1.アイスまみれの王子様
「こら、待たないか、この悪ガキ〜っ!!」
後ろから、怒号と追ってくる足音が聞こえる。
振り返らずとも、声がアイス屋のおばちゃんのものだということはわかった。
なぜなら、トットの手にはアイス屋で万引きしてきたバニラアイスが二つ、握られているからだ。
お金を裏返して出したふりをして、アイスを受け取る。
しかし出したのはただの紙切れだ。
店のおばちゃんがそれに気づく頃には、もうトットの両手にはアイスが届いている――という、なんのひねりもない戦法。
成功するのは五回目だ。だから学習しないアイス屋もどうかと思う。
ところどころ剥がれたボロい石畳の上は走りにくく、おばちゃんは足を取られて速度を出せないみたいだ。
スラムと化しているこの裏路地を走り慣れているトットは、どんどん距離を離していく。
(よし、あとはそこの角を曲がって、ハウスに帰れば――うわっ!?)
薄汚い細い道を抜けて、大通りに飛び出す。
手の中のアイスが落ちないように、そればかり見ていたトットは気がつかなかった。
目の前に、自分より少し背の高い人影。
目に入ったのは、きらきら光る銀の髪だった。
――べちゃり。
嫌な音とともに、トットは目の前の人影に激突する。
手の中でワッフルコーンの砕ける感触がした。
「あーっ! 俺のアイス!」
ぶつかった謝罪や相手の心配より、まずトットが叫んだのはそんな言葉だった。
ぶつかられた方の少年は、バニラアイスで黒い服をべたべたに汚しながら、苦笑する。
「ずいぶん元気だな……君はこのあたりの子か?」
「ああ、悪い。あんたは――」
声をかけられて初めて、トットはぶつかった相手を見る。
黒地に金の刺繍で縁取りがついた、見るからに高価そうなかっちりした服を着た少年だ。
今年で12歳になるトットと比べてあまり歳は変わらなそうに見えるが、何より纏う雰囲気が落ち着いて、大人びて見える。
糸のような美しい銀髪に、突然トットにアイスをぶつかられても怒らない器量。
困ったような顔で服のお腹あたりについたバニラアイスの汁を眺める少年を前に、トットはひとり冷や汗をかく。
(やばい。わかんないけど……なんか、やばいやつにぶつかっちゃった気がする)
少なくともスラムに慣れているようなトットの人生に、含まれない人。
目の前の銀髪の少年からそれを感じ取って、トットの本能は警鐘を鳴らした。
逃げないと。
バキバキに割れたワッフルコーンを地面に投げ捨てて、踵を返したその瞬間。
トットは絶望する。
「追いついたわよ、悪ガキ! 金を払いな!」
アイス屋のおばちゃんが追いついてきたのだ。
払えと言われても、金なんか持っていない。トットは孤児だ。
しかたなく、銀髪の少年をどかして逃げようと前に向き直る。
しかし、そちらはそちらで大勢の大人たちに道を塞がれていた。
慌てた様子で、銀髪が怪我をしていないかとか、服の汚れがどうかとか、大勢の男たちが大切なものに触れるように確認している。
みな軍服らしきものを着て、髪も立ち居振る舞いもこの汚い下町には似つかわしくない様子だ。
その中の一人が、トットの方を見て目を三角にし、怒鳴った。
「こちらのお方はこの国の次期国王であらせられるぞ! 貴様、なんということを……!」
八方塞がり、とはこのことだ。
物理的にも、金銭的にも。
アイス代も服の弁償代もない。怪我が見つかって慰謝料、なんて言われたらもっとない。
トットの脳内を彼なりの様々な想定が駆けめぐり、血の気が引いてきたその瞬間。
“次期国王”と呼ばれたその少年は、笑った。
「いいよ。それよりさ、僕もアイスを食べてみたい。美味しそうな甘い匂いが体からずっとしてるんだ」
「え……」
そして少年は人懐こい笑顔を、トットの後ろでカンカンに怒っているアイス屋のおばちゃんに向ける。
「いただけますか? もちろん、僕の服が食べてしまった、このアイスのお代も払いますから」
少年のそばにいた身なりのいい男たちは口々に少年を止めようとする。
一方で、つい先ほどまで声を荒らげていたアイス屋はすっかり毒気を抜かれている。
「払ってくれるんなら、そりゃいいけど……」
その返事を聞いて、少年は笑みを深める。
「だってさ。いいでしょ! ほら行こう、万引きくん」
後ろの男たちに鼻高々にそう言って、少年は走り出す。
遠慮がちにとられたトットの右手は、次の瞬間には強く引かれていた。




