第七十五話「清掃員の領分(エリア)」
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第七十五話「清掃員の領分」
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翌朝から、渉は重機の修理を始めた。
ベアリングの交換。制御系基板の診断と部品交換。電源ケーブルの端子交換。
バラムが部品を調達してきた。
渉が作業台を借りた。
◆
DTSの若い技術者が、作業を横で見ていた。
二十代後半。DTSの中では現場担当の人間らしく、実際に機器を触る仕事をしていた。
渉が基板を取り出して、損傷箇所を確認しながら作業していた。
精密はんだごてを取り出した。
メイがエネルギーを供給し始めた。
コテ先が温まった。
◆
若い技術者が「……弟子にしてください」と言った。
渉は手を止めずに言った。
「先に部品を取ってきてください。そこのバッグの中に部品リストがあります」
「え……」
「リストに書いてある部品が、バッグの左ポケットに入ってるはずです。取ってもらえますか」
若い技術者がバッグを確認した。
「……ありました」
「そこを開けて、隣に置いてください」
「は、はい」
◆
作業を続けながら、渉は言った。
「弟子、ということは長期的に関わるということですか」
「……できれば」
「DTSはここで何をするつもりでしたか」
「エネルギー抽出システムとして、このダンジョンを活用する計画でした」
「その計画は変わりますか」
「上次第で……でも、今回の件で上の方も、少し考え直している節があります」
「石倉さんに話しましたか」
「昨日、データを持って行きました。石倉さんが本部の委員会に提出すると言ってました」
◆
渉は基板の損傷箇所にコテ先を当てた。
ハンダが流れた。
「現場で学びたいなら、毎日来てください。作業を手伝いながら覚えてください」
「本当にいいんですか」
「できることをやればいい。最初は部品を取ってくることと、工具を渡すことだけでいいです」
「それだけでいいんですか」
「勇馬もそこから始めました」
◆
勇馬が横で聞いていた。
「……最初は本当に、部品運びだけでしたよ」と勇馬が言った。「でも半年で打音検査ができるようになりました」
「半年で」と若い技術者が繰り返した。
「渉さんが教えてくれたので」
「俺は場所を用意しただけです」と渉が言った。「勇馬が自分でやったんです」
◆
三時間後、基板の修理が完了した。
次にベアリングを換えた。
最後に電源端子を交換した。
渉が全体を確認した。
「テストをします」
重機を低出力で動かした。
振動を確認した。
音を確認した。
コン、コン、コン。
問題なし。
「直りました」
◆
DTSの先頭の男が来た。
「……直してくれたんですか」
「直りました。ただし、今後は最大出力での稼働はしないでください。七十パーセント以下で使えば、ベアリングへの負担が適切な範囲に収まります」
「七十パーセント以下……解析時間が伸びますが」
「時間をかければ、精度は出ます。急いで壊すより、ゆっくり確実にやる方が結果的に早い」
◆
夕方、石倉が来た。
渉の隣に来た。
「本部の委員会に、DTSの主任技術者からのデータと、私の勧告書を提出しました。審査に少し時間はかかりますが……第八層の管理方針が変わる可能性があります」
「どう変わりますか」
「渉さんの整備記録を尊重した上での運用、という形になりそうです」
「俺が向こうに来ている間だけでも、勇馬が管理を続けられれば十分です」
「……そうですか」
◆
石倉が懐から布を取り出した。
「田中さんから預かりました。差し入れだそうです」
渉は受け取った。
広げた。
軍手だった。
使い込まれた、田中の軍手だった。
「田中が使っていたやつですか」
「『使い慣れたやつを』と言っていました。向こうで使ってほしいと」
◆
渉は軍手を見た。
田中の手に馴染んだ形が残っていた。
親指の付け根の辺りが、少し擦り切れていた。
「……田中らしいですね」
「何か伝言はありますか」
「焼き肉の約束を忘れないでください、と伝えてください」
「……それだけですか」
「それだけです」
◆
その夜、渉は第八層で一人、装置の点検をした。
全体を確認した。
コン、コン、コン。
問題なし。
サスペンションも問題なし。
ゴールドも、コアも、健全だ。
「……これで終わりじゃないですが」
渉は小声で言った。
「壊されたものは直した。でも、次も誰かが来るかもしれない。その時のために、記録を残しておきます」
◆
メモ帳を開いた。
今日の作業内容を書いた。
重機の修理。ベアリング交換。基板修理。端子交換。
それから今後の注意点を書いた。
「壁面の水分浸透、週一回確認。コアの汚染状態、月一回確認。重機使用時は七十パーセント以下で」
書き終えて、渉は工具を片付けた。
田中の軍手を、作業着のポケットに入れた。
「……続きはまだある。でも今日はここまで」
◆
翌朝、DTSの若い技術者が、早めに第八層に来ていた。
バッグを持っていた。
渉が来ると「おはようございます」と言った。
「おはようございます。今日の作業のメモを持ってきましたか」
「……メモ?」
「作業前に、今日の予定を書いておく習慣を付けてください。何をやって、何を確認して、どこで終わるか」
「わかりました。今書きます」
「どうぞ」
◆
渉はいつもの道具チェックを始めた。
バッテリーの残量。ビットの状態。ラスペネの残量。
隣で若い技術者がメモを書いていた。
その隣で勇馬もメモを書いていた。
二人が並んで、それぞれのメモ帳に向かっていた。
渉は道具チェックを終えて、ヘルメットを被った。
「では始めます」
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〈第七十五話 了〉
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【次話予告】
第八層の管理方針変更の通達が来た。
石倉が読み上げた。
「……第八層の整備については、佐藤渉氏の整備記録を優先する」
DTSの先頭の男が渉に言った。
「……我々に、教えていただけますか」
渉は少し間を置いた。
「打音検査から始めましょう」
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【あとがき・第七十五話特別版】
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第七十五話、最後までお読みいただきありがとうございました。
第三部「黒い工務店とJDA内乱編」の前半が終わりました。
「弟子にしてください」という若い技術者への渉の反応が、この話の核心です。渉は「弟子になれ」と言わない。「部品を取ってきてください」と言う。渉の教え方は、常に具体的な作業から始まります。理論より先に、手を動かすことから始める。
田中の軍手の描写。使い込まれた軍手には、持っていた人間の形が残っています。親指の付け根の擦り切れ方は、田中の持ち方のクセです。渉はそれを見て「田中らしい」と思う。道具は、使う人間を覚えている。
「壊されたものは直した。次も誰かが来るかもしれない。その時のために記録を残しておきます」という渉の独り言。これが職人の継続性です。今日の仕事が終わっても、現場は続く。次の誰かのために記録を残す。先代がそうしたように。
最後のシーン。勇馬とDTSの若い技術者が並んでメモを書いている。渉が受け取ったものを、渉が渡し始めている。その連鎖が、この物語の根っこにあるものです。
引き続き、佐藤渉の現場にお付き合いいただければ幸いです。
(作者)




