「第二十六-彷徨う愛-」
裾野の彷徨える愛は、どちらへ行くのか、それともこちらへ?
幼き頃に経験したことは、よく考えれば今の自分にも通ずるものがあるかもしれない……。
そんなお話です。
※投稿が遅れてしまい、申し訳ございません。
※約10,000字です。
※若干BL注意でございます。
2015年6月18日 午後(天気:曇り)
藍竜組 3人部屋
裾野(後鳥羽 龍)
騅は山へ最近出来たという違法麻薬で殺し屋を育てているという組を狩りに、鳩村は川で騅のバックアップをしているそうな。
俺と菅野は先週の約束の通り部屋に居る。
午前中は総長室に用事があったため、温かいわかめうどんを食べてからにした。
緊張しているせいか、いつもよりどことなく暗い菅野であったが、お昼ご飯を食べている間だけは笑顔を浮かべていた。
やがて食べ終えると菅野は歯磨きにしに行ったため、キッチンに戻る機会を伺ってキッチンで話したいと持ち掛け、早速お茶を淹れる準備にかかった。
乞田のやり方だから参考にならないかもしれないが、一応記しておく。
まず、お湯の分量を量るために湯呑にお湯を注ぐ。
それから急須に2gほどの茶葉を入れ、湯呑に入れたお湯を急須に注ぐ。
次にタイマーを用意し、1分間お茶の葉が開くのを待つ。
最後に均等に注いだら出来上がりだ。
その後は茶葉は100gごとに密封容器に入れ、ガラス張りではない収納ボックスなどの冷暗所にしまう。
以上が乞田のやり方だが、かなり美味しくお茶を淹れられる。
最早夏に片足を突っ込んでいる季節なので水出しにしようかとも思ったが、菅野の席は冷房が直接当たってしまう為、熱いお茶にしてみた。
ちなみに菅野には10年近く黙っているのだが、知り合いに作ってもらった夫婦湯呑なのだ。
木製のお盆に乗せて湯呑を持っていくと、菅野は深みのあるまろやかな香りを身を乗り出してまで楽しんでいる。
「ええ匂いやな~」
菅野はそう言いながら素手で受け取ろうとするので、お盆を掌に乗せて遠ざけた。
というのもこの状況では、どう考えても嫌な未来しか見えないからだ。
そうしてやるとやはり菅野は、不機嫌そうに俺を睨みあげる。
「はぁ……」
俺はその視線を無視しお盆を机の上に乗せてから、目の前に置いてやった。
すると今度は不安そうに俺を見上げ、
「……熱ないの?」
と、恐る恐る訊いてくる菅野は、ちょんちょんと指で湯呑を小突いている。
俺が遠ざけておいて素手で掴んでも何とも思わないことが、菅野にとっては不思議なのかもしれない。
「あぁ。普段から料理しているせいか、何とも思わないな。だがかなり熱いから、気を付けて飲むんだぞ」
と、ほんのり温まった掌で髪を梳くように毛先の方まで流した。
同じシャンプーなのにふわふわで、包容力すら感じる髪に叶うことならずっと触れていたい。
「うぅ、くすぐったい」
と、菅野は毛量の多い髪を両手で覆い、お茶を少しずつ喉元に流していった。
「どうだ?」
俺は自分の席に座って机の上で腕を組むと、最近やるようになったのだが菅野も俺の真似をし、
「めっちゃおいしいやん!」
と、絵に描けそうなほどの満面の笑みで言った。
そんな顔をされると、俺まで顔が緩んできてしまい、2人でしばらくお茶の味を楽しんだ。
苦みの少ないまろやかな口当たりのお茶は、菅野の雲も払ってしまったようで、いざ話す時になってみるとすっかり落ち着いた様子であった。
それから菅野は順を追って先週の話をしてくれているのだが、俺の話となると言い淀む箇所も増えてきてしまった。
菅野に話させるとかなり長いから要約してみると、どうやら食事会で弓削子が”恋話”として淳のことを訊き出していたのだが、そこでポロッと俺にアドバイスを貰っていることを言ったそうだ。
まぁ同じ女性である弓削子ではなくてどうして俺なのか、という問いから火がついてしまい、そこからは俺の話で口論になったらしい。
