第一項 復讐の果てに(第87話)
第一部 新世界の産声編 第五章 新世界へ 第三節 死出の旅路
燈牙編
「うーん……?」
ある朝、起きてきた霞が腹をさすりながら首を傾げていた。
「腹痛か? 薬はあっただろうか……」
「あー、いや、そうじゃないのよ。ちょっと待ってて」
言うなり、霞は踵を返してどこかへ行き、しばらくしてからトイレのドアが閉まる音が聞こえた。
やはり腹痛だったのだろうか?
ほどなくして、何やら得意げな顔をして戻ってきたその手には細いものが。
……あれは見覚えがあるぞ。妻も使っていた。
「じゃーん!」
そう言いながら手に持っていた物を俺の眼前にかざして見せた。肝心な部分は隠したままで。
「これは、妊娠検査薬か?」
「うん、そう。ちょっと前から生理が来なくておかしいとは思ってたのよね」
それはもう答えではないだろうか?
「とりあえず見せてくれ」
「あ、ちょっと!」
奪い取った妊娠検査薬の検査結果を見ると――
「……陽性か」
また一人、俺の子供が生まれるのか。
秘密結社への復讐の果てに、このような状況になろうとは夢にも思わなかったな。
「うん、赤ちゃんができたみたい。不思議なもんよね。あたしのお腹の中に小さな命が宿ってるなんて」
「出産はどこでする? 病院の予約は必要だろうか?」
「それなんだけどさ。雪女の村落で産もうと思ってんのよね。ついでに子育てもあっちで教わりながらする予定。だからあんたが雪女の村落に帰る時について行くことになるわね」
「……いつの間に?」
「あたしは皆とこまめに連絡取り合ってるのよ。あんた、自分からはなんも連絡寄こさないでしょ?」
「それは、すまない……」
「別に謝るような事じゃないけど、ちょっとしたことでも連絡してくれたら嬉しいもんよ? 女の子ってのは」
「そう言うものなのか……」
「まあねぇ。あ、脈の無い相手にやったら逆に嫌われるから注意ね」
「そうなのか?」
面倒だな。
「今、面倒だなって思ったでしょ? そう、女ってのは面倒な生き物なのよ!」
「自分が女であることを棚に上げて言いきったな?」
「違うわ。私は自分が面倒であることを自覚しながら面倒な振る舞いをしているのよ! と言うわけで赤ちゃんができたあたしを抱きしめて労って! ほらはやく!」
「それは余計に性質が悪いのでは……とはいえ、ありがとう。元気な子供を産んでくれ」
「お、おうよ。へへへ……」
要望通り抱きしめて労うと、霞は顔を赤くして照れていた。
霞を雪女の村落へ連れていくことが決定した。となれば、だ。
「ウララはどうするつもりなのだろうか……」
少し前に聞いた話では修行中とのことだが、どれくらいで終わるのだろうか?
「ん? ウララなら修業が終わり次第合流するって言ってたし、普通に着いて来ると思うわよ?」
どうやらそちらも裏で話が進んでいたらしい。
「……そうか」
「なに? 女四人を養うのに不安が出てきた?」
「いや、そう言う事ではないが……なぜこうも好かれているのかが、よく分からなくてな」
「顔が良い、声が良い、身体が良い、性格は無骨でむっつりだけど放っておけない感じ。ってのが私の評価ね。ああ、あと夜の相性が最高ね。あんなの覚えたら他のじゃ満足できないわ。ん? 冷静に考えたら、あんたって割とあたしの理想の男ってこと?」
「明け透けすぎやしないか……?」
「あんたにはこれくらいはっきり言ってやった方が良いかと思って」
「それは……まあ、そうだな。その方が助かる」
「でしょ? でさ、はっきりついでなんだけど、あんたこれからの夜はどうすんの? 私はこれだし、ウララはいつ来るかまだ分からないし」
「……まあ、しばらくは大丈夫だな。最悪娼婦を買うと言う手も」
「それはなんか嫌。それならせめて――あっ、都合の良い女が居たわ」
そう言うなり、霞がどこかに連絡を取り始めた。
「……なんだと?」
いやな予感しかしない。
そうしてやってきたのは――
「どーもどーも、万年発情期のウサギと申しますぅ。本日は素敵な殿方が居ると聞いて股を濡らしてやってきましたぁ」
とんでもない女が来た。いや、見た目こそ清楚系と言うか、着ている服も相まって佇まいだけならどこぞの令嬢と言っても過言ではない。
なのだが、先の言動の通り、かなりおかしな女らしい。
と言うか、例の葉物好きの女だ。霞とコンビを組んでいたくらいだから普通ではないと思っては居たが――
「見ての通り変態よ。こいつなら好きにしていいわ」
「霞ちゃん冷たいっ! あー、でもお兄さんにめちゃくちゃにされるのは興味あるかもぉ。見た目はワイルド系だけどすごく丁寧なエッチしてくれそうですねぇ」
……当たっているだけに何も言い返せない。
「この通り、人を見る目はあるわ」
「見方が独特過ぎやしないか……?」
「えっとぉ、とりあえず霞ちゃんからはお兄さんのエッチの相手をして欲しいって言われてきたんですけどぉ……あ、こちら私の名刺ですぅ」
「ああ、これはどうも……出張風俗・ラビットホール?」
名前は兎塚メアか。偽名のような名前だが、本名なのか?
