとその様子を見つめていた。
ノンナの治癒魔法によって、サディの肩の傷はゆっくりと塞がっていった。やがて痛みも和らぎ、サディはかすかに息を吐くと、かすれた声で言った。
「……ありがとう」
ノンナは静かに頷き、優しく言葉を返した。
「二階の右手側に空いている部屋があるわ。それがあなたの寝室よ」
サディはその言葉を聞いて、立ち上がろうとした。しかし力が入らず、バランスを崩してその場にふらつく。
その瞬間、後ろからそっと腕が伸びた。
浴室から戻ってきたシンが、サディの肩を支えた。
「ノンナ様。このエルフ、運んでもよろしいですか?」
シンが尋ねると、ノンナは一瞬サディを見やり、柔らかな声で応じた。
「ええ。でも、その前に——まだ少し、話があるの。椅子に座らせてくれる?」
シンは無言で頷くと、ゆっくりとサディを椅子へと導いた。そして、その隣に腰を下ろす。
ノンナの目は静かに、サディへと向けられていた。
ノンナはサディの様子を見つめながら、静かに尋ねた。
「もう一人のエルフとは……別れられたの?」
その瞬間、サディの顔色が変わった。脳裏に、あの光景が鮮明に蘇る。
──ノマの体が魔物に呑まれていく。血と肉が飛び散り、助けられなかった自分だけが残される。
サディは唇を震わせ、胃の中はすでに空のはずだったのに、その場で再び吐いてしまった。苦しそうに肩を揺らしながら、何もない胃から絞り出すように嗚咽が漏れる。
ノンナはすぐに顔を伏せ、申し訳なさそうに声をかけた。
「……ごめんなさい。あなたにつけていた魔法で、だいたいのことは分かっていたの。なのに、そんな意地悪なことを聞いてしまったわね」
ノンナは立ち上がり、床に広がった吐瀉物に目を向けると、静かに言った。
「片付けは、私がしておくわ。……シン、彼女を二階の右手の空いている部屋に運んであげて」
「わかりました。ノンナ様、おやすみなさい」
シンは丁寧に一礼し、ぐったりとしたサディにそっと肩を貸した。サディは何も言わず、ただ静かにその体を預ける。
二人でゆっくりと階段を上がろうとしたその時、背後からノンナの声がふわりと届いた。
「そういえばシン、そのエルフ、サディって名前みたいよ。それと、リュサニアの言葉、少しだけ独学で分かるみたい。たぶん、あなたの言葉も通じると思うわ」
シンは階段の途中で足を止め、小さく振り返った。
「……そうですか。ありがとうございます」
そう呟いてから再び前を向き、サディとともにゆっくりと二階へと向かった。
二階の右の廊下にたどり着いたシンは、左右に並ぶ四つの部屋を見渡した。
(ともえを入れたのは右手前の部屋……黒髪の子はどこに入ったんだ?)
部屋は向かい合わせに二つずつ並んでいる。ともえを案内した右手前の部屋以外には、まだ入っていない部屋が三つ。
(黒髪の子がどの部屋にいるか分からない……)
立ち止まって迷っていると、右奥の扉が音を立てて開いた。
中から現れたのは、少し不機嫌そうな顔をした黒髪の少女だった。彼女は目の前のシンとサディに一瞬だけ視線を向けたが、何も言わず、そのまま階段の方へ歩き出す。
(あの子、何も言わずに……)
シンはその背を目で追いながら、右奥の部屋が彼女の部屋だったと気づいた。
(なら、空いているのは左側か……)
エルフのサディを支えながら左奥の部屋へ向かった。
サディをベッドに座らせたシンは、部屋を出ようと扉に手をかけた。
だが、ふと立ち止まる。
(……少しだけ、話してみようか)
そう思い直し、シンは静かにベッドへ戻り、サディの隣に腰を下ろした。
そして、リュサニアの言葉でゆっくりと尋ねる。
「……さっき一緒にいたエルフの子は、どうしたの?」
サディは小さく肩を揺らしただけで、答えなかった。
シンは少しだけ間を置いて、さらに問いかけた。
「……さっき、吐いてたよね。どうして?」
ただ、真っすぐに理由を知りたがっていた。
サディは少し俯いたまま、片言のリュサニア語で口を開いた。
「……いっしょ、に いたエルフ……ノマ、って いうの。おさななじみ……」
言葉を紡ぐたびに、声が震えていく。
「でも……まもの……ノマ、ころして……たべた……わたし、めのまえ……で……」
そこまで言ったところで、サディの瞳からぽろぽろと涙が溢れ出した。必死に堪えようとしていた感情が、ひとつひとつ崩れていく。
気づけば、彼女は隣にいた人間の肩にすがるようにして、泣きついていた。
シンは驚きながらも、抵抗せず、そのまま黙って受け止めていた。