「俺は同性の裾野やから話せることもあるし、実際経験豊富やから頼っていただけなんやで? それでも女性に頼るべきやって言われても、アホやから分からんくて……裾野は理解できる?」
菅野はそこまで話し終えると、お茶を音を立てない様に啜った。
俺のことをそこまで頼ってくれるのは正直嬉しい。
だがそれは当人だからだ。これは少々客観的に見る必要がある問題だな。
俺はそう思いながらお茶を啜り、コトリと湯呑を置くと、
「自分なりの解釈であれば、な。まず菅野は周りをもっと見た方がいい。とは言っても、俺の方法で今は上手くいっている。だが弓削子も女性の気持ちの代弁は出来るから、自分の意見も訊いて欲しかったのではないか?」
と、なるべく回りくどく聞こえないようにスピードを落として話すと、菅野は「うーん」と、唸りながら頬を掻き、
「それって、周りに頼った方がええってこと? でも裾野に頼ってるし、大事な相談も多いからあまり友達にはしたくないねん」
と、首を捻りながら不思議そうな目線を送る菅野。
なるほど。セカンドオピニオンは1人でいい、という考え方か。
それも悪くないのだが、それでは価値観も何もかもがセカンドオピニオン寄りに偏ってしまわないか?
……要するに、俺の価値観に染められる危険性を孕んでいるということだ。
「半分正解。だが大事な相談こそ意見が多い方がいいぞ。龍也さんか湊さんなら、口も堅いし年上らしい意見もくださる。でもな菅野。異性にしか気づくことのできない点もかなり多いから、一度でもいいから弓削子に相談してみたらどうだ? もし話が合わないようなら、良い人を紹介するから」
俺は焦燥感を見せない様に落ち着きを払って話すと、菅野は渋々頷いた。
「うーん、そこまで言うならええよ。なぁ裾野……」
菅野は急に俯き加減になり、言葉を詰まらせた。
「ん?」
俺は席を立ち、おかわりを淹れる為にガスコンロのスイッチを入れると、菅野も欲しかったらしく湯呑片手に立っている。
10cmほど身長が低い菅野だが、出会った頃に比べれば多少は頼もしくなってきている……。
しばらく微笑みながら見ていると、吸い込まれそうなほど大きく希望に満ちた目で見上げ、
「結婚式、来てくれる?」
と、頬を僅かに赤らめて恥ずかしそうに言うので、少しからかってやろうと思い、
「お前のタキシード姿は、綺麗だろうな?」
と、菅野の肩を抱き寄せながら言うと、菅野の顔はみるみるうちに赤くなっていき、ちょうどその頃にやかんがけたたましい音を立てた。
俺は火を止めてから湯呑を引ったくると、気にせぬ素振りでお茶を淹れ、席に座るように言いつけると、
「か、からかわんといてや!」
と、逃げ帰るように自分の席について、壁の方に顔を逸らしてしまった。
少しからかっただけなのに、大分真に受けているな。
あぁ菅野と毎日いってらっしゃいの――おい、また未練がましいことを。
俺は忘れる為に瞬きを多めにしておき、お盆に乗せて振り向くと、
「出来たぞ」
と、欠けた笑みを見せて湯呑を置いた。
「ありがとう! あんな……そろそろ打ち合わせとかやるらしいねん」
菅野が近くに置いてあるスマートフォンの電源を付けたり消したりしている所を見ると、淳からの連絡を待っているのだろう。
俺は小さく頷き安堵の笑みを見せると、菅野も目に涙を浮かべながらも頬を緩ませていた。
「……」
心底嬉しそうな表情を隠しもせずに全面に出している菅野は、本当に幸せそうで何も言葉を掛けられなかった。
どんどん遠くに行ってしまうのか。
だがそれを楽しんでいる自分も、どこか寂しさが漂うこの心もここまで育て上げた自信が生んだものだ。
……これなら胸を張って送り出せそうだ。
そうだ、決して俺が考える関係はゴールではないし、菅野にとっては正しくない答えだろう。
「そろそろ話してもいいか? 未来のお父さん」
俺が頬杖をついて流し目で見遣ると、菅野は気恥ずかしさから瞬きを繰り返し目を泳がせた。
