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ねえ佑白。私なりに良い結末を迎えられたかな?

 鋭い言葉に息を呑む。

 絶句する私を一瞥しながら、彼女は子供の頬にキスをした。


「期待してたくせに。あたしのこと」

「……佑白とはどういう御関係なんですか」


 私はやっとで言葉をひねり出す。

 吐き気がしそうなほど動揺していた。


「御親戚とか……姉弟だとか」

「まさか。あの子はただの()()()()()よ。あの子の浪人時代から仲良くしてる」

「仲良く……?」

「そう、()()()


 二の句が継げない私に白けた表情を浮かべ、彼女は子供をベビーベッドへと下ろす。

 丁寧な優しい手つきで子供を寝かせる、その背中と手つきは優しい。

 私には絶対与えられない彼女の慈愛を、その子供は一心に受けて眠っていた。


「あたし、大学に行ったことなくてね」


 吊るされたメリーゴーランド風のモビールを手で回し、緩慢にめぐるそれを見つめながら、彼女は独り言のように呟く。


「大学生ってどんなことしてるのか見てみたくって、佑白くんにお願いしたの。散々嫌がられたけど、しぶしぶエキストラとして参加させてくれたわ。大学生やってる佑白くんも見たけれど……精一杯後輩の前で背伸びして、寡黙な男ぶっちゃっておかしかった。他の子たちも同じ。いっぱしの顔をしながら、精一杯かっこつけて」


 髪をかきあげる様は優雅だったが、眼差しだけはぎらぎらとしていた。


「打ち上げの飲み会もあるって聞いたもんだから、その辺の子に適当に日時を聞き出して、佑白くんには黙って打ち上げに参加したのよ。それがあの夜。――ねえ。あなた、お友達に佑白くんの話を話してたでしょう」

「覚えてません」


 飲み会でどんな話題をしたかなんて、よほどの事がない限り覚えていない。

 ただの雑談として、佑白の話題を出していたかもしれない。

 彼女はソファにどっかり座り、遠くを見る眼差しで私を見つめた。

 私を通して佑白を思い出しているのだろう。


「佑白くんに好きな子がいるって知ってたから、その子のことを、佑白くんと仲がよさそうなあなたから聞き出してみようと思ったんだけど」


 すっと彼女の目が細くなる。


「まさか意中の人があなただったなんてね」

「私も意外でした」

「知っていたの?」

「いえ、つい二日前に。……驚きました」

「あは、そうでしょうね」


 彼女は笑い、ルームウェアのポケットからワセリンを取り出す。

 彼女が手際よく手に塗り付けはじめると、香料を混ぜているのだろうか、甘い花の香りが私まで漂ってきた。


「あの子生んでから、手荒れが酷くなっちゃって。ヤになっちゃう」


 爪の短い、ネイルもしていない素肌の手を見ていると、その手に妙な妄想を抱いていた自分が恥ずかしくなる。爪が短いのは女を抱くため以外にも理由はいくらだってあるのに。

 私の視線を知ってか知らずか、彼女はおもむろにルームウェアの襟首を引っ張る。

 細い首筋から浮き出た鎖骨、華奢な谷間を見せる胸元にまで、彼女は丁寧に手を這わせた。

 露になる素肌から私は目が逸らせない。

 釘付けになった私に、彼女は意地悪く笑った。


「佑白くん、優しいようで優しくないの。親しいあなたなら知ってるでしょ? 表向きは柔らかい癖に、腹の中はのらりくらりと晒さない。あたしにさえもよ。そんな佑白くんが執着する女ってどんな高嶺の花かと思いきや……まさかあたしを好きになっちゃう子だなんて」


 彼女は身をかがめ、爪先に丁寧にクリームを塗る。

 肌蹴た胸元から深く谷間がのぞく。


「お笑いだわ」


 私の欲望を見透かすように、黒々とした眼差しが笑む。


「あたしに構われて、あなた嬉しかった?」


 にわかに緊張が再燃して、私は言葉を失う。

 どう返事をしていいのかわからない。

 喉が潰したチューブになってしまったように、言葉一つも出てこないし、息をするのがやっとだった。


「ねえ、佐紅ちゃん」


 名前を初めて呼ばれた。


「はい、」


 声が裏返る。

 彼女はいたずらっぽく、襟首を引っ張って見せた。


「佑白くんはあたしの隅々知ってるわよ。例えば……」


 彼女の指が体を滑る。

 クリームを塗った綺麗な鎖骨、胸足、膝、太もも。素の色をした唇を舌が舐めた。


「あ……」


 指先が冗談みたいに震える。

 興奮と絶望と怒りをまぜこぜにミキサーしたような感情が、使いすぎたパソコンのように頭を熱くさせる。瞬きすると涙が零れた。一度零れてしまえば終いだった。唇を噛みしめ堪えても、次から次にと、処理しきれないぐちゃぐちゃの感情が涙になってこぼれる。