サディはまだ涙の跡が残る顔で、ぽつりと呟いた。
「……にんげん、なまえ……シン? ノンナと はなしてたとき……きこえた、きがする」
シンは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく頷いた。
「そうだね。僕の名前はシン・オルタナクト。リュサニアの王様に命じられて、今日からノンナ様の付き人になったんだ。よろしくね」
そう言って、シンはそっと手を差し出した。
サディはその手をじっと見つめた。不思議そうに、小首をかしげながらも、まだ手を取ることはなかった。
サディはシンの手をじっと見つめ、不思議そうに首をかしげた。
「……そのて……なに?」
シンは少し笑って答えた。
「よろしくっていうときに、こうやって手を出すんだ。挨拶みたいなものだよ」
サディは小さくうなずくと、静かにシンに顔を近づけて――そっと唇に口づけた。
「……これ、あいさつ……わたしたち、こうするの……でも……すきじゃないから……あまり、したくない……」
シンは突然の口づけに驚いていた。その場で少しの間声が出ず目を見開いた。
「……な、なんで……?」
混乱するシンに、サディは不思議そうに首を傾げた。
「……なんで、そんな おどろくの……? いまの……カリュディア なら……あいさつ、だよ……?」
シンは顔を真っ赤にして、言葉を探すように手を宙に彷徨わせた。
「いや……あのね、リュサニア王国では……その、口づけって……“愛の証”みたいな意味があるんだよ……!」
それを聞いたサディも一瞬で顔を赤らめ、視線をそらした。
「……べつに……そんな きもち ないから……っ……」
耳まで真っ赤にしながら、必死に否定の言葉を絞り出していた。
シンは「おやすみ」と声をかけて立ち上がり、急いで部屋の扉へと向かおうとした。
そのとき、袖口にやわらかな引き止めを感じた。
「……ひとり、で ねるの……さいきん してなくて……いっしょ、に いて ほしい……」
サディが、俯きながらぽつりと呟いた。まだ顔は赤いままで、けれどその声にはかすかな震えがあった。
シンは少しだけ迷ったが、サディの話を聞いた後でもあり、断る気持ちは起きなかった。
「……しょうがないな。今日だけだよ?」
そう言ってベッドの反対側に静かに腰を下ろし、サディに背を向けて横になる。
サディはすぐに静かな寝息を立て始めた。疲労が限界だったのだろう。
シンは目を閉じることができずにいた。
(……初めてのキスの相手が、こんなすぐ隣にいるなんて……)
鼓動の速さを感じながら、シンは寝返りを打つこともできず、静かに深呼吸を繰り返していた。
アルムはぶすっとした顔のまま、静かに階段を降りた。
一階の廊下に出ると、鼻につく匂いとともに、床を丁寧に掃除しているノンナの姿があった。
「……トイレって、ある?」
気だるそうな声でそう尋ねると、ノンナは少しだけ顔を上げて微笑んだ。
「この部屋の左手側にございますよ」
アルムは「ふーん」とだけ返して、足取り重くそちらへと向かった。
用を済ませてから再びノンナの前を通るとき、アルムは少しだけ立ち止まり、そっぽを向いたまま小さく言った。
「……おやすみ」
ノンナは、驚いたように目を丸くしてから、すぐに穏やかな表情に戻り、静かに答えた。
「おやすみなさいませ、アルム様」
アルムはそのまま階段を上がり、右奥の自分の部屋に戻った。
ベッドには、すでにともえが静かに眠っていた。
「……けっきょく、起きなかったな……」
つぶやきながらも、どこか安心したようにアルムはともえの顔をちらりと見て、そっと身を沈める。
やがて、まどろみに誘われるようにして、アルムも眠りについた。
今回は治癒魔法について少し補足を。
この世界の治癒魔法は、「人間の代謝機能などを促進する魔法」です。つまり、魔法で直接“治す”というよりも、“自然治癒力を加速させる”タイプのもの。なので比較的簡単な魔法に分類されます。
作中でもサディがノマに使っていましたが、傷を塞ぐことはできても、熱や呪いなどの異常状態には効果がありません。また、“治す”といっても完璧ではなく、瘡蓋が残ったりします。応急措置に近いですね。
ノンナのような上級者が使う場合は痛みを和らげる効果もあり、処置も非常に丁寧ですが、それでも“完全に元通り”とはいきません。跡が残らない程度に、しばらくは瘡蓋がついている……そんな感じです。




