やっぱり夜は欲望と戦うようです①
「ん。帰ろう」
奴隷商館の扉を出たフーシェは振り返ると僕とイスカに声をかけた。
先程の魔族の少年、名前をカムイという。彼につけられたフーシェの右肩の痛々しい傷は、僕のスキル『体力譲渡』によって跡形もなく回復していた。
ただボロボロになってしまった給仕服の右肩を直すことはできないため、フーシェはフローリアからお詫びとしてもらった高級な羽織を上から羽織っている。
あの後は本当に大変だった。フローリアは、奴隷が客に手をあげたことに半狂乱のようになり、最後にはフラフラと倒れると気分が悪いと言って、後の処置や謝罪を執事のモリソンに一任して奥へ引いてしまった。
結局、誠意の籠もった謝罪がフローリアの口から出ることはなかった。
その後モリソンからの謝罪は礼節保たれたものとなったが、彼いわく、フローリアは顧客を見て、時折娯楽を見つけたかのように振る舞うことが知らされた。
正直、気分は悪いしフローリアの顔は二度と見たくない。
そして何より、フーシェが危険に及ぶリスクを、フローリアが軽んじすぎたことが余計に僕は腹が立っていた。
「あぁ見えて奴隷のことを考え、しっかりと管理をされている方なのですが⋯⋯」
モリソンの申し訳なさそうな弁解が、彼の気苦労を現しているようだった。
ここまでのことを思い返すと、どっと疲れを実感する。
「⋯⋯」
フーシェの後ろには、二人の人物が立っている。
彼女が買った奴隷のレーネとカムイだ。
二人とも、首にかけられた首輪を除けば、町娘と町の子供と言った風体。カムイの方は角を隠すようにハンチング帽を被っており、見ただけでは、活発な少年といった印象だ。
聞けば売却された時には1着、服が支給されるとのことだった。
「レーネ、大丈夫?」
僕の横でイスカは奴隷にされた同郷のレーネを気遣う。
イスカの説明に、レーネは小さく頷いた。
「うん。あんな人だったけど、奴隷に対する扱いは悪くなかったよ。食事もしっかり与えられたしね」
奴隷の契約手続きを進める際、イスカとレーネは再会を喜んで泣いた。
僕やイスカとしては、奴隷という身分の開放のために動きたかったが、フローリアが気分が優れなくなり去ってしまったため、今日中の申請はできなかった。
そして、何より購入者であるフーシェの意向を知り合いだからといって僕達が無視することはできない。
「⋯⋯」
カムイの方は、フーシェに手をあげて以来黙ったままだ。
歳は12歳、フーシェは15歳だから3つ離れている。
前を行くフーシェとついていくカムイの姿はまるで姉弟のようだ。
「⋯⋯ごめん」
フーシェとカムイは、奴隷の所有契約のための手続きの時でさえほとんど会話をしていない。
元々無口なフーシェなため、その対応は普段通りではあるのだが、カムイにとっては、傷つけた相手から恨まれていると思っているのかもしれない。
弱々しく呟いた彼に、フーシェは向き直る。
「ん。問題ない。ユズキのおかげで傷はない」
そういう問題ではないと思うのだが、そのことを素で喋っているのだから、フーシェの価値観は人族とは違うものがあるのかもしれない。
「いや、奴隷が主人に手をあげたら、普通は殺されるくらいのことだろ⋯⋯なんで⋯⋯」
ボソボソと喋るカムイに、フーシェは小さな胸を張る。
「死ななかった。だって、カムイの動きは本当に私を殺そうとしなかったから」
そう言うと、フーシェは少し膝を曲げて目線をカムイへと合わせる。
その距離感にカムイは驚いたのが、顔を赤くして少し後ずさった。
「ち、近い!⋯⋯一応、俺の主人なんだろ!?こんな近くに近づくなんて何考えてんだ!」
あれ?ツンデレなのかな?
「ん。寂しかったんでしょ。私のことをお姉ちゃんと呼んでもいい」
表情少なく、真顔で話すフーシェに対しカムイの顔は真っ赤に染まった。
「ば、バカ!そんなこと言う主人がどこにいるんだ!」
そのやり取りを見ていたレーネも驚きの表情でフーシェを見る。
「あ、あのフーシェ様。数日前まで村民でしたが、私も今は奴隷の身です。そのように接するのは、主人と奴隷の距離感としては近すぎるかと」
レーネの言葉を理解したようにフーシェは頷く。
「ん。誤解ないように先に言っておく。私が二人を買ったのは、私の仕事を継いでもらいたかったら。だから、私は二人を買ったけど、奴隷として扱おうと思っていない」
⋯⋯
レーネとカムイの沈黙があった。
「何だそれ!」
「何ですかそれ!」
フーシェの宣言にビックリした二人の驚いた声は、商館前に響くこととなった。
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星屑亭に戻ると、僕達を出迎えたミドラはフーシェのボロボロになった姿を見たあと、レーネ、カムイをそれぞれ見るとニカッと笑った。
「あんたたち、ようこそ!星屑亭へ!」
ガハハと笑いながらカウンターから出てくるミドラを見て、その迫力にレーネとカムイは少し後ずさった。
フーシェは、星屑亭に戻るまでに二人を買った経緯を説明していた。
そのため、ミドラがフーシェの義母であり、これから雇用される上での上司に当たることは理解していた。
しかし、あくまで購入者であるフーシェが主人であるということは、覆すことのできない事実であるというのが、奴隷の有り様を示しているのかもしれない。
確か、奴隷を購入した者は奴隷に衣食住を与え、無闇に傷つけることはしてはならないと言っていたっけ。
僕はモリソンの、フーシェに対する説明について思い返していた。
しかし、問題はフーシェの理解度だ。モリソンの説明に対して、時折頭に?マークを出しており、僕やイスカがかいつまんでフーシェに説明をしたり、フーシェの意図をモリソンに伝えることも多かった。
本当に、この小さな雇い主は奴隷制度のことを詳しく理解することができたのだろうか?
