既読:何のためらいもなく、『友達』の家に上がり込む佐紅が好きだよ
シアンのメッセージはシンプルな心配だった。
『具合はどう? 今日は講義出られそう?』
「し、シアン……!!!!」
可愛らしい画像付きで送られた気遣いに、乾いていた涙腺がじんと熱くなる。
仮にいつか、彼女が私の秘密に引いたとしても、それはその時だ。
想像におびえるより今、現実で気遣ってくれているシアンを大事にしないと。
『ありがとう。復活! 今日は出るから!』
シアンにお礼のメッセージを送ったところで、私はノートの犯人を見つける方法を考えていた。
明後日がついにサークル委員会義の日だ。
もうなりふり構っている暇はない。
ちょっと卑怯な手だって使わせてもらう。
私は既読スルーの佑白に更にメッセージを打った。
『佑白。
今夜ノートの件で相談したいんだ。時間あいてるかな』
電車を降り、アパートまで一旦戻る途中でようやく返事が来た。
『バイトが終わってからでいいなら、うちにおいでよ』
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佑白の家に行くのは初めてだった。
講義を終えて喫茶麝香堂最寄りの駅に向かうと、約束通り佑白が待っていた。
珍しく和装姿のまま、上からコートを羽織って駅前に立っている。
流石都会と言おうか、和装を来た青年が一人いても特に悪目立ちはしていない。
「……」
「……」
佑白は私と合流するなり無言で進む。
これから初めての場所に向かう私より、佑白のほうが緊張しているように見えた。
濃紺の暗い夜道を言葉少なに案内されて二十分。
新築のマンションやビルの合間に挟まれた、取り壊される寸前のような古めかしいアパートにたどり着いた。
「ボロいから大声は立てないでね」
唇に指をあて、佑白は先に縞鋼板の階段を登っていく。
二階にある佑白の部屋に上がった瞬間、私は鮮やかなデジャブを感じた。
リノベーション物件と言えばいいのか、中は外観よりずっと綺麗に調えられたフローリングの部屋だ。
部屋の大きさに不釣合いなソファと、とにかく真っ白く塗りこめました、といったそっけない壁。
私はこの部屋に着た事がある。そう、十二日前の夜に。
「ああ、……この部屋が」
部屋を見回す私を見て、佑白はコートをハンガーにかけながら顎でソファを示した。
「そのソファに座ってくれないかな。座布団もないから」
私がソファに座ると、彼は途中で買ったコンビニのペットボトルをテーブルに出す。
殺風景な部屋に佇んでいると、佑白が着込んだ和服の質の良さが浮いて見える。
佑白は床に正座し、私の顔をじっと見つめた。
「会って後悔した、なんて言わないんだ」
「そりゃあショックだったけど……すっきりしたし」
「俺に聞きたいことはないの」
「別に」
首を振る私の気持ちは本心だった。
「あ、口ではまだ言ってなかったね」
私は背筋を伸ばし、丁寧に頭を下げる。
「アトラス・シトラスのこと、教えてくれてありがとう」
佑白は無言でペットボトルの封を切る。ぷし。
六畳ほどの部屋には家具はほとんど見当たらず、夜具は押し入れの中にすべてしまわれているようだった。床に直に教科書が重ねてあり、書きかけのレポートなども部屋の一角にまとめてある。
目立つのは不釣合いなほど大きな液晶テレビで、古いものと安い物ばかりの部屋で唯一高級な光沢で輝いている。
電源が入っていない暗い画面に私と佑白が映っている。
「佐紅はすっきりしたかもれないけれどさ」
磨かれた画面に見とれていると、画面の中の佑白が動く。
目の前の佑白に視線を遣れば、佑白の凪いだ眼差しが捕えるように私を見据えていた。
「佑白、」
「告白してきた男の部屋に、ホイホイ来て危ないって思わないの?」
言われて初めて私は、佑白との距離の近さに気づく。
身を乗り出したら、簡単に触れ合える距離に私たちはいた。
凪いだ視線は私を捉えて離さない。
