第5/13話 駅前の英雄の本性を暴け!
国民的アイドルという存在がある。
歌えば売れ、踊れば沸き、笑えばニュースになる。転べば心配され、少し涙ぐめば、翌朝の情報番組で特集が組まれる。
そういう存在だ。
だが俺にとって、それはあまり関係がない。
国民的アイドルだろうと、会社の同僚だろうと、駅前で道に迷った老人だろうと、危険に巻き込まれていれば救助対象である。逆に言えば、危険に巻き込まれていなければ救助対象ではない。
つまり、基本的には通行人だ。
◇
「本当にやるんですか、これ」
テレビ局の会議室で、若いディレクターが確認した。
ホワイトボードには『駅前の英雄の本性を暴け!』と大きく書かれている。その下には、赤い丸で囲まれた文言があった。
『国民的アイドルが危機に! 英雄は本当に助けるのか!?』
「やる」
プロデューサーは腕を組んで頷いた。
「今、一番数字を持ってる一般人だぞ」
「一般人を数字扱いするの、どうなんですか」
「だから公益性を持たせる」
「公益性」
「人は本当に善意だけで動けるのか。現代社会における英雄像の検証。な?」
「急に社会派っぽく言っても駄目です」
「駄目か」
「駄目でしょう」
プロデューサーは舌打ちし、ホワイトボードを指で叩いた。
「だがな、欲の無い人間なんて絶対に居ない!」
その声に、会議室の空気が少しだけ変わった。
「助けた相手が国民的アイドルなら。カメラが回っていないと思っている状況なら。男なら、どこかで必ず欲を出す」
「言い方、最悪ですよ」
「最悪でも数字は取れる」
「下衆だなぁ」
会議室の隅で、マネージャーが深いため息をついた。その隣に座っているのが、今回の仕掛け人である国民的アイドルだった。
大きな瞳。整った顔。柔らかな笑顔。
テレビで見ない日はないと言われるほどの人気者である。
「私は、別にいいですよ」
彼女は台本をめくりながら言った。
「ええ?本当にいいの?」
マネージャーが眉をひそめる。
「危ないことはしない約束ですよね?」
「もちろんです」
ディレクターが慌てて答えた。
「車は低速。接触なし。倒れる位置も決めてあります。スタッフも近くに配置しますし、救急班も待機させます」
「それでも、相手は一般の方です」
「そこは十分配慮します」
「配慮してる番組のタイトルじゃないですけどね」
マネージャーの視線が、ホワイトボードへ突き刺さる。
プロデューサーは目を逸らした。
アイドルは台本から顔を上げ、少しだけ考えるように笑った。
「でも、私も気になります。あの人、本当に何も求めてないんですよね」
トラック事故。通り魔事件。火災現場。
どれも命がけの救助だった。なのに、本人は報酬も取材も断っている。
世間はそれを美談にした。駅前の英雄。現代の聖人。
だが、テレビ局は思った。
本当にそうか。
助けた相手が国民的アイドルなら。カメラが回っていないと思っている状況なら。その本性が出るのではないか。
「もし、本当に何も求めなかったら?」
ディレクターが聞く。
アイドルは少し考え、笑った。
「その時は、ちゃんとお礼を言います」
「番組的には?」
「番組的には困るんじゃないですか?」
「困りますね」
会議室に、微妙な沈黙が落ちた。
◇
その日、俺は駅前を巡回していた。
休日の午後で、駅前はいつもより人が多い。天気は晴れ、視界も路面状態も悪くない。車両通行量はやや多めで、歩行者の年齢層も広かった。
ベビーカー。高齢者。自転車。観光客。
危険要素は、それなりに揃っている。
ただし、これまでの反省を踏まえると、単に危険へ飛び込むだけでは足りない。トラック系は救助対象を投げ飛ばすまたは突き飛ばす方向。刃物系は刺される角度と位置管理。火災系は救助対象を完全に安全圏まで運ぶ。
さらに、爆発系イベントについても検討する必要がある。
爆発。炎。衝撃波。破片。
救助対象を抱えながら爆風に飲まれる。脳内再生された映像は、かなり良い。
死に際の台詞を言えるかと言う問題点があるな。
爆風から要救助者を守り、自分は爆発のダメージで致命傷を負う。
早すぎればただの救助。遅すぎれば救助対象ごと巻き込まれる。爆発の瞬間に自分だけが残る形が望ましい。
非常に繊細なイベントである。
