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第七十九話「職人の裁量、監査官の矜持」

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第七十九話「職人の裁量、監査官の矜持」

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 風車の軸受けに手を当てた。


 温度は正常。振動はほぼゼロ。先代の磁気浮上ベアリングは今日も静かに、磁力だけで軸を支えている。


「問題ないな。このままいける」


「親方、出力も安定してます。コアもゴールドも、全部正常値です」


 小林の声に誇らしさが滲んでいた。三日間の突貫作業をやり遂げた男の声だ。


 そこにメイが割り込んできた。


「渉さん。第八層入口ゲートにJDAの識別信号を確認しました。人数は六名。うち四名は武装した作業員です」


「武装?」


「動力装甲を一部装備。破壊工作用の機材も携行しています。責任者の識別信号は……JDA施設管理局第三課、課長補佐の久我修一。三十四歳。DTS社出身のキャリア組です」


「DTS出身か」


 来ると思っていた。電力を絞り込んでも止まらなかった。次は直接来る。そういう流れだ。


 工具を置いた。ポケットから一冊のメモ帳を取り出した。表紙は擦り切れ、付箋がいくつも貼られている。先代のマニュアルだ。


「小林、お前はここで発電機を見てろ。俺が話をつける」


「でも……!」


「いいから。お前は現場を守れ」


 背を向けてゲートへ歩き出した。品川時代、役所の立ち入り検査は何度もくぐり抜けてきた。やることは同じだ。



 ゲートを越えてくる一団が見えた。


 先頭の男が久我だとわかった。痩身で、眼鏡の奥の目が冷たい。後ろに動力装甲の作業員が四名、記録用のドローンを操る事務官が一名。


「佐藤渉氏ですね。本日は第八層における無許可設備の確認と、是正措置の執行のために参りました」


「無許可設備」


「第七層から第八層にかけて設置された発電装置のことです。JDA施設管理規定第二十三条により、ダンジョン内における新規設備の設置には、管理局の事前承認が必要です」


 俺は黙って久我の目を見た。


「また、使用されている部品の多くが第七層の機兵残骸から無断で転用されたものです。これらはJDAの資産管理規定に違反しています」


「第七層のスクラップは、二十年以上誰も触っていない廃棄物だ」


「廃棄物かどうかの判断も、JDAの権限です」


 久我が作業員に目配せした。作業員たちが風車の方向へ歩き出した。


「待て」


 声は低く出した。よく通る。作業員の足が止まった。


「停止命令の前に聞く。この発電機を止めた後、第八層のコアをどう維持するつもりだ」


「それは……JDAの供給電力で……」


「供給電力は、お前たちが自らの判断で絞った。その結果、コアはあと数時間で停止する瀬戸際だった。俺はコアの停止を防ぐために緊急的に発電機を設置した。許可が必要かどうかは後で議論すればいい。だが今この発電機を止めれば、第八層のコアが停止する。その責任は誰が取る」


 久我がわずかに詰まった。しかしすぐに持ち直す。


「脅しですか。コア停止のリスクを盾に、違法設備の存続を認めさせようと」


「脅しじゃない。警告だ」



 ポケットからマニュアルを取り出した。付箋の貼られたページを開く。


 耳に、メイの通信が入った。小さく、しかし明確に。


「清掃員服務規程第十五条第三項、ページ四十七です」


 確認する必要はなかった。体に入っている。しかし久我に見せるために開いた。


「清掃員は、担当区域における設備の維持管理に関し、緊急に必要と認められる措置を、自らの裁量において実施することができる。ただし、事後に所定の報告を要する」


 顔を上げた。


「コア停止まで残り七時間。これが緊急時でないというなら、お前たちの言う緊急時はどういう状況のことだ」


「そ、それは拡大解釈です。マニュアルはそんな……」


「想定していないんじゃない。お前が知らなかっただけだ」


 次のページを開いた。メイがすでに該当箇所を読み上げていた。


「清掃員マニュアル第八条第二項。担当区域内に存在する遊休資材のうち、維持管理業務に必要と認められるものについては、清掃員の判断により転用することができる」


「第七層の機兵残骸は、二十年以上放置された遊休資材だ。コアの維持管理という業務のために転用した。マニュアルに完全に準拠している」


「詭弁です!」久我の声が上がった。「だとしても、これはJDA理事会の決定です。武藤理事の承認を得た正式な停止命令です。現場の解釈で覆せるものではない」


 その時、ゲートの向こうから別の声が響いた。


「政治判断か」



 石倉義男が歩いてきた。


 後ろに監査部の職員が二名、書類の束を抱えて続いている。表情は厳しく、しかしどこか落ち着いていた。


「い、石倉参与……なぜここに」


「監査部の仕事だよ、久我くん。施設管理局が現場で何をしているか、確認するのが我々の役目でね」


 石倉が俺に軽く目配せした。


「まず確認したい。君は今、第八層の発電設備に停止命令を執行しようとしている。そうだね」


「はい。理事会決定に基づき……」


「その決定書、見せてもらえるか」


 久我がタブレットを出した。石倉はそれを一瞥した。


「久我くん。この決定書には、決定的な瑕疵がある」


「……瑕疵?」


「JDA施設管理規定第二十七条。ダンジョン内設備の停止・撤去命令を執行する際には、事前に監査部の現場影響評価を受けなければならない。これは絶対条件だ。今回、監査部は一切の評価を行っていない」