「はいっ、人気ナンバーワンですよぉ。あとオーナーを兼任させてもらってますねぇ」
「オーナー自らが風俗の店員を……?」
「燈牙、この子は倫理観がちょっと特殊だから、深く考えない方が良いわ」
「わ、わかった……そう言う行為が必要な理由も説明した方が良いのか?」
「あー、そうね。この子なら口も堅いし平気でしょ」
「お尻は軽いですけどねぇ。あ、そうだ、こちら御近づきの印にどうぞぉ」
「ん? 映像作品? 兎穴百連――成人向けの作品か。いや、出演作なのか?」
よく見たらキャストに兎塚メアと書かれている。
先ほど貰った名刺と同じ名前だが、流石に本名という事はなさそうだな。
「はい、デビュー作で処女作ですねぇ。百人斬りに挑戦したいと思ってましてぇ」
「……そうか」
そう言う内容なのか……あとで観よう。
「と言うわけでプランのお話をしましょうねぇ。霞ちゃんからは本日より毎晩のお相手をという事で承っていますけど、お間違いはないですかぁ?」
「別に毎晩は――」
「貯めると大変なんだからきっちり発散しときなさい」
「……わかった」
「それと、ゴムなしをご希望という事ですが宜しいですかぁ?」
なに? それは不味いだろう。
「いや、避妊はしないと――」
「お構いなくぅ。避妊薬は常備していますのでぇ。私個人としましても無い方が気持ちいいので、そのままでよろしいでしょうかぁ?」
おかしい、俺の意見を無視して話が進んでないか?
「いいけど、避妊薬はきっちり飲みなさいよ? でないと、あたしみたいにあっさり妊娠するから」
「ほうほう、種がお強いようで……何か服用薬は?」
「いや、無いが――俺の正体は知っているのか?」
「えぇ? あなたの正体ですかぁ?」
「いや、言ったでしょうが! その人が悪鬼だって!」
「……ああっ! そうでしたぁ! という事は、怪人さんなんですねぇ。怪人さんのお相手は初めてなんですけど……霞ちゃんが無事なので大丈夫そうですねぇ」
「長くて太くて反り返ってるくせに奥まで届く名器よ。おまけに威力も連射力も持続力もそこらのものとは段違いね」
「あら、楽しみですねぇ」
「何の話を――いや、そう言う話は止めてくれ……」
何のことを言っているのかと思ったら……下品が過ぎる。
その後も二人からのセクハラを受けつつ話が進み――
「最後にこれをお願いしますねぇ。尿と唾液の検査ですぅ。性病と虫歯の検査なので、結果はすぐにわかりますよぉ」
「今は便利な物があるんだな……」
そうして検査を終えた後は契約書にサインをして、無事――無事に? 身体の問題が解決された。
「じゃあ、お仕事は今夜からですし、このまま居座りますねぇ」
居座るのか。良いのだろうか?