俺がそんなことを考えながら駅前広場を抜けた、その時だった。
「きゃっ!」
少し先で、女性の悲鳴が上がった。
歩道脇。横断歩道の手前。一人の女性が、足をもつれさせたように倒れ込んでいた。
帽子。大きなサングラス。目立たない服装。
だが、周囲の何人かがすぐに反応した。
「あれ、もしかして……」
「嘘、本人?」
「え、撮っていいの?」
有名人らしい。
だが、今はどうでもいい。
問題は、彼女の位置だ。横断歩道のすぐ脇で、車道に近い。そして、こちらへ曲がってくるワゴン車がある。
速度は遅い。ブレーキも間に合う。危険度は低い。
仕込みの匂いがする。
車両の速度、倒れた位置、周囲に妙に多いスタッフらしき人影、カメラを隠すには不自然な黒いバッグ。
つまり、これは本物ではない。
だが、倒れている人間がいる以上、放置はできない。俺は走った。
「大丈夫ですか」
女性のそばに膝をつく。
彼女はサングラス越しに俺を見上げ、わずかに息を呑んだ。台本通りなら、ここで怯えた声を出すのだろう。
「あ、足が……」
「足首を見ます。痛む場所は」
「え、あの」
「痛む場所は」
「右、です」
俺は足首に触れない距離で、腫れや角度を確認する。不自然な腫れはない。骨折の可能性は低い。演技だ。
だが、周囲に車両がある。
演技でも動けないなら危険である。
「歩道の奥へ移動します」
「はい、でも、その前に――」
「黙りなさい」
「……え?」
俺は周囲を見た。
車、人、信号、隠しカメラらしき位置、スタッフらしき人間の足運び。
そして、曲がってくるワゴン車。
おかしい。
運転が乱れている。予定された低速走行なら、あの揺れ方はしない。ハンドル修正が遅い。ブレーキランプの点き方も変だ。何より、運転手の姿勢が崩れている。
急病か。
「移動します」
俺は女性を抱えるようにして、歩道の奥へ運んだ。
軽い。だが、抵抗はない。
彼女はまだ何か言おうとしていたが、俺は見ていなかった。
ワゴン車が、歩道の縁石へ乗り上げた。
鈍い音。
タイヤが跳ねる。
周囲から悲鳴が上がる。
「え、ちょっと!」
「止めて!」
「本番中止! 中止!」
スタッフらしき人間たちが一斉に動いた。
やはり仕込みだったか。
だが、今はそれどころではない。
ワゴン車は制御を失い、道路脇の看板へ突っ込んだ。
がしゃんっ!
金属が歪み、ガラスが割れ、車体が傾く。ボンネットから白い煙が上がり、すぐに嫌な臭いがした。
燃料。オイル。電気系統の焦げ。
来た。
爆発系イベントだ。
俺の心臓が跳ねる。
しかも今回は本物。仕込みではない。本物の事故。本物の危機。本物の救助対象。
条件としては申し分ない。
だが、浮かれてはいけない。
まず救助。
そのあと死ぬ。
順番を間違えてはいけない。
「運転手!」
スタッフの一人が叫んだ。
俺は車へ走った。
運転席のドアは歪んでいる。運転手は意識が朦朧としていた。呼吸はあるが、反応が鈍い。
「救急車を!」
「呼んでます!」
「火気を近づけないでください! 下がって!」
俺はドアの隙間へ手を掛ける。歪みは大きいが、完全には噛んでいない。
足を固定し、体重をかける。
ぎぎ、と金属が鳴った。
もう一度。
肩甲骨を締め、背中で引く。
ばきんっ!
ドアが開いた。
「すげえ……」
「何今の」
「撮れてる?」
「撮るな! 下がれ!」
運転手のベルトを外し、首の角度に注意して引き出す。脈、呼吸、外傷。頭部打撲の可能性がある。
「水平に寝かせて。首を動かさないように」
「は、はい!」
スタッフに引き渡す。
次に確認するのは、さっきの女性だ。
彼女はマネージャーらしき人物に支えられている。無事。スタッフも下がっている。通行人も警察官に誘導され始めている。
車からは煙が増えていた。
「離れて! まだ危険です!」
俺は声を張る。
爆発が来る。
だが、救助対象は退避済みだ。ここで俺だけ残れば、爆炎、自己犠牲、救助後の死亡という非常に良い形になる。
しかし。
何かがおかしい。
運転手は出した。女性も無事。スタッフも逃げた。通行人も下がっている。車両火災の危険はあり、爆発条件も揃っている。
なのに、胸の奥がざわつく。
まだ何かある。
俺は視線を走らせた。
車。煙。割れたフロントガラス。倒れかけた看板。
......看板の影!
