やっぱり夜は欲望と戦うようです②
クラクラするような甘い香り。
イスカの持つその香りはとても心地良く、僕がそっとその小さな両肩に触れると、イスカは嬉しいのか少し腕の中で身じろぎをした。
「ユズキさん、いい香りです」
イスカはそう言うと、その細長い耳を僕の心臓から離した。
すると、今度はツイと形良く整った鼻を僕の身体に押し当ててくる。
軽く胸骨に当たるとこそばゆい!
いたずらっぽく、コロコロと僕の胸に鼻を押し当てるイスカはとても可愛らしいのだけど⋯⋯
「イスカさん、酔ってます?」
くっついたことで仄かに香るのは、甘いココの香りだけではない。
ワインのような酒の香りが僕の鼻に届いていた。
「くふ〜。実は少し飲んでます。レーネとお話していたら、フーシェとミドラさんが再会祝いだってくれたんです」
ピコピコと嬉しそうに跳ねる耳についつい目がいってしまう僕は、猫が猫じゃらしを見つけてしまったように、思わずその細い耳に触れてしまった。
「ヒャッ!」
可愛く肩をすくめると、イスカは片手で僕が触れた耳を隠してしまった。
「──ユズキさんは、そうやって私の弱いところばかり狙うんですから」
触れた耳は、ボウッと熱を持っており、しっとりとした触り心地は、指に吸い付くようだった。
スッと首を上げたイスカと僕の視線が交わる。
酔うとイスカは、少し積極的になるなぁ。
いつもより少し積極性が増す僕のパートナーは、その小さな手で僕のシャツをクイと掴む。
どうやら、このまま僕のシャツを掴みながら登ってきてくれるらしいね。
少しずつ、イスカが僕のシャツの上の方を掴む度に、僕とイスカの顔は近づく。
あれ──これって、なんかデジャブ。
ドゴンッ!!
「ヒャッ!」
「ワーッ!」
この音量は、昨日も聞いたはずだ。
しかし、意識の全てをお互いに集中していた僕とイスカは思わず抱き合ったまま飛び上がってしまった。
聞き覚えのある音に振り返れば、やはりというかなんというか。
「フーシェ!」
そこには、山のような荷物を抱きかかえたフーシェが、いまだ片足を上げて僕達の部屋のドアを蹴り飛ばしたままの格好で立っていた。
「ん。おかしい。あのパワーだと鍵しか壊れないつもりだったのに、金具も吹き飛んでしまった」
いや、鍵を壊す前提がそもそもおかしいよ。
なんて、僕の心のツッコミなんてフーシェに届くはずがない。
フーシェはトコトコと荷物を持ったまま、僕達の部屋に入ってくると、ドカッとベッド横の床に荷物を置いた。
んー。なんか、次の言葉分かっちゃった気がするけど⋯⋯
「フーシェちゃん、もしかして一緒に住むつもり?」
さすが僕の彼女さんです。
よく分かってらっしゃる。
え、やっぱそうだよね?
「ん。奴隷買った。二人部屋使う、もう部屋ないからここに来た。フーシェもユズキのパーティーの一員になるから、問題ない」
コクコクと頭を下げる姿は、素直に可愛い。
が!途中まで話は分かるけど、部屋がなくなったからといって僕達の部屋に住もうというのは、根本的に間違っている気がする。
だって、ここベッド1つだよ?
セミダブルくらいだよ?
3人?
いや、無理だって。
僕の期待も虚しく、フーシェはテキパキと荷物を広げようとする。
「いやいやいや!寝れないでしょ!」
物理的にね。
絶対誰か一人は床行きになるよ。
僕のツッコミを聞いたフーシェは、キョトンと首を傾げると。
何やら理解したように、ポンと手を叩いた。
ふぅ、分かってくれたか。
「ん。始めたい時は言ってくれればベッドは譲る」
「ちがーう!!」
性的にでは断じてない。
僕のツッコミに、ケラケラとイスカは嬉しそうに笑う。
なんだか、ツボに入ったみたいだけど、カオスですよ。
「はぁ⋯⋯他に部屋はないの?せめてベッドが複数ある部屋に移るから」
ツッコミ不在というのは、かくも大変なものなのか。
僕は軽い目眩を覚えフーシェに尋ねる。
「今日からはキャラバンのお客が満員。5日くらいは滞在するって」
──なん、だと。
「フーシェちゃんとお泊り楽しそう!」
相変わらず笑っているイスカさん。
うん。とりあえず、笑わせておこう。
悩む僕と、笑うイスカを交互に見ていたフーシェは、やっと寝るスペースがないことに思い至ったらしい。
なるほどと、一つ頷くとフーシェはグッと親指を立てた。
「ん。理解。とりあえず明日にはベッドは何とかする。今日はこのままで頑張ろう」
それを決めるのはフーシェなのかい!
そんなツッコミを入れたいが、多分ツッコんだところで結果は変わらないのだろう。
今後はこのペースに巻き込まれてしまうのか?