うーん、なんか一日で僕とイスカの方が詳しくなった気がするぞ。
そうは言いつつも、フーシェが二人の主人であることには変わりない。
「ん。じゃあ、仕事はまずは私が教えるから、それを覚えて」
主人でありながら、見本を示そうとする。
普通の主人と奴隷といった関係性には見えないが、フーシェのことだ。
きっと、僕の部屋の壁をぶち破ったように、常識に囚われない主従関係を結べるのかもしれない。
「どことなく、フーシェちゃん。嬉しそうですね」
早速、レーネには先輩風に、カムイにはお姉さん風を吹かせて説明に取り掛かるフーシェの顔は少し生き生きしているように見えた。
「ん。そぉ?」
表情は少ないが、口角は少し上がっている。
その小さな変化を見つけた僕とイスカは嬉しくなって、お互いを見て笑い合う。
その様子をフーシェは少し不思議そうに眺めていた。
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「ただいま〜、ユズキさん。戻りましたよ」
僕が自室で、少し窓を開けて夜風を浴びているとイスカが戻ってきた。
人間を苦手とするイスカが宿の外に出ていったわけではない。
仕事の研修を終えた、同郷のレーネと話をしに行っていたのだ。
「お帰り」
僕は振り向いて、優しく微笑みかける。
イスカの手には、少し湯気が昇る木製のコップを2つ手にしていた。
「話し込んじゃいました。──はい、これはココという飲み物です。身体を温めてくれますよ」
昼間は心地良い陽気だが、夜にもなると窓から流れ込む風も少し夜風を含んで冷たい。
「隣に座ってもいいですか?」
「勿論だよ。大丈夫だったかな?」
ココを持って隣に立つイスカに、僕は隣にある椅子をイスカが座りやすいように位置を整えてあげた。
正直、奴隷に落ちかけたが助けられたイスカと片や奴隷になってしまったレーネ。
僕が同席するものでもないが、関係性が全く変わってしまった二人が話をすることに僕は心配していた。
でも、イスカの声音からは心配するようなことは起こっていないと感じることができていた。
「はい、⋯⋯私はバカでした。──レーネは、町の薬屋の娘さんで話すこともあったんですけど⋯⋯」
少しうなだれるイスカは僕にココを差し出す。
受け取ると、少し甘い香りが漂った。
「ほら、私って人間嫌いだったじゃないですか。──だから、心のどこかでレーネのことを避けていたんだと思います。でも、今日話してみたら、凄く私のことを心配してくれて。無事に会えて嬉しいって言ってくれたんです」
そう静かにイスカは話す。
夜風が優しく吹き込み、イスカの絹のような髪は、地球より少し青白い月明かりに照らされて、銀色に染まりながら幻想的に舞った。
「自分は奴隷としての身分にされたのにですよ。──その姿を見たら、レーネのために何かしてあげたい。そして、──人間にも色んな人がいるんだなって思えるようになったんですよ」
イスカは少し笑うと、ココが入ったコップに口をつけた。
「美味しいですよ」
小首を傾げて、微笑むイスカに促され、僕もコップに口をつける。
!!
甘い香りと味はココナッツミルクに似ており、コップに満ちた乳白色の液体は少しとろみがある。
「美味しい」
どこかホッとする味と、喉元を通り過ぎる熱が身体の芯を少し暖かくしてくれる。
「こんな風に人族のことを考えることができるようになったのは、やっぱりユズキさんと出会ったからですよ」
いたずらっぽく笑うイスカは、月明かりに照らされて、童話の世界から迷い込んだ妖精のようだ。
「僕もこの世界に来て変わったと思うんだ。そして、それは僕もイスカのおかげだと思ってるんだよ」
僕がそう言うと、イスカは笑いながら。「全然変わってなさそうなのに」と言う。それに対して僕は、「顔はセラ様のおかげでかっこよくなれました」と、おどけてみせた。
いや、ほんと。
元の顔だと、イスカの琴線に引っかかれるのか?
うーん、父さん母さんごめん。自信はないや。
イスカは窓際にコップを置くと、スッと立ち上がり僕の前に立つと腰を屈めて目線を合わせる。
「ここの色は変わってないですよ。きっと、前世とこの世界でも、ユズキさんが持っているここの輝きは変わらないです」
イスカはそう言うと、僕の心臓に耳をあてがうように飛び込んできた。
危うく、僕はココが入ったコップを落としそうになり慌ててコップを窓際へと置く。
スッポリと僕の胸に収まったイスカの小さな両肩。
「ふふ、ユズキさんの胸の音、心地良いです」
小さく話す、イスカの甘い香りはココの甘い香りと交わり、イスカの持つ甘い香りを一層濃いものへと変えているようだ。
僕は頭の中で、理性という壁が崩壊しかけているのを感じていた。