あぁ……もし妊娠出来ているのなら、俺の努力も報われるな。
2004年12月18日 午前(天気:晴れ)
後鳥羽家 自室
裾野(後鳥羽 龍)
土曜日になり学校も休みになる為、早速迎えを寄越して実家に帰った。
今日の迎えは橋本だったのだが、外でも執事面をしない為、たまたま居合わせた人々は皆驚愕の表情を見せる。
「おい、龍様。何ですか、その……バーゲンセールに行った後みたいな紙袋は」
橋本は車に手を置き、もう片方の手で俺が右手に持っている白い紙袋を指差し、面倒そうに車に寄り掛かった。
「クリスマスは学校が休みだから、一足早くケーキを全員に配ったんだ。昨日は2人休んでいたから、来週また作り直して渡すよ」
俺は藍竜組に入ってからも毎年季節のイベントがあるごとにお菓子を作っており、シェフらの力も借りて全校生徒分作り上げる。
サイズは1ピースよりも小さいサイズで個包装の為、食べやすいことこの上ない筈だ。
というのも藍竜組がいつ襲われるのかも分からない状況だというのに、ベタベタの手で戦う訳にいかないからだ。
「へぇ~、ごくろーさまです」
橋本は一本調子で言うと、さっさと運転席に乗り込んでしまった。
俺も後部座席に乗りこむと、橋本は仕切りの窓を開け、
「俺の分ってあります?」
と、自分を指差しながら言った。
こういう茶目っ気のある所が、乞田とは違うのかもしれない。
乞田なら家に帰ってから言うだろうが、橋本はどこだろうと基本関係ない質だ。
俺は含み笑顔で橋本に手渡しをすると、受け取るや否やペロッと食べてしまった。
……手、冷たかったな。
「車内少し暑くないか?」
俺が話を切り出すと、橋本は首を傾げながらも温度を1度下げた。
それからも普段なら上手い筈の運転も、どことなくふらふらしており、思わず酔いそうになる時もあった。
「……運転中に悪いのだけど、身体震えてないか……?」
と、赤信号で止まったのを見計らって肩に触れると、橋本は首を横に振った。
だがどう考えても異常だ……。
確証を得るために今度は首筋に手を伸ばし、あまりの熱さに反射的に手を引いてしまった。
見立てが正しければ、かなりの熱がある。
「橋本、どこかで止めてほしい……」
と、おそらく頭はかなりボーっとしているだろうから、なるべく耳元で囁くと橋本は半ば頭を振るようにして頷いた。
しばらくして路肩に止めると、橋本は視線が錯乱している虚ろな目で俺を見つめると、サイドブレーキを掛けながら助手席の方に向かってバタッと倒れ込んだ。
それからレバーなどが腹や腰を刺激しているのか、苦しそうに咳をする橋本を見ても……おそらく1人では動かすことが出来ない為、俺はすぐに乞田に電話をして応援を頼んだ。
それに万が一、後部座席に運び入れるまでに落としてしまったり、どこかにぶつけてしまったら……そう考えると、どうしても自信が持てなかった。
「橋本……」
俺が蚊の鳴くような声で言い、窓から手を差し伸べると、
「……そ、その手には、のり、ませんよ……?」
と、血の気を感じない顔を向け、苦しそうなのにヘラヘラと笑ってみせる橋本は、からかうことの多い俺が腕を捻るとでも思っているのだろう。
「そんなことしないよ……」
橋本は俺に心配をかけまいといつも通りの態度を取ってくれているのに、それでも俺にはふざけることなんて不可能で、差し伸ばした手を引っ込めることは出来なかった。
それでも止まらない咳と噴き出す汗をもろともせず、笑顔を絶やそうとしない橋本を心から尊敬した。
それからほんの数分もすると乞田の運転する車が到着し、慌てた様子でこちらに駆け寄って車の窓越しに症状を見るや否や、後部座席のドアを開けてこう告げた。
「病院に連れていきます! 菌が移ると危ないですから、龍様は後ろに停めた車に乗ってお帰りになってください!」
乞田は医療の知識はあまりないが、部屋が同じで同じ主人に仕えている為1番側にいる人物だ。
