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第九十七話「深淵の遺失物」

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第九十七話「深淵の遺失物」

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 簡易机の上に、歯車とバネを並べた。


 光にかざして確認した。傷はない。精度は保たれている。二十年以上前に先代が作ったとは思えない仕上がりだ。


「メイ。第六層の縦穴について確認する」


「渉さん。第六層北西端、旧第十八観測ポイントのさらに奥に、記録上存在しない縦穴があります。深度は不明。周辺に第六層全体の廃棄物が集中している形跡があります」


「ゴミ溜めだ」


 そこへ小林が来た。昨夜のうちに調べておいたらしく、手に第六層の古い図面を持っていた。


「親方、その縦穴、JDAが一時期廃棄物処理の仮設ピットとして使っていた記録が断片的に残っています。すぐ閉鎖されて、今は誰も近づかない場所です」


「よく調べた」


 工具バッグに防毒マスクと予備のヘッドライトを詰めた。それから小林を見た。


「今回は、お前が先頭だ」


「……え?」


「ゴミ溜めから必要なものを見つけるのは、機械のセンサーには無理だ。清掃員の勘だけが頼りになる。管理責任者として、ゴミの中から必要なものを探す訓練をやる」


 小林が強く頷いた。



 第六層北西端。独立観測装置があったエリアを通り抜けると、巨大な縦穴が口を開けていた。


 直径は約五メートル。壁面から古い排水パイプが無数に突き出し、そこから粘性の高い廃液が滴り落ちていた。底からは生温かい腐敗臭を含んだ上昇気流が絶え間なく湧き上がっていた。ヘッドライトの光は数メートル下までしか届かず、それより深くは完全な闇だった。


「親方……底はどのくらい深いのですか」


「わからん。先代のノートにも、深さ不明とある。だが、第六層の廃棄物がすべてここに集まるなら、それなりの深さだ」


 縦穴の縁の配管にロープを固定した。下降の準備をしながら、渉は縦穴の底を見つめた。


「小林。ゴミってのは、人間がなかったことにしたものの集まりだ。JDAが捨てた書類、隠した機材、なかったことにしたもの――すべて、こういう場所に流れ着く。書類は嘘をつくが、ゴミは嘘をつかない。そのままの姿で、ただここにある」


「ゴミは……嘘をつかない」


「そうだ。それから、もう一つ」


 渉はヘドロの立ち込める縦穴を眺めながら、静かに言った。


「これだけ汚れていれば、誰も手を出さない。先代はここを金庫にしたんだ。最も安全な場所に、最も大事なものを隠す。それが先代のやり方だった」



 下降を始めた。渉が先頭、小林が続いた。


 非常灯の光は下降とともに遠ざかり、やがて頭上のわずかな明かりだけが残った。それも数十メートル下りると消え、ヘッドライトだけが頼りになった。しかしそのヘッドライトの光も、空気中に充満する微粒子と湿気に阻まれ、一メートル先の輪郭すらぼやけていた。


「メイ。通信を確認する」


「渉さ……ん……センサー……ザ……使……用……不可……能」


 メイの声が途切れ途切れだった。電子機器が環境に対応できていない。イヤホンをオフにした。


「小林。機械の場所じゃない。目と鼻と手――それだけが頼りだ」


「……はい」


 小林の声には緊張があった。しかし恐怖だけではない何かが混じっていた。先頭を任された責任感が、彼を支えていた。


 ロープをつたって降り続けた。壁面からは粘性の廃液が滴り、作業着の肩に落ちてきた。腐敗臭がマスクのフィルターを貫いて鼻の奥を刺した。甘ったるい腐敗と、金属が錆びる酸っぱさと、変質魔素の刺激臭が混ざり合い、舌の上まで苦味が広がった。



 底に降り立った。


 足元が沈んだ。見た目よりも深い泥が、一歩踏み出すたびに膝の高さまで引き込んだ。ヘドロはひどく冷たく、作業着の繊維を通して肌まで浸透してきた。ヘッドライトの光も、泥の表面で乱反射して視界を狭めた。


「何も見えません。どこを探せば……」


「流れを読め。ヘドロにも流れがある。重いものは動かない。金属製なら一番深いところに沈んでいる。表面に浮いているゴミの傾きを見れば、下に何があるかわかる」


 小林が必死にヘッドライトで表面を追い始めた。渉は隣で自分の腕を泥の中に差し入れ、指先だけで探った。泥の中には、腐食した機材の残骸、絡みつく古いケーブル、変質魔素が固化したガラス状の破片がある。素手ではなく手袋越しだが、素材の違いは指先に伝わる。