「緊急を要する案件でしたので……」


「緊急? 第八層は三日間、電力絞り込みの中でも安定して稼働していた。どこに緊急性がある」


 石倉は後ろの職員から書類を受け取り、久我に差し出した。


「監査部の正式な見解だ。三点、指摘させてもらう」


 石倉が指を折り始めた。


「第一。手続き的瑕疵。現場影響評価が未実施である以上、停止命令の執行は無効だ。いかなる上位者の判断によっても省略できない」


「第二。清掃員裁量権の適用範囲。服務規程第十五条第三項は、まさに今回のようなケースを想定して制定された条文だ。これは私が若い頃、先代の山下氏と共に草案を作成したものだ。解釈の余地はない」


 俺は手の中のマニュアルを握り直した。先代の注釈が書き込まれたページが、指の下にある。


「第三。資産管理規定における遊休資材の定義。第七層の機兵残骸は、過去二十年間にわたりJDAの資産台帳において管理対象外と明記されている。清掃員による転用は完全に合法だ」


 石倉は書類を久我の胸に押し付けるように手渡した。


「以上の理由により、監査部は今回の停止命令執行を手続き違反と認定する。執行は直ちに中止されたし」


 久我の顔が青ざめた。後ろの作業員たちが動力装甲のスイッチを落とし始めた。


「それから、久我くん」


 石倉の声が一段低くなった。


「君はDTS出身だそうだな。ダンジョンの現場を管理することと、支配することは違う。現場には現場の論理がある。それを理解しない人間が上に立つと、いつか大きな事故が起きる。これは個人的な警告だ」



 久我が撤収の指示を出しかけた時、俺は一歩前に出た。


「久我さん、ひとつだけ言っておく」


 久我が振り返った。


「俺はこの発電機を、第八層のコアを守るために作った。それだけだ。権利がどうとか、政治がどうとか、そういうことに興味はない」


「……だから何です」


「もし、それでもこの発電機を止めたいというなら、止めればいい」


 久我の目がわずかに揺れた。


「ただし」


 マニュアルを閉じ、久我の目を真っ直ぐに見た。


「発電機を止めた後、コアを再起動する時に何が起きても、俺は一切関知しない。これは清掃員としての正式な警告だ」


「……脅しですか」


「違う。現場の人間にしかわからないことがある、と言っている」


 風車の方向を指さした。


「あの発電機は、第八層の魔素流の変動に合わせて出力を調整している。JDAの送電にはない制御だ。突然止めれば、コアの魔導炉が不安定になる。再起動時に暴走する可能性がある」


「証明できますか」


「する必要はない。俺は清掃員として、起こりうるリスクを通告した。それを無視するかどうかはお前たちの判断だ。ただし、結果の責任を取るのは俺じゃない。お前たちだ」


 沈黙が続いた。


 久我は俺の目を見つめ返した。そこには虚勢も演技もない。事実だけがある。久我はごくりと唾を飲んだ。


「……撤収する」



 作業車両のエンジン音が遠ざかった。


 小林が駆け寄ってきた。


「親方! 大丈夫でしたか!」


「ああ」


「すごいです……あの警告の言葉……」


「事実を言っただけだ。本当に暴走する可能性があるから」


「えっ」


「五分五分で」


 小林の顔が固まった。本気なのか冗談なのか判断できない表情だ。


 俺は何も言わなかった。



 コア室に戻ると、石倉がコア炉を見上げていた。


「渉さん、今日は見事だった」


「石倉さんが助かりました。あの条文の解釈は、俺一人では思いつかなかった」


「当然のことをしたまでだ。しかし……」


 石倉の表情が曇った。


「今回の件で、JDA内部の対立は決定的になった。武藤理事は面子を潰された形だ。必ず次の手を打ってくる」


「でしょうね」


「次はもっと厄介なやり方で来る。規則を盾にできないような手段で」


 わかっている。今日はしのいだだけだ。


「渉さん。ひとつ聞きたいんだが」


「はい」


「先ほどの暴走するという警告。あれは本当か」


 少し間を置いた。


「五分五分です」


「五分五分?」


「本当に暴走する可能性はある。ただし確率は半々。清掃員として、そのリスクを正しく伝えた」


 石倉がしばらく俺の顔を見つめ、それから笑い出した。


「はは……渉さん、あんたはやっぱり只者じゃないな」


「只者ですよ。品川の解体屋です」


「その解体屋が、JDAのキャリア組を言い負かした」


 石倉はコア炉に手を当てた。


「山下さんも、あんたを後任に選んで正解だったな」


「まだ先代には及びません」


「謙遜するな。あんたはあんたのやり方で第八層を守っている」


 石倉は背筋を伸ばし、俺に向き直った。


「武藤派は監査部の権限縮小を画策している。いつまで保つかわからない。渉さん、私にも限界がある」


「その時はその時です」


「あんたは強いな」


「強くはないです。やるべきことをやっているだけです」


 石倉がコア室を後にした。去り際、振り返らずに言った。


「渉さん。私はあんたのやり方を信じている。どうか、第八層を頼む」


「……任されました」


 足音が遠ざかった。


 俺は一人、コア炉の前に立った。


 勝ったわけじゃない。今日をしのいだだけだ。明日にはまた別の手が来る。それでも、やることは変わらない。


 マニュアルを開いた。今日の日付を書いた。


「久我による停止命令→監査部により手続き瑕疵で無効」


 短く書き添えた。


「先代の条文、活きた」


 マニュアルを閉じて、次の巡回に向かった。


 第八層の青い灯りが、背中を照らしていた。


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           〈第七十九話 了〉

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