もしかしたら、心当たりがあるのかもしれない。
だけど……迎えに来てくれた橋本を無下には出来ない。
「断る!」
俺は後部座席でふんずりかえって座り直し、腕を組んでみた。
典型的で且つ子どもっぽい仕草をすれば、乞田も手が出せないに違いない。
「……では少々お待ちください」
乞田はしばらく考え込んでから絞り出すように言っていたが、俺は開いているドアとは逆方向に詰めてスペースを開けた。
当時は橋本への恩義から、完全に病院に同伴する気しかなかったのだ。
やがて橋本を後部座席に乗り入れるときになったのだが、乞田は御姫様抱っこをしたまま考え込んでいる。
「どうした?」
俺が堪らずに声を掛けると、乞田は眉を下げてからすぐにハッとした表情になり、
「膝枕をして差し上げていただけませんか?」
と、頬を綻ばせて言うので、橋本が好きだということを知っているから気遣ったのだと思い、すぐに了承の意を示した。
すると後部座席に乗り込み、上手く俺の膝に頭を乗せて横にした。
橋本の髪はワックスで固めているので、若干膝に違和感を感じたがそれでも好きな人の整髪料であれば、何も気にならなかった。
むしろこうして膝枕をする機会は年が離れていたせいか、幼い頃からなかったのだから、叶う事ならずっとこうしていたかった。
「……橋本」
先程より穏やかになってきた橋本の寝顔を見ながら、俺は肩から腕にかけて時間をかけて手の甲を滑らせた。
当たり前だが脂肪も少なく、規則的に動く横隔膜に触れてみれば鉄のように硬かったが、かなり汗が張り付いていたため、備え付けのタオルで顔と首を拭いた。
それからジャケットとベストのボタンを震える手で外し、シャツにも手を掛けた時に汗ばんだ手がその動きを制した。
「お戯れを」
橋本の手は小刻みに震えており、ただでさえ白い肌の血色の悪さが際立っていた。
「汗を拭かないと、気持ち悪いだろう?」
俺が橋本の手を優しく包んでシートに下し、シャツのボタンを外し始めると、
「じゃあ見て見ぬふりしてあげるんで、とっととやってくださいね」
と、観念したらしく目をぎゅっと瞑りながら言うので、俺はなるべく変な気を起こさないように橋本にも協力してもらいながら全身の汗を拭いた。
俺はタオルを使用済みを入れている箱の中に入れ、蓋をしっかりと閉めていると、
「あ~大分楽になりましたよ、ありがとうございます」
と、膝の上で寝返りを打つ橋本が不意に笑顔を見せたので、
「あぁ、そうか。良かった……」
と、半分笑顔を見られたことへの感謝を込めて言うと、橋本は不審さを含んだ自然な上目遣いで見上げた。
俺は当時では見る機会がなかった為、急に激しく鳴り響く心臓に戸惑ってしまい、目を逸らすことくらいしか出来なかった。
すると橋本は寂しそうな表情を見せ、
「龍様、もしかして――」
と、言いかけたところで、「着きましたよ! 病院には連絡してありますから!」と、仕切り窓を開けて叫ぶので、橋本はそれぎり口を噤んでしまった。
数分もしないうちに橋本は車から運び出され、後部座席のドアを閉められる直前に見せた橋本の絶望の表情は、今思えばこれから起こる出来事の予兆だったのだろう。
それだというのに、当時の俺は病状が重いのかもしれないとしか考えられなかった……。
どこまでも浅はかな自分に腹が立つが、更に橋本が倒れたという緊急事態なのにろくに動けなかった自分は消し去りたくなる。
俺自身の後悔はさておき、乞田が病院のスタッフとの手続きを終えて車を駐車場に止めてから後部座席のドアを開け、ぴったりと腿がぶつかる程密着してきた時には流石に仰け反り、
「なっ……どうした?」
と、言う俺の声に我に返ったのか、乞田は何度も頭を下げて、
「申し訳ございません! 私としたことが……」
などと言い訳のような、謝罪のような言葉を繰り返している。
俺同様、余程今回の事で動揺していたのだろう。