「それとも、誘ってるの?」
佑白の眼差しは底の知れぬ本気の色をしていて、私を怯えさせるには十分な力を持っていた。
本能的に逃げられないと感じるのか、体が勝手に硬直して鼓動が嫌な脈を打つ。
このままのしかかられてしまえば私は終いだ。
それでも、私の心だけは妙に冷静だった。
「あのさ、佑白」
「なに」
「極端な話、私が誘ったって佑白は私に手を出さないよ」
自分でも驚くほど、私は優しい声を出していた。
今にも食いつきそうな距離にいる佑白から目をそらさず、私は静かに続けた。
「だって襲うなら今までだって、いつでも襲うことはできたでしょ? 助けてくれた晩もそうだったし、それから幾度となく私を送ってくれた時だってそうだよ。今の今まで我慢してきた佑白が、ここに来ていきなり豹変するような人だとは思えないし、それに」
「それに?」
「襲われたって、私は佑白が友達として好きだし。それで溜飲が下がるなら、恨むつもりはないよ――」
言い終わらぬうちに、佑白の手がソファにかかる。
背中がソファの柔らかさに沈み込み、私は押し倒されたのだと気づく。
「甘いこと言ってると、本当に抱くよ」
天井を背にした佑白の表情はない。
ただ眼鏡の奥の瞳だけが、深刻な熱情をたぎらせている。
深夜の海、水平線の向こうでちらちらと輝く白い炎を昔、私はテレビで観た事がある。
佑白の眼差しはそれによく似ていた。
「……怖くないの」
「怖いよ」
実際、私の喉はからからになりそうだ。
心の覚悟と体の覚悟は繋がっていない。
「でも佑白がそれで気が済むのなら、仕方ないかな」
私は笑おうとしたが、ぎこちない苦笑いになってしまう。
「佑白には借りがたくさんあるしさ。ずっとモヤモヤさせてたんだし、世話かけてきたし、アトラス・シトラスから私を守ってくれようとしてくれたし。なんだかんだで会わせてくれたし。……まあ、それの恩をチャラにできるんなら」
「そう」
佑白はおもむろに眼鏡を外し、私から目を逸らさないままフローリングに置く。
真面目な顔をしているのを間近で見ると、確かに整った顔をしているんだなと感じた。
前髪の奥から覗く、黒々とした睫毛も眉毛も、唇も、程よく男っぽくて程よく綺麗だ。
カチ、カチ、カチ。
佑白の震える呼吸に混ざって、安っぽい秒針の音がカチカチと大きく響く。
時折、車が通るだけで部屋中に響く。
静かなようでうるさい部屋だ。
どれくらいのあいだ見つめ合っていただろうか。
佑白は糸が切れたように、体を離してソファから降りた。
そのままずるずると床に座り込む。
「あーもう」
言いながら片手で黒髪をかきむしった。
「佑白」
「なんで一人だけ、すっかり楽になってんの。腹立つ」
「いいの?」
「……あのさあ」
珍しく苛立った声音で私を振り返る。佑白の頬は真っ赤だ。
こんな顔、初めて見た。
「佐紅やりたいなら別だけど」
「やりたいかやりたくないかで言えば、正直なところやりたくない」
「じゃあやらん」
「襲われても知らないって言い方してなかった?」
「くどい。しからしか」
「なにそれ」
「うぜえって言ってんの」
「ひど」
佑白は真っ赤になったままペットボトルを勢いよく呑み干し、大きく溜息を吐く。
「ここまで我慢して友達として信頼されまくった後に、お情けもらうなんて冗談じゃない」
で、と言いながら佑白は空になったペットボトルを置く。
「……そんなことよりも、佐紅」
いつもの佑白の凪いだ眼差しが、私を射た。
「ノートの件で話があるんだよね?」
「うん」
切り替えた佑白に合わせて私も身を起こし、改めて姿勢を正す。
「佑白に手伝ってもらわないとできないことなんだ。お願いできるかな?」
「勿論。いい加減カタをつけないと、サークルも佐紅もおしまいになっちゃうしね」
眼差しの奥、佑白の暗い海に火が灯った。
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