「ええ、別にいいわよ? しばらくは仕事も無いし」
「探偵業でしたっけぇ? 面白い依頼はありましたかぁ?」
「最近のだと不倫調査かしら? 調査対象の不倫相手が思わぬ大物で得をしたわ」
「どれだけ社会的地位があっても不倫は不倫ですからねぇ。まだうちのお店に来てくれた方がよっぽど健全ですのにねぇ」
「不倫をする奴らはスリルを楽しんでるっていうけど、バレたら破滅しかないってのによくやるわ」
「その大物さんはどうなったんですかぁ?」
「表沙汰にはせずに金を搾れるだけ搾り取って示談で終了ね。とは言え、こっちは弱みを握ってるから、何かあった時には都合よく利用させてもらう予定よ」
「あららぁ、それは羨ましいですねぇ。うちは風俗店としてはだいぶグレーなので袖の下代が意外と多いんですよぉ」
「あー、ガサ入れね? それなら使えそうなネタがあるから譲ってあげてもいいわよ? 今回の仕事を受けてくれたわけだし」
「あらぁ、いいんですかぁ? それならお言葉に甘えましょうかねぇ」
「……」
女二人、黒い笑みを浮かべてとんでもない話をしているのを、俺は黙って見ていることしかできなかった。
色々と危うげな話が始まったので、俺はひとまず珈琲でも淹れようと立ち上がった。
「あ、珈琲なら私も。メアはミルクたっぷりだっけ?」
「はい。あ、お砂糖はひとつでお願いしますねぇ」
「わかった」
兎塚さんがもう馴染んでいる。まあ、霞の相棒のような立ち位置だったらしいし、元々馴染みはあるのか。
しかし、霞と組んでいたという事は俺とも面識があってもおかしくは無いはずなんだが、あんな令嬢風の巨乳美人に見覚えは――いや、待てよ? そう言えば、やけに格闘戦の強い女が居たが、彼女によく似ているな。
思い返せば霞が居た所ではよく共に行動していた。
珈琲を淹れ終えて戻ると、二人は話を終えたのかゲームに興じていた。
「ほら、珈琲だ。あと茶菓子も」
「あんがと」
「ありがとうございますぅ」
「兎塚さんにちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「ええ、どうぞぉ?」
「もしかしてなんだが、格闘戦が得意なんじゃないか?」
「はい、身体だけは頑丈なのでぇ。銃を使うよりは得意でしたねぇ」
「やっぱりそうか……」
肯定されたことで、記憶の中の兎塚さんと目の前の兎塚さんの姿が合致した。
「あー、思い出した? 昔のこいつ、ゴリラみたいな戦い方だったもんね」
ゴリラ……ああ、そう言えば道路標識を引き抜いて振り回していたな。あの握力と腕力は普通じゃない。
「霞ちゃん、酷いですぅ……あまり否定はできないんですけどねぇ」
「確か、足技を主体に戦っていたと思うんだが……」
道路標識の件は衝撃だったが、それ以上に見事な足技で戦っている方の印象が強いな。
「そうですねぇ。握力と腕力には自信があるんですけど、手は大事なのでぇ」
「手が大事?」
「こいつの趣味が官能小説を書くことなのよ。確か本も出てるんだっけ?」
「あとエッチな映像作品のシナリオも書いてますねぇ。最近はイラストなんかも始めましたねぇ」
「そっち方面では多才なんだな……」
「なんせ好きなことですからねぇ。私の三大欲求は全部性欲ですよぉ」
食欲と睡眠欲はどこへ行ったんだ。
「人民軍にいた頃、この子の居た隊が一晩で再起不能になるって事件があってね……聞きたい?」
「いや、聞かなくてもわかった」
今の話の流れで解るだろ。
「まあ、そんなわけでお目付け役として私が組まされることになったってのがコンビ結成の話だったりするわ」
「ちなみに私は女性もイケるので、霞ちゃんにはエッチな技術をたくさん仕込みましたぁ」
「……大変だったんだな」
「聞かないで。忘れたいことだから」
「しかし、そうなると、まさか霞の房中術は……」
「私の仕込みですねぇ。燈牙さんも必要なんだとかぁ」
「ああ、似たようなことはするんだが、大丈夫だろうか?」
「いいですよぉ。霞ちゃんの話を聞いて興味もありますしねぇ」
……何を話したんだ?
「霞?」
「ああ、ほら、あれよ。気の感知とか教えて貰ったでしょ?」
「あれか。兎塚さんも教えて欲しいのか?」
「はい、あ、もちろん方法は繋がりながらの方でお願いしますねぇ。そっちの方が覚えやすいと聞いていますのでぇ」
「あ、ああ……」
「どうせやることやるんだから、最初からそっちの方が良いでしょ? 効率もいいし」
「……まあ、それもそうか」
何か納得がいかない部分もあるが、効率が良いのは事実だからな。
「うふふ、今夜が楽しみですねぇ」
「あんたの部屋として防音室貸してあげるから、やる時はそっちで頼むわ」
「はい、私は声が大きめらしいなので助かりますぅ」
「いや、まあ、うん……とにかく、頼むわよ?」
なぜ俺にまで?
「ああ、わかった」
とりあえず返事はしておいたが……まあ、それは今夜に分かるか。
そうして迎えた夜、さっさと寝室へと引っ込んでしまった霞を見送った後、俺は兎塚さんに引き摺られるように寝室と化した防音室へと連れ込まれた。
……色々と凄かった。凄かったのだが、果たして俺の身体は持つのだろうか?
とりあえず俺から言えるのは――兎の性欲は凄い。と言う言葉だけだ。