まぁ慌てていたのはお互い様なので、備え付けの膝位の高さまである冷蔵庫から冷えたお茶を取り出して渡し、
「そんなことはいいから、乞田には訊きたいことが沢山ある」
と、真剣な表情を見せて言うと、乞田はペットボトルの蓋を開けながら目を輝かせた。
「まずは……今回の件からな。橋本はどうしてあんな高熱を出したんだ?」
そう単刀直入に言うと、ペットボトルを傾けながら聞く乞田の表情がどんどん曇っていくのが分かってしまった。
「……そうですね。橋本が高熱を出した原因は、過労……つまり働きすぎなのです」
乞田は俯き加減で消え入るような声で言い、ペットボトルを足元に置いた。
俺は廊下に貼り出されるほどに執事の待遇が良い後鳥羽家の筈なのに、どうして過労で倒れるのか、当時の俺には疑問でしかなかった。
それを察したのか、乞田は小さくため息をつき、
「直に分かりますから……。お願いですから、今は橋本以外の質問をしていただけませんか?」
と、頭を深々と下げて言うので、俺はそれ以上追及することが出来なかった。
なのでこの前話してくれた耀夜兄さんについて、訊いてみようと思ったのだ。
「……耀夜兄さんは、本当に友達が居なかったのですか?」
俺の問いが予想外だったらしく、乞田は目を泳がせた。
分かりやすい態度を取りがちなことは、執事としてやめてほしいことでもあるが……。
「どうでしょう……。龍様と違って頻繁に御実家に帰られますし、紅夜様の執事であった橋本とよく遊んでいましたから……いらっしゃらなかったかもしれませんね。曖昧な回答で、申し訳ございません」
乞田はまたしても頭を下げてしまい、俺は思わず頭を両手で包んでグイッと上げさせた。
「謝るのはいいけど、頭を下げないでほしい」
乞田だって人間で、尚且つほぼ目の前で殺されたに等しく、謝ることさえ自分の心を自傷するようなものだ。
そんな残酷なことを自分からしないでほしい。
「ですが……」
「主人の命令だ。それと何で橋本と自由に会えたのかが気になるのだが、やはり今みたいにふらふらしていることが多いからか?」
俺は乞田の言葉を遮り、余計なことを考えさせない様に次の質問をぶつけた。
「そうですね」
乞田は曇った表情に加え、どこか寂しそうな顔もしている。
「抉るつもりはないのだが、乞田と耀夜兄さんはあまり遊ばなかったのか?」
「……はい。橋本ほど面白くもありませんでしたし、執事長の顔色を伺うこともしました。ですから、誰も居ない隙にこっそり遊んでいたぐらいでして……耀夜様はずっと疑問に思われていました」
と、思い出すことすら辛いだろうに、気丈に振舞う乞田にも橋本と同様の尊敬の念を抱いた。
それと同時に、この2人の執事に召し抱えている状況に今も感謝している。
「ごめんなさい。最後に1つだけ、訊かせてほしい。乞田は今でも執事をやっているが…………幸せか?」
俺は橋本の知られざる過去、光明寺家とのことも含めると、執事をやっていること自体常に首を絞めていることになるという事象だと気づき、訊いてみたくなったのだ。
すると乞田は心底幸せそうな笑みを浮かべ、
「はい! 今は龍様という素晴らしい主人に仕え、橋本をはじめとした優秀な執事に囲まれて、自分なりに生きているから幸せです!」
と、目尻から熱い涙を流し、泣き笑いをしながら言う乞田からは、今後も家の方針に背いていく強い覚悟と俺への揺るぎない忠誠心を感じた。
「そうか。……ありがとう」
俺は左人差し指で鼻の下を擦って涙を堪えると、忠誠心を燃やす乞田の輝いている目を見据えて言った。
「いえ、こちらこそありがとうございます。執事は感謝されない仕事ですから、御主人様に言われると嬉しいものですよ」
と、肩をポンポンと叩いて言う乞田は、珍しくイタズラ笑顔を浮かべている。
耀夜兄さんにはあまり感謝されなかったのか……それとも、父上様に対しての言葉なのだろうか?