「親方……泥の中で、何か動きました」


「気泡が割れた音だ。気にするな。探し続けろ」


「怖いです。何も見えず、何も聞こえません。俺、ちゃんとできているでしょうか」


 渉は手を止めずに答えた。


「できている。怖いのは正常だ。怖くない奴は、とっくに足を滑らせている。お前はちゃんと立っている。それで十分だ」


 小林が深く息を吸い、泥の中に腕を沈めた。肩の高さまで差し入れ、底を手探りした。柔らかいヘドロの中で、明らかに硬い、人工的な形状のものに指が触れた。


「親方……ありました。だが、重くて持ち上がりません」


 渉が駆け寄った。同じ場所に腕を差し入れた。二人がかりで引き揚げた。泥がずる、という重い音を立て、黒いヘドロに覆われた金属の塊が現れた。



 縦穴の縁まで引き揚げ、ロープを使って上に運んだ。


 壁面の排水パイプから滴る廃液で、表面のヘドロを洗い落とした。下から刻印が現れた。


「MP-09-KEY-3」


 さらに確認した。台座の中央に、精巧なくぼみが二つある。一つは歯車の形に、もう一つはバネの形に、ぴったりと合致する形状に彫られていた。


「これが台座だ。歯車とバネを収める受け皿だ。これで三つ揃った」



 第八層に戻った。


 コア室の簡易机の上に、三つの部品を並べた。歯車、バネ、台座。渉は内ポケットから布に包んだ最初の二つを取り出し、台座の前に置いた。


「小林、見ておけ」


 台座のくぼみにバネを落とし込んだ。小さな「カチリ」という音がして、バネが所定の位置に固定された。次に、バネの上に重ねるようにして歯車をセットした。歯車の軸がバネの中心を通り、くぼみに噛み合った。


 歯車がひとりでにゆっくりと回り始めた。


 台座の側面から、かすかな青白い光が漏れ始めた。魔素の光だ。三つが揃ったことで、機械部品が「鍵」として起動した。


「……動いた」


 小林が息を呑んだ。


「先代は、これを一人で作ったんだろう。二十年かけて。誰にも知られずに」


 渉は光を放つ鍵を見つめた。歯車が規則正しく回転し、コア炉のリズムとどこか同調しているように見えた。


「親方……これで第九層に行けるんですね」


「ああ。三つ揃った。あとは、これを扉に差し込むだけだ。だが、扉の先に何があるかは、まだわからん。先代のノートにも、そこまでは書いていない」


「俺も、連れて行ってください」


 小林を見た。汚れた作業着。疲れた顔。しかし目は揺れていなかった。


「いいだろう。ここまで来た。お前にも見届ける権利がある。だが一つだけ約束しろ。扉の先で何があっても、自分の足で立て。俺はお前を助けに行けないかもしれない」


「……自分の足で立ちます」



 手帳を開いた。


「第六層縦穴探索。MP-09-KEY-3(台座)を発見。三つの鍵が揃い、組み合わせることで起動を確認した。青白い魔素の光も確認。第九層の扉に向かう準備が整った」


 その下に一行書いた。


「ゴミは嘘をつかない。先代が正しかった」


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           〈第九十七話 了〉

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【次話予告】

 翌朝、渉と小林は第九層の坑道入口に立った。

 手の中で、青白い光を放つ鍵が脈打っている。

「親方。恐怖はありませんか」

「第八層に最初に来た時と同じだ」

 渉は坑道に足をかけた。



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【あとがき】

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 第九十七話、お読みいただきありがとうございました。


 「これだけ汚れていれば、誰も手を出さない。先代はここを金庫にしたんだ」という渉の言葉が、先代の知恵への理解を端的に示しています。書類やデジタルデータは改ざんできる。美しい場所にあるものは誰かが触る。しかし誰も近づかないゴミ溜めは、最も安全な金庫になる。先代は職人の知恵でセキュリティを設計していました。


 「ゴミは嘘をつかない」という渉の言葉は、この物語全体のテーマでもあります。JDAの書類は改ざんされた。デジタルデータも書き換えられた。しかしゴミだけは、誰も手を加えないからこそ、真実のままそこにある。清掃員が探す「真実」は、常に捨てられたものの中にありました。


 三つの部品が合わさる瞬間を「カチリ」という小さな音と青白い光だけで表現しました。派手な演出はしない。先代が作ったものだから、先代のように地味で確実な起動を遂げる。それがこの作品のトーンに合っていると思います。


 小林が縦穴の底で「怖いです」と言い、渉が「できている。怖いのは正常だ」と答える場面。これまでの師弟関係の積み重ねが、この一往復に凝縮されています。


                   (作者)


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