小さな耳が、震えている。
猫だ。
黒と白の、小さな猫。
事故の音に驚いたのか、看板と植え込みの間で固まっている。逃げられないのだろう。目だけが大きく見開かれている。
一番本物だった。
仕込みの悲鳴でもない。台本の涙でもない。予定された危機でもない。ただ、突然の事故に巻き込まれ、恐怖で動けなくなった小さな命。
俺は走った。
「待ってください!」
「危ない!」
「戻って!」
誰かが叫ぶ。
腕を掴まれた。
振り払う。
車の下で、小さな火が上がった。
まずい。猶予は短い。
看板は半分倒れている。固定具は外れかけているが、厚みはある。材質はアルミ複合板か。爆風を完全には防げないが、角度をつければ受け流せる。
猫までの距離は七メートル。車までの距離は三メートル。煙、熱、足場。
問題ない。
俺は姿勢を低くして滑り込んだ。
猫が威嚇する。
「大丈夫です」
手を伸ばすと、爪が手の甲に刺さった。
逃げない。
掴むのではなく、包む。
上着の内側へ入れると、猫の身体が震えているのが分かった。
生きている。
その瞬間、背後で空気が膨らんだ。
来る。
俺は倒れかけた看板を蹴り上げ、角度を変えた。金属板が軋む。両手で支え、膝を落とし、肩で受ける。
直後。
爆発した。
音が消えた。
熱が背中を叩く。
看板が歪む。
衝撃で足が滑る。
だが、倒れない。
猫を潰さない。
看板を盾にし、爆風を斜め後ろへ逃がす。破片が金属板を打ち、腕が痺れ、肺が熱くなる。
いい。
これはいい。
爆発。炎。小動物救助。自己犠牲。看板で爆風を受け止める構図。
転生イベントとしては、かなり絵になる。
問題は一つ。
看板の角度が良すぎた。
「……しまった」
俺は煙の中で呟いた。
死んでいない。
服は焦げた。手の甲は引っかかれた。肩と背中は痛い。耳もきんきんする。だが、死んでいない。
まただ。
また、身体が最適解を選んでしまった。
煙の向こうから、声がする。
「いた!」
「生きてる!」
「猫抱いてるぞ!」
「嘘だろ!」
俺は看板を押しのけ、炎の中から歩き出した。
上着の内側で、猫が震えている。小さな爪が、シャツにしがみついていた。
俺は足を止めず、救急隊員の方へ向かう。
「猫です。事故音で硬直していました。火傷の確認をお願いします」
「え、猫?」
「はい」
「あなたも診ます!」
「俺は大丈夫です」
「大丈夫じゃないです!」
「猫を先に」
「人間が先です!」
「猫は小さいので熱の影響を受けやすい」
「理屈は分かりますけど!」
周囲は騒然としていた。
テレビクルー、通行人、警察、救急。
誰もがこちらを見ている。
その中で、さっきの女性が立ち尽くしていた。サングラスは外れている。帽子も落ちていた。
見覚えのある顔だった。
テレビで見たことがある。
国民的アイドル。
名前は、出てこない。
俺は猫を救急隊員へ預け、燃える車を見た。
仕込みの危機。本物の事故。本物の命。
だが、白い空間はない。魔法陣もない。女神もいない。
俺は小さく呟いた。
「……まがい物では、届かないか」
「まがい物?」
すぐ近くで、声が震えた。
振り返ると、国民的アイドルが俺を見ていた。
「私が……まがい物だって言いたいの?」
「違います」
「違わないでしょ」
彼女の声が少し高くなる。
「私、台本で怯えた。台本で転んだ。台本であなたに助けを求めようとした。全部、作り物だった」
「今回の事故は本物でした」
「だから何よ」
「あなたの危険も、本物でした」
「……」
「ですが、一番本物だったのは、事故に驚いて動けなかった猫です」
「猫に負けた」
「勝ち負けの話ではありません」
「猫に負けた……!」
彼女は、唇を噛んだ。
マネージャーが慌てて間に入る。
「すみません。この子、ちょっと混乱していて」
「問題ありません」
「本当に、助けていただいてありがとうございました」
「必要なことをしただけです」
俺は周囲を見た。
運転手は救急隊員に処置されている。アイドルに怪我はない。スタッフも全員退避済み。猫も預けた。
なら、この場に残る理由はない。
爆発系イベントは失敗。
帰宅後、検証が必要である。
「あの」
アイドルが、俺を呼び止めた。
「このお礼、ちゃんとさせてください」
「必要ありません」
即答だった。
「……え?」
「当然のことをしただけです」
「でも、助けていただいたのは事実ですし。せめて、お食事でも」
「結構です」
「……即答なんですね」
「はい」
「私、これでも予定を空けるの大変なんですけど」
「そうでしょうね」
「そうでしょうね、で終わるんですか」
「はい」
彼女の笑顔に、細い亀裂が入った気がした。
「どうしてですか」
「必要がないからです」
「必要がない」
「はい」
「私が誘ってるんですよ?」