俺は乞田の言葉に頷きながら微笑んでいると、乞田はふっと息をついて心を落ち着かせ、
「龍様の執事長を勤めて、十ん~年の私乞田。龍様のことを好きになってしまい――」
でもその内容であれば、聞きたくない。
好きなのは橋本であって、今は乞田ではない。
自分で心を整理して決めたのに、今更そちらに向けたくない。
そう思い、俺は咄嗟に乞田の言葉を遮った。
「ごめんなさい」
俺はそれから一言謝り、車を降りて橋本の病室に駆けていった。
降りる直前に振り返ったときの乞田の表情が、話す前よりも晴れやかに見えたのが、俺の中で今でも唯一の救いである。
振った相手が伝えたことに満足しているときほど、嬉しいものはないだろう。
それならば――
橋本の病室は619だそうで、6階まではエレベーターで向かった。
大学病院だったこともあり、全体的に白くて無機質で人の温かみを感じない内装だった。
俺はノックをしてから病室に入り、個室であることを確認してから、
「橋本! 好きだ!」
と、乞田のようにストレートに伝えた。
橋本は突然扉が開いたことと、俺が愛の告白を叫んでいることで二重に驚いたせいか、最初は体を起こしたまま固まっていた。
だがすぐに状況を飲み込み、橋本は運び込まれる時に見せた時と同じ表情をし、
「龍様。恋愛なんて薄気味悪いもの……俺に押し付けないでいただけませんか?」
と、感情の起伏すら感じない淡々とした口調で言う橋本に、今度は俺が固まってしまう番であった。
「……どうして固まってるんですか? 知らなかったとは思いますが、恋愛しなくて済むように執事をやってるんです。龍様とは一緒に喋って、遊んで、いざという時はお守りしてっていう、ちょっと変わった主従関係がいいんですよ。これは龍様が女性であろうと同じなんです」
橋本は矢継ぎ早に言い終えると、今にも頽れそうな俺を面倒そうな顔をして見ている。
俺は何か言わなければ、橋本に謝らなければ、と気持ちが先走りしてしまい、ただわなわなと口を動かしている。
現代では恋愛を面倒臭がる方も多いだろうが、こんなに身近にいたことへの驚きと人類皆恋愛が好きだと思っていた自分との価値観の違いに苛まれた。
たしかに橋本の言うように、執事は恋愛禁止なうえに主人との恋愛が見受けられれば裁判で裁かれる。
橋本にとっては好条件なのだろうが、俺からすると……ただただ寂しい。
「……」
俺は何も言葉にせず橋本に近づいていき、頭を下げた。
「…………」
橋本は俺の頭を乱雑に撫で、数か月前に出たばかりの恋愛長編小説を読み始めてしまった。
「橋本……」
「何です?」
そのタイトルは、『ボルウェイの森』。
本国の有名作家が書いた本でかなり話題になったのだが、たしか内容は――
「本当は恋愛がしてみたくても、怖いから……やり方が分からないから、面倒だとか考えているのではないか?」
俺が憂いを帯びた橋本の淀んだ目に向かって言うと、橋本は執事としては史上初とも言える行動を取った。
「だから……薄気味悪い考え方を俺に押し付けんなよ!」
半狂乱状態の橋本は声が裏返っているのも厭わずに、隠し持っていた自分の短刀を振り下ろしたのだ。
「……っ!!」
俺はすぐにバク転をして避けられたのだが、橋本は過労で倒れたこともあったから、かなりのストレス状態であったことだろう。
主人に対し敬語を使わない、刃を向ける、極端に取り乱すことは……お父様のお耳に入ったら……。
それなのに俺は――
「ごめんなさい」
まだ子どもなのだろう、とひしひしと実感し謝罪の言葉を口にすると、
「俺こそ……申し訳ございません。龍様の御気持ちのお返事は、忠義で返しますから。ですから、俺には変な気は起こさないでください。お願いします」
