第9話 地獄耳シュン
泥棒馬(俺)による高級リンゴ奪取事件から数日。
公爵家本邸の周辺は、来週開催される夜会の準備でどこか浮足立った空気に包まれていた。
そんな中、俺は庭園の木陰で気持ちよく午後のまどろみを貪っていた……のだが。
(……ん?なんだこの声)
馬の耳というのは凄まじい。遠く離れた場所のヒソヒソ話までクリアに拾ってしまうのだ。その距離4キロ。信じられるだろうか?4キロだぞ。それに人に聞こえない周波数も聞こえてしまう。
(本当に馬ってすげー)
そんな事を考えながらふと意識を向けたのは、本邸の陰──人目につかない植え込みの裏側だった。馬はあまり目が良くないが、人が居るのはわかる。
「バルト、準備はぬかりないのでしょうね?」
(おや?この不快な高音はクソ継母マリアンヌの声だな)
俺は寝そべったまま、ピクッと右耳を音のする方角へ向けた。馬の姿だからこそ、誰も俺が聞き耳を立てているなんて思いもしない。完全な盗聴モードだ。誰も馬が人語を理解しているなんて思わないだろ?
「ご安心ください、マリアンヌ様。来週の満月の夜……当家が主催する夜会にて、あの忌々しいエリス様にはお退場いただきます」
(は??退場??退場ってなんだよ。なんか嫌な予感がする)
悪徳老執事バルトの低く湿った声に、俺の背筋がヒヤリと凍りつく。
「夜会の最中、会場のテラスでエリス様に子供用の果実ジュースをお勧めいたします。中には身体が痺れる麻痺毒を仕込んでおきますゆえ──。意識を失ったところを、そのまま庭園の池へと滑り落とす手筈でございます」
「ほほう……完璧な計画ではないか。十歳の幼子が足元を狂わせて池に落っこちて溺死!誰にも疑われようがないわね。ふふ、ふはははっ!」
(ッッッっっっ死ね!!!!ふざけるなよ、万死に値するどころじゃねぇぞあのクソババアと悪徳ジジイ!!)
激怒で立ち上がり、「ヒヒーン!」と鳴いて踏み潰してやりたい衝動に駆られたが、俺は必死で奥歯を噛み締めて踏みとどまった。
今ここで暴れて計画を変更されたら、目も当てられないからだ。奴らの狙いと手口が分かっただけでも大収穫だ。
(待ってろよクソども。来週の夜会、俺が馬のパワーで乱入してその毒ジュースごと粉砕してやるからな!!エリスは俺が守るんだ!)
企みを知った俺は、なんとかエリスを守るための策を練り始める。だが問題は、俺がただの馬だということだ。椅子に座ったりモノを盗んだりは出来るが(この時点でただの馬ではない)エリスに言葉で危険を伝えることができない。さすがに俺の言葉は通じないだろ。
(毒って地面に文字を書くか……?いやまて、十歳の男の子にいきなり馬が文字書き始めたら恐怖で引かれるだろ……。いや、十歳じゃなくてもヤバいか)
俺が一人でうんうんと頭を抱えていると、仕立て屋を伴ったエリスが厩舎へとやってきた。
「シュン!来週の夜会のために、僕の衣装を新調したんだ。見てごらん!どう?似合うかな」
俺に嬉しそうに深緑の小さなタキシードを見せてくるエリスのその無垢な笑顔を見ていると、胸の奥がキュッと締め付けられる。こんな健気で可愛い推しを死なせるわけには絶対にいかない。
(大丈夫だエリス。俺が絶対にお前を守る。言葉は伝わらなくても、夜会当日は俺が暴れてでもお前から毒ジュースを遠ざけてやるからな!)
俺はエリスの肩にそっと鼻先を寄せ、誓いを立てるようにすり寄った。