「それは分かっています」
「分かっていて、必要ないんですか」
「はい」
彼女の笑顔が、動かなくなった。
「あなただって、いらない物を無理やり寄こされても困るでしょう?」
「……」
「ですから、お礼は不要です」
マネージャーが青ざめた。
「ちょ、ちょっと待ってください。言い方が」
「失礼でしたか?」
「かなり」
俺は、少しだけ黙った。
不思議だった。
危険を装って人の善意を試す。そこへ本物の事故が重なる。助けた相手に礼を押しつける。断れば、失礼だと言う。
失礼とは、何だろう。
「あなたは、この方のマネージャーですよね」
「え? はい」
「貴方が守るべきは、この涙ではありませんか?」
マネージャーが、息を呑んだ。
彼女は泣いていた。
大粒の涙を、ぼろぼろとこぼしていた。
それは、演技ではなかった。カメラに向けたものでも、番組のためのものでもない。
ただ、傷ついてこぼれた涙だった。
「私の言い方より先に、考えるべきことがあるはずです」
「……」
マネージャーは、何も言えなかった。
彼女自身が、一番驚いた顔をしていた。
「あれ」
もう一粒。
さらに一粒。
大粒の涙が、頬を伝って落ちていく。
泣く演技なら、何度もしてきたのだろう。涙の見せ方も、声の震わせ方も、カメラに映る角度も、きっと知っているのだろう。
けれど、これは違った。
止め方が分からない涙だった。
俺は、黙って彼女に近づいた。
指先で、頬に落ちた涙をそっと拭う。
「……今度は届きました」
それだけ言って、一礼した。
「失礼ですが、本物を探さなきゃいけないんでこれで失礼します」
そして、背を向ける。
誰も、止めなかった。
いや。
止められなかった。
俺は駅前方面へ走り出した。
より正確には、異世界転生チャンスが発生しやすい地点へ。
◇
その日の夜。
俺は自宅で《異世界転生失敗反省会》を開いた。
ホワイトボードには、大きく書いた。
『爆発系イベント失敗』
一、国民的アイドル救助。
二、運転手救助確認。
三、猫を発見。
四、爆発直前に猫を確保。
五、看板を盾にして生還。
「惜しかった……」
かなり惜しかった。
爆発、炎、小動物救助、自己犠牲。さらに、倒れかけた看板で爆風を受け止めるという絵面。
女神面接での印象も、かなり良かったはずだ。
問題は、看板の角度だった。
俺は現場の記憶を図に起こす。車両位置、看板の傾き、爆風の方向、自分の姿勢、猫の位置、看板を蹴り上げた時の角度。
「約三十二度……」
良すぎた。
爆風を受け流すには理想的な角度である。しかも俺は無意識に膝を落とし、肩で荷重を受け、猫を上着の内側へ逃がしていた。
完全に生存行動だった。
「次からは、盾に使える物の角度に注意する必要がある」
俺は赤ペンで書き込んだ。
『爆発系イベント最重要事項』
一、救助対象を安全圏へ運ぶ。
二、爆発範囲を見極める。
三、破片の飛散方向を読む。
四、盾に使える物を確認する。
五、ただし角度を良くし過ぎない。
完璧だ。
いや。
完璧だから失敗したのだが。
難しい。
爆発系イベントは、想像以上に繊細である。
スマホが震えた。
嫌な予感がする。
画面を見る。
『駅前の英雄、国民的アイドルを救出!』
動画。
再生回数、四百八十万。
別の投稿。
『爆発直後、猫を抱えて炎の中から生還』
三百九十万。
さらに。
『国民的アイドルの涙を拭った駅前の英雄「今度は届きました」』
七百二十万。
「……」
俺はスマホを伏せた。
見なかったことにする。
今回、重要なのは爆発系イベントの失敗要因である。世間の誤解に構っている場合ではない。
俺はホワイトボードへ向き直った。
「次こそは……」
◇
遥か上。
天界転生管理局、第三送致課。
水晶板の前で、平男神が両手で顔を覆っていた。係長神は無言で胃薬を三粒飲んでいる。
水晶板には、何度も同じ映像が流れていた。
爆炎の中から猫を抱いて出てくる男。
国民的アイドルの誘いを即答で断る男。
本物の涙にだけ近づき、その涙をそっと拭う男。
『……今度は届きました』
平男神は、ゆっくり顔を上げた。
「何なんだこいつ、腹立つわー」
係長神が資料を確認する。
「死亡予定への接続には失敗しましたが、対象女性の精神状態に大きな変化が確認されました」
「だから何でそこだけ的確に刺してくるのよ」
「救助対象者の涙に反応したものと思われます」
「反応の仕方が神託みたいなんだよ」
「なお、マネージャーの職業倫理にも影響が出ています」
「二人刺してんじゃないの。爆発より貫通力あるじゃないの」
水晶板の中で、主人公は真剣な顔でホワイトボードに赤丸をつけていた。
『盾に使える物の角度に注意』
平男神は、しばらくそれを見つめた。
「じいちゃん、こいつの理解は無理そうだよ」