「あーあ、泣いちゃった?」


 彼女の姿は下手糞な万華鏡になってもう見えない。

 彼女が大げさな溜息を吐いて、足を組み直す様子だけは感じられた。


「佑白くんが好きな子だから、もっと楽しい子だと思ってたのに」


 彼女は奥に歩いていくと、柔らかい何かを私にぶつける。

 涙をぬぐってみると、足元に派手な広告付きのポケットティッシュが落ちていた。

 拾い上げ、私は鼻をかむ。

 ティッシュにファンデーションとアイシャドウの色が映る。

 きっと顔はどろどろになってしまっているんだろう。

 顔を見られるのも辛くて、私は背を向ける。


 ガチャ。


 その時、面したドアが僅かに音を立てた。


「君は――」


 スーツ姿の男性がドアを開き、私を見て驚いた顔をした。

 撫でつけた白髪と見るからに品の良いスーツを着こなす彼。

 まさに、エグゼクティブだとか、代表取締役だとかの高級な肩書が似合う、五十代くらいの男性だった。目を丸くした表情にさえ重厚感がある。


「あなた」


 アトラス・シトラスが先程までとは別人の声音を出す。


「どうしたんですか」


 面喰ったままの男性はリビングルームまで来て、困惑した顔のまま私に言葉をかける。


「もしかして、君が――」

「そう、この子よ」


 背中にふわりと温かな感触が触れる。

 柔らかな女の人の匂いとともに、アトラス・シトラスが私の肩を掴んでいた。


「いつも話してたでしょ? ()()()()()()()()()女子大生ちゃん」

「ああ。……ああ、そうだったな」


 二人の様子から私は大体の事を察する。

 亭主の抜き打ちの帰宅。

 親しげに私を『誰か』に仕立てるアトラス・シトラス。

 二人の大人の思惑が、一人の小娘越しに交錯していた。


 私の振る舞いひとつに、この場の今後一切がかかっている。


「君、泣いているけれど大丈夫かい?」


 男性は気遣わしげに私を窺う。背筋のシャンとした立派そうな人だった。


「大丈夫よ」


 私ではなくアトラス・シトラスが答える。


「相談ごとに感極まって泣いちゃったみたいで」


 肩に乗せられた指にこもる力で、彼女が私にどうふるまってほしいのかが分かる。

 振り返ると、先程とは違う笑顔を向けられた。

 張り付いた笑顔、笑わない瞳の奥の余裕のなさと焦燥感が、一瞬だけども、確かに私にも見透かせた気がした。


「はい、そうです」


 私は男性へと笑顔を向け、丁寧にお辞儀をする。


「はじめまして。いつもお世話になってます」


 完璧な笑顔だったに違いない。彼は私に愛想のよい笑みを向ける。


「はじめまして。まさかうちのが、こんな可愛いお嬢さんとお友達だったとはね」

「素敵な喫茶店があるんです。そこで偶然知り合って、意気投合しちゃって」


 ね?と言いながら振り返ると、彼女は話を合わせて頷く。


「もしよかったら今度お二人でぜひ。美味しいカツサンドのお店です」

「ぜひ伺うよ」

「では、私はこれで。失礼します」

「もう帰るのかい?」

「はい。講義がありますので」


 私は靴を履くと、ドアを開く前に最後に部屋を振り返る。


「またおいで」


 男性はそう言ってくれるけれど、もう永遠に来ることもないだろう。

 私は目に焼き付けるように彼女を見た。笑顔で手を振る彼女。


「お邪魔しました」


 閉じた厚いドアは来た時と同じように、場違いな私の前にふさがる。

 私は高級住宅街をゆっくりとした足取りで通り抜け、地下鉄の駅にたどり着き、ちょうど停車した電車に滑り込む。行きよりも僅かに人が多い。


 私はドアに寄りかかり、路線図を何気なく眺める。

 ふと、この路線が佑白の働く喫茶麝香堂の最寄り駅まで一本だと気づく。

 とっさに私が口にした『喫茶店で出会った』というのは、あながち大嘘ではなかったのかもしれない。


 佑白は今もバイト先で、袴を翻してきびきびと働いているのだろうか。

 引っかかる女たちを糧にしたり捌け口にしたりしながら生きる佑白。

 私は正直、彼だけが悪いと思っていた所もある。

 けれど今となっては、食い物にされているのは女たちなのか、佑白か。私には判断できない。


 私は茫然としていた。

 泣いて震えた乱れた感情を、全部このドアの向こうに置いてきてしまったような感覚だった。


 スマートフォンで時間を確認すると、次の講義には十分出られる時間だった。

 泣いて頭は痛いし気乗りもしないけれど、不思議と私は講義に出る気力が戻っていた。

 居心地が悪かろうが、噂を流されまくってようが、もうどうでもいい。

 スマートフォンを操作し、佑白にメッセージを送る。


『ありがとう。彼女に会ってきたよ』


 休憩中だったのか、すぐに返事が返ってくる。


『大丈夫だった?』

『大丈夫。旦那さんにも会ってきた』


 既読になったまま返事が止まる。私は続けた。


『うまくごまかしといたよ』


 既読にはなるけれど返事はない。

 スマートフォン越しに彼の動揺が伝わり、私は思わず苦笑いする。

 こんなとき、画面を前に佑白がどんな顔をしているのだろうか。


『なんだかんだ分かっちゃったけど、会ってよかったと思ってるよ。

 色々すっきりした。後はノート捜索だけだね。』


 メッセージを送りながら、私は自分がけじめをつけた事ですっきりしているのを感じていた。

 気遣ってくれた佑白への恩も返し、アトラス・シトラスへの夢にきっちり蹴りをつけた達成感。


 次はノート持出事件の解決だ。

 ここで大学生活から逃げてしまっては、すべてが水の泡になる。



 佑白ではないメッセージが飛び込む。シアンからだった。



ここまでお読みいただき感謝です。

いつもブクマ・評価・ランキングクリックいただきありがとうございます!


ここからは解決編です。

お気に召していただけましたら評価いただけたら嬉しいです。

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