パーティーが増えることは喜ばしいけど、未来のことを考えると悩ましい。
こうして、僕とイスカそしてフーシェの3人はパーティーを組み、同じ部屋に起居することになったのだ。
「はぁ⋯⋯なんか、全部フーシェのペースに持っていかれそうだけど⋯⋯、とりあえず。これからよろしくフーシェ」
「フフッ、フーシェちゃん、よろしくお願いします」
僕とイスカが声をかける。
その言葉に、フーシェの動きが一瞬止まる。
そして、少し驚いたような表情を作った。
「ん。二人共ありがとう。よろしく」
そう言うと、今まで見たこともない素敵な笑顔がフーシェの顔を輝かせたのだった。
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皆さーん。起きてますか?
僕は眠れていません。
僕の右手、窓側にはイスカが眠っている。その反対にはフーシェが眠っている。
両手に華だろ?うらやましい。って言われそう?
うん、確かに華はとても綺麗だよ。
イスカはしっとりと華奢な脚を絡めて来て、僕の右手を抱き寄せてくれているんだから。
柔らかな温もりから、トクトクと規則正しい鼓動を僕の腕は感じ、甘いイスカの吐息は首筋をくすぐってくる。
うらやましいって思う?
左には小柄なフーシェが腕枕を求めているのか、見た目からは想像のできない強い力で僕の腕を枕に仕立てあげると、満足そうに眠っている。
ほっそりした腕は僕の体幹を掴み、僕自身は抱きまくらになった気分だ。
どっちを見ても可愛らしいのは素敵なことだけど、花束でも華に挟まれた真ん中にある葉は、華を引き立てるために隙間に配置されるように、僕は全く身動きが取れない。
二人共、コトンと眠ってくれたのは良かったのだけど、ただでさえ、ぎゅうぎゅう詰めのベッドの上。
僕は丸太のように動くことができない。
初めは、イスカとフーシェの無自覚のアプローチにドギマギしていたが、動くこともできないというのは本当に辛い。
あと数10cmの幅があれば。
レベルが高くて腕が痺れないことだけが救いの夜を僕は送ることになるのだった。
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結局、その日の夜はほぼ寝ることができず、気持ちよさそうに目覚めた女の子二人を、僕は信じられない気持ちで見つめた。
二人もほとんど動けなかったはずなのに、なぜそんなにも気持ちよく起きることができるのだろうか?
特にフーシェ、彼女はまだ薄暗い闇の中で目覚めると、食堂の仕込みの準備をレーネとカムイに教えるために、ガバッと起き上がると、すぐ様着替えて飛び出してしまった。
勿論、着替えは盗み見てはいない。
あと、ドアを破壊せずに出ていってくれたことは本当に嬉しかった。
その後、ようやく二人分のスペースを確保することができた僕は、ゆっくりと瞳を閉じることができた。
ただ、結局その後イスカの寝相はさらに悪化の一途を辿り、果てには僕に覆い被さるように眠ってくるものなのだから、たまったものではなかった。
無理やり、心臓の動きを早められたおかげで、寝るという選択肢を逸してしまった僕は、仕方なく煩悩を消すために頭の中で素数を計算することで時間潰しをしていたのだ。
そんな、夜もこの日のうちに、どこからともなく簡易ベッドを手に入れて来たフーシェのおかげで、前のように眠ることができるようになったのは救いだった。
ただ⋯⋯
「そんなに、凝視してくるのはどうしてなのかな?」
そう。
常にフーシェは僕達が眠るベッドの方を期待を込めた目で見て来るのだ。
いや、何もしないって。
そんな説明をした僕達だけど、返ってきた言葉は──
「ん。不思議、魔族は強い相手と子孫を残そうとするのが普通。それに魔族は、もともと子供ができにくい種族だから、男は求める傾向が多い。女は逆で、強い男に抱かれて優秀な子孫を残したいと思っている」
僕もイスカも魔族じゃないからね。
あと、場の空気とか、雰囲気とかあるからね。
「ん。フーシェは全く気にしない。今後の為に始めて」
いや、こっちは気にするよ!そして今後って何!?
怖いよ!
そんなやり取りを3回ほど繰り返して、やっとフーシェは理解してくれた。
それも、種族によって考え方が違うという程度の理解で、場の雰囲気が及ぼす影響についてまでは理解することが難しかったようだ。
ただ、強さだけでは魔王を超えてしまっている僕を、フーシェが表立ってアプローチしてこない理由が知りたくて、それとなく聞いてみた。
「ん。さすがに人の物は取れない。それは、悪いこと」
と、意外な程理解の良い言葉が返ってきたことに僕は驚いてしまった。
しかし、最後の言葉に僕はひっくり返りそうになる。
「フーシェはもうすぐ16で成人。だから、二人が了承するなら、フーシェもそっちのベッドへ行く」
あれ?イスカは年上と見ていたけど、年齢的にはかなり若いぞ?
素直に好意を持ってくれることは嬉しい。
だけど、強さに惹かれた好意というものは種族や価値観の壁があり、受け入れにくさを感じる自分がいた。
「僕のことどう思ってる?」
フーシェが中庭を掃除している時に聞いてみた。
フーシェは、ホウキを動かす手をピタリと止める。
そして、ブイッとピースを僕に向けると、やはり表情は少ないが嬉しそうな声でこう言うのだ。
「……最高」
その仕草と、近くにいる者だけにしか分からないフーシェのドヤ顔を見て、僕は彼女の好意が強さだけに向けられるものではないのだと、密かに確信するのだった。