と、橋本は深々と頭を下げて、点滴チューブが繋がっている右腕を気遣いながら短刀を枕元に隠した。
「……」
俺はその言葉を聞き、今であれば「あぁ、そんな考え方もあるのか。失敗の相手が執事でよかった。これからはもっと考えて行動しよう」と、自省して先に進むことが出来るだろう。
だが11歳、もうすぐ12歳になろうとしている俺には、自省などという高度な考えなぞ出来ず、だんだんと恋愛に対する歯車がズレていってしまったのだ。
所謂現実逃避なのかもしれないが、どうすれば正解なのか、謝るのが必ずしも正解なのかも分からず、一方通行な3人の恋愛の方向性もあり、執事に相談できなかった。
もちろん、それなりに恋愛経験のあるけーちゃんに話したところで、「本国の男児たるもの、正々堂々とだな!」と、熱く語るに違いない。いや……後日に相談したらそう言われたのだが。
ならば颯雅を頼ればいいのではないか、と考えた俺であったが実際に恋愛経験がある訳ではない。
恋愛をしたからこそ、したことのない者の理想が単なる幻想であることも学んだし、極めて現実的なものであることも知っている。
それならば、それならば、と人物を挙げていく度に、自分の周りに居る人間の多さに気が付いたと同時に、自分の恋愛相手候補が居なくなったことにも気が付き、胸が苦しくなってしまった。
誰を愛すればいいのか、何をすれば……。どうすれば一生愛することの出来る人物に出会えるのか?
――これから数年の俺の愛の形は、12歳を迎えようとしているときにあらぬ方向へと彷徨っていくことになる。
今までも語るに値しない思い出は飛ばしてきているのだが、次の話もそこまで多くは語らないだろう。
それはくだらないであるとか、短い話であるからとか、そういう訳ではない。
精神的にも肉体的にも人を傷つけ、これじゃないと捨ててきた俺の話なぞ、聞いたところで胸糞悪くなるだけだからだ。
現在へ戻る……
俺の話を聞き終えた菅野は、空になった2人分の湯呑をシンクに置き、自分の席に戻る前に俺の右隣に立った。
「裾野が1番苦労してるやんか。それなのに、いつもごめんな」
菅野は申し訳なさそうに目を伏せ、顔を背けた。
「ん、そうでもない。それよりも、昔に比べて謝れるようになってきたな」
俺は囁く様に言い、振り向いて左胸に口づけを落とした。
「えっ、そ、そこ? ……あ、ありがとう」
菅野は様々な意味で驚愕の表情を見せ、それから気恥ずかしそうに視線を落とした。
「あぁ。……もういいよな」
俺は菅野のCAINの通知音がなると同時に、自分が見せられる最大の笑顔を見せて言った。
「……え?」
と、照れているのかしばらくスマフォを見ずに、最後の一言を聞くために俺に何度か視線をやっている姿も可愛いというよりも、更に進んだ感情しか持つことが出来ない。
「どうだ?」
俺が返事を催促してみると、菅野の表情が複雑なものになった。
ようやく俺の努力が報われるかもしれない、と今度は俺が頬を綻ばせる番だった。
執事長の乞田です。
あざやかに振られる私を見て、いかがでしたか?
別に褒めて欲しい訳じゃないんだからね!
……やはり駄目ですよね。ツンデレ、といったものを試してみたのですが……。
こういうのは橋本にやらせることにしましょう!
それにしても、橋本が恋愛否定系男子とは……私も悲しいです。
私も薄々感づいていましたけども、こうして言葉にされると……ですね。
次回投稿日は、来週の土日(7月1日、7月2日)のいずれかにしたいです!
今度こそ、早めの投稿を心がけますので……趙雲と乞田を見捨てないでください……。
それでは良い一週間をお過ごしくださいませ。
執事長 乞田光司




